おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

打ち身・捻挫

2011-08-31 10:32:24 | 日記

 ブログを更新しようと思ったら、メンテナンスで半日使えなかった。その間に、書くつもりだったことをすっかり忘れたうえ、日が高くなり暑くなってきたので、意欲がなくなってしまった。

 もっとも覇気がないのは暑さのせいばかりではなく、先日トレッキングに行ったとき、したたか岩に膝をぶつけたのが痛んでいるせいだ。昨日までは筋肉痛にまぎれて、打ち身だとは気づかなかったが、筋肉痛が引くと、明らかに打撲の痛みが体のあちこちに残っているのがはっきりわかるのである。

 なんたって、派手に転んだもんな。とにかくデジカメだけは守ろうと、地面が目の前に迫っても、カメラを抱きかかえ、そのまま転倒したもんな。膝だけでなく、腕も肩も、その他もろもろ激しくぶつけたのだ。幸いにして誰も見てなかったので良かったが、しばらくは地面の上をのたうち回った。

 とにかく山歩きでは、ケガをしても自分の力でしか下山できないという宿命がある。救出を待つなんてのは、本来邪道なのだ。自分の身は自分で守る。守れなければ死ぬだけだ。

 そういえば、トトと登っている最中、前から来たカップルがトトの存在に気づいた途端、そのことに気をとられたのか、女性が木道から転がり落ちた。この場合は、僕がしっかり目撃者となったので、相当恥ずかしかったと思われる。女性はしきりに、「くっそー」と悪態をつきながら、山を下りていった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドジョウの政治

2011-08-30 07:46:50 | 日記

 菅さんの次の総理大臣に野田さんが決まった。投票1回目では、あのハウハウハウという鳴き声で有名な海江田さんがリードしたが、決選投票ではドジョウの政治をやると訴えた野田さんが当選した。どうせなら人間の政治をやってほしいと思ったが、ドジョウの政治とはそういうことではないらしい。

 そんな野田さん。1987年に千葉県議選に初当選以来、2010年に財務大臣になるまで、平日には早朝の街頭演説を欠かさなかったというから、根性は座っているようだ。そういうのを、「ドジョウの政治」というのかどうかは僕にはよくわからないが、政治家の先生は、自分を「どぶ板議員」だとか言って、泥まみれに見せるのがお好きなようだ。実際にはどぶ板議員ではなく、料亭議員だとしても。

 僕なら、ドジョウなんて言わず、哺乳類を例えに出したい。「サルの政治」なんかは最初から風刺だらけで突っ込みどころ満載だし、「負け犬の政治」を堂々と声に出して、自虐的な国民性をアピールしてみたい。「コウモリの政治」とか「馬と鹿の政治」なんてのも良い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平治岳

2011-08-29 07:54:30 | トレッキング

 旅行から帰って以来、ずっと天気が悪かったこともあり、体がなまりになまっていた。そこで、日曜日は夜明けとともに九重連山に出かけた。旅行の間は、五合目、八合目といった山の途中まで車で登る山登りが続いていたため、九重のような平地からトレッキングができるのは新鮮なのだ。そのかわり、歩く距離はぐんと伸びるが、今日は徹底的に体力を使い果たしてやろうという魂胆である。

 長者原を出発し湿原を抜けると、すぐに森林地帯に入る。うっそうとした森の中で清水の湧いてところがあったので、早速デジカメにセットした偏光フィルターの威力を試してみる。ファインダーをのぞき、フィルターを回転させると、確かに照り返しが消え、水中が映し出される。いろんなシチュエーションで試さなければ、効果はわかりにくいということだったが、確かにこんなにはっきり効果があったのは初めてだ。

 この光景にフィルターを利かせると

 こうなる。

 光の反射によって白く輝いていた水面や木々の葉っぱが、みごとに本来の色を取り戻しているではないか。

 が、ここでひとつ気になることが出てきた。僕が見ている光景と、ファインダーを覗いた光景が、ずいぶん違っているということだ。写真としてはきれいな写真が撮れたとしても、僕が目の前で見ているものとは別のものが写っていたら、果たしてなんの意味があるのだろう。僕の前にあるのがしらっ茶けた世界なら、しらっ茶けているということに意味があるのではなかろうか。

 というようなことを、ほんのちょっぴり感じながら、でもきれいに撮れたからいいかと、その後はフィルターの効果を最大限に生かし、パチパチ撮りまくった。

 久しぶりの坊がつるは、涼しい風の中、トンボが飛び交い、すでに秋の気配が漂い始めていた。

 これが今回登る平治岳。今年の1月、雪の中挑戦したが、トトがしり込みしているうちにタイムアップとなって、途中で断念した山だ。が、今回は頂上までトトも喜んで登る。トトもまた体がなまっていたのだ。

