九州の朝は遅く、朝7時を迎えてもまだ暗い。福島の6時くらいの感じで調子が狂う。福島では5時過ぎには起きて犬の散歩に出かけていたので、自然とそのくらいの時間に目が覚めるが、外は真っ暗だし空には星が瞬いているしで、やることもないので二度寝をするしかない。
遅い朝飯をとって窓拭きをしていたら、隣の住民から「すごいね、うちのもついでにやって」と言われて、その気安さに笑ってしまう。ただし、どんな小さなことだって僕としてはあまり手を出したくない。というのも、どんなことだって自分の人生を他人に肩代わりしてもらうというのはもったいないと思っているからで、人生とは自分でどこまでやれたかのことだと考えているからだ。
今回は用事があって遠出はしなかったが、一度だけ国東半島に車で出かけた。12月も終わろうとしているのに、国東の山は紅葉が見頃で、季節を二度繰り返しているみたいでなんだか儲け物をした感じだった。
富貴寺は国宝のお寺で、何度か来たことがある。お堂の中に壁画があって有名なのだが、保護のために最近はお堂の扉を閉めている。と思ったら、横の扉が開いていて、そこから中に入って見ることができるようになっていた。
ただ、中は暗く、壁画もほとんど何が描いてあるのかよくわからなかったよ。
この後、近くに修験者が修行をする無明橋という天空にかかる石橋があり、悪者は落っこちてしまうと言われている場所があるのだが、昔は道路から頭上高く見えていた石橋が、いくら探しても肉眼で見ることができなかった。観光案内板で位置ははっきりしているが、どうやら樹木が成長して視界を遮っているらしかった。あるいは僕の勘違いで、今でも見ることができるのかもしれないが。
別の日には、カメラを持って五百羅漢を見に行った。行ってみると入場料100円とあり、お金を持っていなかったので、こっそり入って写真を撮ってすぐに退場した。羅漢の群像は下のほうが庶民で、上に行くほど悟りを開いた人ということになっている。そう思って見ると、自分に似た羅漢様を探せば、自分が今どのくらい煩悩を持っているかわかるということになるのだろうか。また機会があったら、100円くらいは持って来て、じっくり探そうと思う。
12月25日はテオの満1歳の誕生日ということになっていて(保護犬なので正確な日はわからなかったので、我が家で勝手に決めた)、その日までは帰るつもりでいたのだが、予定が伸び帰れなくなってしまった。仕方がないので、空に向かってハッピーバースデイを歌う。
ランニング最後は、神様に今年最後のお願い事をしようと、宇佐神宮まで走ることにした。ここは全国に4万社ある八幡様の総本山なのでご利益が高いだろう。で、忘れずにお賽銭を財布に入れて家を出る。この道を行けば宇佐神宮の近くに出るだろうと思って走っていたら、勘違いをしていて2キロも先の道路で、宇佐神宮につながる幹線道路にぶつかった。車ではなんということもない距離だが、走って2キロを戻るのは、時間も体力も大変なロスなのだ。
広い境内を抜け、石段を駆け上がり、ようやくお社にたどり着く。ここのお参りの仕方は、全国でも出雲大社とここだけという「二礼、四拍手、一礼」だ。つまりは出雲大社に祀られている大国主命と同格の神様がここに祀られていることになる。が、三つある御殿の真ん中に祀られているのは、ヒメオオカミという誰だか謎の神様で、もしかしたら卑弥呼ではないかという説もある。
というようなことはどうでもいいことで、「今年一年、みんなが健康で過ごせましたこと、また来年も健康で過ごせますように。ついでに世界平和でありますように」とお願いして、宇佐神宮を後にした。
予定より3日遅れて福島に帰り、タミちゃんに迎えに来てもらう。テオは家で留守番させていたので、僕が先に家に入り、テオがどういう反応をするか見ることになった。キャンキャンと吠えながら飛びついてくるのか、それとも腰を抜かさんばかりに尻尾を振って出迎えてくれるのか。
ガラガラと玄関を開け、「ただいま」とテオに声をかけると、テオは変な人が来たと思ったのか、おっかなそうな顔をして部屋の中を逃げ回った。こら、飼い主のご帰還だぞ。
大分旅行のおまけとして、旅先で作った犬の詩を最後に載せておく。
「黒い犬」
昔飼ってた黒い犬
今も飼ってる黒い犬
同じ黒でも違う黒
同じ犬でも違う犬
昔飼ってた黒い犬
海でも山でも一緒だった
北から南まで一緒に旅した
最期の瞬間まで一緒だった
昔飼ってた黒い犬
いなくなってやって来た黒い犬
同じ黒でも違う黒
同じ犬でも違う犬
これからは君と思い出を作ろう
君と歴史を作っていこう
今は君が僕の友だち
新しい小さな家族