おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

暴れん坊将軍テオ

2020-01-31 11:49:51 | 日記

 テオが我が家にやって来てもうすぐ1年になる。来た当初は生後2ヶ月とあって、まだ手のひらに乗るくらいだった。おまけに保護犬という出生が関係しているのか、とにかく人間に対して臆病で、飼い主である僕らにもなかなか心を開くということがなかった。

 最近は散歩に行こうと飛びかかって来たり、自分が遊びたいときにはキャンキャン吠えて遊ぼうと催促する。が、では散歩に行こうとハーネスを装着しようとすると逃げ回り、少々のことでは捕まらない。向こうとこっちで挟み撃ちにしたり、部屋の隅に追い詰めたりして、「いい加減慣れろよ」と叱られるのだ。

 どちらかといえば何事にも消極的なテオだが、いたずらに関してだけは今まで飼ったどんな犬よりも積極的だ。来て早々、庭の土をほじくり返すということを自分の使命だと考えているのか、ちょっとの隙間でも土がある場所はすべて掘り返してしまう。花壇だけでは飽き足らず、プランターの中身もほじくり出す。家の中の観葉植物の鉢の土まで掘り返す始末だ。仕方がないのでネットを買って来て、花壇の上を覆うことでなんとかしのいでいる。

 とにかく硬いものをいつでもガジガジと噛んでなければ落ち着かないのか、スリッパでも木の枝でもボロボロに噛み砕く。革製の噛むオモチャも、1日でボロボロにしてしまう。噛むものがなくなると、ついには掛け布団カバーをボロボロにし、ファスナーも噛み砕いてしまった。おかげでカバーを洗おうにもファスナーは開かず、結局買い換える羽目になった。

 被害はこんなものではない。クッションは二つ中身をほじくり出し、僕の腕時計のバンドとメガネのツルをダメにしたので買い換えた。が、1週間後には新しく買った腕時計のバンドを再びかじってしまった。ギターのフレットにはめるカポタストのゴム部分もボロボロにしたので、ネットで新たに注文した。テーブルの上に置いてあった手紙もボロボロにした。まったく、数えきれないほどの暴挙なのである。

 昨日は買い換えた布団カバーのファスナーを再び噛み潰し、タミちゃんに叱られていた。

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なっがい治療

2020-01-30 12:06:07 | 日記

 今日は朝から歯の治療に出かけた。普段は夕方のカフェを店じまいしてから出かけていたのだが、今回は仮歯を作るというので、きっと時間的に余裕のある午前中にしたのだろう。

 9時15分から治療を始めることになっていたので、カフェの準備を済ませ、ギリギリのタイミングで行くと、すぐに診察台に座らされた。おそらく院長だろう男のお医者さんから簡単な説明を受け、差し歯だったところをガリガリと削り始める。大昔に差し歯にしていたのだが、土台にしていた歯がダメになったので、今回は根元を除去してそこにブリッジで新しい歯をつけることにした。

 歯茎に麻酔を打たれ、顔の半分が痺れる中、ガリガリと気味の悪い音を立てる機械で歯が削られて行く。根っこを引っこ抜いたような気がするが、なんたって麻酔を打たれているので、口元の感覚がない。「はい、うがいをしてください」と言われたときには、舌の感触であるべきところの歯がなくなり、ぽっかりと空洞が空いているのがわかる。この間、ほんの15分、あっという間の早業だ。「1時間半を予定しております」と受付で言われていたが、これだったら1時間もかからず終わるのではないか。

 治療前に歯型は取っていたので、あとはぽっかり空いた場所に仮歯を入れるだけだ。と、院長らしきお医者さんから、若い女医さんに代わった。あとは簡単なので、お任せということなのだろう。

 が、ここからが長かった。仮歯を入れては何やら機械を使って削っているのだが、なかなかしっくりとはまらない。目をつぶっているのでよくはわからないが、ブシューという風の音だけはいつまでも聞こえてくる。風を当てるくらいで歯が削れるのかと不審に思いながらも、とりあえずは俎板の上の鯉状態で、バカみたいに口を開けてじっとしているしかない。

