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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

白銀の山里

2015-01-31 09:18:19 | 福島

 昨日、まるっと一日雪が降り続いた。夜になって止んだので、残念ながら朝起きても、道路は夕べ走ったタイヤ痕だらけで、真っ白な雪景色とまでは行かなかった。

 それでも今年一番の積雪に、早起きをして家の前の雪かきをした後、カメラをぶら下げ犬の散歩に出た。

 安達太良山もいつになく迫力がある。てっぺんが雲に隠れているので、きっと猛吹雪だろう。

 それに引き替え、小高い丘が連なる三春の里は、すっかり雪深い山村のような景色に変わる。

 枝や葉っぱにもたくさんの雪が積もると、普段の見慣れた雑木林も輝いて見える。

 地元の人から「九州に比べて寒いでしょう」とはよく言われるが、テンションの高いアベさんは、ほとんど寒いなんて感じてやしないのだ。

 そういう本人を激写。

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しんしんと

2015-01-30 12:19:01 | 福島

 天気予報では、今日は関東地方は積雪があるので注意してくださいと言っていた。関東地方に雪が積もるなら、この辺はどっさり降る。朝起きたら一面の銀世界になっているだろうかと期待していたが、朝の散歩の時にはまったく雪はなく、それどころかここ二三日の陽気で木陰の雪もすっかり溶けていた。

 散歩から帰り、朝飯を食っている頃から窓の外を白いものがちらほら舞い始めた。と、みるみるうちに本格的な雪になり、カフェの開店前には一度雪かきが必要なほど積もってきた。

 11時にカフェの準備を終え、表の雪かきをする。降ったばっかりなので雪は軽く、30分できれいになった。

 こんな日はお客はないかもなと思っていると、こんな日に限って開店前に着たりするので油断はできない。近くの人が雪の中を歩いてきたので、開店前だが中に入って温まってもらう。

 12時半になると、さっき雪かきしたときよりもたくさんの雪が積もっていた。窓の外にはしんしんと雪が降り、裏庭の先の雑木林が白一色に変わった。

「ここは静かでいいねえ」とお客さんが言う。雪の日は、山の中の林の中にでもいるような風景で、ここが住宅地の中だとはとても思えない。

 ストーブの上のやかんがチンチンと音を立て、真空管のステレオからはロバータ・フラックの「やさしく歌って」が流れている。雪がしんしんと降っている。

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好き嫌い

2015-01-29 13:52:58 | 福島

 給餌台に干し柿を置いておくと、ヒヨドリが来てうまそうにクチバシでつつく。ときどき顔を上げて、クオークオーとだみ声を上げると、二羽三羽と他のヒヨドリも集まって来た。

 シジュウカラやヤマガラに比べると体も大きく、色合いも地味なヒヨドリを可愛いと思うことはないが、一心不乱に干し柿をつつく姿は見ていて飽きない。干し柿がなくなったら、新たに給餌台に干し柿を置いてみたりもする。

 子供の頃は鳥が大嫌いだった。理由もなくヘビやカエルが嫌いという人がいるが、僕の場合はとにかく鳥だった。姿を見るのも嫌だし、鶏肉も好んで食べたいとは思わなかった。それが今では熱心にバードウオッチングをしているのだから、我ながら不思議だ。

 子供の頃嫌いだったものが、大人になるといつしか逆転しているというのは意外と多い。閉鎖的な山の環境より海の方が断然好きで、ヨットかカヌーをやりたいと思っていたのが、近頃は山ばかり行く。工作や大工仕事が苦手だったのに、近頃は進んで自分からやる。国語が大嫌いで、特に文章を書くのがなによりも苦手だったのが、こうして毎日のようにブログを書いている。

 子供の頃、苦手だったシイタケやネギが大人になって美味いと感じるようになるのと同じように、嗜好が年齢とともに変わるというのは、考えたら当たり前な気もする。ジジイになって「カレーライスやハンバーグが一番好き」というのはあまりカッコのいいものではない。やはり酢の物とか煮物で晩酌を楽しむというのが、正しいジジイのあり方のような気がする。

