おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

山歩きの絵とお知らせ

2016-03-31 11:05:05 | 福島

 この前、大分の玖珠にある万年山の絵を描いた。世の中には山の絵ばかりを専門に描いている人もいるが、僕としてはどの山も歩くには楽しいが、絵や写真にするのは似たり寄ったりになってしまうので、特別思い入れはない。思い出のひとつとして描くくらいだ。

 大分にいた頃は、ほぼ毎週のように出かけ、九重連山のほぼすべてに登った。絵に描いたのは、何度となく歩いたスガモリ越えから北千里ヶ浜に下りトレッキングしているところ。中央の高い山が久住山。

 すぐ右手には火山が噴煙を上げ、辺りは噴石ゴロゴロで月面みたいな景色である。地面は粉々になった白い砂利で、北千里ヶ浜の名前の由来になっているのだろう。同じ久住山に登るのでも、牧ノ戸峠からがメインストリートになっていて、ここを歩いて久住山を目指す人は少なく、いつ行っても冒険心をくすぐられる。同じ山に登るのでも、ルートを変えることでここまで違った山になるのかと思わせてくれる。

 ところで、明日4月1日から3日まで、カフェ青い犬では「楽しい筆遊び教室」の作品展覧会があるので、興味のある人はどうぞ。ただし、お昼時は椅子もスリッパも足りなくなるくらいの混雑が予想されるので、少し時間をずらした方がゆっくりできると思います。

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ツバメ見参

2016-03-30 11:06:40 | 福島

 いよいよ春本番。福島でもちらほら桜が咲き始めているが、標準木がまだなのか、開花宣言は出ない。指定している標準木が全部枯れたりしたらどうなるんだろうと気にもなるが、開花宣言が出なくっても身の回りの桜が咲けばそれでいいのである。

 急に暖かくなり、そろそろツバメが渡ってくる頃だなと思っていたら、今朝の散歩で電線に止まっている一羽のツバメを発見した。僕にとって今年のツバメの初見日である。毎年三月下旬にはツバメの姿を確認しているので、決して早いわけではない。電線のツバメは三春に一番乗りしたのかな。周囲を見渡しても、他にツバメの姿はなく、電線にじっと止まっている様子は、長旅を終え、「とりあえず休憩してます」みたいな雰囲気だった。

 桜の開花日はニュースでも取り上げられるが、ツバメの初見日は話題にはならない。気象庁のホームページには、ちゃんとツバメの初見日が記載されているが、これはどうやら職員が確認した日が載せているに違いない。

 去年の初見日を見ると、埼玉の熊谷市3月25日、福井3月26日、栃木の宇都宮3月23日、東北では宮城の仙台4月3日、山形4月6日となっているのに、福島だけ4月22日と飛び抜けて遅い。これは明らかに気象庁福島支部(そんなのがあるならの話だが)の職員の怠慢である。しっかりツバメの姿を探すように。

 ツバメが春の鳥というより夏のイメージが強いのは、これから巣作り子育てをして、梅雨明けには子供とともに田んぼの上を飛び回る。9月に南へ渡っていく前のひと月が、ツバメの個体数が最も増える時期だからだ。子供たちは遊びの中で飛ぶ練習を積み、腹一杯餌を食べて、南へ渡っていく準備をする。

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身近な自然

2016-03-29 12:05:36 | 福島

 昨日の畑仕事で肩と腰がバキバキだ。ランニングで少しは鍛えているつもりになってはいても、鍬を握る握力までは鍛えられない。中腰になった姿勢で走るわけではないので、腰を伸ばそうとすると、「アイタタタタタタタ」と思わず声が出る。

 今日も朝から気温がぐんぐん上昇している。犬たちも家の中より外の方が暖かいので、陽が燦々と降り注ぐ人工芝の上にダラーっと横になり、惰眠をむさぼっている。我が家に来る野鳥たちも、犬が危害を与えないのを知っているので、すぐ隣に降り立つと、地面に落ちた餌を啄ばむ。

 ここ数日、シジュウカラがつがいで棲みついている。ホームセンターで買ってきたひまわりの種を給餌台に入れてあげると、待ってましたとばかりにやってくる。野鳥に餌をあげるのは、本当は良くないことだ。生態系を乱すし、野鳥の餌を探す能力を失わせることになる。人間をあてにし始めると、もはや野鳥ではない。