 ブシューと音がして何やらこねくり回した後、再び仮歯を入れるが、ちっとも削れて行っている気がしない。いつまでもでかいままだ。そのうち「時間がかかるのでトイレに行っておいてください」などと言う。その口調から、思ったようにうまく行かないので、次第にいらだっているのが伝わってくる。

 1時間以上そんなことを繰り返していたら、院長らしきお医者さんがやって来て、「ちょっとやってみよう」と場所を交代した。と、ブシューという風の音に混じって、ガリガリガリと歯を削る音が聞こえてくる。さっきまではそんな音は聞こえてこなかったじゃないか。若い女のお医者さんとは力の差なのか、経験がそうさせるのか、音が全然違うのだ。二度ほどはめ直し、「はい、これでいいだろう」と5分くらいで作業を終えた。若いお医者さんは逆ギレしているのか、「こんなふうにしか入らないので、いいのかどうかわからない」と男のお医者さんに文句を言う。

 今時の若い子らしいなあと、目をつぶってやりとりを聞いていたが、最初から交代せずにやってもらっていたら、あっという間に終わっていたんじゃないかと呆れてしまう。きっと、院長先生からしたら、修行をさせるために少しずつ患者を任せているのだろう。

 結局歯医者を出たのは2時間半後で、受付の女性からも「長々申し訳ありませんでした」と頭を下げられた。お医者さんと言うのは、頭がいいだけではダメで、手先が器用な職人気質な人でないと務まらないんじゃないかと今更ながら考えるアベさんであった。

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頭のいい人たちの言うことは難しい

2020-01-29 11:23:20 | 日記

 昨日の衆院予算委員会で、珍妙なやり取りがあった。ニュースになっていたが、その珍妙さは誰も解説できないほどだ。

 「桜を見る会」をめぐる質問で、首相の事務所が幅広く地元後援者の会への参加を募っていたことをいつから知っていたかと問われ、安倍さんは「幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と答え、国会内に「えーっ」と言う声が上がった。安倍さんは普段から、「募る」と「募集」は違う意味の言葉として使っているらしい。

 安倍さんの話は、饒舌なわりに歴代首相の中でも群を抜いてわかりにくい。意味のあることを言っているのだろうが、その意味するところを聞き取ろうとしても、すんなり耳に入って行かないのだ。ひと言で済むところを、「これはまさにですね」とか「そういうことにおいてはですね」とか「申し上げているわけでございまして」とか、とにかく余計な文言ばかりで、もしかしたらこれは口癖ではなく、何かをはぐらかすため確信犯的にやっているんじゃないかと思ってしまうのである。政治家というのは、こういう言い回しを覚えないと、偉い人とは言えないのだろうか。

 おしゃべりでは政治家に劣るものの、官僚の人たちは最高学府を出た人たちばかりなので、書くものにおいては舌を巻くしかない。話題の「桜を見る会」の参加者にしても、世の中に貢献した人という項目の後ろに、ちゃっかり「等」という文字を足しておくことを忘れない。そんな目立たない一文字によって、貢献しようがしまいが、とにかくすべての人が「等」によって仲間入りできるのである。

 そういうズル賢いやり方には「霞ヶ関文学」という言葉まで存在し、それを使いこなせないことには官僚しては無能ということになる。何かを禁止するときに「厳格に」という言葉が頭につくときには、「例外もある」という意味になるらしい。本当にすべてを禁止したければ「例外なく」と書くという。「厳格」という意味に「厳格じゃない」ことも含まれているとは、僕は頭が悪いので気づかないのだ。

 官僚まで行かなくても、その辺のお役人もお役所言葉というのを使っている。こちらはボンクラ頭でも想像はつく。役所の人間が「前向きに検討します」とか「早急に対策を練ります」というとき、「何もするつもりはありません」という意味だし、「可及的速やかに」とか「遅滞なく実施する」という時は、「気が向いたらそのうちやるかもしれません」ということだ。

