おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

今日もヤマガラちゃん

2024-02-29 10:45:56 | 福島
 昨日に引き続き、朝から絵を描いている。が、なかなか思うように進まず、途中で席を立つとあっちをうろうろこっちをうろうろしている。外は天気がいいので走ってこようかどうしようか迷っているが、絵を完成させる方が先かなと思いとどまり、あっちをうろうろこっちをうろうろしている。



 気分転換にテラスに出ると、少し先に梅の花が咲いているのが見える。昨日は散歩の時に道端の梅の枝を少しだけ折って持ち帰り、花瓶に挿してみると、たちまち家の中が春の気分に包まれた。

 裏の空き地には、今日も野鳥がやって来ている。カラスやスズメ、ヒヨドリは年中来ている。同じように年中いてもあまり顔を見せないのがキジバトだ。鳴き声だけはボーボーと聞こえてくるが、不思議と姿を見せない。



 カワラヒワも年中いるが、黄色いお腹とエビの尻尾みたいなもの尾翼とコロコロという鳴き声が可愛い。



 植物の種を食べに来ているのか、それとも地面にいる虫を食べているのか、シジュウカラが熱心に地面に向かっている。



 ヤマガラは今日もつがいでやって来ている。ヤマガラの好物は我が家のエゴノキが地面に落とした実で、これをひとつ咥えると近くの木の枝へと止まり、そこでコツコツと木の枝にぶつけて中身を出している。



 いろんな野鳥がやって来るが、やはり我が家のマスコットはヤマガラちゃんだ。ダントツに可愛い。


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窓辺に座り

2024-02-28 10:31:15 | 福島
 今日は朝から青空が見えている。ランニングに出るチャンスかと思ったが、強風が吹き荒れ、とても走る気になれない。ただでさえ冬に逆戻りなのに、強風に逆らって走るなんて、低体温症になりかねないのである。というわけで、軟弱なアベさんは潔くランニングは中止することにした。

 その代わり、今日は絵を描くつもりにしていたので、朝食後はせっせと絵を描いている。墨をたっぷりの水で薄めて描いているので、時々乾くのを待たなければ筆を進めることができなくなる。窓辺に座り、寒そうな外を眺めて時間を潰す。この前買った望遠鏡で、バードウオッチングを楽しむ。

 寒いし風は強いし、野鳥はどこか木陰に避難しているかと思いきや、こんな中でも空高くカラスが飛んでいる。風に吹き飛ばされ、クルクル回っているのは、案外強風を楽しんでいるんじゃないかと思う。



 裏の空き地に、冬の間居ついているジョウビタキのメスがやって来る。ジョウビタキの特徴は、羽のところに白い斑点があることだ。お腹から背中にかけてオレンジ色。オスは黒い顔をし、メスは灰色だ。幼鳥も顔は灰色だが、オスの場合歳を重ねるとどんどん濃くなっていく。



 ジョウビタキと同じようにオレンジ色が目立つのはヤマガラだ。



 名前に「カラ」が付くので、シジュウカラやヒガラなどと同じカラ類。ジョウビタキのような羽の白い斑点がなく、シジュウカラのように黒いヘルメットを被ったような頭が特徴だ。オスメスの区別は僕には付けられない。ただし、我が家にやって来るときは、つがいの場合が多い。



 僕が子供の頃には、神社に行くとヤマガラがおみくじを持って来るという仕掛けがあり、小銭を入れるとヤマガラが登場し、奥に引っ込むと嘴におみくじを加えて戻ってきた。警戒心が薄く人にもなつくので、芸を教えることができたのだ。そんなわけで、ヤマガラはこちらがじっとしていると、足元までやって来てくれることがある。



 冬になると、ツグミも頻繁に現れる。名前は可愛いが、姿は地味で可愛くはない。

 写真には撮り損なってしまったが、撮影中にシメもやって来た。シメの顔は歌舞伎役者の隈取りみたいに強烈だが、観察しているとブサイクなところがなんとも愛嬌がある野鳥だ。
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冬の海辺

