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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

虫たちの声

2019-08-31 11:04:27 | イラスト

 絵を描くのに、空想にたよって描く人もいるが、僕としてはなるべく実際にあるものを忠実に描きたい。だからと言って超リアルな写実を目指しているわけでなく、例えば「雲」を描くにしても、大体こんなものという僕の中にある抽象化された雲ではなく、入道雲やうろこ雲といったひと目でそれがどういう成り立ちの雲なのかわかるように描きたいのである。ひと言で「木」と言っても、松の木もあれば柿の木もある。ただ「木を描きなさい」と言われれば、幹があり枝があり、葉っぱが茂るどこにも存在しない木を描くことはできる。それではつまらない気がするのだ。

 次回の空の会のお題が「声」なので、この季節の風物詩でもある虫の声を題材に描こうと決めた。そのための材料を揃え、ひとつの画面に収めてみた。空想的な植物も虫も描いてはいない。

 絵の中の植物は、蔓を伸ばし空き地を覆いつくすアレチウリ、淡い黄色が可憐な月見草、そして犬の尻尾みたいなアキノエノコログサ。画面が小さくてわかりづらいが、空には赤とんぼの異名を持つアキアカネ、葉っぱにはトノサマバッタ、ウマオイ、エンマコオロギ、オンブバッタを登場させた。

 散歩をしていると、こういう草むらから実にたくさんの種類の虫たちの声が聞こえてくるのである。

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天ぷらにすれば

2019-08-30 11:19:12 | 福島

 急に涼しくなった。と思ったら、我が家のゴーヤが十分大きくなり切らないうちに黄色くなってしまった。猛暑日続きで、今ひとつ発育が悪いなあと食べるのを躊躇していたら、結局ひと口も食べないうちにダメになってしまったのだった。ああ、残念。

 夏の間、バカみたいに豊作だったキュウリの苗も枯れ、毎日のように畑に行かなければでかくなりすぎていた野菜も、近頃は三日に一度行けば事足りるようになった。収穫できるのは白菜に万願寺とうがらし、そしてピーマンくらいで、オクラはなかなか大きくなれない。

 万願寺とうがらしは去年作ってみたら、簡単にできた上にいろんな料理に使えるので便利だと今年も作ることにした。畑に立ち寄る度に収穫すると、数十本はある。それだけの量を消費するには、炒めたくらいではなかなか減らない。そこで中華丼みたいにしたり、八宝菜みたいしたりしてみるが、一番うまい食い方は天ぷらにするのがいいようだ。天ぷらにはほろ苦い食材が合う。我が家ではフキノトウに始まり、春菊、万願寺とうがらしとほろ苦い天ぷらは好評だ。ゴーヤを天ぷらにしてみたが、これはちょっと苦すぎるようだ。

 大体、天ぷらにすればなんでも美味い。昔、天ぷらパーティーなるものを企画し、その辺の草をとにかく天ぷらにして食べるという、闇鍋天ぷらバージョンをやったことがあるが、天ぷらにすれば大概のものは食べられるのである。

 というわけで、今夜は万願寺とうがらし、カボチャ、舞茸の天ぷらでもしようと考えている。天ぷらなら肉や魚がなくても、なんとはなしに食卓が豪華になるのである。

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生きる意欲

2019-08-29 11:22:21 | 福島

 九州北部は大雨で大変なことになっている。同じ量の雨が東京で降れば、被災者の数は大変なことになるだろう。地中には地下鉄や地下街が広がり、溺死する人が大勢出るかもしれない。今はやりのタワーマンションなら少々水が出たくらいでは大丈夫と思っていても、大規模停電になれば、高層マンションの階段を自力で上り下りしなければならない。おまけに水洗トイレも使えないとなると、ゾッとするのだ。

 いくら便利だとは言え、そこに住むリスクというのはエグイものがある。田舎に住む不便さとどちらを取るかは人それぞれだろう。若い頃は東京と大阪にそれぞれ10年ずつ住んでいたが、僕としては大都会に住もうという気はさらさらなくなった。

 今日の福島は久しぶりに晴れ間が広がり、天気予報では30度を超すらしい。我が家のテラスの給餌台には朝からシジュウカラのカップルが来て、ヒマワリのタネをついばんでいる。テオは外に出すと泥足で家に入ってくるので、エアコンをつけて家の中に閉じ込めている。外に出るのは地面が乾いてからだ。

