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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

大本営発表

2020-12-11 10:44:45 | 里山探検隊

 脱炭素社会を目指すというので、2030年台半ばには、ガソリン車の新車販売はしないという。ただ、車でガソリンを使わない代わりに、発電所で石油を使うのであれば、結局のところ石油が目に見えないところに使われているというだけではないのだろうか。これではまるで水洗トイレを使っているから、地球上から排泄物がなくなったみたいな錯覚でしかない気がする。

 トヨタ自動車が、電気自動車でもない水素ガスで走る水素自動車を作った。排気ガスの代わりに、エンジンからは水しか出てこないのだという。すごいことだと感心していたら、カラクリがあった。燃料となる水素ガスを作るのに、メタンと酸素を合成するのだが、水素を取り出すと同時に、二酸化炭素を発生させているのである。これもまた自動車からは二酸化炭素は出さないが、水素ガスの製造段階で二酸化炭素を生産しているので、あまりエコとは言えないのである。

 騙されているとは言わないが、国や企業はいつだって情報の都合のいいところしか出してこない、ということは心しておかなければならないだろう。常識に添えば、すべてにおいて完璧なものなどはない。ウインウインの関係と言っても、それは当事者たちだけの話で、他のものが割りを食っているということは多々あるだろう。

 近頃地方で注目されている、木材を使ったバイオマス発電にしても、木を育て、その木を燃料に発電するので、二酸化炭素の吸収と排出でトータルゼロになると言われ、おまけに見捨てられていた山の復活にもつながると好評だが、これもまた半分の情報しか発表されていない。というのも、木の伐採による土壌破壊や、発電用の燃料にするための木材のペレット化で排出される二酸化炭素は、カウントされていないからである。

 太平洋戦争中、大本営発表というのがあった。国は戦果を発表し続けたが、実際は日本はどうしようもない負け戦でしかなかった。戦後、国は嘘ばかりついていたことを国民は知らされたが、発表したのは国でも、それを国民に知らせたのはラジオや新聞などの民間の企業だったことを忘れてはならない。

 戦争中は、お国のためと徴兵され、南方に送り込まれた兵隊さんの多くは、飢え死にか病気で命を失った。それは銃弾に倒れた数よりも多かったのだ。どうしてこういうことになったのか。それは軍部が戦線を拡大することには熱心だったが、食料や武器弾薬などの補給についてはほとんど関心を持たなかったからだ。そんなものは、前線で確保しろというのが、上からの命令だった。それは草木も育たないような山岳地帯だろうが、熱帯雨林だろうが同様だった。確保できないとしたら、それは根性がないからだと、兵隊さんの責任にされた。

 Go To キャンペーンもまた、政府の旗振りであちこちに出かけさせられている。そこでウイルスに感染するとしたら、利用者の感染予防が不徹底だったからと当事者のせいにされる。

 情報社会とは言うが、誰でも自分の都合のいい部分しか発信しないのだから、僕らは情報を受け取るときには、いつだって眉に唾をつけて応対したほうが良さそうだ。

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命の輝き

2020-10-31 09:43:44 | 里山探検隊

 Yahooニュースを見ていたら、日本の15歳から39歳までの死因のトップが自殺で、先進国では日本のみという記事が出ていた。先進国の中で、日本の若者だけが悲惨な状況にあるとは思えないから、そこには社会構造というよりも、人生の捉え方、掘り下げれば宗教の問題というものがあるのかもしれない。

 キリスト教国のような一神教の世界では、自殺は犯罪である。この世にあるものは神様がお作りになったものだから、それを勝手に破壊するのは神様への冒涜だという信仰がある。だから殺人だろうが、自殺だろうが、動物虐待だろうが、同じような罪なのである。

 日本でも、当然のことながら自殺はよくないことだとされている。が、なぜいけないことなのかという理由に、迷惑をかけるということが第一義になっている気がする。自分の命は自分のものという考えも根っ子のところにあるのかもしれない。だから、迷惑をかけてもいいんだと開き直れば、自殺へのハードルは低くなってしまうのだろう。 