2024-02-27 11:43:49 | 日記
 池内紀さんの晩年の本を2冊読んだので、元気だった頃の本を読み返したくなった。本棚を探すと、「ひとり旅は楽し」と「海山のあいだ」の2冊があった。池内さんの本はずいぶん読んだと思ったが、ほとんどが図書館で借りていて、手元にはこれだけしかなかったのだ。もうちょっと買ってあげれば良かったなと、今更ながら思うのである。

 で、あらためて「ひとり旅は楽し」を読む。2回ほど読み返しているが、細かいところはすっかり忘れているので、新鮮な気分で読んでいる。その中に「海辺は冬がいい」という章があって、頭の中で冬の海を空想してみたりしている。

「海辺は冬がいい。電車がすいている。宿がすいている。砂浜にはひとけがない。大気が澄んでいて、広大な海と空をひとり占めにできる」
「引き上げられた漁船のそばの陽だまりに、おやじたちがしゃがんで世間話をしている。なぜかみんな、ねじり鉢巻に長靴だ。陽なたぼっこにも、ねじり鉢巻をしないと落ち着かないらしい」

 これだけ読んで、すっかり冬の海にいる気分になる。そんな中、吉田一穂という詩人の詩が紹介されていた。それは「魚歌」という風変わりな詩で、漢字が18文字並んでいるだけ。

 鳥跡汀
 拾流木
 焼魚介
 勺濁酒 
 濤聲騒
 波蝕洞

 意味はわからないが、字面を見ているだけで海の様子がありありと蘇ってきて面白い。

 吉田一穂という人がどんな人か知らないので、ネットで調べてみると、北海道の積丹半島に詩碑があるという。どこかの網元の息子として生まれ、積丹半島に住み着いたらしい。積丹半島には北海道一周した時に立ち寄ったが、吉田さんという人を知らなかったので、詩碑のことも当然ながら知らずに通り過ぎてしまった。知識がないというのは、なんとも悲しいものだ。この世は知識の量によって、広くなったり狭くなったりする。若い頃に勉強したことは、社会人になったら役に立たないというが、そう言う人のいる世界が絶望的に狭いということに、当人はまるで気づいていないものだ。

 「魚歌」は字面だけ見ていても十分だが、吉田さん自身がこういうふうに読んだという記録がある。

 鳥たつ跡の海べに  
 うちあげられし流木を拾い 
 魚を焼きて
 にごり酒ひとりしくめば
 夕波の声もおどろに波さわぐ   
 ほこらにひびく波の音

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とりあえずやってみる

2024-02-26 10:06:17 | 日記
 再生可能エネルギーの話が出始めた当初から、僕はなぜ日本で地熱発電が話題にならないのか不思議だった。そもそも石炭や石油に頼る火力発電でも、原子力を利用する原発でも、やっていることは同じで、お湯を沸騰させて蒸気の力でタービンを回すというものだ。だったら最初から湧いたお湯を使えばいいと思うのだが、太陽光発電は流行しても地熱発電の話はちっとも聞かなかった。

 が、昨日Yahoo!ニュースで地熱発電の記事が出ていると思ったら、今朝のワイドショーでも地熱発電が取り上げられていた。なぜニュースになったかというと、最近急激に店舗数を増やした業務スーパーの社長が、流通業界の知恵を活用して地熱発電をやっているからだ。

 日本は地熱エネルギーに関しては世界第3位の大国である。それだけの資源を持ちながら、利用できていない現状がある。そこで業務スーパーの社長は、大きな発電所を作るのではなく、掘削機を自社で開発し、掘削費用を抑え、地上の発電所にしても小さなパッケージを組み合わせるという、コロンブスの卵のような方法を発明した。地熱発電所を作ろうとすると、地下の地熱のエネルギー量に対応して、発電所の規模を変えていたのを、すべて同じ小さな規格で作り、大量生産することで費用を抑える。地熱量によってそのパッケージの数を増やしたり減らしたりすることで、地域性に対応するというものだ。

 こうなると、発電所は市町村単位でも可能になるだろう。さらに大きなメリットとして、災害により発電所に被害があっても、近隣から電力を分けてもらいやすくなるということだ。大型の原発で一括して電力を作り、遠くまで供給すると、何かあった時に大規模な停電が起こってしまう。それを考えただけでも、供給元はたくさんある方がリスクは減るのは間違いない。

