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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

ジャガイモの芽

2019-10-31 12:02:29 | 日記

 我が家の菜園で育てていた大根が、おばけ大根みたいにでかくなったので、毎日のように大根を使った料理ばかりを食っていた。漬物、煮物、風呂吹き大根、サラダ、鍋、大根おろしと、考えつくだけの大根料理を食い、ようやく畑の大根も残りわずかとなった。これからはほかの畑でも大根が採れるようになるので、おすそ分けで大根をもらう機会があるかもしれないが、とりあえず大根地獄からは抜け出すことができた。

 昨日、ジャガイモを使おうと倉庫を開けてみると、男爵からもメークインからもニョキニョキと芽が出ているではないか。最近は大根にばかり目が行き、ジャガイモを使う機会がなかったのだ。今年採れたジャガイモはコンテナ五つ分ほど。二つは食べたが、まだ三つばかり残っている。来年の初夏には新ジャガが採れるので、それまでに食ってしまえばいいのだが、それにはちゃんと芽を取り、冷暗所でしっかり保管しておかなければならない。

 たまにはジャガイモを大量消費するかと、昨夜は鍋いっぱい男爵いもを蒸し、すべてコロッケにすることにした。コロッケだけで腹いっぱいにするため、食感にアクセントをつけようと、潰した男爵の中にミックスベジタブルと茹でたマカロニも混ぜ、食べ飽きないように半分をノーマルに、後の半分をカレー風味にした。

 下準備が終われば、あとは形を整え、小麦粉をまぶし、溶き卵にくぐらせたらパン粉をつけて油に投入だ。中身はすべて火が通っているから、衣さえカリッとキツネ色になればいい。油はコロッケが半分浸かるくらいの量で十分だ。

 で、市販のコロッケよりボリュームタップリのコロッケが、ノーマル、カレー風味とも七つずつ、合計14個だ。と、そこへタミちゃんが帰宅したので、熱いうちに食えと勧めると、早速二つをペロリと食べた。

 ジャガイモは芽が出ると養分を取られてしまううえ、芽の部分は腹痛の元にもなるのでなるべく早目に取っておく必要がある。それでも時間が経てば水分が抜け、ジャガイモ自体の味が落ちて行く。昔、北海道出身の知人が、ジャガイモは朝採れたものは昼までに食べないと美味しくないと言っていたが、ジャガイモの産地ならではの意見だろう。我が家はこれから最低でも春までは家庭菜園で採れたジャガイモを食べる。あとコンテナ三つ分、結構ハードな量なのだ。

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旅の仕方

2019-10-30 11:47:23 | 日記

 ネットで注文したスターリング・ノースの「はるかなるわがラスカル」が届いたが、図書館から借りて来ている本を週末までに読んでしまわなければならないのでとりあえずおあずけだ。

 今読んでいる本は、芦原伸さんの「鉄道おくの細道紀行 週末芭蕉旅」というもので、週末を利用し、鉄道で奥の細道に書かれている地名をすべて巡ろうという企画だ。鉄道マニアならワクワクして読むのかもしれないが、駅舎や列車のことを書かれても、面白さがあまりわかっていないので、目的地の描写を中心に読み進めているが、車内や車窓から描写は多いものの、訪ねる場所はパンプレットの紹介のようで、思わず吹き出したり感動したりというようなドラマチックなものはない。

 それでも眺めるように読んでいるのは、旅とはこんなものだからなあという思いがあるからだ。冒険家の角幡唯介さんが書いていたが、探検記で面白いのは遭難したり危機一髪の目に遭ったりするところで、準備万端整え、すべてが計画通りに進んだような探検や冒険は、読者からするとちっとも面白くないということになり、行動した方からするとジレンマに陥ってしまうという。確かに当てが外れたり、予定通りに進まないというのは、旅する者にとっては一番避けたいところではある。が、案外いつまでも思い出に残っているのは、予定外のことばっかりだったりする。

 「鉄道おくの細道紀行」は、東京を出発し、白河の関を越えてちょうど郡山まで到着したところまで読んだ。白河の関や須賀川の乙字が滝などは、福島に来てから尋ねてみた場所で、身近な場所も改めて本で読むと、全然違った魅力があるように思えるから不思議だ。