 自殺も将来的には、病気の一種と認定されるだろう。ギャンブル狂が依存症であるように、偏執的にしか働かなくなった脳は、正常な状態ではないのである。

 アンが我が家にやって来て以来、身近に命があることをつくづく感じるようになった。

 躍動する命を間近に見ていると、自分が何をしなくても、幸福感が生まれる。

 自分の周囲には実にたくさんの命があって、それが日々輝いていることを知ること、それだけで一切のストレスから解放されるのを実感することができる。

 日本の若者の自殺がストレスからだとしたら、彼らの追い込まれている袋小路は、日本の精神風土とともに、最近の教育方針にも原因がありそうな気がする。

 学校の授業でもあるいは家庭でも、命の大切さを言いながらも、具体的にはそれを心の底から感じさせる機会を子供に与えていないのではないかと、僕には感じられてしまうからである。

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散歩の猫

2018-06-26 11:30:34 | 里山探検隊

 必ずというわけではないが、散歩の時には大概首からカメラをぶら下げていく。目的があってカメラを持っていくわけではないので、なんにも撮らずに帰ってくることのほうが多いが、季節の花や野鳥、珍しい野生動物に遭遇したりすると、シャッターを切る。夜明けの不思議な光線や、夕暮れの雲間から射し込む光や、嵐の雲など、普段とちょっと違ったふうに感じる風景にもカメラを向けることもある。

 反対に、いくら綺麗だと言っても、公園や他人の家の庭といった人工物はあまり撮らない。同じ動物でも、飼い犬や飼い猫というのも食指が動かない。

 それでも、今までに撮った写真を見返していると、犬の写真はないのに、猫の写真は不思議と撮っている。考えてみれば、散歩の途中で出会う時、犬の場合はほとんどが飼い主が一緒にいるのだが、猫はほぼ単独行動なのだ。おそらくそんな野生的なところに、シャッターを切っているのかもしれない。

 以前は、誰よりも早く猫の気配をドリが察知し、その瞬間には猫に突進しようとしたので、リードを抑えるのに必死で写真を撮る暇なんてなかった。が、歳をとったせいかすっかり猫にも興味をなくし、姿を見かけたとしても我が道を行くだ。最近は、どこからか視線を感じたりすると、猫がじっとこちらの様子を伺っていたりする。そういう時は、つい写真を撮ってしまうアベさんなのである。

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ぺんぺん草を描く

2018-04-08 13:06:09 | 里山探検隊

 ちゃんと数えてはいないが、里山探検隊の絵を描き始めて、50枚目となるぺんぺん草の絵が完成した。散歩の途中、足元ばかり見て歩いているうちに、自分が小さくなったら、世界はどう見えるだろうと思ったのが最初だった。ただの里山の風景も、まるで巨人の惑星のようにすべてが大きくなるとしたら、普通の絵なら、スケールが違うために人間と一緒に描くことができない草花や虫や鳥たちが、同じ画面に登場させることができる。

 そんなことで描き始めたのが去年の5月で、ほぼ一年がかりで50枚を描いたことになる。

 キリがいいので、今度はこの50枚にストーリーをつけて、図鑑のようにできたらと考えている。

 死んだトトも、絵の中では相変わらず元気に活躍してくれるので、創作というのは記憶や思い出といった頼りないものと違って、過去ではなく未来にその姿があると思うと、大変ありがたいものなのである。

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石垣の絵、ツバメの初見

2018-04-02 08:17:44 | 里山探検隊

 春を題材に、まだ描いてないのは何かなと考えているうちに、子供の頃の情景がふと頭に浮かんだ。それは、お日様に温められた石垣で、ほかよりも気温が高いためか、石垣の上をチョウチョやミツバチが飛んでいたり、トカゲの仲間のカナヘビがうろちょろしていたり、石垣の隙間からヘビが顔を出していたりという光景だ。石垣を題材にした絵というのはあるだろうが、石垣で春を描くというのはあまり誰もやっていないのではないだろうか。

 というわけで、石垣の絵に挑戦した。画中の赤い実はヘビイチゴ、トカゲみたいなのはカナヘビ。どちらも名前にヘビがつくがカナヘビの方はヘビのように尻尾が長いというところから来たのだろう。ちなみにトカゲとの違いは、カナヘビは乾いた場所を好み、体もガサガサした感じ、尻尾が全体の三分の二ほどあるのに対し、トカゲは湿った場所を好み、体も光沢があり、尻尾は全体の二分の一ほどとカナヘビに比べると短い。

