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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

枯葉大好き

2019-11-30 10:40:12 | 福島

 日が短くなった。朝は5時過ぎに起き6時前には散歩に出るが、外はようやく白々とし始めたばかりで懐中電灯がいるくらいに暗い。

 昨日までは薄手の手袋をしていたが、いよいよ初氷も張り本格的な冬になったので、今日は真冬用の手袋をし、ニット帽を目深に被って家を出た。まだ風がないのでそれほど寒さはこたえないが、吹雪いているような日は冬山登山に出かけるような格好で散歩に出るようになる。12月に入ればそんな日も多くなるのだろう。

 里山の紅葉が見頃で、朝日が登ってくると真っ赤に染まる。早いところではほとんど散ってしまっているところもあるので、紅葉もそろそろおしまいだ。

 道路脇には枯葉がうず高く積もっている。乾いた枯葉の上を歩くとカサカサと音がして面白いのか、テオは好んで歩く。ドリも枯葉を見るとテンションが上がり、枯葉の中で狂ったようにはしゃいでいたが、テオを見ているとトトよりもドリの性格に近いようだ。

 フカフカで面白いや、と枯葉の中に身を埋めるテオ。最近めっきり尻尾が豪華にふさふさになったので、枯葉に埋まるテオの姿はなんだかリスみたいではないか。そんなに枯葉が面白いなら、今度さくらの公園に出かけてみよう。あそこは何千本という桜が植えられているから枯葉の宝庫だし、冬は誰もいないので犬と遊ぶには最高なのだ。

 寒くなったなあと思っていたら、山はすっかり雪化粧していた。

 ここはまだ初雪は降らないが、会津や猪苗代湖あたりは早くも雪の季節になっているのだろう。

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スポーツの時代

2019-11-29 11:53:38 | 日記

 歴史を振り返ると、それぞれ時代に名前をつけ、その時何が世界を動かしていたかがわかるように区分している。人類の多くが石器を使い出した頃だから石器時代、戦が絶えなかったから戦国時代といった具合だ。キリスト教や仏教、イスラム教などが興った頃は宗教の時代と言えるだろうし、フランス革命や名誉革命で民主が力を持った頃は革命の時代といえるだろう。

 では、現代社会は後世ではどう呼ばれているだろうと想像してみる。戦争の時代かといえばちょっと前の気がするし、テロの時代というと、限定的な気もする。では武力で紛争を解決するのではなく、政治が幅を利かせている時代かというと、政治家がワアワアやっている割には何も変わらないみたいなので政治の時代というには虚しい。そもそも、地球温暖化や人口爆発による食糧難など、すでに政治の力ではどうしようもないところまで世の中が来ている気もする。

 そんなことを考えているうちに、ラグビーやサッカー、ゴルフやフィギュアスケートなどのスポーツの盛り上がりに、今の時代を象徴する何かがあるような気がしてきた。娯楽ならかつては映画やテレビや音楽があったが、近頃はずいぶん低調気味になって来ている。それに引き換え、スポーツ熱というのは老いも若きも隔たりなくあるように思う。若い頃に一切スポーツをしてこなかった人が、定年退職してからマラソンを始め、3時間や4時間でフルマラソンを走り切るという時代なのだ。

 僕はそこに、人類の本能的な危機意識みたいなものが働いているんじゃないかと思う。かつてなかった自然災害、経済破綻、食糧危機が地球規模で起こっていることを見ると、最後に頼りになるのは自分の体力だけということを感じているんじゃないだろうか。

 政治の力で弱者救済なんて言っても、所詮は限度というものがある。この秋の台風被害でも、すぐに逃げ出せる若者には被害はない。そもそも弱者救済と言っても、誰もが被害に遭う時には、誰も助けに来てはくれないのだ。

 今の時代はなんでも二極化しているが、体力差の二極化も進む。我先にと一斉にみんなが逃げ出す時、取り残されないよう最後尾でいいからついて行きたいものだと、体力の衰えを気にかける近頃のアベさんなのである。

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ユーモア

2019-11-28 10:01:13 | 日記

 先日NHKでドラマ「少年寅次郎」というのをやっていた。全5回をすべて録画して観たが、タイトルから想像できるように、映画「男はつらいよ」の主人公、車寅次郎の幼少期から少年期にかけての話だ。なぜ寅さんが旅から旅への生活をしているのか、たったひとりの妹・さくらがなぜオイチャンちの団子屋で生活しているのか、そういうことがわかるようになっていた。寅さんの映画は50話を超えて撮られている。DVDボックスだと10万円を超える値段がついている。全部見てみたいがあまりの量の多さなので、機会があったら少しずつ観ようかと思っている。

