おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

駅弁の楽しみ

2024-08-08 12:07:52 | 旅行
 大分から福島に戻るのに、いつもは朝早いから新幹線の乗車駅となる小倉駅ではまだ駅弁が売られていない。今回は夜に福島着なので、お昼に小倉駅だ。で、珍しく駅弁を買うことができた。

 というものの、今回往路では東京駅で明太子弁当を買ってしまった。となると博多明太弁当は除外しなければならない。

 もっともビールのつまみみたいなものなので、何でもいいのだ。今回選んだのは九州肉巡り旅みたいなやつ。佐賀牛、熊本赤牛、鹿児島黒豚、鶏の炭火焼き、おとそぼろなどてんこ盛りだ。いつもは幕の内か魚介系なので冒険だ。



 駅弁を食べるには、ほかに三種の神器が必要だ。それはお茶とビールと本。これがなければ始まらない。

 が、肉尽くしはさすがに飽きるな。呼子のイカシュウマイ弁当が良かったか。

 弁当を食いながら、車窓の景色でもたのしめば、なんてのは山陽新幹線を知らない人だ。何しろトンネル率が50パーセントを超える。窓を向いてたら、頭が痛くなる。



 一瞬見える外の景色を写真に撮るのもひと苦労。ちなみに東海道新幹線だとトンネル率が13パーセントだから、かなり眺めがいい。

 弁当食ってビール飲んで本読んで、小倉駅から郡山駅の6時間半を過ごすのである。
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二か月違う

2024-07-18 12:21:06 | 旅行
 朝からシャワシャワシャワシャワと、クマゼミの大合唱で起こされる。明け方は涼しい東北と違って、九州は朝からというより夜通し暑いのだ。気をつけないと寝ている間に熱中症になりそうなのである。

 体感温度も違うが、日の出日の入り時間もずいぶん違う。大分に到着したのが夕方だったが、その日午後七時半になっても外はまだ明るい。その代わり朝は五時半くらいからしか明るくならない。福島だと日の入りが六時半、夜明けが四時半くらいの感じだから、1時間くらいはずれているだろうか。もっとも時刻に関しては、日本の場合明石を標準時にしているから、明石の時間を日本中で共有しているというのが実情だろう。アメリカ、中国なんかの広い国では標準時がいくつもある。アメリカ東海岸が昼でも西海岸は朝を迎えたところだったりする。日本人には共通の時刻はひとつというのが当たり前だから、想像するのは難しい。全米を相手にする仕事はどうしてんだろうと思う。

 日本の場合は縦に長いということもあって時差に関してはあまり気にしなくていいが、その分高い山のふもとと山頂くらいの違いはある。



 昨日、自転車で買い物に行くのに農道を走ったら、まだ田植えが終わったばかりでビックリした。福島ではゴールデンウイークあたりで田植えをするのが普通だからだ。





 目に見える景色の感じでいうと、これだと二か月ばかり逆戻りしたようだ。この辺は梅雨前まで麦畑が広がり、梅雨入り後に田植えになる。で、今が田植えが終わったばかりの風景になる。

 天気予報では、大分県は今日は雨だが、明日あたりには梅雨明けするようである。ここ2週間、右ふくらはぎの靭帯を痛めていたので運動は控えていたが、痛みもなくなったので、明日は晴れたら海までランニングをしようかと思っている。暑熱順化を済ませていたつもりだったが、少しサボっただけですっかりもとのナマクラな体になっているのである。
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お待たせ

2023-12-21 13:00:21 | 旅行
 朝8時に大分を出発し、午後2時半に東京に着いた。そこで午後3時発の東北新幹線に乗り込む。




 しばらくはコンクリートしかない風景が続き、大宮を過ぎたあたりから田んぼや畑が目につくようになる。新幹線の中はちょうどいい気温で快適だが、外の景色が快晴で青空が広がるので、寒々しいところがまったくない。稲刈りが終わったばかりの秋の風景である。

 などと思っているうちに栃木の宇都宮あたりまで来ると、景色は北国っぽくなってくる。まだ4時前だというのに、陽が傾き、オレンジ色の光線が冬枯れの野を照らし出す。



 栃木の那須高原が近づいてくると、遠くに白い雪を被った山々が見えてくる。あのあたりは那須連山あたりだろうか。那須を過ぎると、昔から東北の入り口とされている白河の関を越える。