 絵とは関係ないけれど、早朝散歩の時にカメラを持っていき、花の写真を撮っていたら、頭上の電線にツバメが止まっているのに気づいた。毎年四月の第1週にはツバメがやってくるようだが、今年は早くに姿を現した。

 ソメイヨシノも、今日には咲きそうだ。

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アメンボの絵

2018-03-25 11:27:09 | 里山探検隊

 昨日畑を耕しておいたので、今朝は朝食後にタミちゃんと畑に行き、ジャガイモを植えることにする。畝は四つ作っておいたので、ふたつに男爵を、もうふたつにキタカムイの種芋を埋める。買って来た種芋はそれぞれ1キロずつで、ひと袋に8、9個ほどしかないが、芽のあるところでひとつを四等分にするので、4倍に増える。

 これが成長すると、それぞれの苗が10個ほどの芋ができるので、少ないと思っていても結構な量になる。事実我が家では、せっせとジャガイモを使った料理を作ってはいるが、去年収穫したジャガイモがまだまだたくさん残っていて、次の収穫まで買う必要がない。天気予報では来週は初夏の陽気になるらしいので、ジャガイモもすぐに芽を出してくれるだろう。

 話は変わるが、春らしくアメンボとミズスマシの絵を描いた。どちらも水上で暮らす虫だが、それだけに水面の様子を描くのに苦労した。プラス、春らしさも加えたいと、桜の花びらが水面に浮かんでいるところにした。

 中央には、トトが小さなミズスマシの背中に乗っているところを描いた。トトはいなくなったが、作品の中ではまだまだ僕らとともに生きていてもらわなければならないのだ。

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不自由な肉体

2018-03-12 10:37:25 | 里山探検隊

 体調不良だったり、天気が悪かったりで、2週連続アウトドアで過ごせなかったので、今日こそはと張り切っていたら、風邪をひいたのか、朝から頭が鉛のように重く、挙げ句の果てに外は強風が吹き荒れ、時折雪も舞っている。久しぶりに長距離を走りに行こうと思っていたが、コタツから抜け出せずにいる。

 この前から取りかかり、何度も背景をやり直したワラビの絵がようやく完成した。日当たりのいい山間にしたり、野原にしたりと試行錯誤を繰り返したが、最終的には林床の中の陽だまりにすることで絵としては落ち着いたように思う。

 面白いもので、創作というのは頭で考えていることはほとんどそのまま実現させることはできない。「アイデアはあるんだけど」とか「思いついているものはある」と抱負を語る人は、絶対と言っていいほどそれを実現させることはできない。思い描くことと作品にすることは全然別のものだからだ。簡単に言えば、頭の中でオリンピック競技で自分が活躍するのをイメージしたところで、それを実現させるのは自分の肉体から出ることはできない。

 ところが、最近はゲームの影響か、バーチャルの世界に親しんできた人は、自分の肉体というのを度外視して物事を考えるようになる。そこでは肉体の限界や自分の能力や、積み上げてきた経験というのを乗り越えていくことは難しいことではない。すべては脳みそが受け持っているからだ。

 が、実際に目で見て、経験し、自分の体を使って表現するということがいかに困難か、それ以上に、自分の体がこれほど自分の自由にならないものかと痛感している人なら、ひとつのアイデアや思いつきが何かを実現できるとは信用することができない。ネット社会で幅を利かせている、誰もが批評家という立場から離れ、自然と他人のやることには無口になってしまうのである。

 

 

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山菜

2018-03-10 11:09:27 | 里山探検隊

 毎年この時期になると、風物詩のように東日本大震災の報道が増える。津波にあった場所は、町ごと盛り土をして作るような計画もあったが、なかなか全員の意見が一致しないまま、ちらほらと元の場所に住む人も出てきた。

 事故を起こした福島原発は、30年から40年をめどに廃炉にすると言っているが、7年経った現在でも、溶け落ちた原子力燃料がどうなっているかもはっきりせず、たとえ取り出せたとしても、それをどこに持って行くのかも決まっていないのだ。おそらく最終的には、チェルノブイリのように施設自体をコンクリートで埋めてしまう石棺方式にするしかなくなるだろう。

