おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

未来のこと

2022-12-31 11:45:44 | 日記
 いよいよ今日で2022年が終わる。と言っても、暦は自然界には存在せず、人間が勝手に使っている尺度に過ぎない。1年間というサイクルがあるように感じているのは暦を見ているからで、人間以外の生物がどんな時間軸で生きているかは想像できない。渡鳥だとか春になると花開く桜なんかを見ていると、ちゃんと季節を感じて、自然のサイクルの中で暮らしているようにも思えるが、もしかしたらただ過去から未来に真っ直ぐに伸びている時間があるだけかもしれない。

 「未来」という言葉は、字面の通り「未だ来らず」という意味である。未だ来ないことに関してああだこうだ言うと、昔から「鬼が笑う」と言っていた。が、テレビを見ていると、来年の経済はこうなる、政治の世界はああなる、世界はこんなふうになるという未来予測が盛んだ。が、予測している人たちだって、本気で未来を予測しているとは考えていない。ただ今手元にあるデータを参考に、このまま行けばこうなるだろうと意見を言うだけで、自然災害や突発的な事故などは考慮に入れられていないので、未来予測は外れるのが当たり前なのである。巨大地震がいつ発生するか、それがわからないのに、未来の姿を描くことは絵に描いた餅である。

 そうした未来予測の中で、割と正確なものがひとつだけある。それは人口動向である。今年70万人生まれた子供たちが、1歳の時には100万人になっていた、ということだけは絶対にない。どれだけ減るかは自然災害や戦争などの人為的災害で変わってくるが、増えることはあり得ない。

 そう考えると、いろんな政策はすべてこの間違いの少ない人口動向から立てるのが理にかなっているということは一目瞭然だ。が、これだけ少子高齢化が叫ばれ、今後どういう人口ピラミッドになるのかはっきりしているのに、ほとんど指を咥えて見ているだけの政治では、日本国民は最後には自分で自分のことは守らなければならなくなるだろう。

 このところずっとドナルド・キーンさんが書いた伝記「明治天皇」を読んでいる。江戸末期から続いた内戦が終わり、日本はほぼ何もない状態から世界に追いつかなければならなかった。小中高などの学校を日本中に作り、郵便局を全国に作り、銀行を作り、ガス水道電気のインフラを整備し、鉄道も走らせなければならなかった。それにどれだけお金がかかったのか。想像することもできないほどだが、当時の日本は海外からの借金をせずにやり遂げた。外国からの借金は、いずれ植民地化されるというアメリカからのアドバイスを受け、さまざまな国からの援助を断り続けた。

 そういう史実を読んでいると、古い水道管を新しくすることさえできず、高速道路や日本中の橋の老朽化もお金がなくて手が打てないというニュースを聞くと、明治維新の時よりも今の日本は貧乏になったのだろうかと思ってしまう。これからの社会は、いよいよ住みにくくなってしまうのだろうか。

 さて、来年の世の中のことはわからない。が、こうしたいという自分の夢ははっきりしている。未だ来ない明日のことを心配している前に、やるべきこと、やりたいことは今日ならいくらでもできる、ということは心に留めておくのが大切だ。
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つきたてを食らう

2022-12-30 12:09:20 | 福島
 いよいよ年の瀬が迫り、大掃除も最後の拭き掃除をする。高いところや電灯、棚やタンスの上の埃をきれいにして、とりあえず終了。あとは冬が終わって暖かくなってからだ。大掃除が終わると、次は今年休まず続けてきた習字の練習をする。ほぼ1日も休まずこの1年間続けてきたことに、我ながら感心する。若い頃と違ってあちこちへ興味の対象が目移りすることがなくなったので、決めたことをやり続けるというのはそんなに難しくない。これも老人力のひとつなのだろう。