 午後4時半、無事福島県郡山駅に到着する。タミちゃんに迎えに来てもらっていたので、我が家に直行する。なんたってテオとアンとほぼひと月ぶりの再会なのである。その時のリアクションが楽しみなのだ。できればキャンキャン吠え、飛びついてくるくらいの勢いが欲しい。アンはいつも通り甘えてまとわりついてくるだろう。

 と、夢見ていても、実際のテオくんは僕が顔を見せるとしっぽを巻いて遠くからこちらを見ているだけで、しっぽを振る気配は微塵もない。もう5年も一緒に暮らしているんだぞ。

 昨日は暗かったので写真を撮るのを諦め、今朝、テオの散歩から帰ってきて、テオとアンの記念撮影をした。





 やっぱり身近に犬や猫がいるというのは最高なのだ。人間ばかりの世界なんて退屈で寂しい。
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駅弁買わず

2023-12-20 10:30:38 | 旅行
 眠い。本を読んでいたけれども、気がつけば目を閉じていて、本を落っことしそうになっている。危ない危ない。今は新幹線の中なので、大きな音を出すとカッコ悪いのだ。

 在来線の特急で40分、小倉駅で新幹線に乗り換え東京まで4時間半、そこで東北新幹線に乗り換え福島県郡山駅まで1時間半。約7時間半の列車の旅である。

 福島からだとお昼前に東京駅乗り換えなので、じっくり駅弁を選んで新幹線に再び乗り込む。が、今回は小倉駅乗り換えが10時前なので、駅弁を買う時間じゃない。とりあえず缶ビールと小腹が減ったときのために、コンビニでサンドイッチを買っておくことにした。

 というわけで、ほとんど唯一の楽しみがないので、読書に専念していたが、朝が早かったので今頃眠くなっているのであった。

 本は日本の発酵食品について書いたものだが、古く日本は食国(おすくに)と呼ばれていたという。今でも伊勢神宮や春日大社などでは、毎日神様に食事を運んでいるが、食べることが新たに生まれ変わるという信仰があったからだ。そんなわけで、日本国民は神様に美味しいものを食べてもらおうと、日夜あちこち探し回っているのであった。

 食べ歩きやカフェ巡りなど、実は信仰の証なのである。本当にそうかどうか、信じるか信じないかは、あなた次第である。
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使者を迎える道

2023-06-01 12:19:55 | 旅行
 昨日の土砂降りは午後には止んだ。今日は朝から曇天。案外梅雨入り宣言が出ると、晴れ間が続いたりし、拍子抜けすることがある。反対に梅雨明け宣言しても、いつまでもグズグズ雨が降ることもある。

 とりあえず梅雨の晴れ間とまでは行かなくても、雨が降りそうな気配がないから、今日はランニングに出ることにした。で、毎回同じコースもつまらないので、今日は宇佐神宮にまつわる遺跡を巡るランニングである。

 まず向かったのは、化粧井戸という遺跡。



 宇佐神宮で行われる放生会のときに、傀儡人形の化粧の場だったとされると文化庁のホームページにあったが、傀儡人形がどんなものなのかの説明がないので、なんのこっちゃという感じだ。ただし、ランニングの途中で立ち寄ると、いわれはわからなくても、小旅行をしている気分にはなれるので、それで良しとしておく。

次に向かったのは、凶首塚古墳。名前からしてすでに気持ち悪い。八つ墓村の世界である。



 同じく文化庁の説明では、「奈良時代に南九州の隼人を征討する際に八幡神も参加し、持ち帰った隼人の首を葬ったとされているのが勅使街道沿いにある凶首塚である」という。どうやらこの霊を鎮めるために始まったのが放生会らしいので、化粧井戸の傀儡人形というのは、隼人一族を模したものかもしれない。

 で、こうした遺跡に向かうのに、走った小道のあちこちに、「勅使街道」の立て札があった。どうやらここが大昔のメイン道路だったようで、遺跡を過ぎると、目の前に宇佐神宮の参道が続いていた。ちなみに「勅使街道」とは、お偉いお使いの人をお迎えするときに使った道路ということのようだ。



 なかなか素晴らしい眺めだが、こうした光景はランニング旅でなければ、お目にかかりにくいかもしれない。



 参道の両側に広がるのが、宇佐神宮の門前町だ。その向こうにまあるいお山が見えるが、それが宇佐神宮の御神体でもある御許(おもと)山。宇佐神宮の神様である八幡様が、そもそも天から降り立ったのが、あの山の頂きなのである。