 この光景が見たくて登ってくるんだよな。トトはすれ違った人から、「その犬はまだ4歳くらいですか」と聞かれ、「10歳です」と答えるとビックリされていた。「若く見えますね」だって。まだまだ若いのにな。

 炎天下、ほとんど休憩を取らず7時間半歩き回ったら、最後は何でもないところで転んで、膝をしたたか岩に打ちつけた。ズボンは破れるし、膝からは血が流れるし。カメラだけは抱きかかえて無事だったので何よりだ。いろいろ疲れたけど、あ~楽しかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試してみよう

2011-08-27 08:56:54 | 日記

 昨日買ったデジカメの偏光フィルターの威力を実感したいので、より効果がわかりやすいと思われる海に行ってみることにした。出かけたのは、日本三大海の夕焼けのひとつにも上げられる真玉海岸。ここは潮が引いたときの砂州と海のコントラストが美しいので有名なのだ。

 といっても、到着したのは真昼間。ギラギラサンサンと輝く海では、ただの遠浅の海なのだ。

 

 

 

 フィルターを回転させ、ファインダーで余計な光が減少したのを確認しながら撮影してください、と説明には書いてあったが、いくらファインダーの中で目を凝らしてフィルターを回転させても、はっきり「これ」といった変化は現れない。それほど微妙なものなのか、それとも僕のやり方が間違っているのか。

 よくわからないまま、付近を散歩し写真を撮りまくる。

 

 

 確かに空の青さは増しているように見えるが、果たしてフィルターのせいなのか、どうなのか。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

使い方

2011-08-26 08:03:04 | 日記

 ずっと欲しいと思っていた、デジカメのレンズにはめる偏光フィルターを買った。本当は旅行に行く前に買おうかどうしようかずいぶん迷ったのだが、まだまだカメラ自体を使いこなしていない状態だし、少しでも出費を抑えたいしで我慢した。

 が、旅行から帰り、旅行中に撮った写真を眺めているうちに、やっぱり買っておいたほうが良かったなと思うようになった。というのも、僕の写真はもっぱら旅行中や散歩中の風景写真が主なので、風景の色彩を鮮やかにする偏光フィルターの存在は大きいのだ。

 で、近くの家電量販店に行ってみると、レンズの先に取り付ける薄っぺらいガラスのフィルターが、えっ、というような値段で売られていた。安物のデジカメならお釣りがくるような金額なのである。でも、すでに僕の中では買う気になっているので、清水の舞台から子供用プールに腹からダイビングするつもりで購入した。

 説明どおりだと、「水面やガラスなどの光の表面反射を除去する効果や、青空の色を濃くし、樹葉、山肌、建物などの色彩を非常に鮮やかにする効果が得られます」というような写真が、僕にも撮れるそうである。そういうことなら、早速テスト撮影のため近くの海まで足を運び、パチパチ撮りまくってみる。

「フィルター部が回転しますので、ファインダーで効果を確認しながら撮影できます」ということだが、フィルターを回転させても、なんにも変わらないみたいだ。いやいや、きっと僕の使い方が悪いのだ。こんなに高い金を払って、劇的な効果がないなんてことはないに決まってるじゃないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の終わり

2011-08-25 08:27:51 | 日記

 天気が良くなれば、すぐにでも九重連山にトレッキングに行こうと思っているが、旅行から帰って以来、いまいちすっきりしない日が続く。週間天気予報では今日あたりは曇りとなっていたが、今朝の天気予報ではしっかり雨になっている。曇りなら曇りで出かけるのだが、最近の雨は豪雨となるため、慎重に行動しなければ厄介なことになる。

 涼しい日が続くせいで、朝晩のセミの鳴き声が静かになった。クマゼミやアブラゼミは数を減らし、ヒグラシやツクツクボウシに席を譲る日も近いだろう。

 久しぶりに散歩にカメラを持参してみた。代わり映えのしない近所の様子だが、どことなく夏の終わりを感じさせる空気が漂っている。入道雲に代わって広がった薄い秋の雲のせいなのか、あるいは日ごとに背丈を伸ばしていく田んぼの稲のせいなのか。あちこちに秋の気配を感じる今日この頃なのである。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めんどくさ

2011-08-24 08:20:12 | 日記

 ハローワークに行ってきた。今は失業手当をもらうのも面倒になっていて、なるべくお金は出したくないという国の方針がびんびん伝わってくる。前回6月に説明会に行った時には、用紙にハンコをひとつもらったのだが、次の9月1日の認定日には、ハンコがふたつ必要になる。そのハンコは、ハローワークが行うセミナーか、どこか仕事の紹介を受けると、ひとつもらえることになっている。