 お昼前に、昨夜から水に浸けておいたもち米を、自動餅つき機にセットしてスイッチオン。すぐに蒸気が立ち上がり、しばらくするとブザーが鳴る。もち米が蒸し上がると、すぐに餅つきのスイッチを入れると、もち米の入った釜がグルグルと回転を始める。餅つきとは名ばかりで、これでは餅回転なのである。

 10分もすれば米粒は消え、滑らかな肌の白い塊が、盛り上がりながら回転する。そろそろできたかなとスイッチを切り、すぐに片栗粉を撒いた平らな容器にひっくり返す。ここからが勝負で、熱いうちにどんどん丸めて行き、引っ付かないように片栗粉をまぶす。

 餅の形が日本の東と西で違うのは有名だ。東が切り餅、西が丸餅。切り餅の場合は丸めるのではなく、容器に平たく伸ばし、表面が少し固くなるのを待って包丁で切る。大きさが均等になるということでは切り餅だが、みんなで丸める楽しさということでは丸餅だ。我が家では僕の好みで丸餅にする。というか、切り餅ではなんとなく機械的で味気ない感じがする。



 で、つきたての餅はすぐに大量の大根おろしの中に投入する。ここにポン酢を入れて食べると、さっぱりしていくらでも食べられるのである。うまいうまいと三つほど食った後、昨夜の残りのすき焼きがあったので、その中に入れて温める。箸でぎりぎりつかめるくらいのところまで熱したところをすき焼きと一緒に食うと、これがまた格別だ。

 で、結局つきたての餅を5個ほど食った。食うというより食らうと言ったほうがいいような食いっぷりだ。ああ、胃袋がちぎれる。
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2022走り納め

2022-12-29 11:52:19 | 福島
 ここ二日間ほど天気が良かったので、大掃除をやった。風呂掃除をし、台所のシンクやレンジ、換気扇をきれいにしたので、とりあえず1番大変なところは終わった。今日は一日曇りか雨になっていたので、午前中は大掃除はやめて今年最後の走り納めをすることにした。



 風は強いし、時折氷雨が舞う中、いつも通りのコースを走る。天気が悪いので長い距離は難しいと思い、途中のチェックポイントまで全力で走り、記録更新を狙った。が、向かい風にちっとも前に進まず、チェックポイントの40分2秒を超えられず、タイムは41分2秒だった。

 ここまでで全力を使い果たしたので、それからは低体温症で意識障害にならない程度にのんびり走る。汗がひく前に頑張って走り、汗をかいてきたら写真撮影をしながらのジョギングだ。



 頭の上をグアグア鳴きながら、白鳥の編隊が飛んで行く。白鳥の休憩している阿武隈川のポイントに差し掛かると、数は少ないが白鳥が首をすくめて休んでいた。



 筋力を増強する目的なら、中三日くらいで運動するのがいいそうだ。毎日精を出すと、かえって筋肉が回復できずに痩せ細るらしい。僕の場合、去年までは良くて週一、用事がある場合や悪天候もあって、2週間くらい間があくことはザラだった。が、今年は中5日、悪くても週一くらいのペースで走ったので、少しだけ前よりは走れるようになった気がする。

 歳を取る分、体力は低下しているはずだから、年々速く長く走れるようになっていることに、我ながら大したものだと感じている。さて、来年はどんな年になって行くのやら。
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政治家になるのに試験がない

2022-12-28 11:44:58 | 日記
 テレビをつけると、岸田さんが復興大臣を更迭したというニュースが流れていた。ついでに「LGBTは生産性がない」と発言した政務官もクビになった。復興大臣というのは、昔からある役職ではない。2011年に起きた未曾有の東日本大震災から日本が立ち直るために設置された省庁だ。その頃は民主党が政権をとっていたが、復興大臣というのは最初からグダグダだ。大きな顔をして県知事に「大臣を待たせるとは何事か」と説教した大臣がいたり、「震災が東北で良かった」と発言した大臣がいたり、そして今回は政治と金で辞めることになった。その顔ぶれを見ていると、復興大臣というのは大臣の中でも1番責任のない役職で、力不足の政治家がどこも務まらないのでとりあえず復興大臣にしておくか、という決め方をしているのだろう。同じくらいいるのかいないのかわからないのが、少子化担当大臣と沖縄・北方担当大臣である。

