おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

発掘作業2日目

2022-07-31 11:33:33 | 福島
 昨日やり残していた畑の作業のため、この炎天下、2日連続で朝から畑仕事をした。

 今年は例年になく畑の作物が順調だったのが、僕が九州に行くことになり畑仕事ができなくなった。そもそもカフェを閉店し、今年は畑に今まで以上に力を入れようと思っていた矢先だったので、後をタミちゃんに任せることになったのはなんとも申し訳なかった。ところが、玉ねぎ掘りやジャガイモ掘りをひとりでやっていたタミちゃんは、股関節の炎症で歩くのがキツくなっていたのに加え、散歩の途中でテオに引っ張られ転んだ拍子に肋骨にヒビが入ってしまった。そのため、野菜の収穫はできても、それ以外の作業はできないため、畑はひと月たらずで雑草に埋もれることになってしまった。

 一昨日、福島に戻った僕は、昨日の朝早速畑に出かけ、野菜よりも雑草の方が背丈の高くなった畑を確認した。遠くから見たら、どこに我が家の畑があるのかわからないくらいに、周囲に雑草がはびこっている。そんな中でもキュウリやナスはちゃんと実をつけていた。

 昨日はまず、畑の周囲の草刈りを1時間以上かけてやり、「ここに畑がありますよ」と主張できるくらいさっぱりさせた。次はネギの救出だ。雑草の中にすっかり埋もれてしまったネギを、雑草ごとクワで掘り返し、ネギを選り分けた後、再び畑に埋め戻す。朝8時からお昼近くまでそんなことをやると、全身シャワーを浴びたみたいに汗でビッショビショになった。途中、水分が足りなくなり、自販機で500mlのペットボトルを2本買い、家から持って来ていた氷水と合わせ、1リットル半摂取した。

 今日はやり残していた草むしりをするために、タミちゃんと朝食後に出かける。力仕事が難しいタミちゃんは、トウモロコシやキュウリの足元の草を取り、大きくなり始めたトウモロコシの実に、この日のために用意しておいた空の牛乳パックをかぶせていく。これは野鳥や野生動物に食べられないための予防策である。

 で、今日も炎天下2時間たっぷり汗を流し、無事畑作業を終える。ネギの植え方が甘いという指摘を受けたので、こちらの方はまた僕が別の日に、植え直しに来ることにして帰路に着いた。我が家の畑仕事は、毎年農作業というよりも発掘作業なのである。
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こっそり直っている

2022-07-30 12:40:36 | 日記
 九州から福島に帰ってくると、インターネットが使えなくなっていた。今はWi-Fi環境を作るために、ソフトバンクのエアーを利用しているのだが、機械自体は正常に動いているようで、パソコンやスマホにはつながる。ところが、インターネットには接続できませんという文字が表示される。パソコンを使おうが、スマホを使おうが、タブレットを使おうがダメである。

 タミちゃんに聞いてみると、どうやらつながらなくなったのは、僕が大分でエアーを新規で契約した頃と重なる。で、なんとなくピンと来たのが、大分でエアーを契約する時、現住所と設置場所が違う場合は契約できないことになっていると言われたことだ。ただし、近々引っ越す予定があるなら、住所が違っても大丈夫という。それならというので、福島の現住所と大分の住所を記入し、設置理由を引っ越しのためと書いた。

 福島での契約はタミちゃんがしているし、引き落としもタミちゃんの口座からだ。大分での契約は僕がし、引き落としは僕の口座からだ。当然二つのエアーは全然別の契約ということになっているはずである。が、「引っ越しのため」と書いたために、そそっかしい人間が福島の住所のエアーを止めてしまった可能性は十分ある。うっかりした人的ミスというのは意外と多い。過去に僕は、振り込まれるべき給料が、同姓同名の別人に振り込まれてしまったことがある。どうしてそんなことになったのかというと、銀行員がカタカナだけで表記された名前を見て、他を確認せずに振り込んでしまったからである。銀行でもそういう馬鹿馬鹿しいミスを犯す。ソフトバンクだって、「引っ越しのため」というそのことで、別々の契約のエアーを止めてしまったことは大いにあり得ることなのである。

 そういうわけで、昨日は朝イチでソフトバンクに出かけ、そのことを指摘した。ところが、タミちゃんの方の契約は本人でなければ確認できないという。おまけに、契約が別々なので、福島のエアーを止めることは絶対にないと言う。それならタミちゃんを連れて、出直してくるかと考えていたら、カスタマーセンターの連絡先を教えてくれ、こっちでも確認できるという。