 とはいえ、少しくらいならと時々はひまわりの種を給餌台に入れる。スズメもやってきてひまわりの種を食べるが、シジュウカラやヤマガラほどはひまわりの種は好きではないらしい。というようなことも、毎日観察しているとわかってくる。

 お花見や秘湯に出かけることが自然に触れることではない。お陽様の光線だとか、樹木の影だとか、窓から入ってくる風だとか、野鳥の声だとか、路肩で咲くタンポポだとか、草花の上を舞う蝶々だとか、月にかかる雲だとか、遠出をしなくっても、いつだって自然の息吹は僕たちを包んでいる。

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作付けの季節

2016-03-28 14:57:44 | 福島

 去年はジャガイモが虫にやられ全滅だった。作付けの時期が遅くなってしまったのが原因かと思っていたが、この辺の畑はかなりの割合で全滅したようだ。

 今年は早めに始めようと、今日は朝から畑に鍬を持って行き、ジャガイモを植えるために土を掘り返してきた。1時間ほどで終わるだろうと予定していたら、畑はびっしりと雑草に覆われ、鍬を入れるたびに雑草の根っこが塊になって出てくる。土を掘っているというより、雑草を裏返しているようなものだ。

 それでも何年か続けてきたためか、粘土のようだった畑の土が少しだけだがほっこりしてきた。その分鍬は入りやすいが、なんたって人力だがら限界がある。4畝分ほど掘り返したが、手の平の豆がつぶれ血がにじむ。おまけに気温はぐんぐん上昇し、Tシャツ一枚でやっているのに汗がほとばしる。

 ペットボトルの水を持参していたので干からびることはなかったが、2時間ほど掘り返していたらエネルギーが切れた。時計を見ると午後1時を回っている。ああ、腹減った。

 あとは種芋を買いに行き、植える時にもう一度鋤き返そう。土同様に、ほっこりした芋ができると嬉しいけどなあ。

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三春を歩く

2016-03-27 10:57:48 | 福島

 暖かくなると、外を歩き回るのが楽しくなる。これがあとひと月もすれば汗ばむようになるんだろうが、今の時期はいくら歩いても汗もかかず、少しばかり冷たい風が火照った体に気持ちいい。

 毎年楽しみにしている農業公園のカタクリの花がそろそろ咲いているんじゃないかと、足を伸ばしてみることにする。もしかしたら、花の盛りはもう終わってしまったのかな。でも、例年はこの時期まだ雪がたっぷり残っていたりするので、桜の頃かもしれないな、などと案外自分の記憶の曖昧さに呆れる。

 梅の花はどこも満開だ。

 桜や桃、コブシの花は蕾も膨らみ、今日明日にでも開花しそうだ。

 桜の芽でも食べに来たのか、ヤマガラが桜の木のてっぺんに止まっていた。

 畑の間には、チョロチョロと水が流れ、東北の春を象徴する。

 梅が咲く古民家の横を、二両編成の電車がゴトゴトと走っていく。この先500メートルには舞木駅があり、あと一週間もすれば、駅は桜の花に埋もれることだろう。

 肝心のカタクリは、雑木林の林床に、足の踏み場もないくらいに群生していたが、花はまだ咲いていなかった。

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添加物と春

2016-03-26 13:03:39 | 福島

 気温は低いが、今日は朝から青空が広がり、日差しは強く春らしい1日になっている。桜はまだだが、紅や白とはっきりした色合いの梅の花は、桜とはまた違った絢爛豪華さだ。藪からはのんびりしたウグイスの声が、透き通った空気を震わせるように響く。あ~、春なんだなあ。来週には福島でも桜が咲き始めるだろうな。

 それにしても、近頃は四季の中でも春が苦手という人が増えているそうだ。ようやく寒かった冬が終わりを告げようとしているのに、苦手とはどういうことだろうと思ったら、原因はたったひとつ、花粉症を患っているのだ。

 戦後、林野庁が日本中の山を禿山にして、そこに杉やヒノキばかりを植えたのが、花粉症の一番の原因だろうが、これほどまでに花粉症が猛威を振るうのは、おそらく食品添加物によるアレルギーだと僕は思っている。

 以前ニュースで、日光に生息する野生のニホンザルが、観光客の弁当を盗んで食っているうちに、花粉症になってしまったと言っていた。映像では、目を真っ赤にして涙や鼻水でぐしゃぐしゃの顔をしたお猿さんの顔が大写しになっていた。