 騙されないように、学校ではこういう言葉遣いも教えてくれればいいのだが、学校を仕切っているのが政治家と行政なのだから、これはまさにですね、そういうことにおいてはですね、それが事実であるとしたらですね、あの、その、そういう文脈を踏まえてですね、何をかいわんやなのですよ。

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ビッチョビチョの雪

2020-01-28 11:02:25 | 福島

 ニュースでは、関東甲信地方が大雪になると盛んに警戒を呼びかけていた。天気図を見てみると、雪が降るのは関東甲信地方だけではなく、東北もしっかり雪雲に覆われている。東京のことはちょっとした雪でもニュースにしようとするが、東北は雪が降るのが当たり前くらいに考えているのだろう。テレビを見ていると、時々東京だけが日本で、後のことは余程のことがない限り思い出さないのがマスコミじゃないかと思うことがある。

 今年は暖冬で、ちっとも雪が降らない。福島のスキー場はオープンできないところもあるし、冬の風物詩でもある桧原湖の氷上のワカサギ釣りも、湖が凍らないので人口的に作った浮島みたいなところ営業している。あれでは釣り堀だ。

 昨年末に大分に旅行している間に、タミちゃんの言うには一度だけみぞれみたいな雪が、道路が白くなるくらい積もったらしい。ただし、お昼には溶けてしまった。今日はその日以来となる、この冬二度目の積雪と言えるかもしれない。朝方から降り出した雪は、ビッチョビチョながら道路を白くした。

 朝の散歩に出ると、すでに道路は溶けた雪で泥んこになっている。車が水しぶきをあげながら通り過ぎる。

 そんな状態でも、空き地が真っ白になっているのを見てテオはテンションが上がったらしく、雪の中を全力で走り回ろうとする。レインコートを着せていてもほとんど効果はなく、頭から尻尾の先までビショビショになっている。テオにとっては二度目の冬。去年は暖冬ながら少しは雪が積もったが、今年はまだ雪らしい雪は積もってはいない。

 お昼に近くなっても雪は止まないが、ちっとも積もる様子はない。これでは九州の冬みたいなものである。あるいは、春先に降る雪だ。実際、今回の雪は南からの暖かい空気が流れ込んできたせいだというから、もしかしたら冬はもう終わっているのかもしれない。

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パンデミック

2020-01-27 11:28:24 | 日記

 新型のコロナウイルスによる肺炎が、中国を中心に広がっている。中国政府の発表では、中国本土での死者は80人、全国で新たに769人の感染が確認され、感染者は2744人に達した。もっともこんな数字をまともに信じている人がどれくらいいるだろう。一党独裁の国家であり、都合の悪い情報は隠し続けてきた政府の発表など、太平洋戦争の時の日本の大本営発表くらい信憑性がないのである。民主国家で複数政党で政治を行う日本でさえ、都合の悪い情報は破棄されたと言ってはばからないのだ。おそらく、中国では実数はその10倍だったり100倍だったりするんじゃないかと思っていたほうがいいのではないか。

 そもそも伝染病は、都市ができるとともに生まれたと言っても過言ではないだろう。人類が狩猟生活に頼っていた頃は、人間は獲物を確保するために、適当な距離を置いて生活していた。そのため、感染する率は低く、ウイルスによる感染は自然と収束していただろう。農業や貿易の発達により、人間は一箇所に住んでいたほうが何かと便利で効率が良いということになった。今でも地方都市では、行政は住民が山の上でまばらに住んでいるよりも、なるべく一箇所に集中してもらったほうがサービスを行いやすいと考えている。

 が、便利と効率は、時として大災害や伝染病の恐怖を生む。歴史的に有名なのは中世のヨーロッパで大流行したペストで、ヨーロッパの人口が3分の1になったと言われている。最近では20世紀の初頭に流行したスペイン風邪で、世界中で感染者6億人、死者は5000万人にもなったという。