 夜、カスタマーセンターに1時間以上電話をかけ続けたが、結局「混み合っています」のアナウンスしか聞けなかった。

 今日、改めてソフトバンクに出かけようと思い、その前につながるかどうか確認してみた。ところが、あれだけつながらなかったネットに、何事もなかったかのようにつながるではないか。確認しなければ、そのまま出かけていただけに、狐につままれた気分である。でも、よくよく考えればこれはあまりにタイミングが良すぎる。おそらく、昨日僕に「絶対にそんなことはない」と断言したものの、後で心配になり、福島の方のエアーの状態を確認したのではないだろうか。そこで、絶対に止めているはずのないエアーが停止しているのを確認し、慌てて使えるようにしたに違いないのである。

 タミちゃんは、このひと月ネットが使えなかったのだから、その間の料金を免除してもらわないと納得がいかないと息巻いている。が、怒鳴り込んだところで、こちらには証拠がない。長い間つながらなかった理由はわからない、と言われてしまえば、それを覆すほどの証拠は何ひとつないのである。
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不具合

2022-07-29 13:21:50 | 日記
 昨日、1日がかりで福島まで戻って来た。

 帰って来るなり、掃除機が壊れたという。じゃあすぐにネットで購入しようということになったが、今度はネットがつながらない。しばらくこういう状態が続いているとタミちゃんが言う。それはおかしいというので、今朝ソフトバンクが開店するのを待って原因を聞きに行く。ところが契約者本人以外は中身に関して教えられない、という。いろいろ粘ってはみたが、ラチが開かないので、後はタミちゃんに任せるしかない。

 というわけで、福島に戻って早々、スマホを使ってブログを書く始末である。
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世界から見た日本

2022-07-27 12:50:05 | 日記
 安倍さんの葬儀を国葬にするという。その大きな理由に、世界に対して多大なる影響力を持つ総理大臣だったからというのがあり、安倍さんの国際舞台での活躍ぶりが国葬に値すると考えている人は多いようだ。

 少し前にメルケルさんの評伝を2冊読んだ時、世界中のさまざまな政治家の名前が出てくる中、日本人の政治家の名前が一人も出てこないことに驚いた。日本のニュースを見ていたら、そこそこ国際舞台で活躍していると思える日本の政治家たちが、世界からまるっきり相手にされていなかったからである。唯一安倍さんの名前を本の中に見つけたのは、トランプさんが大統領に指名される直前にフライング気味に日本の総理が早速会いに行ったという皮肉めいた文章だけだった。

 日本のニュースだけを見ていると、世界における日本というものがなかなか見えてこない。そんなことを最近考えていたら、世界で日本がどう扱われているかがよくわかるジョークがあった。

  天国とはどんな世界か?
  コックが中国人
  政治家がイギリス人
  エンジニアが日本人
  銀行家がドイツ人
  恋人がイタリア人

  では、地獄とはどんな世界か?
  コックがイギリス人
  政治家が日本人
  エンジニアが中国人
  銀行家がイタリア人
  恋人がドイツ人

 日本はテクノロジーでは進んでいるが、政治に関しては世界で最もダメだというジョークである。

 また、こういうものもある。

  世界最強の軍隊とは?
  アメリカ人の将軍
  ドイツ人の参謀
  日本人の兵

  では世界最弱の軍隊とは?
  中国人の将軍
  日本人の参謀
  イタリア人の兵

 このジョークもまたさっきのジョーク同様、民間レベルでは優れているが、日本は指導者がどうしようもないということをからかっている。日本の指導者たちは、もっと反省しなければならない。
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怪しげな関係

2022-07-26 12:15:25 | 日記
 井沢元彦さんの「逆説の日本史」第四巻のあとがきを読んでいたら、面白いことが書いてあった。この第四巻を出したときというのはちょうどオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件があった時である。それについて、インチキ宗教の五原則というべきものがあり、それを紹介している。

 生命を粗末にする
 やたらと金を集める
 超能力を売り物にする
 倫理の二重基準がある
 教祖が贅沢である

 これさえ頭に入れておけば、インチキ宗教を頭から信じることはない。超能力を売り物にするというのは、当時オウム真理教では麻原彰晃が座禅を組んだまま、必死の形相で宙に浮いている写真が空中浮遊などと紹介され、まるで奇跡が起こっているかのように信じているのもいたが、幸運の壺を買えば災難から逃れられるなんてのも、同じように超能力を売りにしている。倫理の二重基準というのは、信者に贅沢は地獄へ落ちる道だと教え、上のほうは酒池肉林に遊んでいるというようなことだ。

