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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

リサイクル

2016-05-31 11:08:49 | 福島

 人が生活すれば、自然と物が増えていくのは仕方ないとして、どうしてこうも物が多いんだと持ち物を見て愕然とすることがある。

 カフェを始める時、リフォームのために慌てていろんなものをダンボールに詰め込み、開店のために押入れや物置に放り込んでいた。そのうち落ち着いたら整理し直そうと考えていたが、この3年のうちに、整理どころか物は増える一方で家中の収納がパンパンになってしまった。衣替えの季節になり、ストーブを片付けて扇風機を出そうとするだけで、押入れの中の物を一旦外へ出し、ようやく奥の方から引っ張り出す。そして再び外に出した物を押入れに詰め込むのだが、また次の時には同じことを繰り返すのかと思うと、さすがに自分に対して堪忍袋の尾が切れてしまった。いい加減、整理せんかぁぁぁ。

 暑い上にフラストレーションが溜まる一方なので、昨日の月曜日、タミちゃんが有休を取っていたのを機会に、一緒に家の片付けをすることにした。何に使うのかわからないコードだの、ここ長年袖を通すことのなかった服だの、いつか必要になるかもしれないと取っておいた領収書だの、出てくるわ出てくるわ。ゴミ袋の数は増えていくのに、片付いている気配がない。

 それでも少しだけすっきりし、残りはまた今度のお休みの時ということにして、着なくなったけど捨てるにはもったいない服を何着かリサイクルショップに持っていくことにした。ただのゴミじゃないかと思うけど、それでも引き取ってくれるというので半信半疑、車で出かける。

 受付を済ませると、持ち込んだ服の評価に時間がかかるというので、店内をぶらぶらして待つ。500円にもなれば、少しは昼飯代の足しになるなあなどと甘い観測をしたくなるのは、店内に置いてある履き古した靴だとか、ヨレヨレのコートだとかに、買値とあまり変わりないくらいの値札が付いているからだ。ビンテージ物というのだろうか、そういうのが趣味の人にとっては元値より高くても掘り出し物として価値があるのだろう。

 順番が来たので受付に行くと、持ち込んだ服の評価額は、合計で88円だった。ガソリン代とここまで足を運んできた時間分を合わせると、さっさと捨てた方が正解だったかもしれない。

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日本人の精神性

2016-05-29 13:01:03 | 福島

 日本人というのは、キリスト教徒やイスラム教徒のように、自分が仏教徒だとか神道を信仰しているとはっきり断言する人は少ない。クリスマスを祝い、初詣には神社でお賽銭をあげ、葬式には坊さんを呼んでお経をあげてもらう。では、無宗教なのかというと、それは全然おかど違いで、自分で自分のことを何々教徒だと断言するのが恥ずかしい教徒なのだ。あるいは、自分の信仰に無自覚な教徒だとも言える。

 自分は神様は信じないという人でも、案外お化けが怖いとか、人に恨まれたくないという人は多い。これがそもそも自分の信仰に無自覚だと言えば、当人はマスゾエさんみたいに目をクリクリさせるかもしれない。日本人ほど人に恨みを買うことを嫌う人種はいない。これが大昔から日本人が信じてきた怨霊信仰だとか御霊信仰の影響だということを知らない。

 日本のホラー映画の代表といえば、貞子かお岩さんだろう。これはどちらも、無念の死を遂げた人間が化けて出て恨みを晴らすという内容だ。西洋のホラーにはこういうものは少ない。ドラキュラや狼男、ジェイソンという西洋の代表選手は、みなモンスターなのである。

 日本では昔から、無念の死を遂げた人間が神様になる例は多い。菅原道眞、平将門、崇徳天皇などなど、すべて無実や無念の死を遂げた後、怨霊として世の中に災いを及ぼしたと考えられた人たちである。こうした人は、安らかにお休みくださいと手厚く祀らなければならない。その代わり、世の中に災いを及ぼすほどの力を持つ人たちなので、神様になった後は良いことをしてくださる、ということになっている。

 中国や韓国が、靖国神社に戦犯を祀っているのがダメだと怒りをあらわにする。が、日本人の精神性からすると、戦犯だろうと無念の死を遂げた人だろうと、誰でも手厚く祀らなければならない。

 こうした日本人独特の精神性を外国人に伝えるのが、いかに難しいか。そもそも日本人に自覚がないんだから。

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71年という月日

2016-05-28 12:55:03 | 福島

 サミットのついでに、オバマさんが広島の原爆ドームに献花に訪れた。アメリカ大統領としては、原爆の投下については謝罪するわけには行かない。そんなことをしたら、アメリカは間違った戦争をしたことになるからだ。というわけで、謝罪はしないが献花はする、ということで歴史的なアメリカ大統領の広島訪問が実現した。