 では、なぜ今まで地熱発電は造られてこなかったか。ひとつには電力自由化前は大手電力会社が電力を独占し、儲かる仕事しかしてこなかったこと。地熱発電の候補地が国立公園内にあることが多いこと。また地熱発電を行おうとすると、必ず温泉が出なくなるんじゃないかという不安な声が上がること。そうしたことが常に問題視されていた。

 が、電力は自由化された。国立公園の景観を守るためという理由も、観光道路やホテルを作るのは許しているのだから、造らない理由にはなっていない。また、温泉と地熱のための地下水では、深さが全然違うために神経質になるほど影響は考えられない。そういう反対理由は、僕は電力会社や電力会社に子息を多く就職させている議員が広めているんじゃないかとも思っている。要は利権が絡んでいるのだろうと推測している。

 欧米諸国では、何かプロジェクトを行うとき、まずは小さな地域でやってみるという。それがうまく行けば徐々に規模を広げていく。失敗すればそこで立ち止まればいい。それに引き換え我が国のやり方というのは、いきなり大型プロジェクトとして始めようとする。そのためにいつになっても結論が出ずに、動き出すことができない。トライアンドエラーは常識である。が、なぜか日本ではエラーは許されない。

 マイナンバーカードだって、まず世田谷区だけでやってみるとか、北海道でやってみるとか、小さなところから徐々に広げて行くのが当たり前のやり方である。それを全国一斉に始め、支障があれば全国で一斉に止めてしまう。
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すごいトシヨリ

2024-02-25 11:34:23 | 日記
 ネットで購入した池内紀さんの「すごいトシヨリ散歩」と「すごいトシヨリBOOK」の2冊を、あっという間に読んでしまった。特に「すごいトシヨリBOOK」の方は新書版ということもあり、2時間もあれば読み終えてしまえるのである。新書というのは、大体が出版社の編集の人が著者から聞いた話をまとめてあることが多く、タレントが書いたものなどはほとんどこの形だ。読みやすい反面、おしゃべりと同じで中身は薄いのである。

 とはいうものの、「すごいトシヨリBOOK」は考えさせられることが多かった。そもそもこの本のタイトルは、池内さんが老いが近づいたことから、自分の老いを書き留めておくためにノートを買ってきて、表紙に「すごいトシヨリBOOK」と記してメモを取っていたもので、それを編集者が目に留め、面白いからと話を聞いて本にしたというものである。

 人は長生きすれば、どこかをピークにしてその後峠を下り始める。これは生物として避けては通れない道だ。だったら、下ることを嘆いたり抵抗するのではなく、下ることを楽しめばいいと池内さんは言う。山登りで言えば、下山も楽しもうということである。頂上だけが大事なのではない。登り同様に、下りもまた楽しめるのである。

 老いは避けては通れない。だったら、老いていくとはどういうことなのか、じっくり観察してやろうと池内さんは考えた。これは他人を見ていてもわからない。自分がその立場になって初めて経験できることである。こんな貴重な体験から、目を逸らしているのはもったいない。

 だから、衰えていく体に関しても、痛いのだけはゴメンだが、老い自体は自然の摂理なのだからと受け入れる。そういうことで池内さんは健康診断も受けないし、病気が見つかっても積極的に治療しない。歳を取ってからの治療というのは、結局は延命処置に過ぎず、その後の人生で何をするかということが抜け落ちている。だから、延命処置を受けるくらいならと、池内さんは「尊厳死協会」というところに登録する。自分には延命の処置は必要ないと契約することで、病院に担ぎ込まれても、不必要な治療はいらないとはっきりしておくことができる。ただし、痛みを軽減する処置だけはお願いしておく。場合によってはモルヒネを使うようにも契約しておく。

 モルヒネはベトナム戦争の時に痛みを軽減するためと負傷兵に使われたが、依存性があるのというので麻薬に近い扱いだが、死期を前にした老人に、依存症をうんぬんしたって仕方がないことなのである。