 寅さん映画は、今まではたった1本しか観たことがなかった。そして、「こんな義理人情の映画を面白がるのは、年寄りくらいだろう」と、それ以来見向きもしなかったが、僕自身年寄りになってくると、寅さんの本当の面白さがわかるようになって来た。寄る年波には勝てないということか。

 若い頃は、失敗の人生など望んではいない。だから、身の回りからなるべく失敗譚は遠ざけておきたい。が、人生というのは実は失敗の連続で、うまく行くほうが奇跡のようなものだ。そのことを写真家・星野道夫さんは著書の中で「人生とは何かを計画しているときに起こる別の出来事」と書いている。理想と現実という言葉があるが、対語として成立させるなら理想と挫折のほうが正確かもしれない。あるいは夢と実生活というのが近いだろう。人生とは挫折の連続であり、思い出というのは、そういうものも含めて懐かしく思い出すことができる技術と言えるかもしれない。

 ユーモアという言葉は、おそらくヒューマンが語源だろう、と僕は想像する。だから、冗談がうまかったり面白いことがやれることをユーモアというのではなく、その人となりが現れるときが、ユーモアだと僕は考えている。映画の中の寅さんはいたって大真面目である。けれども、その立ち振る舞いに、寅さんという人となりが現れる。そこに観客はなんともしれないユーモアを感じる。

 本人は大真面目だから失敗だとは考えない。作家の小林秀雄さんのエピソードに僕が好きなものがある。ひとつは、骨董狂いだった小林さんが、高価な茶器を見せてもらいに行ったところ、主人と会話が盛り上がったところで、目の前にあった茶器に自分が吸っていたタバコの吸い殻を、まっすぐに立ててもみ消したという話だ。もうひとつは、中国か満州に兵隊の慰問に行った時のこと、軍隊のお偉いさんと酒を飲んでいるうち話に夢中になり、「だからお前はダメなんだ」と将校の頭をぽんぽん叩いた。それを見ていた部下たちがいきり立ち、「小林は生かしちゃおけん」と寝付いたところを斬り殺しに行ったというのである。ところが、イビキをかいてぐっすり寝ているその姿が、あまりに邪気がない寝姿なので、殺すのを止めにしたということだ。

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粋な人は

2019-11-27 10:37:11 | 日記

 定期的に、創作した作品を持ち寄る会を開いている。テーマは決めるものの、何をどういうふうに描くかは各人に任せているため、テーマの解釈次第で思ってもみないような作品ができあがる。ある人はダジャレだったり、ある人はどこにテーマらしきものがあるのか話を聞くまでわからないものだったりと、バラエティーに富む。ただし、あまりにバラエティーに富みすぎて、作品として体をなさなくなっていることもある。

 創作というのは確かに個人の自由な表現に素晴らしさがあるのだが、他人に見てもらうということになると少し趣向が違ってくるように思う。そこのところを説明するのが難しく、「自由に表現するのがいいのではないか。創作に定石なんてものはない」と言われると、「はいその通りです」となってしまう。腹の中では、ちょっと違うんじゃないかなと思いながらも。

 なんとかその違和感を説明したくて考えているうちに、こんな言葉に思い至った。これは僕が創作に限らず、生活全般で参考にしている言葉だ。それは作家レイモン・ラディゲの「文章は少し下手なほうがいい。粋な人が少し着くずして着るように」という言葉で、「文章」というところをほかの言葉にすれば、いろんなことに当てはまりそうだ。

 音楽を好きな人ならわかるだろうが、Cメジャーという音はもっとも安定した和音で、これ以上の正装はないという姿をしている。そこに不協和音をひとつだけ加え、Cメジャーセブンという和音にすると、少しだけ安定感を失い、哀愁のある響きに変わる。

 不協和音だらけでできあがった音楽なんてのは聞いてはいられない。同じことが絵画についても言えるのではないか。ゴッホやピカソが持てはやされるのは、きっちりした正装を少しくずして着ているからではないだろうか。

 詩や小説にしたって、「愛は永遠」なんてきっちりと正装した言葉なんて、面白くもなんともない。かといって、誰にも耳を貸してもらえないような好き勝手なことを言っても、これまた面白くもなんともない。

 少しくずして着るのが粋な人であり、人を惹きつける作品だとしたら、その前に一度きっちりと着るセンスがなければ、着くずすこともできない、ということになるだろう。とは言え、これを説明するのもむずかしい。

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餌の心配

2019-11-26 09:31:51 | 福島

 昨日は休日だったので、いつものように午前中はランニングに出ることにしたが、お昼から雨が降るという予報だったので、遠出をするのは止めにして、阿武隈川の土手を走ることにした。