 日本の法律には、「破壊防止法」(破防法)というものがあり、暴力を持って破壊活動を行ったような団体を罰することができることになっている。ところが驚くことに、あれだけの事件を起こしたオウム真理教に対して、破防法は適用されなかった。その理由というのが、オウム真理教を解散すればオウム真理教としての脅威はなくなるので、適用に及ばずという判断だったのだ。なぜ、あれだけの事件を起こした団体が罰せられなかったとかと言えば、そこに信仰の自由という問題が立ちふさがり、それに政府も司法も腰が引けてしまったのである。

 今日の毎日新聞のコラムに、人は自由という重荷に耐えかねると、強い力に頼ろうとするという話が紹介されていた。ヨーロッパでは産業革命後、教会や村の共同体から自由になった個人が、自由という面倒な重荷から逃れるためにファシズムを指示した。現代の日本でも、村社会が崩壊し家族ぐるみで生涯面倒を見てくれていた会社という存在がなくなると、人はとにかく強い存在に頼ろうと全体主義へと世の中が傾いて行くという。

 自由や平等という言葉は、神々しくさえあるが、実際会社の朝の朝礼で、「来週からは社員が交代でみんなの前でひとこと挨拶するようにしましょう」なんてことになったら、社員は閉口するのである。そんなものは誰か偉いさんがやってくれればいい、と思うだろう。

 安倍元総理が兇弾に倒れた時、政治家は揃って「民主主義への挑戦だ」といきり立った。が、次第に元統一教会が事件の根底にあると、ほとんどの政治家はだんまりを決め込んだ。なぜなら、宗教組織ほど選挙のときの票集めに役立つものはないからだ。それは国会議員ばかりか愛知県知事まで挨拶状を送っているというのだから、政治家と宗教団体がいかにつながりが濃いかということを教えてくれる。

 オウム真理教に破防法を適用しなかったのは、もしかしたら選挙のときの票集めのために、怪しげな宗教団体だろうと、とにかく残しておいて利用してやろうという政治家の魂胆がそこにあるのではないかと、最近のニュースを見ていると疑りたくもなるのである。
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7ヶ月の成果

2022-07-25 10:56:30 | 日記
 この50日間、たっぷりと自分の時間がありすぎるほどあったので、習字とランニングと読書は、しばらくやりたくないレベルまでやった。と言って、ランニングと読書は上達するとかしないとかいうようなものではない。確かにランニングだってたくさん走れば体力もつくし記録も伸びるが、50日くらいでは目に見えるほど成果はない。読書にいたっては、ほんの数冊読んだに過ぎず、考えが深まったという感じではない。

 そんな中、習字だけは今年になって始めたというのもあり、今のところ書けば書くほど上達が自分でもわかって面白い。そのうち壁にぶつかり、練習してもちっともうまくならないとか、自分には才能がないのだと嫌気がさしてくるかもしれないが、現時点では昨日より今日、今日より明日とやった分だけ前に進んでいる気がする。

 そういうこともあって、習字は毎日午前と午後の2回はやった。「いろは」をひと文字ずつ練習し、ようやく半紙に12文字を書くというところまで来た。



 お手本がないので、新しい字に挑戦というわけには行かないので、12文字の次は半紙に24文字書くことに挑戦する。これだといろは48文字書くのに、半紙2枚で済んでしまうのである。用意していた墨汁がそろそろ底をついてきたので、半紙2枚で済むというのは実に効率的だ。その代わり、1枚完成させるのに失敗ばかりになってしまうが。で、ようやく今朝、2枚を書き終える。



 さて、練習に残された時間は、今夜と明日一日残っているので、最後の最後に半紙にいろは48文字全部を書いてみようかと思っている。習字を初めて7ヶ月、とりあえずひとつの書体だが、ひらがなをひと通り書くことができた。
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ラストスパート

2022-07-24 11:57:28 | 日記
 いろんな用事も大体片が付き、50日ぶりに福島に帰ることが決まった。このまま何もなければ、木曜日には福島に戻るつもりでいるので、その前にこっちで使った書道の道具だとかランニングのための装備を前もって送らなければならない。遅くても水曜日に送るということになれば、書道の道具もランニングの道具も使えるのは今日を入れて日、月、火の3日しかない。で、今日は走り納めのつもりで、15キロほど走ってきた。