 そうした理念で生きる池内さんは、山や川といった自然、過疎化の進む町や村も同じだと考える。自然にも誕生から成長を経て衰弱していく。若い山なら麓からいきなり聳え立つが、年寄りの山は尾根が痩せ細り、ゴツゴツしてくる。過疎の進む村や町も、どんなに抵抗しても無駄である。村おこしや町おこし、移住の勧誘などいろいろ手を打つが、将来的には村や町が消滅していくのをどうすることもできない。それなら、老いていく町や村を観察し、老いていくことを楽しめばいいという。

 そういう話を読むと、池内さんの旅行記が、そうした理念に裏打ちされた旅であることがはっきりする。年老いていくのは仕方がないとして痛みだけは耐えられない。同じように、人のいなくなる村や町はどうしようもないが、せめてキレイにしておくことくらいはできるのである。
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白鳥がいない

2024-02-24 12:36:31 | ランニング
 昨日まで雪が降り、明日の夜からまた雪になるという。この時期にしてはちょっと早い春の雪なので、水分が多く積もってもすぐに溶けてしまう。その代わり、日陰に入ると足元はビチャビチャドロドロだ。天気予報では今日は晴れるが、明日はまた雪になるという。となると、今日走ってこないと、また数日走れなくなってしまうのである。

 というわけで、朝食後にランニングに出る。今日の最高気温は5度だが、お日様の下はポカポカと暖かい。なるべく乾いた道を走りたいので、阿武隈川の日当たりのいい土手を走る。年末に転んだ際に手をついたせいで、ふた月近くなるのに手首はまだ痛むのである。ここで転けて再び手をつこうものなら、ポキリと折れてしまうかもしれないのだ。



 走りながら、いつもの景色とちょっと違うなと違和感があるのに気づいた。なんだか寂しいな。と思ったら、数十羽はいた白鳥の姿が全然見えないではないか。今はまだ2月だ。こんなに早く北へ向かって飛んでいったのだろうか。確かに2月とはいえ、15度を超えるような日が続いては、白鳥だってぼやぼやしているわけにはいかなかったのかもしれない。

 時々それらしい姿を川の中に見つけたと思ったら、川面に突き出した石に雪が積もっていたり、川岸に雪の塊が転がっているだけでなかなか白鳥を見つけることができなり。阿武隈川の1箇所で白鳥を餌付けしている場所があるので、そこまで走って本当に白鳥がいなくなったのか確認することにした。もしかしたらエサの関係でたまたまどこかに集まっているのかもしれない。



 白鳥の餌付けの場所まで来ると、なんとか川面に1羽、川岸に2羽ほど確認することができた。が、ここには数日前には50羽を超えるほどの白鳥がいたのだから、本当に北へ飛んで行ってしまったのだろう。

 梅の花も2週間は早く咲き始めているし、例年なら雪の下の福寿草の花もあちこちで見ることができる。暦など持たない人間以外の生き物にとっては、冬は終わってしまったのだろう。
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大事な仕事を引き受けてもらえているということ

2024-02-23 11:34:53 | 日記
 朝、テオの散歩に出るといつもより車の量も少なく静かで歩きやすかった。そうか、今日は天皇誕生日で世間は休みなのかと気づいた。

 僕が若い頃はよく天皇制についての議論が話題になり、天皇制反対を言う者やその反対に天皇バンザイを言う者もいた。が、最近は大上段に天皇制を語る人も減っているのは、天皇制についてけんけんがくがく議論している人たちにとって、天皇とはあくまでも政治体制としてしか見ていないということだったのだろう。

 「天皇なんかいらないんじゃないか」という人たちは、いつの時代にも存在する。僕も若い頃は「なぜ日本には天皇がいるのだろう」と不思議だった。「神様だから」と言っていたのは第二次大戦終結までで、その後は日本国の象徴ということになった。それでも「象徴ってどういうこと」と新たな疑問が生まれ、なぜ天皇がいるのかということについては、誰もはっきりとしたことを教えてはくれなかった。