 「わたしって◯◯が苦手な人だから~」なんて宣言したところで、少し歳をとればどうなるかは本人にもわからない。明日の自分がどんなかは、今日の自分にはわからない。

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冒険

2015-01-28 14:10:48 | 福島

 人間には、もともと冒険したいという欲求が遺伝子に組み込まれていると言う。かつては、冒険は貿易や戦争といった利害のために行われていると言われていたが、実際には平和な時代に冒険が企てられてきたと言う。

 人間は、大量の刺激にさらされる中で生活していくことを前提に生きている。脳味噌や精神はそういう具合に作られている。だから本当のところは長時間にわたる単調な動作の繰り返しなどというのが、一番の苦手としている。人はすぐに退屈する。すぐに退屈するので、テレビのスイッチを入れたりパチンコに出かけたりと、とにかく落ち着いていることはできない。

 人は冒険に出る。だが面白いことに、日常生活に比べ冒険旅行のほうが実はずっと単調な動作の繰り返しを要求する。太平洋をひとりぼっちでヨットで横断した堀江さんも、大西洋を初めて飛行機で横断したリンドバーグが、いかにうんざりするほどの単調な動作の繰り返しと退屈の成し遂げられたかは、ちょっとイメージするだけで想像がつく。最近では80歳でエベレストに登頂した三浦さんにしても、高度に順化するために、数ヶ月に渡って山を登ったり下りたりを繰り返し、ようやく登頂を果たしたのだ。

 僕も軽自動車で九州から北海道までを旅したが、そんなちっぽけな冒険旅行にしても、何日にも渡って朝から晩まで運転しなければならなかった。今でもときどき旅に出たいなと思うが、運転はとにかく睡魔との戦いに終始する。

 人は退屈から逃れるために冒険をする。ところが、日常生活ではあり得ないほどの退屈を我慢しなければならないのが冒険なのである。 

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会ってみたい人

2015-01-27 12:02:39 | 福島

 昨日は一日お休みだったが、天気も良くないし、図書館から借りてきている本もあるので、読書デーと決めこんだ。朝から早速笹本稜平さんの「天空への回廊」を読む。映画化された「春を背負って」が山を舞台にした人情話だったので、もう少しサスペンス色が強いのがいいなと思っていたら、舞台はエベレストだが、テロリストやらスパイやらが暗躍する冒険活劇だった。こういうのを求めてたんじゃないんだけどな。

 最後まで読み、「良かった良かった」というエンディングを迎えたが、どこか消化不良だ。図書館から他にも山頭火の随筆集も借りて来ているが、休みの日に読むような気楽な本ではない。仕方ない、本屋へ行こう。

 で、買って来たのは、子供の頃から読もうと思ってこの歳になるまで読んでなかったケストナーの「飛ぶ教室」。いわゆる児童文学の一種のようだが、一筋縄ではいかないようだ。大体西洋の子供向けのものは、日本の児童文学の純真で素朴なものと違って、皮肉たっぷりだったり、悲哀に満ちていたりする。子供だろうが、大人と同じように悩み喜び悲しむ。大人になるとは、悩みの質が違ってくるだけの話だ。

 もう一冊、単行本で買おうかどうしようか迷っていたジョン・ガイガーの「サードマン」が文庫で出ていたので、ラッキーと早速買って来た。こっちはノンフィクションだ。ただ、普通のノンフィクションではない。山で遭難したり海で漂流したり、災害にあったり、そうした危機的状況に陥った人の中には、少なからず傍に寄り添い生還へと導いてくれる不思議な第三者と遭遇する者がいる。その正体は脳味噌のせいなのか、宗教的なものなのか、その正体を探るのがこの本の眼目だ。

 得体が知れないということでは、宇宙人とか雪男の類いとそんなに変わらないかもしれない。ただ、自分の死が目前に迫っている時、自分を励まし助言を与えてくれる存在が現れるというのはなんとも神秘的で感動的だ。もしかしたら、こういう経験が人間が神様を生み出した根底にあるのだろうか。