 そんな状況にもかかわらず、原発は安全と言い切り、国は再稼働に踏み切る。ドイツは、日本が原発事故を起こしたのだから、自国でも事故がないとは言い切れない、と即座に脱原発へと舵を切った。そのため我が国は、風力発電などの自然エネルギーの利用では、世界から大きく遅れを取ってしまった。挙げ句の果てに、原発を再稼働させた時のために、送電線も空けておかなくてはならず、太陽光発電の利用にもブレーキをかけなければならなくなった。

 日本という国は、組織を動かすことにかけては一流だろうが、組織を立ち止まらせることに関しては三流以下の国なのである。

 福島では除染が終わり、避難区域での帰還が行われるようになったが、除染対象はあくまでも宅地や畑なので、山や川辺にできる山菜には、たっぷりと放射線が含まれている。ほとんど採る人もいないので、ふきのとうも足の踏み場もないくらいに生えている。それもこれも、経済を優先させるためというが、それで潤っているのはほんのごく一部の人間だけなのである。

 ワラビの絵を描いてみたが、背景を失敗したので、一度消してやり直すことにした。

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ダメ出し

2018-03-06 10:15:05 | 里山探検隊

 ふくらはぎの痛みも全快したので、休日には少しだけでも走ってこようと思っていたが、天気予報はあいにくの朝からの雨。ただ、朝飯を食った時点では降っていなかったので、どうしようかかなり迷ったが、天気予報を信じて走るのをやめた。

 それから1時間もしないうちに、かなりの雨が降り出したので正解だったが、これで2週連続サボったことになり、かなり体力が落ちてしまっただろう。春というのは意外と雨が多く、おまけに三寒四温の言葉通り、一週間で天気が変わっていくので、天気が悪い曜日はいつだって悪いということになってしまう。

 せっかくの休みなので、描きかけだったゲンゲの花(子供の頃はレンゲと言っていたが、調べるとゲンゲで統一されている。蓮華というとハスになってしまうのだ)の絵を完成させた。夕方タミちゃんが帰ってきたので早速見せると、「いいんだけど、わたし的には背景もレンゲが咲いていて、一面のレンゲ畑みたいなのがいい」というようなことを言う。

 ここのところは、僕なりにもどうしようか迷ったところで、背景をピンクにすると手前の花自体が埋没してしまいそうな気がしたので、途中で緑にしたのだ。でも、そう言われてみるとやはり失敗だったかなと思う。

 で、一度完成した絵の背景を、もう一度やり直すことにし、手前の花がごちゃごちゃ混ざらないように注意して、背景にピンク色を足した。というわけで最終的に完成したのがこちら。

 見ている方は意外とパッと見てそれでおしまいなので、作者が変更した点に気づかない場合が多い。でも、作者としては気に入らないところというのは、いつまでも気になって仕方がないものなのである。

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ゲンゲ

2018-03-05 11:26:46 | 里山探検隊

 子供の頃、春になると田んぼはゲンゲの花で埋めつくされ、一面ピンク色に染まっていた。その中で転がりまわったり、首飾りを作ったりするのは、まるで春が来たのを喜ぶ野生動物みたいだったが、気がつけばいつの間にかゲンゲ畑は見かけなくなった。

 その理由というのは、もともと肥料として利用されていたのが、化学肥料の登場によって取って代わられたからで、効率や便利が優先される現代では仕方がないとはいえ、効率のために消えていく風物詩というのは残念だ。

 ところが、最近は有機栽培が見直され、田んぼにも部分的にはゲンゲを見かけるようになった。まだまだ珍しい光景だが、できればもっともっとゲンゲ畑が広がってくれると、効率以上のものを僕らにもたらしてくれる気がする。

 そんなことを言っても、安価で便利な化学肥料から交代するのは難しいだろう。それなら、村おこしとして観光資源としてのゲンゲ畑というのは考えられないのだろうか。田園地帯や棚田のような田んぼの集まる場所なら、ドローンで一括して空から種を蒔けば、農家の労力は少ないだろう。春、一面のゲンゲ畑が地平線まで広がるような光景なら、きっとひたちなか市の海浜公園のネモヒラの花同様、多くの人たちの目を楽しませるに違いない。うまく行けば訪れた人たちが落とす金で、次の年のゲンゲの種を蒔く費用を捻出できるのではないか。

 などと、ゲンゲ畑を見るたびに、素人は空想してみるのである。今の子供は、じっくりゲンゲの花を手に取ったり、観察したりすることはないだろうな。

 

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