 残暑というほどではないが、夏の疲れが今頃出て来ているのだろうか。何かを集中してやろうとすると、かなりの労力を必要とする。きっと生きるエネルギーみたいなものが減っているに違いない。こんな時に僕にとって喝を入れてくれる存在は、漫画家の水木しげるさんだ。夕べは久しぶりに録画してあった「ゲゲゲの女房」総集編を見返し、こうしちゃいられないという気分にさせられている。

 水木さんの人生は大きく分ければ四つのドラマがある。お年寄りから妖怪などの話を聞き、ガキ大将で、天才少年として絵の展覧会まで開いた時期、戦争でラバウルに行き、片腕を失った青春時代、紙芝居、貸本漫画と貧乏のどん底で絵を描き続けた下積み時代、そして「ゲゲゲの鬼太郎」で人気者となり妖怪の本や戦争のことを描き続けた晩年。どの時代をとっても、ひとりの人生として大変なドラマなのだが、水木さんは持ち前の生きる力を発揮して、乗り越えて行ったのだった。

 漫画の「水木しげる伝」を読み返そうと、本棚から手にとって裏返すと、裏表紙には水木さん自身の言葉でこんなことが書かれてあった。「毎日がつまらんと思う人は、この本を読むといいですよ。きっとフハッと驚いて、生きる意欲が湧いてきます」

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9月のロジマ

2019-08-28 11:59:57 | 福島

 お隣の須賀川市というところで、路地を利用したフリーマーケットみたいなのが毎月開催されている。手作り品なら誰でも参加できるというので、3年ほど前と今年の6月に出店した。最初は手作りの額と絵葉書、前回は既製品の額にビビットな色をつけて、サイズも絵葉書サイズからA4、A3サイズまで様々なサイズの絵を用意した。

 で、毎回反省点があるのだが、前回の失敗は少しでも売れたらと期待していたポスターサイズの額が空振りに終わったことだ。考えてみれば、路地をブラブラしながら、数十とあるお店で買い物するのに、持ち運びにかさばるでかい絵を買おうという人は、最初からそれを目当てで来た人くらいなのである。現に、小さな額や絵葉書は想像以上の売り上げだった。

 というような反省を踏まえ、今回は絵葉書より小さな額をたくさん用意した。絵葉書サイズの額も、すべて手作りし、100円ショップの額のようなチープな物は使わないことにした。

 次回は9月8日(日)の10時から開催なので、準備期間も残りわずかで結構あせり始めている。

 前回はテオを連れて行ったら、バカみたいにおとなしくて、椅子に座らせておいたら、「それは本物の犬ですか」と尋ねられるくらいだった。看板犬としては、期待以上の働きだった。ということで今回も連れて行く予定だが、テオがいると申し込みの場所が室内というわけにはいかず、なかなか場所取りが大変なのである。

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歴史は繰り返す

2019-08-27 13:19:14 | 日記

 「帰って来たヒトラー」というコメディー映画を観た。ヒトラーを題材にした映画は、悲劇、喜劇ともにたくさん作られているが、昨夜観た映画はひと味違っていた。

 現代のドイツにヒトラーが蘇るというのは、ありがちなシチュエーションで、おまけにかつてのヒトラーと同じように、ドイツ民族のためと大声で喋る姿は、迫力があるとともに面白い。というので、テレビ局がヒトラーに目を付け、テレビに出演させるとヒトラー人気に火がつく。

 ヒトラーは言う。こんな国で子供を育てたいと思うか。政治家を信用できるか。若者に未来はあるか、と。現代に蘇ったヒトラーはテレビやネット、SNSを利用して現代のリーダーへと成長する。誰もがヒトラーをコメディアンだと信じて疑わない。たまに第二次大戦のことを知る人たちによって、当時も最初はヒトラーの登場を国民は面白がったと指摘するが、閉塞する現代社会では誰もがヒトラーについて行こうとする。

 出版社は現代版ヒトラーの自伝を出し、それを映画化する。劇中作られた映画のラスト、ヒトラーは殺されても蘇る。そして、「私は死なない。それはおまえたちの心に生き続けているからだ」と断言する。

 そして物語のラストシーンでは、ヒトラーの姿はなく、現実のフィルム、リアルタイムな現在の世界の映像が流れ始める。それは移民を拒む国民や、移民を迫害する人々の姿だ。自分の生活を守るためには、他人を排斥しようとする人々、ほかの宗教が受け入れられずにテロを起こす人民。ヒトラーはちゃんとそれぞれの心の中で生き続けているのである。