 昔は「末は博士か大臣か」というくらい、出世の頂点にある役職だったが、最近は使い物にならない人材が任命されるのが大臣ポストになっているようだ。なぜこんなことになるのかを考えてみると、大臣もそうだが政治家になるのに、試験や資格(年齢は置いといて)が必要ないというのに大いに問題がありそうな気がする。選挙で選ばれたのだから、民意を反映しているとは言うが、選挙で選ぼうにもその人がどんな人かもよくわからずに選ばなきゃならないのだから、本当にそれが民意なのかと言いたくなる。民意を反映すると言う前に、とりあえず人間として、政治家として最低限の素養は持っていて欲しいと思う。

 もっとも難しい試験に通って来た官僚やお役人にしても、与えられた問題を解くことに特化した勉強しかして来ていないので、目の前で起こっていることのどこに問題があるのか、ということに関しては無力な場合が多い。「正しく質問することが、即ち正しい答えを導くことだ」とは言われることだが、どこに問題があるのかを正しく認識していなければ、いくら優秀な頭脳を持ってしても正しい答えにはたどり着けないだろう。政策に効果がないとか逆効果になっている、というような時には、問題の立て方自体が間違っているから妙な方向へと進んで行ってしまう。

 
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大掃除に思う

2022-12-27 12:16:58 | 福島
 昨日からぼちぼち大掃除を始めた。天気予報では、昨日今日の二日間は晴れ間が広がるとのことで、それを逃すと荒れた天気の中のまま年の暮れを迎えるということになりそうだったからだ。

 というわけで、昨日は風呂掃除をした。我が家の風呂はユニットバスなんてホテルみたいなお風呂ではなく、壁や床がタイル張りの昭和な風呂なのである。だから、半年もするとタイルの目地に黒いカビが目立つようになる。この10年、何度徹底的に磨き上げたかわからない。磨くだけでは足りず、天井やタイルより上の壁は、お風呂用のペンキで2度塗り直した。

 脚立を風呂に持ち込み、上を向いて天井や壁を磨く。這いつくばってタイルの目地をゴシゴシこする。最後にシャワーのお湯を天井から壁から床にかける。浴槽を磨く。お風呂の椅子を磨く。シャワーのホースを磨く。あっという間に時間が過ぎる。

 今日は青空は広がっているが、強風が吹き荒れている。家中の窓やサッシを掃除する予定だったので、外に出て脚立で高い所からガラスを磨き始める。邪魔な網戸を外しておいたら、強風で吹き飛び、あわあわと大慌てだ。

 で、あっという間に時間が経ったので、あとは明日からに回すことにする。一気にやるとどうしても飽きてしまって、僕の性格上、手を抜き始めるのである。

 それにしても、身の回りをきれいにしないと年を越せないというのは、どう考えても宗教の影響を受けているとしか思えない。大掃除なんて、欧米のように暖かい春になってからするのが理にかなっている。わざわざ雪が舞う中、水を使って掃除をするなんてバカみたいである。

 サッカーワールドカップで、日本のサポーターがスタジアムの掃除をしたという行為が、世界的に評判を呼んだ。日本人が清潔好きだとか、子供の頃からそういう教育を受けているといった理由が紹介されていたりしたが、そもそも小学校から生徒が教室の掃除をしたり、給食の配膳をしたりするのは、清潔好きというよりも、禅の教えを学校教育が取り入れた結果である。

 天下国家を論じるのだから、身の回りの些細なことにはかまってられない、という人もいるだろうが、禅の教えでは身の回りのこともできない人間に天下国家を論じることなどできないという。だから、早起きしてお堂の掃除をしたり、食事の支度をしたりということが、そのまま修行だということになっている。こうした教えを聞くと、子育ては奥さんに任せっきりで、子育て支援の政策を考えている政治家や官僚には禅の精神は根付いていないのではないかと思ってしまう。

