おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

乾くまで

2024-01-31 11:16:52 | イラスト
 水をたっぷり含ませて、少しずつ薄い墨で描いていく。2度塗ると重ねた部分だけが濃くなるので、それで少しずつグラデーションを作っていく。塗った瞬間、思ったより濃い色の墨になってしまうと、もう2度と薄くはできないので、それに合わせて周囲を濃くしてバランスを取っていくしかない。そういう失敗を繰り返しながら、ちょっとずつちょっとずつ描き進めていく。

 一度描いた線は消せないということで、訂正が効きにくいということで言えば、彫り進むことで形を作る木彫などに似ている。大胆さを欠いてはちっとも先に進めず、かといって大胆すぎると後戻りできずに失敗に終わる。なんだか人生に似ているのである。



 完成に近づいたテオくん。画面が水を含みすぎると、新たに墨を乗せても広がるばかりで、紙がブヨブヨになるだけだ。そういう時は一度筆を止めて乾くのを待つ。形が決まったら、下書きの鉛筆の跡を消して、最後の仕上げをする。この前は早く完成したくて消しゴムを使ったら、まだ完全に乾き切らない紙が少しだけペロリとめくれてしまった。待つのも仕事のうちなのである。
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テオを描いてみよう

2024-01-30 11:06:30 | イラスト
 次は何を描こうかといろいろ考えているうちに、「そうだ、我が家の犬と猫を描いてないじゃないか」と気がついた。タブレットを使って描いたことは何度もあるので、すでに描きつくした気になっていたのだろう。

 そもそもパソコンを使うようになって、パソコンにお絵描きソフトが入っているのを見つけ、簡単な絵を描くところから始めたのが、絵を描き始めるきっかけだった。その頃のお絵かきソフトは、使える色数も赤や青といった原色が10色くらいで、ペンの太さも選べないような簡単なものだった。それから色数が増え、ペンの太さも選べるようになり、だんだん描く絵に時間をかけるようになっていった。

 絵を描き始めた当初は、モデルはその頃飼っていた真っ白い猫だった。そのうち黒犬のトトを飼い始め、画中に必ずトトを登場させるというのが、僕が絵を描くときの決まり事でもあった。

 パソコンの進歩とともに、お絵描きソフトも進化し、今ではアニメも漫画もイラストもパソコンを使うのが当たり前になっている。映画で当たり前に使うようになったコンピュータグラフィックなんかは、どこまでが絵でどこまでが実写かほぼわからない。最近はAIが描いた絵が、絵画コンテストで賞を獲ったりして話題になったりする。

 こうなってくると、「パソコンで絵を描いてます」と説明すると、「パソコンが描いている」と勘違いする人も多くなる。「私もパソコンを使って絵を描きたい」と言うので、「でも、その前に絵が描けるようになる必要がありますよ」と答えると、怪訝な顔をするのだ。

 そんなわけで、最近は再びアナログな絵を描いている。パソコンで描いても驚いてくれなかった人たちも、「水墨画です」と言うと「へえ」と感心してくれる。本当はパソコンで描くのも水墨で描くのも、やっていることはほとんど同じなんだけどな。



 テオの絵ができたら、その次はアンの絵を描こうと思っている。
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最善主義者

2024-01-29 11:07:50 | 日記
 大谷くんがMVPの受賞のスピーチをしたというのをニュースでやっていた。前人未到、破天荒な道を行く大谷くんだが、そんな彼のことをある記事でこういう紹介のされ方をしていた。それは、彼は完璧主義者ではないということだ。完璧主義というのは、とにかく結果が出なければ満足しない人のことを指す。一方、大谷くんは最善主義者だという。要するに常に最善をつくす努力をする人のことで、結果よりも最善をつくしたかどうかを問題にするというのである。

 そういえば、大谷くんが小学生の時、野球の指導をしていた父親から、どんな打球を打っても一塁まで全力で走れと教えられていた。小学生の大谷くんの野球ノートには、今日は一塁まで全力で走らなかったことがダメだったと反省の言葉を書き記していた。おそらく現在の大谷くんは、同じことを実践しているのだろう。

 最近アマゾンプライムで、昔のドラマ「トリック」を見ていたら、登場人物の口癖が「なぜベストをつくさないのか」というもので、ドラマ中何度も繰り返され、いいセリフだなあと思った。「ベストをつくせ」ではない。なぜベストをつくさないのか、である。ベストをつくすために障害になるものは、本当は存在しない。一番邪魔しているのは、自分自身である。

