いよいよ今日で2022年が終わる。と言っても、暦は自然界には存在せず、人間が勝手に使っている尺度に過ぎない。1年間というサイクルがあるように感じているのは暦を見ているからで、人間以外の生物がどんな時間軸で生きているかは想像できない。渡鳥だとか春になると花開く桜なんかを見ていると、ちゃんと季節を感じて、自然のサイクルの中で暮らしているようにも思えるが、もしかしたらただ過去から未来に真っ直ぐに伸びている時間があるだけかもしれない。
「未来」という言葉は、字面の通り「未だ来らず」という意味である。未だ来ないことに関してああだこうだ言うと、昔から「鬼が笑う」と言っていた。が、テレビを見ていると、来年の経済はこうなる、政治の世界はああなる、世界はこんなふうになるという未来予測が盛んだ。が、予測している人たちだって、本気で未来を予測しているとは考えていない。ただ今手元にあるデータを参考に、このまま行けばこうなるだろうと意見を言うだけで、自然災害や突発的な事故などは考慮に入れられていないので、未来予測は外れるのが当たり前なのである。巨大地震がいつ発生するか、それがわからないのに、未来の姿を描くことは絵に描いた餅である。
そうした未来予測の中で、割と正確なものがひとつだけある。それは人口動向である。今年70万人生まれた子供たちが、1歳の時には100万人になっていた、ということだけは絶対にない。どれだけ減るかは自然災害や戦争などの人為的災害で変わってくるが、増えることはあり得ない。
そう考えると、いろんな政策はすべてこの間違いの少ない人口動向から立てるのが理にかなっているということは一目瞭然だ。が、これだけ少子高齢化が叫ばれ、今後どういう人口ピラミッドになるのかはっきりしているのに、ほとんど指を咥えて見ているだけの政治では、日本国民は最後には自分で自分のことは守らなければならなくなるだろう。
このところずっとドナルド・キーンさんが書いた伝記「明治天皇」を読んでいる。江戸末期から続いた内戦が終わり、日本はほぼ何もない状態から世界に追いつかなければならなかった。小中高などの学校を日本中に作り、郵便局を全国に作り、銀行を作り、ガス水道電気のインフラを整備し、鉄道も走らせなければならなかった。それにどれだけお金がかかったのか。想像することもできないほどだが、当時の日本は海外からの借金をせずにやり遂げた。外国からの借金は、いずれ植民地化されるというアメリカからのアドバイスを受け、さまざまな国からの援助を断り続けた。
そういう史実を読んでいると、古い水道管を新しくすることさえできず、高速道路や日本中の橋の老朽化もお金がなくて手が打てないというニュースを聞くと、明治維新の時よりも今の日本は貧乏になったのだろうかと思ってしまう。これからの社会は、いよいよ住みにくくなってしまうのだろうか。
さて、来年の世の中のことはわからない。が、こうしたいという自分の夢ははっきりしている。未だ来ない明日のことを心配している前に、やるべきこと、やりたいことは今日ならいくらでもできる、ということは心に留めておくのが大切だ。
「未来」という言葉は、字面の通り「未だ来らず」という意味である。未だ来ないことに関してああだこうだ言うと、昔から「鬼が笑う」と言っていた。が、テレビを見ていると、来年の経済はこうなる、政治の世界はああなる、世界はこんなふうになるという未来予測が盛んだ。が、予測している人たちだって、本気で未来を予測しているとは考えていない。ただ今手元にあるデータを参考に、このまま行けばこうなるだろうと意見を言うだけで、自然災害や突発的な事故などは考慮に入れられていないので、未来予測は外れるのが当たり前なのである。巨大地震がいつ発生するか、それがわからないのに、未来の姿を描くことは絵に描いた餅である。
そうした未来予測の中で、割と正確なものがひとつだけある。それは人口動向である。今年70万人生まれた子供たちが、1歳の時には100万人になっていた、ということだけは絶対にない。どれだけ減るかは自然災害や戦争などの人為的災害で変わってくるが、増えることはあり得ない。
そう考えると、いろんな政策はすべてこの間違いの少ない人口動向から立てるのが理にかなっているということは一目瞭然だ。が、これだけ少子高齢化が叫ばれ、今後どういう人口ピラミッドになるのかはっきりしているのに、ほとんど指を咥えて見ているだけの政治では、日本国民は最後には自分で自分のことは守らなければならなくなるだろう。
このところずっとドナルド・キーンさんが書いた伝記「明治天皇」を読んでいる。江戸末期から続いた内戦が終わり、日本はほぼ何もない状態から世界に追いつかなければならなかった。小中高などの学校を日本中に作り、郵便局を全国に作り、銀行を作り、ガス水道電気のインフラを整備し、鉄道も走らせなければならなかった。それにどれだけお金がかかったのか。想像することもできないほどだが、当時の日本は海外からの借金をせずにやり遂げた。外国からの借金は、いずれ植民地化されるというアメリカからのアドバイスを受け、さまざまな国からの援助を断り続けた。
そういう史実を読んでいると、古い水道管を新しくすることさえできず、高速道路や日本中の橋の老朽化もお金がなくて手が打てないというニュースを聞くと、明治維新の時よりも今の日本は貧乏になったのだろうかと思ってしまう。これからの社会は、いよいよ住みにくくなってしまうのだろうか。
さて、来年の世の中のことはわからない。が、こうしたいという自分の夢ははっきりしている。未だ来ない明日のことを心配している前に、やるべきこと、やりたいことは今日ならいくらでもできる、ということは心に留めておくのが大切だ。