 ちなみに八幡様というのは、戦いの神様ということにもなっている。文化庁の説明にあった「奈良時代に南九州の隼人を征討する際に八幡神も参加し」という説明は、戦いの神として従軍したことを意味しているのである。
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お宮参りランニング

2023-05-22 11:42:00 | 旅行
 今日は一年前もお参りした宇佐神宮までランニングすることにした。距離にしたら片道8キロほどだから、ランニングの目安にしている20キロには足りないが、広い神宮の境内は走るわけには行かないから、時間的にはけっこうかかってしまうのだ。

 というわけで、麦刈り真っ最中の黄金色の土地を横断し、宇佐神宮の参道に到着する。



 参道なのに観光客の姿が見えないのは、大駐車場が全然別のところにあるため、観光客は参道は歩かず、いきなり宇佐神宮内へと入っていく。地方の観光と言うことに関しては、地元にあまりお金が落ちないので、大駐車場の位置は大失敗と言えるかもしれない。

 ランニングの僕は、参道を走るのを避け、神宮内を流れる寄藻川の土手を走って境内へと入っていく。



 写真の赤い橋は呉橋という文化財(多分)だが、ここを一般人は渡ることはできない。



 で、スタスタを階段を駆け上がり、本堂の前に出る。持参してきたお賽銭をあげお参りしていると、隣でお参りしていた観光客が、「あれ、ここは二礼二拍手じゃなくて、四拍手なんだって」とビックリしている。「ホホホ、そうなんじゃよ。ここは全国でも出雲大社とここだけという四拍手なんじゃ」と、心の中で教えてあげる。

 四拍手なんて縁起の悪い数字が、出雲大社と宇佐神宮だけというのは共通点が必ずあるはずである。ちなみに出雲大社はアマテラス大御神によって滅ぼされた古来から日本にいたオオクニヌシが祀られている。となると、宇佐神宮もオオクニヌシ並の征服された大物が祀られているということになる。ところが、宇佐神宮に3つある神殿の中央に祀られているのは、ヒメオオカミという正体のわからない女神ということになっている。

 これをもって卑弥呼のホントの名前なんじゃないかという人もいる。なぜなら、卑弥呼というのは、日巫女あるいは日御子という役職目に違いないからで、本名は別にあるはずだからだ。

 といううんちくを心のなかで説明し、僕は神殿をあとにする。



 鎮守の森を抜けると、朱色の橋が見えてくる。あれを渡ると、再び僕は娑婆に戻ることになる。

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黄金色の土地を走る

2023-05-18 11:07:47 | 旅行
 大分に来て2日間、真夏日となったのでとりあえずランニングは延期していた。天気予報では今日の午後から雨の予想になっていたので、午前中は涼しいだろうとランニングをする予定にしていた。

 空模様は今にも雨が落ちてきそうな灰色の空だが、すぐに大雨になる気配もないので、安心して出発する。



 麦刈りがあちこちで始まった黄金色の土地を横断すると、川を超え、木々が生い茂る公園へと入っていく。





 走り始めて30分、体力はありあまっているので、今度は海を目指して走ることにする。



 1時間走って海に到着。遠浅の海はちょうど潮が満ちているときだったようで、防波堤の下まで波打ち際が来ていた。



 福島では広い視界を求めて阿武隈川の土手を走るが、こうして海を前にするとまるで大きさが違うのだ。ちなみに目の前の海は瀬戸内海で、天気がよければ対岸に山口県沿岸が見える。

 それにしても、視界が広いというそれだけで、気分が晴れるということは、環境がどれだけ人間の性格に影響を与えているかということも感じさせてくれるのである。


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麦秋の散歩

2023-05-16 09:17:47 | 旅行
 昨日は朝8時半に家を出て、新幹線を使って大分までやって来た。到着したのは夕方の5時。東北と違って日が暮れるのが遅いので、ずいぶん早く到着した気分だった。新幹線ではG7のテロ対策のためか、やたらに警戒していて、ホームのゴミ箱なども撤去されていた。

 ゴールデンウイーク明けなので空いているかと思ったが、乗り換えの東京駅はごった返していた。もうすっかりコロナの影響はなくなったようだ。

 で、いろいろ用事があるので、ひと月ほど滞在する。テオとアンの世話はタミちゃんに任せてきたが、こちらで朝起きても世話する犬がいないというのはなんとも退屈だ。体に染み付いたルーティーンを果たせないのは気持ち悪い。仕方がないので、早朝はひとりで散歩する。





