風邪気味で頭がガンガンと痛んでいたが、夕べはトランペットとギターのコンサートを市民会館に観に行くことになっていたので、早めに夕飯を済ますとタミちゃんの運転で出かけた。できれば横になっていたかったくらいなので、運転は代わってもらった。
コンサートはステージ上ではなく、観客と同じフロアに降りて演奏したため、音は聞こえてくるものの、演奏者の姿はちらほら頭が見える程度か、時折ギターのネックが前の人の頭の間から見えるくらいで、これでは実際演奏しているのかCDなのか、違いがはっきりしないのである。
というようなことで、頭痛はするし、外ではゲリラ雷雨でものすごい雨音が響いているし、演奏は見えないしで、ぼんやりパイプ椅子に座って目を閉じていた。
考えるともなく、音楽とは関係のない考えが頭をよぎる。出かける直前にニュースで見たあおり運転の事件では、あれだけ高圧的な態度でふてぶてしかった犯人が、捕まって見ると塩をかけられたナメクジみたいにシュンとしている。ああ、わかるなあ。どこにでもいるが、大きな態度ででかい口を叩くくせに、発言しなければならない時には、コソコソと陰にまわったり、人前に出ると信じられないくらい小心者になったりする。いや逆か。どうしようもなく小心者ほど、小さな世界では威張り散らすのだろう。
そう言えば、これとよく似た状況なのが、インターネットの世界だ。平気で他人の悪口を書いたり、君は何様なのかというくらい大きなことを言うのに限って、実際の社会ではブツブツと何を言っているのかわからないということが多い。
車の運転にネット社会、まるで違ったように思えるのに、似たような人間が発生してしまうとしたら、どこか似たようなところがあるのだろう。で、ふと思ったのが、車を運転していて思うが、どんなに長時間運転しようと、社会に溶け込んでいるという感覚は生まれない。かと言って、少しでも自分勝手な運転をすれば、周りに多大な迷惑をかける。となると、車というのは社会と深く交じわりながら、実に孤独な空間ということになるのだろう。そう考えれば、ネット社会というのも広く世界と繋がっているとはいうものの、本当に社会に溶け込んでいるという実感は生まれにくい。が、実際には、誰に見せるでもないちょっとした悪ふざけが、大騒動になることが多々ある。
車とネットに共通点があるとしたら、これから世界中でおかしな人間が増幅して行くだろうな。などと、BGMのようにトランペットの演奏を聴きながら、夢想するアベさんなのであった。ああ、今日も風邪気味だ。