 オバマさんのスピーチについては、何度もテレビで取り上げられたのでここでは触れない。それよりも、原爆で被災した人たちが、大統領と抱擁しあい、生きているうちにこんな日が来るとは思わなかったと感動していることに、今更ながら戦後71年という長い月日を思わずにはいられなかった。

 今、ちょうど図書館から借りてきた「硫黄島玉砕戦 生存者たちが語る真実」(NHK取材班)という本を読んでいる。戦争末期、敗戦濃厚な中、アメリカ軍の日本本土への攻撃を1日でも長引かせる目的で戦うことになった硫黄島での戦いは、最初から生きて帰ることは前提にはなかった。身を隠す木々もないあちこちから硫黄の噴き出す島で、2万人を超える兵隊さんたちは、1日水筒一本分の雨水で、40度にもなる地下壕の穴掘りを続けた。

 上空を東京に向けて爆弾を積んだB−29が通過するとき、飛行機の無線が硫黄島でもキャッチされる。B−29は上空1万メートルを飛行するので、7000メートルしか届かない日本の大砲を心配することはない。零戦もそこまで飛ぶ能力はない。というわけで、無線にはアメリカ兵の笑い声が飛び込んでくる。従軍記者らしき女性のハイヒールの音が聞こえてくる。アメリカの兵隊は観光気分で飛んでいるんだなと、通信兵は感じたそうである。

 生きて帰れないということでは、沖縄へ向けて飛び立った特攻隊員も同じだった。戦後、硫黄島から帰還した人々も、生き残った特攻隊員も皆口を閉ざした。そういう人たちが、だんだん年老いてくるに従って証言する必要を感じ、表舞台に出てくるようになった。

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海辺のドッさん

2016-05-27 11:48:15 | 福島

 連休に鹿島灘に行った時の絵を描こうと、ドリをモデルに海を背景とした絵を描きかけたが、今ひとつ面白味に欠けるので、途中で投げ出していた。一旦放棄したものを、再び取り上げるというのは面倒臭いものだが、投げ出したままだと他のことまで進まないような気がするので、とりあえず仕上げてみることにした。

 で、完成したが、僕の中では失敗作だ。いい絵だのつまらない絵だのいうのは他人が評価するものだが、成功作か失敗作かというのは作者の領分になる。陶芸の先生が焼きあがった壺を叩きつけて盛大に割るシーンがドラマで流れたりするが、周囲の人間からすると、「ああ、先生。割るくらいなら私にください」とお願いしたくなる。でも、先生は割らなきゃ気が済まない。

 今回の場合、僕が気に入らないのは、思ったほどの詩情がなかったことだ。海辺に佇み沖を見つめる犬というのは、もしかしたら人間以上に人間臭いかなと思っていたが、ゴールデンレトリバーという犬種でもしかしたら失敗したかもしれない。というのも、こういう犬は野良犬にはいないし、そのせいでどうしても近くに人間の気配が漂ってしまうからだ。

 雑種のどこにでもいそうな中型犬だったりすると、野良犬っぽくもあるし、近所の家からひとりで海まで散歩にやってきた感があったかもしれない。そしたら、リードから解放され、遠くの世界に憧れるといったような風になったかもしれない。

 なんにせよ、テーマがはっきりしなくなったのは、モデルのドッさんのせいではない。僕の腕が未熟なせいだ。

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病院という名の異界

2016-05-26 11:44:06 | 福島

 昨日、夕方の犬の散歩に出ている時、後ろから車が来たので路肩に寄ったら、前を行くタミちゃんが高低差3センチほどのアスファルトの段差に足がグニュっとなり、その場にへたり込んだ。「痛い痛い、骨が折れた」というので、一晩氷で足を冷やし、朝一番で病院に連れて行った。診察結果は、何事もなしということで、軽い捻挫で済んだようだ。

 ひとりでは車の運転も、満足に歩くこともできなかったので付き添って行き、診察の間は待合室で本を読んでいた。病気や怪我とはほとんど縁のない僕は、病院にいるというそのこと自体が苦手だ。なんとなく生気を吸い取られているような気分になる。

 整形外科なので、調子に乗りすぎて骨を折った子供だとか、肉離れを起こした若者がいるのかと思えば、訪れるのは老人ばかりで大繁盛している。待合室でひとりで本を読んでいると、離れた場所に座るバアさんが、テレビを見ながら大声で感想を述べている。「まあ、かわいい。ほんとかわいい」と、子犬が出てくると大はしゃぎだ。まさか僕に話しかけているわけではないだろう。

