おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

高く遠い夢

2014-11-30 12:04:02 | 福島

 三春の図書館から借りてきていた冒険家・三浦雄一郎さんの「高く遠い夢ふたたび」を読む。「ふたたび」というのは、75歳のときに同じ題名の本を出しているのだが、どうしても同じタイトルでということで「ふたたび」をくっつけたらしい。

 三浦さんが80歳でエベレストのてっぺんに立ったというのは、皆が「凄いなあ」とは言うが、どのくらい凄いことなのかほとんどの人がわからない。本に書いてあるが、エベレストのテッペンというのは、動作も脳の回転も20歳が90歳になるという。80歳でエベレストに登るというのは、150歳の人が運動しているのと同じようなものだ。

 が、それでも僕らにはその凄さが今ひとつピンと来ない。スポンサーもマスコミもついているし、サポートしている人たちも凄い人ばかりだしで、それだったらなんとなく登れそうな気がする。本当はそんな甘っちょろいものではないのは、サポートについた人たちが最初は誰しもが絶対無理だと思っているのでもわかる。エベレストに登るというのは、運動能力の優れた選ばれた若者でも、五人にひとりは死ぬような世界である。80歳で登るというのは、最初から死にに行くようなものなのである。

 けれども、冒険家・三浦雄一郎さんの凄さは、たとえ1%でも可能性があるならば、そこから一点突破で、1%を2%に、2%を5%にすることで少しでも可能性を見いだそうとすることだ。不整脈があり登山は無理だと医者に言われれば、何度でも手術を受ける、という具合に。

 登頂後、30分で降りるところを50分滞在したため三浦さんは体力を失い、ギリギリの状態で下山する。山登りの事故は8割が下山時に起きる。結局ベースキャンプまでの下山は、三浦さん自身どころか同行者の命も危険にさらすことになるということで、途中でヘリコプターの救助を要請する。どれだけ死の瀬戸際まで行ったのかは僕らには想像できない。ただ、そういう場所に夢があるという凄さというのは、何となく感じることができる。

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ジャポニカの虫

2014-11-28 13:50:46 | 福島

 ネットのニュースで、ジャポニカ学習帳の表紙から昆虫が消えたという話が出ていた。虫嫌いの子供が増え、そんな表紙のノートなんか持ちたくないと思うらしいが、気持ち悪いのは子供だけではなく、教師のほうも虫のアップの写真のノートなんか手に取りたくないというのだ。メーカーはとにかく物を売らなければならないから、気持ち悪いと言うのが少数でも、そんなノートは売りたくなくなる。で、いつしかジャポニカ学習帳の表紙から昆虫は消えたらしい。

 最近「バカの壁」を書いた養老さんの本を何冊か続けて呼んだが、今の世の中は超個人主義なんだそうだ。超個人主義というのは、可愛いのは自分だけ、自分の外の世界のことは気持ち悪いし好きになれない。大人になるというのは、世の中とどう折り合いをつけていくかにあるのだが、「オンリーワンでいい」なんて歌が流行るのを見ると、どうやら折り合いなんかつけなくっても、それが個性だくらいの考えが蔓延しているらしい。

 学校の先生の中に虫嫌いがいても何ら不思議ではないが、自分が虫嫌いだからノートの表紙につけてもらうのは止めてもらいたいというクレームをメーカーにつけるというのはどういうものか。本来命の大切さを教える立場にあるものが、気持ち悪いから自分から遠ざけてほしいと考えるのは、なんだか人種差別と同じ構図があるように思える。虫が好きとか嫌いとかいうのは、極めて個人的なことである。昆虫がいかに精一杯自分の生をまっとうしようとしているかに注目すれば、好きだの嫌いだの言ってられないはずである。

 命の大切さとか何とか、きれいごとを並べて甘ったるいことを言う人は多い。ところが、道路で犬や猫が死んでいて、可哀想だからと進んで片付ける人がどれだけいるだろう。自分の飼っている犬なら、たとえ車に轢かれペチャンコになっても、抱きかかえて悲しみにくれるだろう。ところが同じ死でも、自分と無関係な死なら気持ちが悪くなるのである。養老さんはこれを「三人称の死」と呼ぶ。

 命の大切さを言いながら、実のところ大切な命と気持ちの悪い命とを無自覚に区別している人は多い。ジャポニカ学習帳のニュースを読みながら、そんなことをつらつら感じるアベさんなのである。