 今はこちらはちょうど麦秋の季節。これから麦刈りがあり、その後田植えになる。すっかり田植えの終わった東北からやって来ると、季節を逆戻りしたかのような錯覚に陥る。





 この辺は麦焼酎の製造が盛んだから、ここの麦畑の麦はみんな焼酎になってしまうのだろうか。ビールや焼酎のための麦は大麦だ。ロシアのウクライナ侵攻で小麦が世界的に出回らないのだから、もっともっと日本でも小麦を作ってもいいように思うが、日本の気候には合ってないのだろうか。少し前は休耕田にすると補助金がもらえたりして、変な政策を行っていたが、自給率を上げるためにも、空き地は農業のために有効活用する政策も行ってもらいたい。

 などと考えながら、黄金色の土地をひとりボチボチ歩いているアベさんであった。
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大分での夏

2020-08-18 09:26:38 | 旅行

 新型コロナウイルスの流行で、片や旅行を自粛しろ、片やGo To キャンペーンで経済を回せと混乱する中、新幹線はガラガラだろうと大分の家の掃除に出かけた。とはいえ、気を使い、移動は僕ひとりで、車は他県ナンバーは嫌がられるので、電車を利用した。

 お盆の帰省客で繁盛する時期にもかかわらず、新幹線は経験したことがないほどのガラ空きで、郡山駅では店を閉めているお土産屋さえあった。とりあえず自由席だと無神経な人間が近くに座る可能性があるだろうからと指定席をとったが、新幹線の車両では、一両に10人ほどしか乗り合わせてはいなかった。ニュースでは5〜10%程度の乗車率と言っていたが、実際にそんなものだった。

 大分では、掃除のために来ているので、観光に出かけるわけでもなく、大分の家の庭木の剪定やらガラス窓の掃除やらで毎日を過ごした。あとは何も予定がないので、時間はたっぷりあるが、インターネットも繋がらない環境では、読書に精を出すくらいしかないのだが、連日の35度越えでそんな集中力はない。

 予定外だったのが、クーラーの1台がまったく動かなくなっていたので、熱帯夜を昔ながらの昭和な扇風機で過ごさなければならない。おかげで夜間のあまりの暑さに、涼しくなる夜明け前までは一睡もできないという毎日を過ごした。

 とにかく暑い。東北も暑いが、やはり九州の夏は格別だ。こうなったら逆療法でクタクタになるまで炎天下を走ってやれと、10日間のうち4日は猛暑の午後は、2時間ほどあちこちをランニングして回った。

 田園を走り、野山を走り、海辺を走り、町中を走った。

 カメラは一眼レフを持って行かず、ポケットカメラだったので、写りがイマイチだ。おまけに走りながら撮ったので、ピンボケ写真も半分ほどあった。

 ランニングで全身の汗を絞り切り、ぬるい風呂に飛び込むと、ビールを飲んでなんとか厳しい夜を乗り越えた。

 というような毎日で、帰りの新幹線はぐったり疲れていたので、クーラーの効いたシートの上で熟睡して福島に帰って来た。乗客はやはり1車両に10人ほどだった。

 行きの電車では新幹線の中で読もうと、新書版の「タモリ伝」を持って行った。言わずと知れたタモリさんのことを書いた伝記である。のんびりと読み始めたが、京都駅に着く頃には読み終えていた。他には阿刀田高さんの「新約聖書を知っていますか」を持って行ったが、これも大分にいる間に読み終わった。

 読むものがなくなったので、本屋でアレックス・バーザの「狂気の科学者たち」と井沢元彦さんの「逆説の日本史 日英同盟と黄禍論の謎」を買った。これは福島に帰ってくるまでにどちらも半分くらい読んだ。

 というようなわけで、僕の中では今日が本格的な夏休みで、明日は「アトリエ・カフェ 青い犬」再開の準備で、明後日から本格的な営業を開始する予定。

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大分にて(後編)

2019-12-29 10:47:38 | 旅行

 九州の朝は遅く、朝7時を迎えてもまだ暗い。福島の6時くらいの感じで調子が狂う。福島では5時過ぎには起きて犬の散歩に出かけていたので、自然とそのくらいの時間に目が覚めるが、外は真っ暗だし空には星が瞬いているしで、やることもないので二度寝をするしかない。