 奥の細道の道中は、僕はほぼ車で走破している。適当な場所で車を止めたり、温泉に浸かったり、景色のいいところでコーヒーを淹れたりしたので、鉄道の旅とはずいぶん趣は違うだろう。鉄道のように他人と接する機会は、こちらが積極的にならなければなかなかない。ただ、鉄道やバスツアーのように時間を気にする必要はなく、すべては自分の時間で行動できるのが楽しい。

 葦原さんが文中「目的地に向かう途中の見聞こそが重要な旅の要素である---と、かの貝原益軒も言ってる」と書く通り、旅とは本来道中のことであり、目的地は終点でもあっただろう。近頃の旅は途中を極力省略し、目的地だけが重要になってしまっているのを葦原さんは嘆いているが、最近は映画や読書でさえ根気が続かなくなっている現代人からすると、のんびりした道中はとても我慢できるものではないのだろう。

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新旧交代

2019-10-29 11:38:23 | 福島

 天気のいい日が二日と続かない。紅葉もそろそろ見頃になる頃なのに、シトシトと雨ばかり降る。

 日が短くなり、朝だというのに5時半に散歩に出ても外はまだ暗い。5時ごろから犬の散歩に行く人は、懐中電灯かヘッドランプを装着して歩いている。

 去年の11月にドリが死んでから、もう少しで1年になる。トトもドリもいない生活はぽっかりと穴が開いたみたいだが、テオが来てくれたおかげで毎日の散歩は楽しいものになっている。愛嬌のあるテオは、人見知りをするものの威圧感がないので、誰もが手を出して頭を撫でようとするが、その度に後ろにピョンと跳ねて逃げてしまう。すると、手を出した人はますます触りたくなってしまう。もしかしたら、これはテオが自分に注目させるための戦略なのかと思ってしまう

 近所にドリと同じくらいの歳の犬が何匹かいて、時々散歩で見かけることがある。全身が硬直し、木製の人形のようにカタカタと歩いているものや、目ヤニがいっぱいでちっとも前が見えなくなっているもの、一日中玄関の中に入って寝てばかりいる老犬の姿を見ていると、ついこの前まで元気で歩いている姿を見ていただけに、つい頑張れと声をかけてしまう。

 そういう犬を連れている飼い主さんを見ると、老犬が愛おしくて仕方がないという様子がありありとわかる。犬の寿命は短く、毎日毎日が実に貴重な時間になっているのだ。

 我が家の大根は、どこの畑よりも早くに植えたので、今年はどこよりも収穫が早く、おすそ分けをすると喜ばれる。そろそろ収穫も終わりに近づいて来たが、他の畑では大根の旬はこれからだ。世の中は、古いものや新しいものがあって、なんとなくうまく回っている。

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もうひと踏ん張らない

2019-10-28 13:45:00 | 日記

 NHKでランニングの番組をやっていたので、録画しておいた。坂道が苦手な人の克服方法とあったが、坂を駆け上がる時には心拍数が上昇し、それに伴い乳酸が溜まるので筋肉が収縮できなくなると科学的な分析をしていた。モデルになった女性ランナーは心拍数170を超えると乳酸が溜まるというので、それ以下で坂道を登るのがいいという判断で、実際のレースでもそれを実践していた。

 なるほどなあと思うものの、心拍数を測るような機器を持っていない僕のような人間はどうすればいいのだろう。そのうち機会があればそういう機能を持った腕時計を買うのもいいかもしれないが、とりあえず今日のお休みは、坂道の多いコースを走ってくることにし、心拍数が上がって苦しくなる前にスピードを落として、亀のような速度でもゆっくり坂を上ることにした。

 実際走ってみると、今までの坂道の攻略法というのは、坂の頂上が近づくと、少しでも早く苦しさから解放されようと、あと一息をついつい頑張ってしまう。坂の頂上に着いた時には心拍数もピークで、すぐに下りに入れないほどだ。これではいかんと、頂上が近づいても決して焦らず、少しでも苦しいと思ったらペースを落として上った。結果、暗示なのかもしれないが、なんとなくいつもよりも足に溜まる疲労度が少ない気がする。結局坂道ばかりのコースを25キロ走り、2時間41分で帰って来た。時間はともかくも、同じコースを走っても、最後はほとんど歩いてばかりいたので、今日はかなりの進歩があったような気がした。