 都市化と交通手段の発達や経済のグローバル化で人々の交流が盛んになった現代では、おそらく史上最速の規模で感染は進むだろう。今回の流行は、すでにSARSを超えたという意見もある。映画の中でしか聞かないパンデミックという言葉が現実味を帯びてきた。

そんな中、日本はオリンピックを行う。半年後に新型コロナウイルスの脅威がなくなっているとは保証できない中、それでも当たり前に開催するのだろうか。世界中の人々が一堂に介し、声を張り上げて応援する。その後それぞれの国に帰って行く。東京オリンピックが、人類絶滅の引き金になったなどと言われないようにしてほしいものである。

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うっかりする

2020-01-26 13:30:36 | 日記

 毎年1回、洋菓子店で開かれている創作展に参加している。その新年会があるので、出席の連絡だけしておいた。が、連絡をしたときから、どうも今回だけは予定を忘れてしまいそうで、カレンダーに新年会の日を書き込んだ上に、タミちゃんにも忘れないようにとお願いしておいた。

 ところが、そこまでしておいたのに、夕べはコロッと忘れてしまい、何事もなかったかのように平和な眠りについてしまった。朝、トイレに起きて、今日は何曜日だったかなと思った瞬間、「しまった」とすべてを思い出した。時すでに遅しである。新年会をキャンセルするキッカケさえ失ってしまっているのだ。

 普段から手帳は使わないが、それでも約束を忘れるということはなかったのに、これも歳をとって物忘れが激しくなったという証拠なのだろうか。

 というようなわけで、朝からすっかりテンションが下がり、重たい足を引きずって散歩に出たら、近所に住んでいる創作展の会長とばったり会った。無断で欠席したことを平謝りしたら、それよりも最近ご無沙汰していたので、午後からカフェに寄らせてもらうと告げられた。

 新年会では会費も払わなければならなかったので、朝飯の後、郡山市の洋菓子店まで出かけることにした。会費はおそらく受け取ってもらえないだろうから、その時はたくさんケーキを買って帰ればいいかなと思っていたが、案の定、会費はいらないと拒否された。

 「今まで約束をすっぽかすなんてしたことはなかったんですけど、歳ですかね」と言うと、マスターは「何かやらかした時には、全部歳のせいにしておけば気が楽なんだよ」と教えてくれた。なるほど、歳を取ると多くの人が歳のせいにするのは、歳のせいにしておけば、あんまり苦にしなくていいという年の功というか、おばあちゃんの知恵袋というか、そういう老人力なんだなと納得する。

 確かに、物忘れがひどいというのは若い人にとっては苦痛だろうが、忘れたいことを山ほど抱えた老人にとっては、忘れる力というのも大事な才能のひとつかもしれない。

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元祖、草食系男子

2020-01-25 12:38:02 | 日記

 早くもフキノトウが出ているという情報を得て、今朝はカメラを持って散歩に出た。フキノトウが出ているなら、早速採ってきて天ぷらにでもと思ったのだが、カメラでも持って行かないと、ついついフキノトウのある場所を素通りしてしまい、家に帰ってきてから、ああ忘れてたとなるからだ。

 で、重い一眼レフを首にぶら下げ、まだ日の昇らない散歩に出る。毎年大量のフキノトウが芽を出している場所でカメラを構え、フキノトウや春一番に咲く福寿草の花を探してみたが、それらしい姿はまったく見かけなかった。雪の降らない暖冬といえども、さすがに東北、春はまだ遠いようだ。

 図書館から借りてきた「『男はつらいよ』の幸福論」というのを今日から読み始めた。テレビでもちょくちょく見かける精神科医の名越康文さんが書いたもので、主人公・車寅次郎の恋愛を分析したものである。寅さん映画は、僕は最近になるまで1作しか観ていなかった。最近、リマスター版の第1作をアマゾンで観たのと、この前NHKドラマ「少年寅次郎」くらいで、今まで僕の人生の中での寅さんという人物は、その他大勢のひとりにすぎなかった。