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運動日和

2019-08-26 13:46:55 | 福島

 今日の福島県の最高気温は27度と天気予報に出ていた。空はからりと晴れ上がり、すっかり秋空になった。

 このところ頭の重い日が続いているのだが、体を動かすには最高の気候だ。少々面倒でも、家でゴロゴロしていたら後悔するに決まっているので、一念発起して着替える。とにかく着替えて外にさえ出てしまえば、あとは何とかなるのである。

 走り出してすぐに、いつも体の動きが違うのを感じる。とにかく今までのように熱風を吸い込んでいる感じがないので、呼吸するのが楽だ。でも、頭は相変わらず重いし、張り切らないようにゆっくりしたペースで阿武隈川に向かう。このコースだと、途中で幾らでもコース変更が効くので、その日の体調に合わせて距離を変えやすいのだ。

 とりあえず10キロほど走ったところで水分補給とクールダウンのため、土手を風に吹かれて歩く。湿度が低いせいか、風が吹くとたちまち汗が引いてしまうような心地良さだ。頭の重さも消えた気がするので、あと10キロほど追加で走ろう。

 ペットボトルの水が心細かったけれども、節約しながら2時間ほど走ったところで、河川敷を後にする。ここからは住宅街を通らなければならないので、あとは歩いて帰ることにする。

 家に帰ると、中庭の奥からテオが走って来た。オレを置いてどこに行ってた、みたいな顔でこちらを見ている。もうちょっとだけ涼しくなったら、ランニングにも付き合わせるよ。

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涼しい朝は

2019-08-25 11:13:23 | 福島

 全国的に今日は涼しい朝になったらしい。

 朝の散歩に出ると、空はすっかり秋めいている。うろこ雲が浮かび、虫の声が聞こえてくる。乾いた空気が清々しい。こんな朝はいつもより遠くまで歩いてくることにする。

 暑ければ暑いで、何もする気はなくなるし、雨だと行動が制限されるし、結局のところ人間の気分は実に天候に左右されているのである。

 道端でヘクソカズラの花を見つける。ヘクソカズラは漢字で書くと屁糞葛。ひどい名前の付け方だ。もっとも花は可憐なので、早乙女花と別名を持っている。同じように、極悪非道な人間によって名付けられた植物には、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)とかションベンの木とかある。

 テオは普段とは違う道に少しだけテンションが高い。せっせとあたりの匂いを嗅ぎ、キョロキョロするのに忙しい。

 生後8ヶ月、我が家に来て半年。すっかり中型犬となったテオだが、性格はいまだに小型犬。ポメラニアンか何かの血が混じっているんだろうというのが、もっぱらの我が家の推測だ。

 ちょっと大人になって来たので、リボンから首輪へと昇格した。これから涼しくなれば、もっともっと一緒に長い距離を歩けるだろう。

 

 

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秋の声

2019-08-24 10:25:13 | 福島

 急に涼しくなり、あっという間に夏が終わってしまった。入道雲の写真も撮れなかったし、海水浴も湖水浴も行けないままだった。朝の散歩では蝉の声よりも、草むらの虫たちの声のほうが大きくなった。

 時々開催する「空の会」の次回のテーマが、「声」ということでそろそろ絵を描かないといけないのだが、今の季節、一番耳にするのが虫の声なので、秋の虫の絵でも描こうと考えている。で、早速足元で鳴いている虫たちにどんなのがいるのだろうと調べてみると、バッタ、ウマオイ、コオロギ、スズムシなどだ。名前はわかるが、では絵にしなさいとなると、かなり怪しくなってしまう。あとは、蝉の中でも秋の気配を漂わせるのがツクツクボウシだ。赤トンボも秋を代表する虫だろうが、鳴いているイメージはないので、「声」というテーマには削ぐわない。

 というようなわけで、今日は草むらの写真を撮ってきた。ただ虫を描いても図鑑みたいで面白くない。やはりちゃんとした舞台を用意してあげたい。

 空き地を埋めつくすアレチウリ。

 犬の尻尾みたいなアキノエノコログサ。

 ホオズキ。漢字で書くと鬼灯。なんとも趣のある名前ではないか。

 梅雨の終わりとともに枯れてしまったタチアオイが、新たな芽を出し、時期外れの花を咲かせていた。何はともあれ、頭の上も足元も秋の気配で溢れているのである。

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国民のため

2019-08-23 11:27:28 | 日記

 面白いテレビ番組もないので、夕べは風呂から上がると、ネットで映画「JFK」を観た。JFKとは、言わずと知れたジョン・エフ・ケネディの略だが、映画はケネディ暗殺を調査する検察官の話だった。映画は以前にもレンタルビデオ屋さんから借りて観たはずなのだが、なんだかちっとも覚えていなかった。