 普通に暮らしていても、「さあ、あとひと踏ん張りだ」と気合いを入れ直すことは多い。が、もしかしたら、「さあ、あともうちょっとだけど、ひと踏ん張らないようにしよう」と思ったほうが案外うまく行くかもしれない。頑張りすぎると、達成感が強く、「もういいや」と満足してしまうということだってあるのだろう。というようなことを、走りながら感じた一日であった。

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新たな友だち

2019-10-27 11:15:56 | 福島

 ぐずついた天候が続き、十月というのにちっとも爽やかな日が来ない。雨ばかり続くせいで、木々の葉っぱは紅葉する前に落ちて、道路にべったりと張り付いている。

 今年は柿の実のつき具合が悪いとみんな口を揃えて言う。実がつき始めた頃の酷暑のせいなのか、大雨の続いた最近の天候のせいなのかははっきりしないが、例年のように鈴なりになっている柿の木は見かけない。柿の名産地でもある福島は、こんなところでも温暖化の被害を被っているのかもしれない。

 相変わらずニョロニョロのテオだが、少しでも運動させてやろうと、時間が許す限り長い距離を歩く。今朝は廃校になったグラウンドまで歩くと、端っこの方でボーダーコリーを散歩させているのに出会った。散歩の途中、テオを見つけては家の中からワンワンと吠えている犬がいるが、今朝は初めて散歩させているところに行きあった。

 早速走ってボーダーコリーのケンくんのところに行くと、散歩を終えて帰るところで、ケンくんは軽トラックの荷台に乗せたケージの中に収まっていた。僕らの姿を見ると、飼い主さんは車を降り、再びケンくんをケージから出してくれた。

 ケンくんを見ていると、大きさは違うものの、全体の様子や動きがテオに似ている。テオもケンくんくらいまで大きくなれば、ボーダーコリーみたいになるのかな。

「ケンくんくらいの大きさになるのか期待していたんですが、これ以上は大きくなりそうにありませんね」と言うと、ケンくんの飼い主さんは、「そのくらいの大きさがちょうどいいんで、うちのは大きくなりすぎて家の中で飼うには手に余る」と笑った。

 小型犬と遊ぶ機会の多いテオだが、遊ぶには体力のある大きな犬と遊ばせたいと思っているのだが、近頃は小型犬が全盛で、なかなか大きな犬に会わせるチャンスが少ない。ケンくんくらいが自由に遊ばせるにはいい感じなんだけどなあ。もっとも、ケンくんの散歩はいつも軽トラックでやって来て、その辺を走り回った後再び車で帰るので、滅多に会うチャンスはなさそうだ。

 日が短くなり、朝は5時半をすぎなければ夜が明けない。夕方は四時半には暗くなってくる。秋も深まって来た。11月は目の前だ。

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本を注文する

2019-10-26 11:36:27 | 福島

 昨日、金曜日から日曜日までの三日間、三春町のまほらホールで三春美術協会の展覧会をやっている。昔は会員も多く盛況だった美術展も高齢化が進み、今回の展示は10人ほどしかいない。おまけに新作を描く元気のない人もいて、旧作でもいいという展覧会だ。仕方がないので三春町の小学校の生徒、中学校、高校の美術部の作品も併せて展示しているが、年々作品数は減る一方だ。

 この秋は週末になると台風の影響で、昨日も大雨で洪水警報が出ていた。今日は天気も回復し青空が広がっているので、たくさんの人が観に行ってくれればいいのだが。

 話は変わるが、最近YouTubeで昔テレビでやっていた「あらいぐまラスカル」を毎日観ている。カルピスお子様劇場として、「フランダースの犬」とか「アルプスの少女ハイジ」とかをやっていたが、当時は本で読んでいたために、子供心にイメージが壊されそうで観ることはなかった。そんな中、ラスカルだけは原作を知らなかったので何度か観たが、アメリカ北西部の自然の中で輝くような毎日をあらいぐまと一緒に暮らす少年の物語は、憧れるような生活だった。子供だけで湖にカヌーを漕ぎだしキャンプをしたり、自分の手でカヌーを作ったりと、日本の田舎の少年からは想像がつかないアウトドア生活だったのだ。