 ただ、今となっては天皇の存在というのは助かるなあと考えている。卑近なことで言えば、例えば自分ちに偉い人が訪問するというようなことがあったとしよう。そのお客を家族はもてなさなければならないのだが、一体誰がお客と同伴し、会話を弾ませ、気持ち良く過ごしてもらうことができるだろう。オヤジか。いやオカンか。どう見てもマナーはなってないし、会話の話題も知れている。相手が外国人だったりしたら、まるっきりのお手上げだ。

 そんな時に完璧なマナーを身につけ、豊富な話題を持ち、相手をエスコートできる人間が家庭にいたらどんなに心強いだろう。これは家庭だけではない。もう少し広く、例えば地区の集まりだったり、市や県の集まりだったとしても同じことだ。それが国のこととなると、そういうことのために教育と訓練を受けた人がいてくれた方が国としての品格が上がるのは、分かりきったことなのである。

 もし天皇がいなければ、日本の国を代表してその役割を誰がするだろう。時の総理大臣か。今なら岸田さんということになるが、「増税クソメガネ」なんてあだ名をつけられている人間が、外国の高貴な人や才人をもてなすことを考えると、国民としては憂鬱になってしまうのである。エリザベス女王の葬儀に、麻生さんがマフィアのような帽子とマフラーをして出席することを考えると、日本国民として是が非でも止めなければならない。
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生産者、販売者

2024-02-22 12:46:54 | 日記
 昨日から、届いたばかりの「すごいトシヨリ散歩」(池内紀 川本三郎)を読んでいる。ふたりの対談は、旅や映画、本や音楽と気の向くまま話題を変えて行く。池内さんの本はずいぶん読んでいるが、川本さんという人は文学・映画の評論家ということだ。だいぶ上の世代であるため、映画にしても小津安二郎や黒澤明、外国ではゴダールやフェリーニの話題などが飛び交い、若い頃に名画座でリバイバル上映しているのを観に行っていたので、なんとかついて行けている。

 二人の共通点で大きいのは、旅好きであり、池内さんは観光から外れた町を、川本さんは乗り鉄としてあちこちの路線を旅している。そういう二人がお薦めするのが、旅先ではお土産屋や道の駅などではなく、地元のスーパーに立ち寄ることだ。一人旅でおまけに車を使わない旅が中心だから、どうしても荷物になるものを買えないことから、新鮮な野菜などは購入できないが、どうしたものが名産かとか、どうしたものが地元の人たちに食べられているかということを知ることができ、興味がつきないと話していた。

 で、思い出したのが、福島に来た当初、九州に戻る時のお土産として道の駅でごぼうのかりんとうを買った時のことである。素朴なビニールの包装に無造作に入れられたようなごぼうのかりんとうが、いかにも地元のお土産っぽい顔で並んでいた。裏を見ると販売者として地元の人の住所と名前が記載していた。お土産にちょうどいいなと思い買って帰ったのだが、それからひと月もしないうちに、大分の道の駅でまったく包装もラベルも同じごぼうのかりんとうが売られているのを発見してビックリした。裏を見ると、販売者の欄に大分の人の住所と名前が記載している。ああ、騙されたとその時やっと気づいたのである。

 もっとも、商品は詐欺ではない。シールに記載しているのは販売者の住所と名前であり、生産者ではない。東京で作ったものであろうと、売っている人間がその土地の人だというだけの話である。

 これ以来、必ず販売者か生産者かしっかり確かめて商品を購入するようになった。すると、案外世の中に出回っているお土産は、販売者しか名前がないものが多いということに気づく。道の駅で桃のパイだのレモンのケーキだの、その土地の名前を入れて包装してあるが、工場は別の土地で一括で作り、それぞれの土地で改めて包装しているのである。

 なぜそう言い切れるのかと言えば、大分の焼酎工場で働いている時、日本全国の道の駅に焼酎を下ろしていたからだ。その時にはその土地のラベルを貼り、いかにも地酒のような体裁にしていたのである。売っている現場を見たわけではないが、その焼酎はその土地の道の駅で、いかにも地酒であるような顔をして、販売者の欄にはその土地の会社と住所が記載されていただろう。