 犬や猫にしても、人間が食べるおやつを食べさせていたりすると、虫歯や歯槽膿漏になったりする。お猿さんにしても、犬や猫にしても、人間が食べる物は危険がいっぱいなのである。

 化学物質というのは、体内に入ったからといってすぐに体調に変化をきたすわけではない。それは風呂のお湯を溜めるようなもので、乾いた浴室の床がビショビショになるのは、蛇口から出し続けたお湯がバスタブから溢れ出してからである。それまでは全然平気と思っていても、溢れ出した瞬間にはもうどうしようもない状態になっている。

 例えば、コンビニ商品やスーパーのお惣菜をせっせと口にしても、昨日までは花粉症の症状はなかったのに、今日突然に花粉症を発症するということがある。それ以上に怖いのは、女性の場合は蓄積した化学物質がへその緒を通じて我が子へと受け継がれてしまうことである。

 お花見のシーズンがやってくるが、お花見弁当くらいは、手作り弁当を用意したいものだと思うアベさんなのである。

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体幹ブーム

2016-03-25 11:11:52 | 福島

 最近、よくスポーツの世界で「体幹を鍛える」とか、「体幹が大事」というようなことを言っていて、素人ながらなんとなく「体幹」という言葉だけは耳にしていた。図書館でたまたま体幹で走ろうというような本を見つけたので、目を通すと、体幹に意識を持っていくだけで、走りが見違えるようになると夢のようなことが書いてあった。

 そこで早速体幹ランニングというのを実践してみたが、僕なりに要約すると、動物の走りというのは、走り始めはまず肩甲骨あたりが動き出し、背骨、骨盤と連動し、足が出るというようなことが書いてあり、肩甲骨で羽ばたくように走るのがコツらしい。で、そのための準備運動も書いてあったので、とりあえず実践してみたが、結果から書くと、しんどさはあまり変わらなかった。

 もっとも、しんどいのは心肺機能なので、骨やら筋やら筋肉の疲労がどれだけ軽減されたかはよくわからない。長距離になればなるほど、足腰の疲れや痛みに差が出てきたような気がするが、それだって気分的なものかもしれない。ただし、体幹を動かす体操は、肩こりなどには気持ちがいいほどよく効く。運動をしなくっても、体幹を動かす体操だけで体の動きが格段にアップするようだ。

 というようなわけで、「体幹」はマイブームになりつつあるのだが、昨日ネットを見ていたら、「同じ年齢でも老けて見えるのと若く見えるのと、その違いはどこにあるか」という記事が出ていた。大きくポイントは二つ。まず自然に立った状態で、両肩が体幹より前に出ていたら老けて見えるという。おお、ここでも「体幹」が大事になるのだ。それからもう一つは、同じく立った姿勢で骨盤が後傾していると年寄りに見えるという。骨盤も同じく「体幹」なのである。

 さて、これだけの差でジジイかオッサンの違いがあるとしたら実践しないわけにはいかないだろう。両肩を「体幹」より後ろに持っていくには、肩甲骨を寄せる要領で後ろに引っ張る。そうして胸を開くようにすると、両肩は後ろへ行き、首は上に伸び姿勢が良くなる。骨盤はまっすぐ立った時に両手を腰に当て、骨盤を前に傾けお尻を突き出し気味にして背中を反らせるといい。

 欲を言えば、歩く時には肩を引いたまま、骨盤を左右に動かすつもりで、それに両足が連動して動くという具合に意識をすると、歩き方が一気に若く見えるのだ。

 きっと今日から少なくとも見かけだけは、ジジ、ババは激減するはずである。

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沈黙の力

2016-03-24 12:05:22 | 福島

 冬山に登ったことのある人なら経験があるだろうが、風もなく辺りが雪に包まれているような山の中にいると、車の音もなく、鳥のさえずりもなく、ただただ無音の世界が広がる。そういう時、耳を澄ませて辺りの気配を窺おうとすると、雪を踏む自分の足音で何も聞こえないということに気づく。そこで立ち止まって聞き耳を立てると、聞こえてくるのはビックリするほど大きな荒くなった自分の呼吸音だ。仕方がないので、最後は呼吸を止め、衣摺れの音がしないよう不動の姿勢を取る。