 が、近頃は俄然寅さんのことが気になり始めた。「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です」という口上というか自己紹介というか、あの口調を聞くだけで寅さんという人物が現れるのである。

 喜劇王と呼ばれたチャップリンが若い頃、なんでもいいから衣装を選んで来いと言われ、急遽あの山高帽に窮屈な上着、ドタ靴という出で立ちを思いついた。そして、その格好になった瞬間、浮浪者のチャーリーが生まれたわけだが、あらためて寅さんという人を知ると、実によくチャップリンに似ている。自分をフーテンと呼び、定職を持たず、旅から旅に暮らしている寅さんは、マドンナに恋をするも、うまくいった試しがない。たとえマドンナから迫られようと、いざという時には決まって逃げ出してしまうのである。名越さんの説によれば、高度成長期のその頃にあって、寅さんは元祖、草食系男子であった。

 近頃はゲームやSNSで人と直接付き合うことが少なくなっている若者にとって、異性と付き合うというのは寅さん並みにハードルが高いのかもしれない。が、同じ草食系男子でも、寅さんに現代の草食系男子とは違う悲哀みたいなものが感じられるとしたら、寅さんの中に、誰に対しても垣根を作らない人懐っこさがあるからだろう。

 

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不思議な傾向

2020-01-24 11:55:11 | 日記

 何日かに一度は宅配便が届く。ネットで注文した品物が届くこともあるし、誰かからの送られて来た品物の時もある。なんにしても便利な世の中になったもんだと思うが、昔だって郵便以外に荷物の配達もしてくれていた。ただ、小包を送るというのは金がかかるので、なるべく安く済ませるために、駅止めとか郵便局留めにして、受取人が取りに行っていた記憶がある。今のようにトラックで運ぶよりも、貨物列車が活躍していた時代だ。子供の頃、ばあちゃんの家に行くと窓から鉄道が見え、長い長い貨物列車が通過するのをいつも眺めていたものだった。

 さて、なんでも簡単に宅配便で頼めるようになると、ちょっとした買い物もネットでということになる。そのうち、生鮮食品や調味料といった毎日の食事の材料も宅配便に頼るようになるだろう。高齢者にとって買い物が大変だということもあるが、おそらく高齢者だけでなく、若年層ほど利用するんじゃないかと思う。

 スーパーマーケットができた時、肉屋や魚屋、八百屋とそれぞれ回っていた買い物が、同じ場所でカゴに入れれば、一括して清算できるというので、あっという間に普及した。近頃は、スーパーのレジでさえ面倒で、キャッシュレスにしてレジも通さないということになって来ている。

 そうなってくると、買い物の楽しみのひとつでもあった、店員さんとのあいさつや値切りの交渉といった触れ合いは一切なくなってしまうだろう。が、時代はいちいち人と接するのが面倒だというふうに動いている。買い物はそのうち一切家から出かけなくても、向こうからやって来るという時代になるだろう。そして、それを便利な世の中だと感じるだろう。

 が、不思議なのは、時代は人との接触をなるべく減らそうとしているのに、「絆」という言葉がやたらにもてはやされたりする。「発信」といってやたらに他人との交流を持とうと努める。僕にはそういった傾向が、どうにも言葉の上だけの綺麗事のように聞こえてしまう。

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好き嫌い

2020-01-23 11:59:21 | 日記

 前にも書いたが、最近の絵画教室では、「自由に描きなさい」とか「感性を大事に」とか、技術的なものよりもまずは個性というものを第一に教えているようだ。小学校などでも一時「ゆとり教育」というのが流行したが、今は何より個人が優先される風潮にある。

 が、職人の世界では、個性や感性などという前に、まずは徹底的に技術の取得を目指す。どんなに個性的だろうと実用に耐えないようなものを作っては、それはひとりよがりと呼ばれ通用しない。おそらく、昔の学問とは、職人と同じように世間で通用する知恵を身につけることを目指していたんじゃないかと思う。