 少しすると今度はジイさんが少し離れた場所に座った。そして、テレビでやっているサミットのニュースを見ながら、「あんなに金を使うなら、こっちの復興に回せばいい」と大声で文句を言っている。まさか僕に話しかけているわけではないだろうと、本から顔を上げずにいると、玄関から入ってくる患者さんにいちいち声をかける。「ほら、まっすぐ歩け」と言ったかと思うと、「こりゃ、失礼なことを言いました」と笑っている。しばらくしてそれにも飽きたのか、トイレに立ったと思ったら、戻ってくると僕のすぐ隣に腰を下ろした。椅子ならたくさん空いているというのに。

 ジイさんは相変わらずテレビを見て何やら話しているが、僕は僕でもう少しで読み終わりそうなので読書に集中していると、そのうち受付に寄るでもなく帰って行った。とっくに診察は終わっていて、ただ待合室で油を売っていたようだ。

 と、奥から診察を終えた別のジイさんが、看護婦さんに腕を支えられ出てきた。そしてまっすぐに僕の前まで来ると、ピンポイントで僕の膝の上に座ろうとする。椅子なら他になんぼでもあるではないか。慌てて看護婦さんが制止して「他の人が座っているから」と言うが、ジイさんは聞く耳を持たず再び僕の膝の上に腰を下ろそうとする。結局根負けしてジイさんに席をゆずると、看護婦さんがすまなさそうに「ごめんなさい」と謝った。

 こういうことが日々起こっているに違いない病院という場所は、僕には異界への入り口にしか思えなかったのである。

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梅雨入り直前

2016-05-25 11:34:49 | 福島

 沖縄は梅雨入りしたという。九州南部もそろそろらしい。東北の梅雨入りはまだまだ先だが、のんびり構えているとあっという間に梅雨に突入してしまう。

 この季節になると思い出すのが、東日本大震災後、春に予定していた旅行を実行に移そうとせっせと準備を始めた時期だ。出発は6月に入り、九州が梅雨入りしたので、それから逃げるように北へ向かった。が、鳥取砂丘あたりで梅雨前線に追いつかれ、それ以降は北海道入りするまで、案の定天候には恵まれなかった。

 今でも緑の濃いこの時期、雨が降り出すとあの時のことを思い出す。まさか今自分が福島にいるなんてことは、まったく想像していなかったし、計画にもなかったのだから、人生というのはわからない。

 ドリは毎年恒例のサマーカットをしてもらい、見かけだけは子犬のようになった。ただ、後頭部の皮がたるんたるんなので、横から見るとジジくさい。

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干からびる

2016-05-24 11:36:13 | 福島

 日曜日、さくら湖周辺を走ったが、それだけじゃあ全然足りなかったので、休日の月曜日も、用事を済ませた後ランニングに出た。以前一度だけ車で行ったことのある、デコ屋敷という民芸品を作っているところが目的地だ。距離にして、往復20キロくらいだろうか。2時間半もあれば行って来れるだろう。

 と簡単に考えていたが、気温がぐんぐん上昇し、すでに30度近くはあるだろう。10時過ぎの出発だったので、帰ってくるのは1時半頃になり、アスファルトの道路を走るというのは、フライパンの上で炒られる豆みたいになるのは確実だ。それでもデコ屋敷まではなんとか走り切り、1時間ちょっとで到着した。

 きっと観光客が多いだろうと踏んでいたが、店の人以外は観光客らしき人影はなく、建ち並ぶ古民家の間をブラブラすると、僕だけタイムスリップして、昔の世界に迷い込んだようだ。

 とりあえず公衆トイレで顔を洗い、心機一転帰路に着いたが、連日のランニングで体力が少ない上、太陽がじりじりと頭を焼くので、すっかりグロッキーになり、後半はほとんど歩いて帰った。

 大量の汗をかいたのでシャワーを浴び、久しぶりにヘルスメーターに乗ると、去年の春より4キロ体重が落ちていた。でも、この後ビールを飲むので、2キロくらいは元に戻ってしまうだろう。

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湖畔を走る

2016-05-22 12:40:42 | 福島

 いつも同じコースを走っていては、マンネリ化するし、走ること自体が楽しくなくなってしまう。そこで、あちこち地図で検討して自分専用のコースを開拓している。僕には市民マラソンみたいな決められたコースで、大勢で走るような大会は、お祭り気分といよりもしんどいだけの競技大会になってしまう。