 絶体絶命の危機的状況には遭いたくないが、サードマンには死ぬ前に一度会ってみたい、と考えたりするアベさんなのである。

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白鳥

2015-01-25 12:06:42 | 福島

 古民家を利用し、日曜日だけ開館する個人美術館に行ってみることにした。普段は仕事に行っているとかで、日曜日しか開けないのだ。

 車で10分ほど走ると、ぽこぽこと小高い丘の連続するのどかな場所の一角に、古い農家があり、そこが美術館だった。名前は「小さな森の和(やわらぎ)美術館」。

 入ると直接土間の上に椅子やテーブルを置き、壁にはいろんな絵が架けてある。真ん中にはいろりがあり、あちこち開け放った縁側や窓からの景色は、雑木林に囲まれて実に平和だ。本棚にはいろんな美術書が並び、ラジカセからは音楽が流れてくる。

 だが、「こんにちわ」と声をかけても誰も出て来ない。勝手に見学してもいいのかなと恐る恐る中に入り、人が来たら挨拶しようと思っていたが、最後まで人影はなく、そのまま館を出た。

 カフェが始まるまで少しだけ時間の余裕があるので、車に乗せていった犬たちを阿武隈川まで連れて行く。

 阿武隈川にはこの時期、たくさんの渡り鳥たちがやって来る。中でも白鳥たちの群れは町おこしにも利用されているようで、ちゃんと野鳥観察の看板も出ている。グワグワガーガー、その声はかなりうるさい。人間を見たら逃げるかと思ったら、餌付けをしているのか、グワグワガーガー鳴きながらどんどん近づいてくる。

 ドリはうまそうなものが近づいて来たと思ったのか、グイグイと前に出る。トトは興奮して後ろ足でその辺の土をひっかける。

 春のようにポカポカと暖かな陽気で、阿武隈川の水の色はびっくりするほど青い。その上を白鳥が優雅に泳いでいる。ドリは道端の草をワシワシ喰っている。

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身代金

2015-01-24 18:59:45 | 福島

 連日ニュースで、イスラム国による日本人誘拐と身代金のことを報道している。なんとか助ける手段はないものかとやきもきするが、まったく打つ手がないというのが、平和な国・日本の現状だろう。アクション映画のように、人質奪還のために特殊部隊を派遣するなんて夢物語は期待できないのだ。となると残るはイスラム国が、「日本人を誘拐したってなんのメリットもない。さっさと解放しちまえ」と思ってくれることに希望をつなぐしかない。

 そんな報道の最中、ときおりジャーナリストと称する人たちの中に、素っ頓狂な人種が混じっていてびっくりすることがある。「人質のために身代金を用意するつもりはないんですか」と政府に質問していたりする。「何よりも人命救助が最優先」と言う人も、おそらく根っこは同じ楽天家の人たちだ。

 アメリカやイギリスが、何があっても絶対身代金は払わないと断言するのは、国民の命をないがしろにしているからではない。テロに屈しないという大義名分以上に、身代金を払ってしまえば、その国の人間を誘拐すれば金になるというのが国際的な常識になってしまうのが一番の理由だ。

 もし、日本政府が日本人人質のために身代金を払ったとしよう。と、その瞬間に全世界にいる日本人すべてが誘拐のターゲットになってしまうのである。相手はテロリストだけではない。ただ喰うに困っている人やヤクザものでも、日本人を誘拐すれば信じられないほどの大金を日本政府から払ってもらえると考えるようになる。つまり身代金を払わないとは、海外における国民の生命を守るということなのだ。

 今回の事件で、安倍総理に高度な政治判断が要求されていると言われるが、普通の人間なら胃袋がいくつあっても足りないだろう。

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干し柿

2015-01-23 12:07:47 | 福島

 去年の秋、近所の人から渋柿を大量にいただいた。最近は、実が落ちると庭が汚くなるのと、葉っぱが落ちた裸の柿の木の姿が不気味なのとで、ガーデニングはしても庭木として植える人はいなくなった。三春ではわりあい柿の木が植わっている率が高く、秋になるとたわわに実った赤い柿を至る所で見ることができる。