 今回第一回からアニメを観て、物語の舞台が1918年というのを知った。世界は第一次大戦の頃、自動車が発明され、人々の日常が馬から車へと変わろうという時代だ。にも関わらず、野生動物の保護や自然を満喫するためのホテルなど、ようやく日本が手をつけようとしていることが、すでに行われているのである。そんな様子を見ていると、動物愛護や自然保護の精神というのも、日本の付け焼き刃とは違って、歴史の積み重ねというものを感じるのである。

 アニメはちゃんと観たことがなかったが、原作は図書館から借りてきて読んだことがある。細かいところは忘れてしまったが、アニメでは描き切れない自然描写などが豊富だとあったので、もう一度読み直してみたくなった。で、早速ネットで原作「わがこころのラスカル」というのを注文した。今日あたり届く予定なので、今から楽しみなのである。

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間違った方向

2019-10-25 11:35:44 | 日記

 図書館から借りて来た石川啄木の本を読んでいるうちに、全然別のことばかりが頭に浮かぶようになってきた。というのは、貧しい中、石川啄木が代用教師の職を得て少しの期間働いた時のメモに、自分は日本一の代用教師だとか、教育者は詩人でなければならないといったようなことを書き綴っていたからだ。若いときというのは、とかく熱く志が高いものだが、詩人という人種が人間の中でも高等な部類でもあるかのような調子に、神童と言われた啄木の、インテリのプライドのようなものを見る思いがした。

 この、自分は偉い、民衆を導くといったような思い上がりは、政治家や役人に多い。少し前なら詩人や作家など芸術家も含まれていただろう。が、どんな時代であっても、「正しい方向へ導く」とはその時代の制約を越えられないものであり、長い目で見ればとんでもない方角を目指していたということは多々あることなのだ。例えば、腐らないことから魔法の素材と言われたプラスチックが、その後どれだけ地球に負荷をかける存在になったかは誰もが知る所だ。石炭、石油の地下資源を使った産業革命しかり、エコなエネルギーと信じられた原子力発電しかりである。

 世の中は、誰かが先頭に立って旗を振らなくても進んで行くものだろう。綱引きをしている人たちの横に立ち、掛け声をあげる人というのはいてもいなくても大した違いはないように思える。もしかしたら偉い人というのは、自分で綱を引かない代わり、何もしていないことをとやかく言われないよう、旗を振って大声を上げているだけじゃないかと、僕には感じることがある。

 キャッシュレスの時代が来ようが、AIの時代が来ようが、所詮は今の知識の範囲内で考えられる行く末に過ぎず、もしかしたら間違った方向へ進んでいたということだってあるだろう。歳をとったせいか、僕は素直に誰かの後について行こうという気にはなれないでいる。

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暴れん坊将軍

2019-10-24 11:17:39 | 福島

 小さな子供やペットがやらかしたイタズラが、おもしろ動画で紹介されることがある。冷蔵庫の中のものをぶちまけたり、化粧品をイタズラしてあちこちに塗りたくったり、トイレットペーパーやティッシュを部屋中に散らかしたりと、親や飼い主からすれば唖然とさせられるものが多いはずだが、動画を撮影しているところをみると、ガッカリを通り越してすでに一緒になって面白がっている様子も見て取れる。

 我が家で言えば、トトはおとなしく手がかかるようなことは一切なかったが、ドリは破壊王でとにかく手当たり次第にその巨体を使って破壊して回っていた。襖を破り障子を破り、柱に傷をつけ、花壇を掘りまくりと手に負えないことが多かった。

 愛護センターからやって来たせいか、びっくりするほどおとなしかったテオは、近頃はだんだんイタズラ坊主としての才能を開花させつつあるようで、どうせならトトに似てくれればと思うものの、そう簡単にはいかないようだ。

 最初に始めたイタズラは、花壇を掘り起こすことだ。あちこちに自分が入れるくらいの穴を開け、植わっていた植物を絶滅させる勢いである。花壇に入れなくすると、とにかく土が露出しているところなら、どこでもとりあえず掘ってみなければ気が済まない様子で、いつも鼻の頭を真っ白にしている。