 走ると、翌日には決まって足の付け根が痛くなったりするので、最近は毎日ストレッチをするように心がけている。走る前にも柔軟をやる。これだけでずいぶんと翌日の足の痛みは軽減される。それに加えて、ここ1週間ほど柔軟体操のほかにスクワットもやるようにした。我ながら筋力のなさに呆れているからである。

 そのせいか、昨日は上り坂も以前よりは楽に上れるようなった気がした。心拍数が上がらないように気をつけ頑張りすぎないこと、柔軟やスクワットなど準備をしておくこと、これだけで体が軽くなったような気がする。気持ちの問題かもしれないが、記録は自己記録まであと10秒と迫る好タイムだった。

 帰り道は急いで帰るのももったいないので、土手をブラブラ歩きながら白鳥の姿を見つける。阿武隈川には白鳥を餌付けしているところがあって、渡り鳥の解説をした看板が立てられてたりする。果たしてこの前の増水で白鳥たちの越冬場所はどうなったかなと心配だったのだ。

 アシやススキに遮られ、白鳥たちの姿はわかりにくいものの、ギャアギャアと金属音のような鳴き声は聞こえて来る。相変わらず、多くの白鳥たちがやって来ているようだ。藪の間から、白鳥たちが川面を泳いでいる姿も確認できる。いずれ温暖化が進めば、越冬場所も変えることがあるのかもしれない。

 それにしても、真っ黒い濁流となって氾濫した阿武隈川の魚たちというのはどうしたのだろう。あれだけの流れに逆らって身を潜めているなんてことは不可能だろうから、流木などと一緒に下流へと押し流されて行ったに違いない。もっとも同じように上流から流されて来た魚たちもいるから、渡り鳥の餌となるような魚は今もいるのかもしれない。

 などと、白鳥たちの餌の心配をしながら、再びランニングで帰路に着くアベさんなのであった。

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今日のテッちゃん

2019-11-25 12:01:46 | 福島

 昨日は用事があって3時間ほど車を運転したら、とんでもない濃霧でクタクタになってしまった。あまりに何にも見えないもんだから、横断歩道の白いシマシマがポールが並んでいるように見え、突如として道路を封鎖するようにポールが並んでいると思い、瞬間的にブレーキを踏んだりしたのだ。

 天気予報では昨日に引き続き濃霧注意報が出ていたが、早朝の散歩では雲もなく細い細い月が浮かんでいた。雨は午後から降るらしい。

 いつものように1時間ほど散歩して駅の近くまで戻ってくると、ちょうど電車が入ってくる時間だった。「テオ、そろそろ電車が来る頃だよ」と声をかけると、我が家の鉄ちゃんは早速ガードレールに足をかけて電車の到着を待つ。

 キョロキョロ。
 「どこにも電車はいないよ」

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 「あっ、電車の音だ」

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 「やったー、電車が来たよ」 

 プッシュー。
 「ほら見て見て。どんどん人が乗って行くよ。面白いなあ」

 と、ひとしきり電車を観察したので、我々アベさん御一行も散歩の続きをすることにする。
 「ほら、テッちゃん。 出発進行するぞ」

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雨の散歩

2019-11-24 10:06:37 | 福島

 少しだけ朝寝坊したので、散歩に出た時にはすっかり明るくなっていたが、天気はあいにくの雨模様だ。どうせ遅くなったし、日曜日は時間に余裕もあるので、車にテオを乗せて阿武隈川まで行ってみた。

 紅葉した里山を歩くのは楽しいが、たまには視界の開けている場所を歩くと気分も変わる。いつもいつも視野の狭い場所にいると、人間の思考だって行き詰まってしまう。引きこもってしまう人は、一日中狭い場所にいるせいで、思考だって袋小路に追い詰められてしまう。

 この前の台風で氾濫した土手は、一見すると何事もなかったかのようだ。川面には冬を越すために、鴨や白鳥が羽を休めている。

 ところが、歩いていてがっかりさせられたのは、そのうち国交省が片付けてくれると考えたのか、草むらのあちこちにポリ袋に入った家庭ゴミが捨てられている。わざわざ河川敷まで持参して捨てて行っているのだ。自然の堂々とした強さに比べ、人間はなんとケチで貧相な存在なのだろう。河川敷の近くには、普段は子供たちが使用しているグラウンドが、仮設のゴミ置場になっているが、そこまで持ち込むのでさえ面倒だと感じるのだろう。

 川ぞいに建つ家は、表から見るとなんともないが、裏に回って見ると基礎がゴッソリ流されている。もう住むことはできないだろう。

 