 で、そのハンコをもらうために、旅行を一時中断して大分に帰ってきたわけだが、ごちゃごちゃ審査せずにこちらが仕事をして収めた分は、さっさと払ってくれれば、審査のための職員も必要なくなり、その給料分でもかなり浮くんじゃないかと思う。

 国は税収が足りない分は増税でまかなおうとするが、仕事を簡素化し、その分の人件費を節約することも考えてくれなければ、税金のほとんどが人件費に消えているのが実態なのである(税金の40%が人件費に消えているという話もある)。

 さて、失業手当をもらうために、仕事を紹介してもらうのはいいが、仕事が見つかると今度は失業手当はもらえなくなる。なんというジレンマ。どうせ面接に行っても、こちらから断るつもりで簡単なアルバイト程度の仕事を紹介してもらおうとハローワークの窓口に行くと、職員は「失業手当をもらえるのに働くなんてもったいない」みたいな顔をして応対する。

 わかりました。おとなしく失業手当をもらいます。だから、最初からハンコなんて言わず、銀行口座を教えてあるんだから、一括で払い込んでくれればいいんだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵐を呼ぶ男

2011-08-23 07:35:46 | 日記

 今日も真っ黒い雲が空を覆っている。いつ土砂降りになるのかわからないので、近頃は散歩にカメラを持って出ることはしない。おかげで最近のブログに写真が載っけられなくて、実に地味な色合いのブログになっている。こういう日が続くとなると、完全防水のデジカメを買っておいたほうがいいかなとも思う。

 秋雨前線だかなんだか知らないが、雨ばかり降る。雨どころか、九州北部では竜巻の被害まで発生している。僕は自分のことを雨男だと思っていたが、これはどうやら間違いで、「嵐を呼ぶ男」らしい。

 「この野郎、かかって来い! 最初はジャブだ・・・ほら右パンチ・・・おっと左アッパー・・・ 畜生、やりやがったな、倍にして返すぜ。フックだ、ボディだ、ボディだ、チンだ・・・チンってなんだ、チンって」(石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」より)

注) チンが顎であることくらいアベさんだって知っているので、ご丁寧にメールを送らないように。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ずぶ濡れ

2011-08-22 07:26:08 | 日記

 車で買い物に出たついでに、トトを散歩させようと、路肩に車を止め、雨の上がったあぜ道をのんびり散歩した。田園の中を、トトが道草を食うのにまかせ、てれてれと歩いていると、突然大粒の雨が降り出した。こりゃしまった、と思うまもなく、周囲はバケツをひっくり返したような大雨。この時点で車までの距離は1キロはあり、おまけに雨宿りできそうな木陰ひとつないのだ。

 あわてて車まで走って戻ったが、車に乗り込むときにはパンツまでビッショビショ。トトも全身ずぶ濡れで、普段見るトトよりふたまわりほど小さくなっている。ここまで濡れてしまうと、気持ち悪さも通り越し、かえって爽快感まで生まれる。ビショビショのまま鼻歌交じりで運転して帰ったが、きっと対向車は僕の車が屋根のないスポーツカータイプだと勘違いしたに違いない。

 夕方、雨が小止みになると、木陰からツクツクボウシの声が聞こえてきた。おそらく今年九州で初めて聞く声である。夏もいよいよ終わりかな、と思っていたら、今朝はイワシ雲が空いっぱいに広がっていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余震

2011-08-21 08:48:53 | 日記

 あいかわらず東北地方を余震が襲っている。過去にあったマグニチュード9クラスの地震では、1年以内に大きな余震がくることが多いという。大震災から五ヶ月、まだまだ注意が必要だ。

 昨日テレビで特集番組を見ていたら、江戸時代の街道や宿場が、今度の津波が押し寄せたラインを避けるように作られていたことが古地図からわかったという。また、海岸線に数多く点在するお宮も、その多くが今回の津波の到達ライン上にあることがわかった。お宮の名前も「波分け神社」や「潮満つ神社」というのだから驚きだ。

 が、考えてみれば当たり前のことで、街道にしろ宿場にしろ、かつて津波の被害に遭った人たちが災害を避け、復興の努力をしたということなのだろう。お宮にしても何もないところに建設したというよりは、津波の境界線上に建てたのだろう。日本人は過去に学ぶことが苦手な国民だと言われる。「水に流す」ことで災難を克服しようとする国民性は、あるときには有効だが、その逆だってある。

 まだまだあちこちで余震が続いているが、旅行から帰ってからも、僕の心は東日本への興味で揺れ続けている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする