おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

一か八か

2022-02-22 10:42:09 | 日記

 テレビを見ていたら、イギリスが新型コロナの感染者の隔離を止めるというニュースが流れていた。3回目のワクチンを急いで打てと騒いでいる日本からすると、感染者の隔離を止めるというのは無謀な政策のように見えるが、イギリス国民の中でそれに対して猛烈な反対運動が起きていない。

 イギリスに詳しいコメンテーターの話によると、イギリス人というのはトライアンドエラーが好きな国民らしい。好きというのに語弊があるなら、トライアンドエラーに対して寛容な国民だと言える。人間というのは、どうせ間違える生き物なのだから、とりあえずやってみて、うまく行かなければ別の方法を考えればいいと考えているのである。

 だから、イギリス政府のやることは早い。コロナ対策にしても、まず市町村単位でとりあえずやってみる。それでうまく行けばその範囲をどんどん広げて行けばいいし、うまく行かなければ別のアイデアを試す。

 そういう話を聞きながら、日本政府もどんどん積極的にその方針を取り入れて欲しいと思ったのだが、どうも日本という国の腰の重さにはイライラしてしまう。どうしてこう物事が動かないのだろうと感じていたら、世界的な数学者の岡潔さんの「春酔十話」の中にこんな話が書いてあった。

 「日本史を研究している英国人が『明治維新というのは陽明学の手によって行われた』と評しているが、陽明学派のやり方は、日本人が中国人から学んだというよりも、もともと昔から日本にあったものだと思う。その特徴は『直観から実践へ』ということである」

 どういうことかと言うと、何かを行うのに「情緒中心ということ、直観を疑わないですぐ実践に移すというのが昔からの特徴で、日本人は放っておいてもそのやり方でやって来た」

 で、そんなやり方でうまく行ったのが明治維新で、失敗したのが二・二六事件や五・一五事件だと言えるという。僕に言わせれば、これに太平洋戦争を加えたいが、もっと言うなら、バブル崩壊を招いた政策や、今回のコロナ騒動に対する政策も同じやり方を続けているように思える。

 直観というものは、場合によっては大事なものだろう。理性が理解できないことでも、長年の経験や本能といった潜在意識レベルの知恵が、僕たちに何かを教えてくれるからである。だから日本では、「直観」や「野生の勘」と言ったものが崇拝される。

 が、個人レベルではうまく行く物事も、国民を巻き込むような大きな決断の時には、勘に頼らず、理性的にまた科学的に進めてもらいたい。

 最近では、一番「直観から実践へ」で大失敗したのは、「アベノマスク」の政策だろう。部下が「マスクを配ればコロナはたちまち無くなりますよ」と助言すると、安倍さんは何の根拠もなく、全国の家庭に新型コロナウイルスには効果のない布マスクを配った。途中でいくら「効果がない」と批判されても、バカのひとつ覚えでせっせと血税を使って配り続けたのだ。

 こういうことなど、イギリスを真似て、とりあえずどこかの市町村のひとつに布マスクを配って効果を検証すれば、さっさと止めることもでき、無駄な時間とお金を使わずに済んだのである。

 「直観」というのは、途中で検証することができない。最後まで行って初めて間違いに気づく。周囲を見渡せばよくわかるが、日本人の指導者には、「直観」だけを頼りに一か八かで勝負している人は案外多い。それじゃあ困るんだな。

コメント
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