 本当のところは、昔だって今だってひとりよがりの考えなんてのは世間では通用しない。けれども「個性」や「感性」を重要視する風潮では、ひとりよがりな考えも我が物顔で世間を渡っていたりする。結果、何が良くて何が悪いというようなはっきりとした線引きをするのが難しくなり、人は自分自身の判断に自信をなくしてしまった。だから、自分に自信がない人は、世間が評価するものをいいものとし、自分に自信のある人は物事を自分の好き嫌いで判断するようになった。

 「好き嫌い」が判断基準となると、名画の前に立っても「これは好き」「これは嫌い」と、その批評は一刀両断だ。人格者を前にしても、「顔が嫌い」とか「話し方が嫌い」で評価する。

 「好き嫌い」がその人の行動原理になってしまった人は、自分の好き嫌いを堂々と公表できる。食事をご馳走になりながらも、「ニンジン苦手なのよね」と平然と言ってのけることができる。自分への対応が悪いと感じた店員に徹底的に文句を言う。

 そもそも「個性」とか「感性」とは、自分は他人と違っているというような単純な意味ではない。ということがわかっていないと、知らず知らずに人はモンスター化してしまうのである。

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痛いときには左手を上げて

2020-01-22 11:00:38 | 福島

 歯医者に行った。「はい、今日は歯のクリーニングをします」と言われ、言われるがまま診察台の上に寝る。もうどうでも好きなようにしてくださいと、俎板の上の鯉状態だ。今回の治療は、どこか部分的に治すというより、時間とお金の許す限り、悪いところを徹底的に治療してもらっておこうと思っているので、歯医者にお任せなのである。

 診察台の上で仰向けになっていると、顔の上にハンカチのようなものをかけられた。何にも見えないので、目をつぶっているしかない。口を開けると、歯茎に薬品を塗られた。「痛いときには左手をあげてください」と告げられ、何やら針のようなものを歯茎に刺して調べている。チクっとはするが、左手を上げるまでもない。

 「今度は歯石を取りますね」と言うと、ウイーンという嫌な音を立てる器具で、歯の根っこをガリガリ削り始めた。昔やってもらったことがあったが、その時はずいぶん痛かった記憶があるが、今回は大したことはない。ただ、ガリガリ削っている間、口を閉じておくのがかなり辛くなってきた。頑張って口を開けているが、自然と閉じてくるのである。おまけに診察台が滑るので、だんだんと体の位置が下がってくる。体に力を入れて踏ん張っているうち、なんとなくふくらはぎがつりそうになってきた。

 普段寝ているときには、急に足がつりそうになって目が覚めることがある。そのときと同じ感覚がふくらはぎに起きている。いつもならあわてて体を起こしてふくらはぎをマッサージするのだが、ガリガリと歯を削られているので身動きが取れない。もじもじしていると、「痛いときは左手を上げてください」と歯科医は言うが、やばいのは歯ではなくふくらはぎの方だ。

 と、次の瞬間、ふくらはぎに激痛が走り、我慢の限界を超えた。あわてて治療をやめてもらうと、なんとか体を起こし、つった左足を伸ばしてみる。

 「どうしました」と聞くので、「足がつってしまって」と答えるが、なんとも罰が悪い。と、医者は「緊張で足に力が入ったんですかね」と言うが、歯医者で足がつるほど踏ん張っていると思われているとしたら、かなり恥ずかしい。

 すぐに「いえ、今日は走ってきたんで、そのせいです」と、長距離のランニングのせいにしようとしたものの、どうやら医者は、「近所に住むこの人は、診察の時間ギリギリだったので走ってきた」と解釈したようだった。ああ、日本語は難しい。いい年をして歯医者まで走ってきて、おまけにそのせいで足がつったとしたら、それはそれで相当カッコ悪いではないか。

 とはいえ、これ以上言い訳するのも変なので、ふくらはぎの痛みをこらえ歯石取りを続行してもらった。結局、この日、左手を上げることなく治療は終わったのだった。

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