 珍しいお土産を探すなら、道の駅でもお土産屋でも全国区の名前の通ったスーパーではなく、地元の人たちが通う地元のスーパーに限るのである。
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年寄りのための本を注文する

2024-02-21 11:33:33 | 日記
 物心がついて最初に衝撃を受けた本は、15歳の時に読んだヘルマン・ヘッセの「デミアン」だった。ニーチェの思想を下敷きにした小説だったが、そんなことをまったく知らない僕は、ドイツの昔の作家が書いた小説が、まるで当時の僕の心情をそのまま書いているということに驚いた。その時が、芸術作品が自分の生涯に徹底的に影響を与えることがあると感じた最初だった。

 24歳の時にドストエフスキーの「罪と罰」を読んだが、主人公のラスコーリニコフも同じ24歳、勉強も仕事もせず、アパートの一室にこもって空想ばかりしている小説は、昔のロシアの作家が書いたとは思えないほどの戦慄だった。

 稀にだが、自分の人生の指針になりそうな作家に出会うことがある。若い頃はヘッセやラディゲ、ランボーやリルケといった西洋の作家ばかり読み耽っていたが、今でも繰り返し読んでいるのは小林秀雄や星野道夫の本だ。カヌーイストの野田さんの本も手当たり次第に読んだ。そんな野田さんも2年ほどまでに死んだので、僕が愛読している人たちで、現在生きている人は少なくなってしまった。

 旅行記の中で一番好きなのは、ドイツ文学者の池内紀さんの書くエッセイだ。そんな池内さんも数年前に死んだので、新刊本は出ない。それでもまだ読んでない本があるかなと検索してみると、自分が晩年を迎える前に書いた「すごいトシヨリBOOK」というのがあった。年老いてゆく自分を観察し、記録を続けたもので、最初は77歳を自分の死期と決めて生き方を計画したものだ。が、実際には77歳を超えても死ななかったので、そこからは3年ごとに死期を延長し、おまけとして楽しむことにしたようなのである。

 死期を予定するまでにはまだ少し時間のある僕だが、人間いつ死ぬのかしれたもんじゃない。「未来」とは未だ来ぬものであって、人間にできるのは現在のデータを元に予測することである。天気予報にしろ株価の予想にしろ、厳密にはすべて現在の出来事に過ぎない。だから、本当は明日には僕は事故でぽっくり死ぬかもしれないし、惑星が地球に衝突して世界が破滅するかもしれない。ただ、そんなことを考えても仕方ないので、「明日世界が滅びようとも私は今日リンゴの木を植える」の精神でいるしかないのである。

 というようなことを考えたわけではないが、まだ読んでいない池内さんの本があったので注文した。ついでに「すごいトシヨリ散歩」という対談集もあったので、併せて注文しておいた。今日あたり届くことになっているので、朝から楽しみに待っているのであった。
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日々ジェットコースター

2024-02-20 10:52:56 | 福島
 3月を通り越して4月のような陽気で、東北とは思えないほど暖かい。スキーをするでも冬山登山をするでもないので、雪も降らず暖かい日が続くというのはありがたい。

 と思っていたら今週末には再び冬に逆戻りし、雪になるかもしれないという。もっともまだ2月も中旬、例年なら雪に埋もれている時期でもあるので驚くには当たらない。今までの暖かさがおかしかったのだ。

 寒くなる前に一度走っておこうとランニングに出たが、空には分厚い雲がかかり、ミスト状態の雨粒が顔に当たる。風があるからすぐに乾くが、その分体温が奪われる。2時間ほど走ってくるつもりが、途中でお腹が痛くなってきたので1時間半で切り上げた。

 ああ、暖かかった日々が懐かしい。カメラを持ってブラブラできたのは一昨日まで。昨日今日は霧雨が降ったり止んだりだ。気温は夜中のほうが高く、次第に低くなってきている。







 のんびり散歩ができるのは、1週間後かな。その時には突然初夏のような気候になっているかもしれないな。なんたってジェットコースターのような気候なのだから。





 咲き始めた梅の花も、寒気が流れ込んできたらひと休み。テオくんの長い散歩もひと休み。
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