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記憶

2019-11-23 11:41:43 | 日記

 定期的に図書館に行っては、その度に本を借りてくる。読みたい本が見つからない時もたまにあるが、そういう時にはすでに読んだ本を再び借りてくることも多い。読んだ時にはいい本だなあと思いながら、ちっとも内容は頭に入らない。ただ、いい本だという印象ばかり残る。で、どんな本だったかなと思い再び借りて読むと、やはりいい本だなあと改めて思うのである。

 そういう本のひとつに池内紀さんの紀行エッセイがある。もともとドイツ文学者でゲーテやカフカの研究書や、ギュンターグラスの「ブリキの太鼓」の翻訳もしたりする。日本の作家についての文章も多く、その読書量には驚くばかりなのだが、紀行エッセイは難しいところがまったくなく、ただブラブラと思いつくまま旅する気ままさがそのまま文章のリズムとなって、読むというより音楽を聴いているような感じなのだ。

 今回借りて来ている「日本風景論」の中に、「水の記憶」という文章がある。

「・・・カッと照りつける太陽がある。しきりにミンミンゼミが鳴いている。聞こえるのはセミの声ばかり。近所をまわったが、遊び仲間は誰もいなかった。自分一人がこの世に取り残された感じ」。
「・・・ひとりでいるときの心もとなさ。予感なようなものが走り、胸がドキドキした。何か奇妙なことが起こる感じ」
「・・・再び抜けるような青空がひろがり、照りつける陽ざしの下で、しばらく息をひそめていたミンミンゼミが、さわがしく鳴きはじめた」
「・・・少年のころの孤独感は、いつも、心のどこかに持ち続けている」

 池内さんの旅は、その多くがひとり旅だ。名所旧跡を巡ることは少なく、名もない山を、川を、海を、里を旅する。

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遅い初霜

2019-11-22 11:32:10 | 福島

 今朝は一段と冷え込み、初霜が降りていた。それでも例年よりは遅いらしく、スキー場では神主さんが雪乞いのお祈りをあげていた。スキー場は雪がなければ商売上がったりだろうが、できれば積雪がないほうが、普通に生活する分には暮らしやすい。

 霜の降りる日というのは、放射冷却でよく晴れた朝が多い。今日もうろこ雲が浮かぶ爽やかな青空が広がっている。今朝の安達太良山には、うっすらと雪が積もっているのが見える。

 紅葉も大詰めで、里山の木々はすっかり色づき、かなりの葉っぱが落ち葉となった。アスファルトの道路の脇には枯葉が堆積しているが、テオはわざわざその中を歩く。カサカサと鳴る音が楽しいのだろう。

 霜の降りた日は、日中の温度が上がるので、霜もあっという間に消滅する。朝食後、買い物があったのでテオを乗せて車で出かけたが、すでに霜はどこにも見当たらなかった。

 最初の頃は車に乗るのを怖がっていたテオは、近頃は乗り込んだ途端に窓枠に足をかけて立ち上がり、少しだけ開けた窓から顔を出す。犬を連れてのドライブは、トトと日本中を走り回ったので、僕にとっては当たり前のスタイルだ。

 ただ、トトの場合は窓から顔を出していると「可愛い」と言ってもらえるのをわかっていて、特に若い女性の場合は尻尾をフリフリ愛想を振り巻く。テオの場合はまだよくわかっていないのか、今日はウオーキングをするバアちゃんに「可愛い」と言われ、尻尾を振っていた。

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鉄ちゃん犬

2019-11-21 10:23:56 | 福島

 今年一番の冷え込みになると天気予報では言っていたが、寒さより嫌なのは日が短くなることだ。夏の間はカメラを持って散歩に出ても明るいからいいが、冬になると朝と夕方、どちらの散歩も暗くてシャッターを切るチャンスが少ない。それに、暗いというだけで、寒さが身に沁みてしまうのだ。太陽の存在の大きさは、北国に住むと痛感する。

 毎朝6時前に散歩に出る。家を出た時はこのくらいの明るさ。

 20分ほど歩いていると、ようやくシャッターを切れるくらいの明るさになってくる。東北の朝の光は弱々しく、オレンジ色がかった色をしている。九州ではまず見ることができない色で、東北の冬が来たなあと実感するのである。

 里山を1時間近く散歩し、近くの駅まで戻って来る。最近はテオが電車の来るのを楽しみにするようになった。

 ガードレールに足をかけて立ち、そのまま5分は平気でいられる。

 ねえ、まだあ。
 ほら、向こうからやって来たよ。

 ガタンゴトンと2両編成の磐越東線が駅に入ってくる。テオは駅に停車するのを確認すると、ガードレールから足を下ろし、再び散歩を続けるのであった。鉄道ファンのことを最近は鉄ちゃんと呼ぶが、鉄道ファンの犬はどう呼べばいいだろう。

 

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