大分の友人に、お土産があるからと連絡しておいたら、仕事の帰りに取りに寄ってくれた。週末までいるからと告げると、今度の休みにゆっくり会いに来ると言う。
よく晴れた秋晴れの午後、今から行くからという連絡があり、二人で出かけることにした。
「どこ行く」と言うので、「できたら絵の題材になるような場所がいい。国東半島の漁村でも回ってくれれば、どこかいい場所があるかもしれない」とお願いして、国東半島の海岸に沿って車を走らせてもらうことにした。
数日前にも近くの漁港に初めて足を伸ばし、ブラブラとして来たばかりだったが、案外近くても用事がないと漁港には行くことがない。国東半島に何度も足を運んでいる地元の人間にしても、幹線道路から外れ、岬と岬の間に挟まれた小さな漁港に寄ることはない。風光明媚な場所はないかもしれないが、すぐ近くに見たことがない風景があるというのは、なんとはなしに不思議な感じがするのである。
ひとつの港に寄っては、次の港を目指す。国東半島は海の中から山が現れたような地形なので、平野部が少なく、山裾がそのまま海へと転がり込んだようなものなのである。そのせいで、すぐ隣の漁村に行くのにも、ひとつ尾根を超えていかなければならず、それぞれの漁村が孤立している。
日本三大夕景でもある真玉海岸まで来ると、近頃はすっかり有名になったためか、お土産屋と小さな食堂を兼ねて、観光施設がある。
「あれ、こんなのいつできたの」と友人。
「ここもそうだけど、この先の粟嶋神社はもっと恥ずかしいことになっているよ」と僕。意外と地元の人間は、地元の変化に鈍感なのだ。
恥ずかしい粟嶋神社とは、観光客を集めるために、最近は恋人岬みたいなノリで、ハートのオブジェがあったり、絵馬に鍵がついたようなものを飾って願をかけるようになっている。 その絵馬を見るとはなしに眺めていたら、男の文字で、「幸せになれよ」みたいな絵馬があった。一見優しい男を演じているようだが、どうやら振られた男が悔し紛れに振った女に、上から目線でエールを送っているようだ。
「こういう恥ずかしい場所には、こんな恥ずかしい人間がやって来るんだぜ」と納得しあっている、恋人岬のオッサン二人組であった。