 テオにかじられて犠牲になったスリッパの数も、かなりの数に上る。なにやら黒い物体を口にくわえていると思えば、ヘッドホンのコードを引きちぎり、布団の上で暴れたと思えば土を掘り返すように前足でひっかく。今朝はトイレに起き戻ってくると、テオがクッションを破り、その中からクッションの中身を全部取り出し、部屋中にぶちまけているではないか。これにはさすがに呆然となった。動画に撮ればお金になりそうなほどだ。

 さて、こういう時は多くの親や飼い主と同じく、いたずらに対して笑うしかない。笑わなければ怒りが爆発するからである。我が家の暴れん坊将軍は、次は何をやらかすのだろうか。

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宮殿

2019-10-23 11:43:23 | 日記

 昨日、天気も大荒れで外出する気分にならなかったので、テレビで見るとはなく「即位礼正殿の儀」を見ていた。何が行われているのかはよくわかなかったが、新たな天皇が内外に対して即位したことを宣言する儀式のようだ。

 平安時代の絵巻物を見ているような格好をした人たちが、しずしずと実に厳かに移動している。僕のような粗忽者にはとても務まりそうにない。御付きの者たちは宮内庁の人たちだろうか。間違って着物の裾を踏んでしまわないだろうかとか、自分の裾を踏んででんぐり返しをしたら一生一代の恥だろうなとか、どうでもいいことばかり頭に浮かぶ。

 そんな中、目を引いたのは宮殿の質素さだった。現在の宮殿は明治時代に焼失した宮殿跡に建てられ、1969年から使われているらしい。宮殿と言えば、西洋のきらびやかなお城だとか、イスラム圏のモザイクがあしらわれた宮殿だとか、トルコあたりの金ピカのものを想像してしまうが、それに比べると日本の宮殿の装飾を極力排除した宮殿は、体育館のように殺風景だと言えば殺風景だが、質素で神秘的で、いかにも日本を象徴する建物のような気がする。そして、即位を宣言した後も紙吹雪が舞うわけでも、楽団が壮大に演奏を始めるわけでもない。そういう映像をテレビで観ていて、あそこに出席している外国のお偉い人たちは何を感じただろうと想像した。

 制度として天皇制がどうとかこうとか、いろいろ意見があるのかもしれないが、僕はあの宮殿の佇まいに、世界にはない日本人の個性を強く感じた。

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なんでもない一日

2019-10-22 10:52:43 | 福島

 日曜日に車の定期点検があり、月曜日は定休日、そして今日は天皇の即位の礼があるからというわけではないが、カフェの衣替えもやりたかったので臨時休業とした。おかげで久しぶりの三連休でのんびり過ごすことができている。もっとも天候はさえず、テオを連れて小旅行にでもと考えていたが取り止めにした。

 というわけで、朝から雨の中を散歩に出た後は、カフェのクッションを交換したり、スリッパを片付けたり、テーブルクロスを夏仕様から秋冬仕様に変えたり、石油ストーブやファンヒーターを使えるようにしたり、加湿器をセットしたりと、雑用に追われた。

 ひと段落ついたので、豆をカリカリと挽き、美味しいコーヒーを入れてまったりと休日を過ごす。最近撮った写真をパソコンに取り込んだので、ついでにアップすることにした。

 稲刈りも進み、田んぼには稲わらが整列している。

 テオは相変わらず食が細くニョロニョロしているが、体重は生後10カ月にしてようやく12キロを超えた。

 近所に会津から引っ越して来たお宅があり、それまで立派な庭があったところをすべて家庭菜園にした。畑の土もどこからかダンプで運んで来て、本格的だ。あんまり出来がいいので、自宅前に小さな小さな無人販売所みたいなものまで作った。そこの庭を散歩で通りがかると、トイプードルのアズキちゃんが立ち上がって挨拶してくれる。また一軒、犬を飼う家が増えたので、散歩の時に立ち寄る場所が増えたアベさん御一行だ。

 秋の夕方は日が暮れるのが早い。東北は特に早く、午後四時半には陽が落ちる。

 野原に広がるのは、黄色いセイタカアワダチソウの花と黄金に輝くススキの穂。そんなこんなで一日が終わっていく。

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