 というわけで、今日は風も穏やかになったので、1週間ぶりにランニングに出た。





 途中でキツくなると、「なぜベストをつくさないのか」と自分を叱咤激励しながら、フラフラになって走った。

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自分をだます

2024-01-28 09:33:35 | 日記
 ウルトラマラソンという競技がある。42.195キロのマラソンを超える距離を走るものや、24時間走のように一定の時間を決めて走るものがある。四万十川流域を100キロ走や阿蘇山のカルデラを100キロ走、富山湾を出発して中央アルプスなどの尾根を走り、静岡の駿河湾まで数日かけて走るものなど日本各地で開催されている。世界的にはギリシャのスパルタスロン246キロ、イギリスのグランドユニオン運河233キロのレースなど、とにかく僕のような人間からすれば、とても人間のなせる業だとは思えない。

 他にもカヌーや自転車なども組み合わせ、数日かけてレースを行うアドベンチャーレースなどもあるが、なぜそんなことが可能なのか、そういう超人的な人たちの話を聞くと、決まって肉体が悲鳴を上げていても、自分は楽しいことをしていると頭で思うことで体をだますというようなことを言う。そうすることで肉体の限界を超えていくのだが、その状態を神の領域ともいう。自分が行なっている行動にも関わらず、別の次元の自分が操っているようなものである。

 そもそも僕たちの体というのは、本来全力をつくすようにはできていない。常に全力を出せば、体が壊れるからだ。そのため常にストッパーがかかっている。「火事場の馬鹿力」という言葉があるが、緊急事態でストッパーが外れた状態で出せるフルパワーのことだとも言える。が、いつもいつもストッパーがかかった状態にいると、僕たちの体はすっかりそれに慣れてしまい、フルパワーを出す必要がある時でさえ、脳みそのほうが制御してしまうのだ。

 お金なら温存することで、子孫に残してやることはできるが、体力についてはいくら温存しても使わなければ無駄な貯蓄だ。だから、時々温存することをやめて、力を出し切る努力もしたほうがいい。それには、超人たちの体をだますやり方が参考になる。

 卑近なことで言えば、犬の散歩に出たくない時、「散歩は楽しい」と思い込むことによって、行きたくない自分をだますのだ。そうすることで本当に楽しくなるということがある。いやいや始めた掃除が、いつの間にか本格的な大掃除になるということがある。

 「自分が好きなものが見つからない」「何をすればいいかわからない」という人は多いが、まず「自分はこれが好きなのだ」とだますのが肝心だ。「何をすればいい」ではなく、「これをする必要がある」と思い込むことが大切だ。そうすればおのずと脳みそに従って動くようになるのである。
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暴風雪

2024-01-27 09:46:00 | 福島
 ここ三日間ほど、猛烈な風が吹き荒れた。ほとんど台風である。家の中にいても、風の音がうるさくてテレビの音が聞こえないほどだ。

 散歩に出ると、あちこちのビニールハウスのビニールがめくれあがっている。道路脇のパイロンが転がっている。電線にスーパーのビニール袋がぶら下がっている。どこか壊れたところはないかと家の周りを調べると、軽い植木鉢はひっくり返り、プラスチックの波板の一部が割れている。このくらいの被害で済んだのなら、ひと安心なのだ。

 このあたりは雪雲の境界線にあったが、この強風で雪が吹き流されてきて、一時は3センチくらい積もった。雪の降る灰色の向こうに青空が広がっていたりして、不思議な光景が見られたりした。

 昨日の午後、前線も通り過ぎたようなので、テオを連れて長い散歩に出ることにした。





 あちこちにはまだ雪が吹き黙っている。雪が大好きなテオは、行く先々で雪をペロペロとなめて確認するため、なかなか前に進まない。





 時折強い風が吹く。空を見上げると、風に逆らうようにカラスが飛んでいる。と、くるりと反転し、風に乗ったカラスはあっという間に飛び去って行った。

 カシラダカの群れが、雑木林の下のクマザサの中で無数に動いている。メジロの群れが、木々の間を飛び回っている。



 テオは強い風を受けて、文字通りオールバックになっていた。


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判決の不思議

2024-01-26 11:20:41 | 日記
 京都アニメーションへの放火事件の判決が出た。京都地裁による判決は、誰もが予想していた通り死刑判決だったが、地裁での裁判ということは控訴や上告があれば裁判は続くということなのだろう。