 一番忘れていたのが、主人公の検察官は実在の人物で、公的な人間としてケネディ暗殺を調査している唯一の人物だということで、どちらかというとケネディ暗殺事件よりも、主人公の人間としての苦悩のほうに焦点が当てられていた。

 ケネディ暗殺は有名だし、昔から様々な陰謀説があり、映画もいろいろ製作されている。「JFK」では主人公が裁判所で政府の陰謀があり、クーデターだったことを力説したものの、認められないところで終わっている。ベトナム戦争を集結させようとしたケネディに対し、軍需産業やベトナム戦争を正義だと信じて疑わない軍部や政府が画策し、ケネディの死以後は、手のひらを返すようにベトナム戦争を続ける。

 ケネディの弟が志を継いで立候補するが、やはり暗殺され、ケネディ暗殺に関わった人物たちも事故や病気で次々に死んで行く。最近になりようやく政府も一部陰謀があったと認めているそうだが、暗殺事件に関する公文書の公開は拒んでいるという。

 なんともキナ臭く血なまぐさい話だが、そんな中でも感心するのが、事件から50年後には公文書はすべて公開されることになっていることだ。トランプさんが2021年に公開すると言ったそうだが、きちんと公文書を保管し、税金を支払っている国民に提示するのを当たり前としているのは立派である。「公文書をなくしました、探したけれど見つかりません」で済んでしまう日本という国は、その点実に情けない有様なのだ。税金をもらって働いている政治家やお役所の人たちは、もう少し見習ってもらいたい。

 いつの間にかアメリカの兵器を買うことになっていたり、韓国と契約の問題でごちゃごちゃともめたりと、国民抜きで政策を進めながら、その根拠として「国民のため」と言うのはやめていただきたい。

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不思議な空間

2019-08-22 11:16:25 | 日記

 風邪気味で頭がガンガンと痛んでいたが、夕べはトランペットとギターのコンサートを市民会館に観に行くことになっていたので、早めに夕飯を済ますとタミちゃんの運転で出かけた。できれば横になっていたかったくらいなので、運転は代わってもらった。

 コンサートはステージ上ではなく、観客と同じフロアに降りて演奏したため、音は聞こえてくるものの、演奏者の姿はちらほら頭が見える程度か、時折ギターのネックが前の人の頭の間から見えるくらいで、これでは実際演奏しているのかCDなのか、違いがはっきりしないのである。

 というようなことで、頭痛はするし、外ではゲリラ雷雨でものすごい雨音が響いているし、演奏は見えないしで、ぼんやりパイプ椅子に座って目を閉じていた。

 考えるともなく、音楽とは関係のない考えが頭をよぎる。出かける直前にニュースで見たあおり運転の事件では、あれだけ高圧的な態度でふてぶてしかった犯人が、捕まって見ると塩をかけられたナメクジみたいにシュンとしている。ああ、わかるなあ。どこにでもいるが、大きな態度ででかい口を叩くくせに、発言しなければならない時には、コソコソと陰にまわったり、人前に出ると信じられないくらい小心者になったりする。いや逆か。どうしようもなく小心者ほど、小さな世界では威張り散らすのだろう。

 そう言えば、これとよく似た状況なのが、インターネットの世界だ。平気で他人の悪口を書いたり、君は何様なのかというくらい大きなことを言うのに限って、実際の社会ではブツブツと何を言っているのかわからないということが多い。

 車の運転にネット社会、まるで違ったように思えるのに、似たような人間が発生してしまうとしたら、どこか似たようなところがあるのだろう。で、ふと思ったのが、車を運転していて思うが、どんなに長時間運転しようと、社会に溶け込んでいるという感覚は生まれない。かと言って、少しでも自分勝手な運転をすれば、周りに多大な迷惑をかける。となると、車というのは社会と深く交じわりながら、実に孤独な空間ということになるのだろう。そう考えれば、ネット社会というのも広く世界と繋がっているとはいうものの、本当に社会に溶け込んでいるという実感は生まれにくい。が、実際には、誰に見せるでもないちょっとした悪ふざけが、大騒動になることが多々ある。

 車とネットに共通点があるとしたら、これから世界中でおかしな人間が増幅して行くだろうな。などと、BGMのようにトランペットの演奏を聴きながら、夢想するアベさんなのであった。ああ、今日も風邪気味だ。

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