 タミちゃんは、時々市民マラソンに参加している。が、市民マラソンがない時はまったく走らないので、ハッパをかけてランニングに連れ出した。二度ほど阿武隈川の堤防のコースを走り、先週は新たにさくら湖を半分ぐるりと回り、湖を横切る春田大橋を渡るコースに連れ出した。距離にして7キロほどだが、アップダウンがあるので、体感としては10キロくらいはある。

 きっと音をあげるだろうと思っていたら、予想に反して「マラソン大会より気持ちがいいし、走って楽しいコース」と言う。湖を渡る風が気持ちがいいし、木陰が多く、頭のすぐ上まで野鳥がやってくる。ぽつぽつと田んぼがあり、里山との境界に大きな昔ながらの農家が散見するのどかな風景が広がる。

 珍しく、「楽しかったので今週も走りたい」と言うので、今日も朝食後に出かけた。曇っていた空も、走り出すと青空が広がり、そよそよと吹く風が気持ちいい。ただ、先週と比べると気温がぐんぐん上昇し、途中で何度も水分補給のために立ち止まることになった。

 湖畔では、以前はまったく見かけなかったランニングをする人の姿を見かけるようになった。きっと、せっせと走る僕の姿を見かけ、おお、こんなところを走ることができるのかと、ペロリと目からウロコを落とし、休みを利用して出かけてくるようになったに違いない。今に、休みになると大勢のランナーが押しかける人気コースになるかもしれない。そうなる前に、さっさと次のコースを開拓しなければ、なんてことを考えるアベさんであった。

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お笑い政治家

2016-05-21 12:09:58 | 福島

 昨日のマスゾエさんの記者会見はすごかった。すごかったと言うしか言いようがないくらい、前代未聞、中身のまったくない対応だった。昔の政治家は、「まあそのぉ~」だったり「あ~う~」だったり「記憶にございません」だったり、流行語を生み出す天才だったが、近頃の政治家は、お笑い芸人以上に笑いを取ってしまうので目が離せない。どう見ても入らない箱をカバンに詰め込もうと大汗をかいたり、突然想定を超える号泣を始めたり、鳩が豆鉄砲を食らったような目で、「第三者の公平な目で」を繰り返すばかりだったりと、笑いをこらえる方が大変である。

 それにしても、やはり政治家というのは強心臓でなければ務まらないなと感心する。もし僕が当人なら、さっさと頭を下げてなるべく人前に出ないようにするが、マスゾエさんはこれからも都知事を続けていきたいと言うんだから、きっと心臓に毛が生えているに違いない。いや、毛に心臓がぶら下がっているのか。

 尻の穴は誰よりも小さそうだが、面の皮は誰よりも厚い。ダウンタウンの松っちゃんがマスゾエさんのことを「メッキと頭がハゲている」と上手いことを言っていたが、どうやら頭髪の栄養は全部心臓に回っているようだ。

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庶民派

2016-05-20 12:24:54 | 福島

 職場にひとりは必ずいるのが、仕事場の機械や道具を私用で使う人間だ。大きな荷物を移動させるために、たまに私用で軽トラックを借りていったところで大目に見てもらえることはあっても、それが当たり前のように考えている人間には、周囲の目は厳しくなる。まるで、自分の金で私物を買うのが罪になるとでも思っているのか、ささいな備品に至るまで、なるべく仕事場の物を私物にする。もはやこうなると、自分のお金を使うのがもったいないだとかのレベルではなく、あたかも自分に課せられた使命であるかのように思っているのだろう。

 が、本人の努力に反して、そういう奴は「せこい」の一言で評価される。たとえバリバリ仕事ができたところで、人間としての評価はどこまでも低くなる。

 ところが、これを東京都知事がやっていたとしたら、誰もが信じられないと耳を疑うだろう。どこへ行ってもVIP待遇、報酬だってどこの自治体よりも多い。権力に至っては総理大臣以上かもしれない。それなのに、家族の宿泊費や、中古車、食事代やお菓子代、書籍に自分の事務所の家賃と、ありとあらゆるものを公費でまかなっている疑いが浮上した。

 政治家と金の問題というのは昔から切っても切れないもので、その度に庶民は「やはり政治家と我々は金銭感覚が違う」と、呆れていた。が、今の政治家の金銭問題というのは、切手を購入して公金をちょろまかしただとか、行ってもいない旅行費を請求したとか、家族と旅行に行き政治活動だったと言い張るとか、まるで尻の穴の小さな人間がやらかしそうなことばかりだ。

 昔は政治家が自分のことを庶民派だと言うために、普段やらないようなことをぎこちないパフォーマンスで行ったが、今の政治家は、庶民派と名乗らなくても、庶民以上に庶民、小市民以上に小市民だ。

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