 死刑判決がある国は、世界でも限られている。死刑制度は人権に反するというのが先進国の考えということになっているから、日本は野蛮な国だという人もいる。が、欧米でいう人権とは、キリスト教に基づく考えであり、この世は創造主によって作られているので、どんなに悪い人間だろうと神様の思し召しだということになる。従って、人間が人間の命を絶つことは神様への反抗だということになる。だから、キリスト教社会では自殺も殺人と同じ扱いだ。自分の命だろうと、神様が与えたものだからだ。

 死刑がいいのか悪いのか、僕にはわからない。というのは、死刑に相当するような犯罪の被害者やその家族になったことがないからである。もし、凶悪な犯罪に身内が巻き込まれてしまった時、死刑を廃止しろと言えるほどの自信はない。

 死刑制度があるのだから、京都アニメーション放火事件の加害者のように、全身に火傷を覆い生死の境をさまようような状態にある時、どうして国費を投じて治療する意味があるのだろうかという意見もある。が、法治国家である以上、判決が出るまでは死刑囚ではない。裁判を争った結果、責任能力がないために無罪だという判決が出る可能性もある。だから、医療行為は絶対に必要になるのである。

 それにしても、「罪を憎んで人を憎まず」とは言うけれども、責任能力がないために無罪というのは、あまりに被害者家族にとっては残酷な判決だ。「罪を憎んで」というのなら、まずどんな人間が犯した犯罪だろうと、判決はそれに値したものにしてもらいたい。その上で環境や精神的な障害などにより、情状酌量がつくというのなら納得が行く。が、実際は最初から責任能力の有無を問うことになるから、僕にはそれが不思議で仕方ないのである。
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静物画に挑戦する

2024-01-25 09:22:51 | イラスト
 ガクと野田さんの絵を描いたので、次は趣向を変えて静物画に挑戦することにした。今までは人物の顔のアップ、上半身、全体像、それから犬を描いた。それぞれに質感の違うものを描いているので、描くたびに得るところがある。

 水墨で描き始めた当初から、いつかは風景や静物も描くつもりでいたが、まずは静物画に挑戦だ。人間、犬、風景などと違って、静物画といえばまず人工物を描くことになる。そうなると自然界には本来存在しない直線や滑らかな曲線など、フリーハンドで描くには難しい問題が出てくる。フニャフニャした線では、面白い絵は描けても、僕が目指すところからは外れてしまう。

 そこで直線を描くのにマスキングテープを使うことにした。画面を汚したくない時や部分的に白く残したいような時に、イラストの世界ではマスキングする手法が取られる。水彩画でもボンドに似たものを画面に貼り付けることで、白く下地を残す手法がある。それを水墨画の世界でもやってみようと考えたのである。絵は自由だ。ああしなきゃならない、こうしなきゃならないという決まり事はない。先生によっては「それは邪道だ」という堅物もいるだろうが、幸い僕には先生がいない。思ったところを思うようにやってみるまでである。



 これは以前パソコンを使って描いたイラスト。これと同じ題材を、今度は水墨で描いてみた。



 画材の違いで、こんなに絵の雰囲気が変わってしまうところが面白い。
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未だ雪かきなし

2024-01-24 12:17:26 | 福島
 最強寒波がやって来るという。寒くなる前にたっぷり散歩をしておこうと、昨日は午後から長い散歩に出た。



 風はあるものの、青空が見えている。予報の天気図では、この辺は雪が降る境界線あたりにあり、予報が外れれば大雪が降るかもしれない。風が吹いてくる西の方を見ると、寒そうな雲が空を覆っている。なんだか危ないなあ。



 今年は去年以上に雪がない。この冬はまだ一度も雪かきをしていないのだ。どんなに雪が少ないと言っても、この時期にはすでに何度か雪かきはしている。それがうっすらと白くはなるものの、お昼には溶けているという日が続く。このまま春を迎えるようなことがあれば、温暖化は確実に進んでいると実感できるだろう。そもそも地球温暖化は、暑い地方よりも寒い地方で影響が大きいと言われている。