 人は案外、自分自身がいかにうるさい存在かということに気づいてはいない。口を閉ざしているときにも、すでに自分自身とおしゃべりを始めている。何かを聞く、何かを見るという一見単純な行為でも、自分自身とのおしゃべり抜きに純粋に鑑賞することは実に難しい。

 何で読んだか忘れたが、「おしゃべりしている間は、人は考えることができない」という。人は世界に触れようとすれば、沈黙するしかない。ということは、沈黙する力の強弱によって、感じ方の強弱が決まるということだ。絵描きのピカソは、創作には孤独が必要だと言ったが、孤独というのは他人から離れるばかりでなく、自分自身からも自由になるということを意味しているということだろう。

 最近、そんなことをやたらに考えるのは、ニュースでもYoutubeのような動画でも、すぐにコメントを出すのが当たり前のような風潮があるからで、テレビ局でさえ、そんなコメントを紹介するようになってしまったから、困ったもんだと思う。昔からサイレント・マジョリティーという言葉あるように、肯定する多数よりも否定する少数の方が声がでかいというのは常識だったが、沈黙はマスコミには向かない。

 携帯やスマホの登場で、人は知らず知らずにおしゃべり状態に陥ってしまっている。バスの待ち時間にも食事の合間にもオシャベリする。オシャベリの力で社会を変えられると考えている。恐ろしいことだ。

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ちらほら

2016-03-23 12:47:32 | 福島

 数日前から桜の便りが聞かれるようになった。平年より少しだけ早いようだが、温暖化というわりにはきちんと開花時期を守っているところが面白い。日曜日に阿武隈川沿いを少しランニングしたら、気の早い桜が咲いていた。ただ、開花宣言が出るのは、各地にあるソメイヨシノの標準木となっているので、気の早い桜が咲いたからといって開花宣言は出ない。

 桜というのは、どうして同じ時期に一斉に花を咲かせるのだろうと思っている人がいるとしたら、日本人としては桜に対して無知と言わなければならない。今、桜といえば品種ではソメイヨシノが8割を占める。川沿いでも街路樹でも、新しく植えられるのはほぼソメイヨシノと言ってよい。どうしてそんなにソメイヨシノばかりかというと、元来病気に弱い桜を品種改良し、病気に強く、世話の必要がなく、接木で育つため成長が早いという特徴を持つため、お花見のために桜を植えようということになると、ソメイヨシノが手っ取り早いのである。

 そんなソメイヨシノは明治の初めに染井村の植木屋さんが売り出し、あっという間に日本中に広まった。つまりは日本全国に広がるソメイヨシノは、クローンだということである。遺伝子レベルで見れば、コピーされているだけだからすべて同じ個体に過ぎず、開花時期が同じなのは当然といえば当然なのである。

 ソメイヨシノが作り出される前は、ただ「桜」と言えば「山桜」を指していた。昔の和歌や俳句に歌われた桜に、ソメイヨシノは1本もないという事実は意外と忘れ去られがちだ。このことを頭に入れておかないと、歌の味わいが全然違うものになってしまう。なぜなら、ソメイヨシノは花が散ってから葉っぱが出てくるが、山桜は葉っぱが出てから花が咲くので、赤い葉っぱとピンクの花を一緒に鑑賞するからだ。

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犬と自画像

2016-03-22 11:39:29 | 福島

 自分自身を画中に登場させるのは絵を描き始めた当初から頻繁に行ってきたが、細かいところまで描き込むようになった最近の画風だと、自分自身を登場させるのはかなり気がひける。というのも、リアルにイケメンすぎるオッサンを描くと、もしかしたらニュースステーションのコメンテーターに抜擢されたり、謝罪させられたりするかもしれないので、それは避けたい。かといって、必要以上にブサイクに仕上げると、へりくだり過ぎた態度が逆に鼻についてしまう。

 先日、タミちゃんが撮った写真を見ていたら、たまたまドリと僕がソファでのんびりしている写真が目に止まった。ドリはカメラ目線で、僕はドリの尻に肘をつき、頬杖をして読書をしている。これは絵の題材になりそうだ。おまけに、うまい具合に右手の拳が顔の半分を隠しているので、似ているか似ていないかはあまり気にしなくて良さそうだ。

 というわけで、三日がかりで犬と読書する自画像を描いた。展覧会に出すようなでかい絵を別にすると、おそらく今回描いた絵は今までで一番時間がかかっただろう。左下の棚にあるのは、チューリップのラベルが可愛い福島の「人気一」というお酒の瓶。

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