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南極の犬

2014-11-27 13:35:48 | 福島

 高倉健さんが死んだというので、追悼番組としていくつか映画が流れた。その中のひとつ「南極物語」を録画しておいたので、昨日夕飯の後に観た。といっても、以前放送されたときにも観ているのでこれで2回目で、ノンフィクションとしては物凄い物語だが、映画としてはあまり出来がいいとは言えないなと思っていた。

 久しぶりに見返しても、高倉健さんを始め、キャスティングにしても豪華だし、南極で撮影したみたいだし、かなり大掛かりの映画になっているが、豪華なわりに感動はないなという印象だった。大体、南極に残して来た犬たちが、その後南極でどう過ごし、どう死んでいったかなんてわかりはしないのに、そういうところまで丁寧に描くと、ディズニー映画の動物もののように嘘っぽさが目立つのだ。最初から人間の物語にするか犬たちの物語にするか、割り切って作ればもっとシンプルで感情移入できたんじゃないかと思う。

 それにしても樺太犬たちの辛抱強さと体の強靭さはどうだろう。マイナス40度の世界でも、全速力で走り回っている姿を見ると、この映画はそれだけでいい気がする。

 それに引きかえ、我が家の犬たちときたらなあ。日中はカフェがあるので外につないであるが、その間はめいめい自分の小屋に潜り込み、お客さんが来ても愛想のひとつも振りまくわけでもない。そうやってじっとカフェの閉店時間が来るのを待つと、ゴソゴソと小屋から這い出し、ワンワンキャンキャン、散歩に連れてけ~、飯はまだかぁ~とうるさくて仕方ない。

 夜、家の中に入れるとドリは早速コタツの中に頭を突っ込み、トトは布団の上で丸くなって爆睡している。おまえらが南極に行ったら、1日で凍死するだろうな。

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冷たい雨

2014-11-26 15:11:29 | 福島

 昨日から雨が降り続く。気温はぐんぐん下がって12月の気温だという。天気予報を見ると、福島の最高気温9度、ちなみに大分県が17度となっているから、ずいぶんと違う。体はすっかり東北仕様となったが、意識のほうがまだついて来ない。11月下旬と言えば僕の中では紅葉の見頃の時期、東京から大分に引っ越したときはGジャンを羽織っただけだった。が、一昨日は雪の山を歩き、昨日はスタッドレスタイヤを積んで車屋さんに出かけた。

 冷たい雨が降るなあと考えていたら、いつの間にかユーミンの歌を口ずさんでいた。「つ~めた~い~あめにうたれてぇ~、ま~ちを~さ~まよおった~のぉ~、てか」。確か男の部屋に行ったら別の女の靴があったといったような修羅場を唄った歌だったと記憶しているが、きっと11月とかじゃなくて、12月の年の瀬も押し詰まったクリスマス近辺の歌なんだろうなと思う。

 東北だとその頃は冷たい雨というより、しっかり雪が降っているだろう。積雪の中を膝まで埋もれながら、汗をかきかき街をさまよっては、この歌の雰囲気はぶち壊しになる。ということは、どう考えても雪国が舞台ではないのだ。

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使い勝手

2014-11-25 15:27:44 | 福島

 住所を福島に移したので、愛車の車検証とナンバープレートも変更しなければならない。手続きが面倒なのと時間が取れないのとでディーラーに持ち込んで代わりにやってもらうことにしたら、代車に最近やたらに売れたホンダの軽自動車Nボックスを貸してくれた。キーはリモコンでスタートはボタンひとつ、信号で止まっている間は勝手にエンジンも止まるアイドリングストップの機能もある。おまけにナビまでついているので、家に帰るまでずっと道筋の表示が出ていた。

 が、僕にはやはり愛車のバモスホビオのほうが使い勝手がいい。山登りに行ったり長距離ドライブで仮眠を取りたい時、ホビオの荷室は180センチあるので真っすぐに足を伸ばして寝ることができる。犬を乗せるためにゴムのシートを貼ってあるので、泥足で上がっても拭けばすぐにきれいになる。

 日本のメーカーはとにかく至れり尽くせりの商品を作ってくれるが、あまりに作り込んでしまうので、機能ばかり増えて高価になる。使い道のない機能をつけてくれるよりは、なるべくシンプルにしてもらってその分価格を下げ、オプションで必要な機能だけを追加できるようにしてもらえたら助かる。