 日本海側では今年も大雪になっている。が、違うのはその後の気温の上昇で、大雪が降った後にすぐに気温が高くなり、雪崩の危険が増すという繰り返しだ。僕が10年少し前に福島にやって来た時には、膝まで積もっていた雪は、今では積もってもくるぶしくらいまでで、それも湿ってビショビショの雪なのである。「これじゃあ九州の冬とあまり変わりがないじゃないか」と言っていたら、早くも近所の庭では紅梅が咲いている。



 ここ三春町は、三月の終わりから四月にかけて、梅、桃、桜が同時に咲くことから「三春」と呼ばれているという人もいる。この時期に梅の花が咲いているなんて、今までになかったことなのである。



 今日は強い西風が吹いているせいで、吹き飛ばされてきた雪が朝から激しく降っている。時々青空が見えはするが、うっすらと積もり始めた。もしかしたらこの冬初めての雪かきが必要かなと覚悟していたら、お昼には道路の雪は溶け始めた。この分だと今回の雪も、雪かきはしないで済みそうだ。果たして明日の朝にかけ、どうなるだろうか。
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怖いネーミング

2024-01-23 13:59:01 | 日記
 ある病気の患者が、去年過去最多となったとニュースでやっていた。それは一般的に『溶連菌』と呼ばれている溶血性レンサ球菌に感染したというもので、致死率はなんと30%にもなるという。30%と言えば、10人中3人が死んでしまうという割合ではないか。こんなものに感染したら、お先真っ暗になるに違いない。病状は、手足の傷口などから感染したり、咳やくしゃみでも感染する。足の傷口から感染したような場合、1時間に数センチという驚くほどの速さで壊疽が広がるというから、あわあわ言っている暇はない。そういう病気なので、またの名を「人喰いバクテリア」という。もう、名前を聞いただけでホラー映画みたいな世界である。

 予防としてはとにかく清潔にするのがいいらしいが、うがいや手洗いはまめに行っても、足を洗うというのは一日の中でそう頻繁に行うものではないので、足に傷がある人は気をつけなければいけない。30代以上はかかりやすいというから、年寄りは「人喰いバクテリア」が身の回りに迫っていないか、いつもアンテナを立てておく必要があるのだ。

 それにしても、ネーミングというのは人の心理を動かしやすい。「溶連菌」といわれても、右の耳から入って左の耳へ抜けて行ってしまうだろうが、「人喰いバクテリア」となると、気が引き締まる。「エイズ」という病気が流行し始めた頃、病気の恐ろしさに病名がついて行っていないなと感じていた。恐ろしい病気には恐ろしい名前をつける必要がある。その点、「エボラ出血熱」というのはインパクトがあった。そんなもの、絶対かかりたくないと思わせる名前だ。

 危険な外来生物についても、「ヒアリ」なんて名前は良くない。いくら危険な蟻だと言っても、字面から「火蟻」以上のインパクトはない。同じ危険な外来生物なら、「セアカゴケグモ」に軍配があがる。

 健康診断でよく聞く名前に「プリン体」や「ピロリ菌」がある。どちらも可愛らしく危機感ゼロのネーミングなので、「プリン体」を控えろとか、「ピロリ菌」を退治しろと言われても、なんとなく可哀想になってしまうのである。
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ガクと野田さん

2024-01-22 11:24:15 | イラスト
 丸二日がかりでガクと野田さんの絵を仕上げた。



 ガクとの冒険を書いた野田さんの本を読み、こんな犬との付き合い方があるんだなあとうっとりし、それからはいつか機会があれば犬を飼おう、その時はペットとしてではなく、相棒として犬と付き合おうと考えるようになった。

 そんなことを今回絵を描きながら、いろいろ思い出した。

 野田さんがガクとの思い出を振り返った本「ともに彷徨いてあり カヌー犬・ガクの生涯」に、ガクとの最後の別れのシーンがある。

「夕方、ソファに横になっていたガクが、尿意を催して小さくワンといった。外に出すとなかなか帰ってこない。裏庭に回るとガクがそこに立って、目の下に広がる畑や野原や川を見ていた。折りしも夕陽が山に沈みかかっていて、地上を赤く照らした。ぼくもしゃがんで、しばらくガクと一緒に夕焼けの景色に見入った。
 翌日、ガクは入院し、二日目に死んだ。心臓が弱っていたのである」
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