 小学生に掃除や配膳をやらせているのだから、国会でも政治家が掃除をしたり食事の配膳をしたりすればいいと思う。
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クリスマスという日

2022-12-26 11:32:55 | 日記
 1日の始まりはいつかと言われれば、多くの人は目が覚めた時をもって1日の始まりと思うんじゃないだろうか。中には午前0時をもって日付が変わるから、そこが1日の始まりだと言う人もいるかもしれないが、夜遅くまでテレビを見ていたら、午前0時をもっていきなり1日が終わり、1日が始まるといった気持ちの切り替えはできないように思う。

 そういうことを踏まえると、今のように電気のなかった昔の人が感じていた1日は、日没をもって終了というふうだったかもしれない、というのは想像できる。1日の終わりが日没までということになると、翌日が始まるのは日没からということになる。

 どうしてこういうことを書いているかと言えば、クリスマスイブがなぜ25日ではなく、24日だということを説明するためである。クリスマスイブというのは、クリスマス・イブニングの略である。日本語にすればクリスマスの夜だ。それが24日だというのは、24日の日没をもってクリスマスが始まり、25日の日没をもってクリスマスが終わるということである。

 ということがわかると、クリスマスイブのことをクリスマス前日なんて勘違いをすることはないのだが、今でも23日のことをクリスマスイブイブなんて言う人がいてビックリする。それが冗談ならいいのだが、Yahoo!ニュースの記事でもイブイブなんて表現していたので呆れてしまった。

 イギリスではクリスマス前後の三日間は、銀行もお店もみんな閉店するという。だから、クリスマス期間中は、家で過ごすしかなくなる。従って自然と家族と過ごすということになる。家族と過ごしたいからクリスマス期間中が休みになるのか、クリスマス期間中はどこも営業していないから家族と過ごすことになるのか、僕はイギリス人じゃないのでわからないが、とにかくそういうことになっているらしい。だから、イギリス人にはクリスマスを恋人と過ごす習慣というのはほとんどないらしい。

 日本ではクリスマスで盛り上がるのは24日の夜である。クリスマスイブをクリスマス前夜祭みたいに言いながら、25日のクリスマスになると途端にクリスマスケーキの安売りなんかが始まり、お祭りの後の雰囲気になる。多くの欧米人は、そんな日本のクリスマスを見て、一体何を祝っているんだろうと不思議になるらしい。が、日本人はクリスマスに何を祝っているわけではない。ただケーキを食ってプレゼントが欲しいだけなのである。ハロウィンに何を祝うでもなく、ただ仮装したいだけなのと同じで。
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テオくん、4歳の朝

2022-12-25 11:18:03 | 福島
 クリスマスの朝、起きるとまず「テオくん、4歳の誕生日おめでとう」と声をかけた。今日、12月25日で、テオは満4歳になった。



 そもそも野良犬の子で、愛護センターから譲り受けたテオの誕生日はわからない。譲り受けたのが2月で、その時に生後2ヶ月から3ヶ月という話だったので、覚えやすいクリスマスをテオの誕生日と決めた。

 2018年3月、トトが16歳8ヶ月で死に、同じ年の11月、ドリが13歳半で死んだ時、しばらくは犬を飼うことはないだろうと思っていた。ところが年明け早々に、時々散歩で会う愛護センターで仕事をしている知人から、「子犬が3匹保護されてきているので、近々譲渡が発表されるからネットを注意しておいたほうがいい」と教えられた。犬を飼う気はなくても、どんな子犬か気になるので、毎日のようにチェックしていたら、ある日タミちゃんが子犬が出ているのに気づいた。