 携帯電話も、僕は通話だけでメールもネットも使わない。ましてやお財布携帯やらカメラやら、財布もデジカメも持っているので重複するような機能いらない。その分安くしてくれと思う。日本の携帯電話がガラパゴス携帯と呼ばれるゆえんである。

 Nボックスを運転して帰る途中、信号で止まった。早速エンジンが切れたが、青になりアクセルを踏んだらエンジンがひと呼吸おいて反応した。一瞬動かなくなったのかと、心臓が冷たくなった。アイドリングストップはいいが、レスポンスだけは良くしてもらわないと、もたもたした車になってしまうだろう。

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安達太良山の雪

2014-11-24 20:25:59 | トレッキング

 三連休に入りびっくりするように陽気が良いので、一昨日昨日と「ああ、もったいないもったいない」とそればっかり口にしていた。ようやく今日カフェがお休みになり、早速山歩きに出かけることにした。この前から安達太良山のテッペンが白くなっていたので、雪が深くなり歩けなくなる前にどうしても行っておきたかったのだ。

 で、犬たちは留守番、連休でタミちゃんが休みなので連れて行くことにした。近頃はちょこちょこと山登りに一緒に行くので、体力にも自信がついてきたようだから、少しくらいの雪ならへっちゃらだろう。

 山のテッペンが雪と氷に覆われているとしても、少し標高が下がると雪が溶けて登山道がグチャグチャになっている可能性がある。ドロドロになるとテンションが下がるので、道の整備されたクロガネ小屋経由で登ることにした。

 写真中央の黒い塊がクロガネ小屋。温泉もあるが登りで入ってしまっては、そこで登山は終了してしまうので、素通りして背後の山を目指す。もしかしたらアイゼンが必要になるかもしれないが、とりあえず登れるところまで行ってみよう。

 峰の辻まで来ると、白くなった乳首山が正面に見える。さすがに連休とあって登山に来ている人たちが多い。

 牛の背まで登り切ると、最高峰である乳首山に向かうのが一般的なルートだが、前回タミちゃんは乳首山の頂上に立っているので、今回は初めてとなる沼ノ平の縁を巡るルートをたどる。

 崖の下をのぞき込むと股間がムズムズするが、ムズムズを我慢して磐梯山が正面に見える場所まで歩いてみる。

 磐梯山の向こうには、雪に覆われ真っ白になった不気味な飯豊山が姿を現す。福島と山形の県境にあり、2000メートルを超える山だ。この季節に飯豊山に登るのは、僕の実力じゃ無理だろうな。

 それにしても、11月で早くも雪山を体験できるなんて、やはりここは東北なのである。

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可愛いヤマガラ

2014-11-23 13:14:08 | 福島

 日曜日の朝の散歩は、普段よりも少しだけ長距離だ。首からカメラをぶら下げ、白々と明るくなり始めた中をキョロキョロしながらテレテレ歩く。

 三春の里は秋も深まり、何もかもが枯れて鄙びている。ああ、風流だ。

 いわゆる、ワビ、サビという世界だな、これは。でも、カメラを持って来たけど、いつもの見慣れた風景なのだ。

 朝1時間半、朝食後再び1時間半の長い散歩に出かけ、近所まで戻ってくると、庭先でジージーと聞き慣れた声。

 すぐ目の前の木の枝にヤマガラが止まり、何やら熱心に食べている。2年前には頻繁に訪れているヤマガラは、なぜか去年今年と我が家の庭先では姿を見ない。こんな近所まで来ているのなら、そろそろ我が家でも見ることができるかな。

 野鳥のなかで一番キュートで可愛いのは、ヤマガラだと信じて疑わないアベさんなのである。

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カフェからのお知らせ

2014-11-22 06:11:22 | 福島

 カフェのHPでは、今日は「臨時休業します」と予告してある。本当は臨時休業するつもりはないのだが、カフェにタミちゃんの会社の人たちが大勢押しかけることになっているので、何時間かは店内はいっぱいで座る場所もなくなるだろうし、静かな落ち着いたカフェとはとても言えない雰囲気になってしまうだろうから、それだったら他のお客さんに遠慮してもらうほうがいいかなと思ったのだ。というわけで、今日カフェに行ってみようかなと思っている人は、明日にしてもらいたい。どうしても今日がいいよお、という人は、連絡をくれれば3時以降は静かにコーヒーが飲める雰囲気になっていると思うので、それから開店してもよかろう。