 最近は走るときにはスマホをリュックに入れて走っているので、万歩計を利用して走行距離が出る。それを見れば、この50日の間にどれだけ走ったかわかるのである。平均すれば週に2回は走ったが、なんたって猛暑日続きだったため、距離はあんまり伸びなかった。

 習字も毎日2時間以上書いたので、思った以上に上達したんじゃないかと思う。今年になって始めた習字は、当初小学一年生レベルだったが、ひと月で一学年分くらい上達する気持ちでやったので、7ヶ月経った今は中学一年生レベルくらいは書けるんじゃないかと自負している。

 最初はいろは48文字を、半紙に二文字ずつ書いた。最後まで書いたところで次は半紙に四文字ずつ書き、次が六文字、次が八文字とだんだん文字の大きさを小さくして行き、今は12文字まで増やした。半紙に12文字書くと、いろは四十八文字は半紙四枚分でしかない。その代わり、12文字のなかでひとつでもおかしなことになると書き直しになるので、1枚を完成させるのに、山のような失敗が生まれるのである。

 それでもなんとか2枚24文字までは書いた。3枚目もほぼ終わったので、残りはあと1枚、12文字分だ。残された日数は3日、ラストスパートをかけてなんとかおしまいまでたどり着きたい。
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獅子奮迅、孤軍奮闘

2022-07-23 13:54:45 | 日記
 今日は大リーグのオールスター戦後、初となる大谷くんの二刀流での登場だと、朝から楽しみにしていた。NHKも気合が入っていると見えて、地上波での放送だ。

 開始時間までにやっておこうと、朝食後は二時間近く庭の雑草取りをやり、汗びっしょりになったところでシャワーを浴びてテレビの前に座る。ところが満を持して椅子に座ったがいいが、画面に映し出されていたのは、降雨のため試合時間を延期していますの文字。なあんだ、せっかく張り切って朝から仕事をしたのに、がっかりだ。

 いつ開始になるのかわからないので、習字の練習を始めることにする。ずっと練習していた「いろは」は最後まで終わり、次は半紙に四文字、それが終わったら六文字、それが終わったら八文字とだんだん文字の大きさを小さくして行き、昨日から12文字に挑戦しているところだ。こうなると文字数が多くなるので、うまく書けていたとしても、必ず一文字くらいは失敗する文字が出てくる。そうなると一通り練習した後、最初から挑戦だ。

 何度か書き直しているうちに、はっと気づくと1時間が経過していた。やばい、大谷くんはどうなった。

 あわててテレビをつけると、試合は始まっていた。試合経過は0対0のまま続いている。どうやら今回もエンゼルス打線はまるで打てないようだ。大谷くんはバッタバッタと三振を奪う獅子奮迅の活躍だが、チャンスらしいチャンスもない味方打線では、どこまで行っても勝てそうにない。

 今のエンゼルスは、大谷くんが打って点数を稼がないことには、いずれ降板したときにはリリーフが打たれてしまうのは目に見えている。と思っていたら、案の定、7回に入って失投から大谷くんが2ランホームランを打たれた。こうなったら万事休すである。今のエンゼルスに2点をひっくり返す力はない。

 大谷くんもここで緊張の糸が切れたのか、後続に次々に打たれ、大量失点で降板した。まさに孤軍奮闘で、見ている方は可哀想になるばかりだ。さすがにこの後の展開を見るに耐えず、テレビのスイッチを切ると昼飯を食べて昼寝をすることにした。
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境界を作る

2022-07-22 10:25:36 | 日記
 ちょっと前に「境界知能」に関する記事を読んだ。子供の頃に知能テストというのを受けさせられたが、その際、知能指数というのが測られる。全体の平均を100とし、指数が高いほど天才、秀才と呼ばれ、指数が70以下になると知的障害と言われる。グラフに描くと、真ん中が高い放物線になり、そこが平均だ。で、今問題になっているのが「境界知能」と呼ばれる人たちで、知能指数でいうなら70から85くらいにある人たちを指すらしい。ここにいる人たちは「知的障害者」とはならないため、普通の人として暮らさなければならない。物事の理解が悪かったり、物覚えが遅かったり、社会生活を営むにはいろいろと問題があるにも関わらず、70以下ではないという線引により、障害者として扱って貰えず、何の支援も受けられずに、社会のお荷物扱いをされている、というのである。