 その時の3匹のうちの1匹がテオで、兄弟が茶色だったのにテオだけが真っ黒で、そのとぼけた顔にタミちゃんも僕もすぐに引き取ることを決めた。当時は早い者勝ちだったため、翌朝早々事務所が開くのを待って電話したら、僕が一番乗りでその黒犬を引き取ることが決まったのだった。

 さて、やってきたテオはとんでもなく臆病な犬だった。別の言い方をすれば神経質で感情をあまり表さない犬だった。野良犬が産んだ子供で、愛護センターの人が捕まえに行ったが母親だけ捕まらなかったということなので、母親から引き離されたせいで、人間に対して不信感や恐怖感を持っていたのかもしれない。あるいは母親から、人間に近寄ると危険だと教えられていたのかもしれない。





 そんなテオだが、少しずつ人間に慣れながら、4年が経過した。今だに誰かが頭を撫でようとすると、スッと後ずさってしまうところは変わらないが、それでもソッポを向いていたりすると、自分から寄って行くようにはなったので、進歩の跡は見られる。それだけ大人になったということだろう。

 この4年間、朝晩の散歩は一度として欠かしたことはない。今日もクリスマス寒波の中、夜明けとともに一緒に出かけた。これからも毎日、槍が降ろうと爆弾が落ちようと、せっせと一緒に散歩に行くつもりだ。
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習字初心者の1年

2022-12-24 08:48:38 | 日記
 去年の暮れ、一念発起して習字を始めた。昔から、字の下手くそさだけには自信があった。それが最近ではキーボードでしか文字を書かないので、ペンを持って書こうとすると、キーボードを打つ早さで文字が書けないと、脳みそのほうがどんどん先に行ってしまうため、手書きの文字が文字でなくなってしまっていた。このままでは、葬式などで人前で字を書くことができなくなるんじゃないかと、我ながら心配になってきたので、この歳になって始めたのである。気分は寺子屋の小僧だ。

 普通なら「習い始めた」と言うところだろうが、僕の場合、独学でただお手本を見ながら真似して書いているだけなので、習っているとは言えない。黙々と字を白い紙に写しているだけである。絵で言うなら、石膏デッサンに励んでいるというのと同じだろう。

 最初は文字を書く前に、横棒1本だけを繰り返し書き、その次には縦棒1本を納得行くまで書くというようなことを続けた。それが終わると、ハネだったりハラいだったり、止めだったり、部分部分の部品の練習だ。その後はお手本にと買ってあった習字の本に載っていた「風」だとか「然」だとか「春」だとかを練習した。

 習字を始める前は、まずひらがなから始めるのだと思ったら、ひらがなは漢字より筆遣いが難しいらしい。例えば「あ」とか「の」とかを書くのに、円を書くように筆をぐるっとひと回りさせなければならない。そういう書き方というのは漢字にはない。おそらくそれは文字の誕生と関係していて、漢字は最初は骨だの板だのに刻みつけるところから始まったので、曲線で表現するのは大変だったに違いない。その点平仮名は、漢字を中国から輸入した後日本で発達したので、最初から筆で書くことを前提に生まれたからである。

 平仮名はまず「あ」「い」と順番に「ん」まで書いた。その後は「いろは」とある程度まとめて書いた。





 ここまでで約半年かかった。平仮名は50音(いろはなら48文字)しかないから、ひととおり書いてしまえば、再び漢字の練習だ。こっちは何万字と限りなく多いのだ。



 そろそろ習字を始めて1年が経とうとしている。1年前よりもだいぶ上達したとは思うが、毛筆でスラスラと手紙が書けるというところまで行くには先は長い。毎月1000枚ずつ書いているが、あと何万枚書けば物になるだろう。



 そんな四苦八苦している姿を、アンが高みの見物を決め込んでのぞき込む。
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山が白くなる

2022-12-23 11:05:33 | 福島
 週末はクリスマス寒波がやって来るという。雪か冷たい雨が降るというので、今日はランニングしてこよう。で、天気予報を見ると、晴れ間は広がる模様だが、最高気温3度、おまけに風速5メートル程度の強風が吹くという。となると、体感気温は氷点下まで下がるかもしれない。