 カフェのほかにも、空いた時間で書道教室もやっているから、子供たちが墨のついた筆であちこち汚してしまう。昨日は書道教室が終わった午後10時過ぎから、手洗いのカウンターやら白木の扉を、墨の汚れが目立たないように焦げ茶色に塗り直した。

 渋い落ち着いた雰囲気を目指しても、なかなか周囲が許してくれないバタバタしたカフェなのである。

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三たび、カワセミ

2014-11-21 11:01:39 | 福島

 いつものように朝の散歩に出かけ、「ここの溜め池だったんだよな、カワセミを見たのは」と思いながら池のほうに目をやると、池をぐるりと取り囲む青色のフェンスの上に、頭でっかちの野鳥がいるではないか。「カワッカワッ、カワウソ、違う、カワセミだ」とアワアワしながら声をあげると、気配を察知したのか、カワセミは羽を広げ、サッと低空飛行で飛んでいってしまった。

 こういうときに限ってカメラを持って来てないんだよな。それでも一週間ばかり前に同じ場所で目撃したということは、もう完全にこの池周辺を生活圏にしているということなのだろう。夏にも1度目撃しているが、なんたって散歩の途中でここを通り過ぎるのはほんの1分くらいのものだ。一日見張っていれば、もっと観察できるかもしれない。

 それにしても、カワセミはなんとなく清く澄んだ渓流にいるイベージがあるが、僕が今まで見たのは、大分県宇佐平野の田んぼの用水路、新潟の同じく田んぼの用水路、そして三春の田んぼの溜め池だから、清く澄んだ流れが必要というわけではなさそうだ。

 で、調べてみると、海岸、川、湖、池と水辺ならどこでもいいらしく、昔は町中や都心でも見られた鳥だという。が、高度成長期に生活排水や工場排水が河川に流れ込み、汚染が進んだためカワセミは都市部から姿を消した。農村でも農薬や除草剤の散布で一時期ホタルやカエルの姿が激減していたが、近年は環境保護の意識が高くなったのか、カワセミも人里に戻りつつあるのだろう。

 さて、次はこの近くの川で目撃情報のあった白黒ツートンのヤマセミに遭ってみたいものだ。

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ここでないどこかへ

2014-11-20 12:49:22 | 福島

 昨日図書館で借りてきた写真集「日本列島」を眺めている。北海道から沖縄まで、風光明媚な日本各地の美しい写真が数百枚と紹介されている。サロベツ原野やオホーツク、知床や襟裳岬、奥入瀬や八幡平、伊豆半島や能登半島、鳥取砂丘や四万十川、そして阿蘇山や開聞岳と、懐かしい風景が並ぶ。こうして見ると、僕もあちこち見て回っているなと実感する。紹介されている土地の七割くらいは見ているに違いない。

 旅行をしていて、いつも一番気になるのは、そこに住んでいる人たちのことである。深い山間に小さな棚田が連なっている。それは今では観光名所化しているが、住民は観光のために棚田を作ったわけではない。北海道の美瑛は、パッチワークのような畑の色合いがよくカレンダーになっていたりするが、畑の間を歩き回っていると、そこにあるのはどこにでもある畑の何ら変哲もない姿だ。風光明媚といっても、住んでいる人にとってはそこは日常の場所なのである。

 そういうところを見て回っていると、現在住んでいる場所も、一歩下がった位置から眺めるようになる。案外、他所の人にとってそこは風光明媚な場所だったりすることもある。

 かつて人類はアフリカで生まれ、地球規模で広がっていった。人は本来好奇心が旺盛な生き物だと言うが、必ずしもみんながみんな世界を目指したわけではないだろう。オレはここで十分だと根を下ろした人たちが大半だっただろう。そんな中、もう少し先へ行ってみようという変わり者がいた。僕もそんな時代だったら、やっぱり根を下ろすことができずに先へ向かったタイプの人間だったのかなと、日本列島の写真集を見ながら想像したりするのである。

 フランス詩人ボードレールだったかな「ここでないどこかへ」と詩ったのは。

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