 最近知ったが、渋柿と甘柿の糖度は実は同じで、渋柿を干すことで渋が抜けるので甘い干し柿ができる。渋柿を食べたことがある人はわかるだろうが、一体渋柿のどこに甘みがあるんだと不思議になる。

 さて、我が家でも干し柿が好物のタミチャンが干し柿作りに精を出し、風の通るベランダにのれんのようにぶら下げていた。が、白く粉を吹くまで待ってからと言っているうちに、いつしか干し柿の存在を忘れてしまっていた。

 昨日、やたらにヒヨドリがやってくるなあと思っていたら、ヒヨドリの標的はベランダの干し柿だったらしく、確認すると三つほど齧った痕があった。これ以上干していたらヒヨドリにみんな喰われちまうのと、場所を移動して干すようなところも見つからないので、そろそろ潮時と収穫した。

 で、ヒヨドリが齧った干し柿を、野鳥のための給餌台に乗せ、ふたつほど色の悪いのがあったので、それは虎視眈々と干し柿を狙っていたドリに喰わせた。

 おっ、干し柿がこんなところにあるじゃないか。世の中には親切な人もいるもんだ。

 ああ、うまいうまい。木になっているやつは渋くっていかん。

 なにやら背後に気配が。なにヤツ。

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秩父の山々

2015-01-22 12:53:34 | 福島

 笹本稜平さんの「春を背負って」を読む。タイトルからしてほのぼのした人情話だろうと思っていたが、タイトルに偽りなしだった。早くに死んだ親父の後をついだ若者が、秩父の山小屋の主となり、そこでの人と人とのつながりを連作方式で一冊にまとめあげたもので、話に新鮮味はないが、歳をとるとこういうなんでもない話がやけに身にしみたりするのである。

 映画化されたときは、秩父の木々に覆われた深い山では見栄えがしないということで、舞台を北アルプスに移した。

 映画の舞台となった北アルプスには僕はまだ行ったことがないが、小説の舞台になった秩父の方には、東京で働いていたときにはずいぶんドライブに行った。免許取り立てで中古車を手に入れた僕は、毎月一回は運転の練習も兼ねて郊外へと出かけていた。東京と埼玉の境の朝霞市にいたので、秩父方面へは一番頻繁に出かけた。

 ただ、その頃は山なんて全然興味はなく、どちらかと言えば海が好きで、カヌーイストの野田さんの本を読み、長瀞あたりのカヌーをしている人たちは羨ましいなあと思っていた。いずれカヌーを買い、どこかの川下りをしてみたいというのが夢だった。

 その後わけあって大分に引っ越し犬を飼うようになると、海よりは山に一緒に出かけるほうが多くなった。犬づれで海に出かけても、まるっと一日遊ぶというわけには行かないからだ。

 今のようにせっせと山登りするようになると、あれだけ秩父に行きながら、まったく山登りをして来なかったのは残念極まりない。埼玉から山梨にかけて、2000メートル級の山々が連なっているなんてのは、ようやく最近知ったアベさんなのである。

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写真集届く

2015-01-21 13:21:54 | 福島

 待ちに待った写真集が届いた。小さなノートパソコン上でレイアウトし、メールで送信しただけなので、どんなできあがりになるのかまったく予想がつかなかったが、届いた写真集は思っていたよりずっと大きなものだった。A4サイズを正方形に近くした形で、手のひらサイズ強と想像していたので、立派な装丁に大満足だ。

 これが表紙。タイトルは「青い犬」、サブタイトルに「ドリとトトの物語」と入れてある。

 表紙を開くと、パソコンで見たのとは弱冠色合いが違うかなと思うが、パソコンは画面上の写真は透過光で見ているが、本になると反射光なのでどうしてもイメージが違う。

 小さなパソコンでは虫眼鏡が必要なくらい小さかった活字は、本になると12ポイントなのでかなりでかい。老眼の人でもきっちり見える。ちょうど、絵本くらいの感じだ。

 

 開いた感じはこんなの。

 製作に2週間、写真とにらめっこして作ったので今さら新鮮味はないが、お店に来て写真集に気づいた人の反応が楽しみなのだ。

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