 途中で低体温症なんてことになったら、意識障害を起こしかねないので、いつもより1枚Tシャツを重ね着していくことにした。帽子を被り、風が強いようならウインドブレーカーのフードを被る。手には防風用の手袋を装着していくので、寒さ対策はバッチリだ。



 スタートしてしばらくは、空はどんより曇ったままだった。体は温まらないし、地面を伝ってくる冷たさで足の先が痺れて来るようだ。とにかく体が温まるまではと全力で走って汗をかく。0度に近い気温で汗だくだくになっているのは僕くらいのものだろう。



 次第に雲が晴れ、安達太良山が姿を現した。すでにふもとの方まで雪化粧している。今年はすでに何度か白くはなったが、しばらくするとすっかり雪が溶けてしまうということを繰り返していた。今回ばかりは白いまま、来年の春までその姿を保つんじゃないかと思う。



 安達太良山だけでなく、周囲の低山もみんな白く雪化粧している。ぐるっと見渡す限り白い山々というのは、北国ならではだろう。

 今日は頑張ってハーフマラソンの距離を走ろうと、時間も測っていたが、あと5キロちょっとというところまで来ると河川の工事で通行止めになっていて、警備員が立っていた。「橋を渡りたいんですけど」とお願いすると「どうもすみません」という返事。仕方がないので、そこでコース変更したが、ぐるっと大回りになるか近道になるコースか二者択一となり、結局少しだけ短いコースを通って帰ることにした。家に帰ってスマホの万歩計を見ると、移動距離は18.5キロになっていた。ハーフマラソンには残念ながら3キロ足りなかった。次回は、遠回りのコースを選択するしかないかな。
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クリスマスを待つ猫、跳ね橋の完成

2022-12-22 11:53:02 | イラスト
 NHKの「ダーウインが来た」という番組で、「星野道夫が見たトナカイ」というタイトルで放送していたので、予約録画しておいた。写真家星野さんの写真は、写真で数多く見ているし、文章も全集を買って読んでいる。だから、今更テレビで紹介されたものを見ても、すでに知っていることばかりなのだが、それでも久しぶりに見る星野さん関連の番組だっただけに、見ないという選択肢はなかった。

 時間が空いたので、録画しておいた番組を再生すると、星野道夫さん生誕70周年を記念して、改めて星野道夫さんが追い求めたトナカイの群れをNHKが撮影に出かけていた。番組ではトナカイと言っているが、星野さんはカリブーと呼ぶ。おそらくそれがアラスカでの呼び名だ。星野さんはアラスカを中心とした北国の動物や風景、人物を被写体としていたので、カリブーのほかにも、ムースだのグリズリーだの、ホッキョクジリスだのホッキョクグマだの、いろいろと北国の動物のことを知ることができた。

 さて、番組が始まると、すぐにサンタさんが登場した。トナカイと言えばこの時期サンタクロースということなのだろう。すると、動物番組が大好きなアンが、テレビの前の自分の指定席に着くと、食い入るように画面を見ている。アンは動物だけではなく、サンタクロースにも興味があるのだろうか。サンタの存在を覚えたとすると、今年のクリスマスには何かプレゼントを用意しなければならないだろう。

 ちなみに、クリスマスは覚えやすいようにと愛護センターから貰い受けてきたテオの誕生日とした。当然、テオにもクリスマスプレゼントをするつもりだ。



 天気予報では気温が上がると言っていたので、今日はランニングに出ようと思っていたら、朝から本格的な雨が降り続いている。仕方がないので明日に延期することにして、この前から描いていた「アルルの跳ね橋」を完成させることにした。



 パロディーにはしないつもりが、結局画面の中に、テオとアンを描き込んだ。そのつもりで見ないと、気が付かれないかもしれない。
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