 遅い朝飯をとって窓拭きをしていたら、隣の住民から「すごいね、うちのもついでにやって」と言われて、その気安さに笑ってしまう。ただし、どんな小さなことだって僕としてはあまり手を出したくない。というのも、どんなことだって自分の人生を他人に肩代わりしてもらうというのはもったいないと思っているからで、人生とは自分でどこまでやれたかのことだと考えているからだ。

 今回は用事があって遠出はしなかったが、一度だけ国東半島に車で出かけた。12月も終わろうとしているのに、国東の山は紅葉が見頃で、季節を二度繰り返しているみたいでなんだか儲け物をした感じだった。

 富貴寺は国宝のお寺で、何度か来たことがある。お堂の中に壁画があって有名なのだが、保護のために最近はお堂の扉を閉めている。と思ったら、横の扉が開いていて、そこから中に入って見ることができるようになっていた。

 ただ、中は暗く、壁画もほとんど何が描いてあるのかよくわからなかったよ。

 この後、近くに修験者が修行をする無明橋という天空にかかる石橋があり、悪者は落っこちてしまうと言われている場所があるのだが、昔は道路から頭上高く見えていた石橋が、いくら探しても肉眼で見ることができなかった。観光案内板で位置ははっきりしているが、どうやら樹木が成長して視界を遮っているらしかった。あるいは僕の勘違いで、今でも見ることができるのかもしれないが。

 別の日には、カメラを持って五百羅漢を見に行った。行ってみると入場料100円とあり、お金を持っていなかったので、こっそり入って写真を撮ってすぐに退場した。羅漢の群像は下のほうが庶民で、上に行くほど悟りを開いた人ということになっている。そう思って見ると、自分に似た羅漢様を探せば、自分が今どのくらい煩悩を持っているかわかるということになるのだろうか。また機会があったら、100円くらいは持って来て、じっくり探そうと思う。

 12月25日はテオの満1歳の誕生日ということになっていて(保護犬なので正確な日はわからなかったので、我が家で勝手に決めた)、その日までは帰るつもりでいたのだが、予定が伸び帰れなくなってしまった。仕方がないので、空に向かってハッピーバースデイを歌う。

 ランニング最後は、神様に今年最後のお願い事をしようと、宇佐神宮まで走ることにした。ここは全国に4万社ある八幡様の総本山なのでご利益が高いだろう。で、忘れずにお賽銭を財布に入れて家を出る。この道を行けば宇佐神宮の近くに出るだろうと思って走っていたら、勘違いをしていて2キロも先の道路で、宇佐神宮につながる幹線道路にぶつかった。車ではなんということもない距離だが、走って2キロを戻るのは、時間も体力も大変なロスなのだ。

 広い境内を抜け、石段を駆け上がり、ようやくお社にたどり着く。ここのお参りの仕方は、全国でも出雲大社とここだけという「二礼、四拍手、一礼」だ。つまりは出雲大社に祀られている大国主命と同格の神様がここに祀られていることになる。が、三つある御殿の真ん中に祀られているのは、ヒメオオカミという誰だか謎の神様で、もしかしたら卑弥呼ではないかという説もある。

 というようなことはどうでもいいことで、「今年一年、みんなが健康で過ごせましたこと、また来年も健康で過ごせますように。ついでに世界平和でありますように」とお願いして、宇佐神宮を後にした。

 予定より3日遅れて福島に帰り、タミちゃんに迎えに来てもらう。テオは家で留守番させていたので、僕が先に家に入り、テオがどういう反応をするか見ることになった。キャンキャンと吠えながら飛びついてくるのか、それとも腰を抜かさんばかりに尻尾を振って出迎えてくれるのか。

 ガラガラと玄関を開け、「ただいま」とテオに声をかけると、テオは変な人が来たと思ったのか、おっかなそうな顔をして部屋の中を逃げ回った。こら、飼い主のご帰還だぞ。

 大分旅行のおまけとして、旅先で作った犬の詩を最後に載せておく。

「黒い犬」

昔飼ってた黒い犬
今も飼ってる黒い犬
同じ黒でも違う黒
同じ犬でも違う犬

昔飼ってた黒い犬
海でも山でも一緒だった
北から南まで一緒に旅した
最期の瞬間まで一緒だった

昔飼ってた黒い犬
いなくなってやって来た黒い犬
同じ黒でも違う黒
同じ犬でも違う犬

これからは君と思い出を作ろう
君と歴史を作っていこう
今は君が僕の友だち
新しい小さな家族

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