 最近、いろいろ話題になっている同性婚についても、僕は同様の問題があるように思う。それは、赤ん坊が成長する過程で、最初は誰でも女性として生まれ、次第に男性の形を獲得していく者があり、それによりこの世には男性と女性のふたつの性があるということになっているのだが、本当にはっきりと男性と女性の線引ができるのかというのは疑問だ。動物にだって繁殖期だけ異性に転換するものもいれば、最初から両性具有という生き物もいる。人間だって女性と男性の両極の間に連続性があるに違いない。はっきりとふたつの性に分けられているとしたら、それが文化や慣習により後天的に植え付けられたもののような気がしてならない。そしてそう考えたほうが、より現実世界に近いように思う。

 なぜ日本政府が同性婚を認めないのか、その理由は「家族のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を有する」からだという。が、この裏には同性婚を認めたら、両親と子供いう今まで一般的と言われていた家族形態が維持できなくなるという心配が見え隠れしている。

 が、子供ができない夫婦なんていくらでもいるし、子供を作ることを望まない夫婦もいる。かといって、異性同士であれば婚姻を認められる。日本政府はそういう人たちまで、将来的には婚姻を認めないつもりでいるのだろうか。

 もし、同性婚を認めると、子供のできないカップルばかりになると心配しているとしたら、それはお門違いというものだろう。そもそも同性にしか興味を持てない人間が、同性婚が認められないから異性を求める、なんてことになるとは思えないからだ。それに法律が変われば、いきなり世の中に同性愛者が急増するということも考えられない。

 「境界知能」と呼ばれる人たちが、お役所が引いたラインにより、受けられる支援を満足に受けられなかったり、権利が奪われたりするのと同様、同性愛者もお役所によって引かれたラインで、さまざまな権利を奪われているに違いない。

 自民党の懇談会の会合で、同性愛者について「同性愛は後天的な精神障害」と書かれた冊子が配られたそうだ。後天的なのは、男とはこうあるべき、女とはこうあるべき、夫婦とは、家庭とは、と頑なに信じて疑わない慣習のほうである、とは政治家の先生たちは考えていないようである。
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悪気はなくとも

2022-07-21 10:41:24 | 日記
 やっとパソコンが修理から戻ったので、久しぶりにネットニュースを見た。

 元大阪知事の橋下さんが、安倍さんの国葬について意見を述べていた。自民党が自分たちでやるのであれば問題ないが、税金を使い行政が行うとなれば、きちんとしたルールを作ってからでないとやってはいけないと釘を刺していた。でないと、誰が国葬に値いし、誰が国葬にふさわしくないかの基準がないままだと、結局国民栄誉賞みたいに、時の政権の人気取りに過ぎなくなるからだ。もし何もルールを決めないのなら、元総理の菅さんや鳩山さんが死んだときも国葬しなければならなくなるのだ。

 日本人は大昔から、悲運の死を遂げた人は手厚く葬らないと怨霊と化すという怨霊信仰を持っている。おそらく安倍さんも兇弾に倒れなければ国葬にはならなかったのは想像がつく。悲運の死を遂げたからこそ手厚く葬ろうという意識が働いているとしたら、岸田さんは自分でも知らないうちに怨霊信仰に縛られていることになる。

 岸田さんは民主主義がテロに屈しないことを示すためにも、安倍さんを国葬にしたいという。ところがある大学教授は、国葬そのものは民主主義に反するという指摘もしている。そもそも民主主義とは、神様の前ではすべての人間が平等であるというところから生まれた思想である。だからこそ、同じ人間の死に対して、ある特定の人間だけ国を挙げて弔うというのは、民主主義とは別の思想が根底にあるということになる。

 民主主義の考えで言えば、「要人」という言葉も、「VIP」という言葉もおかしい。同じ人間同士で、大事な人間とそうでもない人間、重要な人間とそうでもない人間の区別をすることはおかしなことである。もっと身近なことで言うなら、コマーシャルで常套句となっている「大切な人のために」とか「かけがえのない人のために」とかいう言葉も、おかしな言葉だ。この世に大切な人とそうでもない人、かけがえのない人とそうでもない人がいるという区別は、人権に対して無反応になる一歩手前だということに、人は案外気がついていない。

 それは極論であって、そんな深い意味はないという反論もあろうが、元総理の森さんの「女は産む機械」と言ったり、「女性が会議に参加していると長くなる」という発言も、悪気がない、深い意味はないということで言えば、同じことである。
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