goo blog サービス終了のお知らせ 

おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

幸福な家

2018-11-30 11:44:01 | イラスト

 誰からも忘れ去られ、ひっそりと世間の片隅で死んで行く人というのは、生きている間と死んでからと、二度死ぬことになる。反対に、死んでからもなお、何度も話題に上り、いつまでも忘れられない人というのは、二度生きることになるとも言われている。

 犬たちのいなくなった家はすっかり寂しくなったが、思い出だけはすべてを思い出すのが不可能なほど、これでもかと残して行ってくれた。おかげで思い出に事欠くことはなく、犬たちも思い出の中では今でも生き生きと動き回っている。

 犬たちを残して家を出るとき、窓辺から顔を出し見送ってくれていた。我が家の窓ひとつにも、思い出は生きている。犬たちが不在でも、気配はいまだに濃厚だ。それを思うと、幸せな気分に浸ることができる。

 そんな幸福な家の絵を描いてみることにした。看板犬たちの棲む家は、いつまでも営業中なのである。

 いろいろ描き込みすぎて何が描いてあるのかわかりにくくなったので、窓辺にズームインした絵も追加で作ってみた。こっちのほうが絵として面白いかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気になる本

2018-11-29 12:07:22 | 日記

 読む本がなくなると、本棚から以前読んだ本を抜き取り、あちこち飛ばし読みをしてみる。そのまま本棚に返すときもあれば、興が乗って初めから最後まで再読することもある。じっくりと読んだつもりでいた本でも、何年かして読み返すと、当時は気にもかけなかったところが気になって仕方がなくなる。

 時間があったので、池内紀さんの旅行記エッセイ「海山のあいだ」を手に取り、パラパラめくっていたら、「野田知佑さんの『日本の川を旅する』は私のなかんずくの愛読書だが」という文章に出くわし、こんなところにも野田さんのファンがいたのかと驚いた。池内さんはもともとはドイツ文学者で、ノーベル賞作家のギュンター・グラスの代表作「ブリキの太鼓」の翻訳もある。と言ってその博識はドイツ文学に限らず、ありとあらゆる本がエッセイでは紹介されている。だから、野田さんだけではなく、写真家星野道夫さんが愛読していたロシアのアルセニーエフの「デルスウ・ウザーラ」についても「海山のあいだ」では触れているし、山の本として辻まことが紹介されていたりして、僕としては親近感が湧くとともに、非常に参考になるのである。

 で、今回読み返していたら、「鶴」というタイトルの2ページほどの文章が印象深く残った。長谷川四郎という人の小説「鶴」を紹介した文章なのだが、池内さんは「こんなにもすぐれた多くの秀作を書きのこしながら、これほど知られていない作家も珍しい」と書いている。当然のことながら、僕もこの作家のことはちっとも知らない。長谷川さんが日本の風土に合わないのは、空の広がり、夜の深さのスケールがちがいすぎるからだと言う。

 そんな長谷川さんの作品を、池内さんは「屈託したとき、他人を傷つけたような気がしてならないとき、だれかのことばが針のようにささっているとき、あるいは自分の小心さがいやになるとき」、気がつくと取り出しては繰り返し読むのだという。

 そう言われてしまうと、どうしても読んでみたくなるではないか。というわけで、早速中古の文庫本をネットで注文した。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リスの棲む里

2018-11-28 10:22:54 | 福島

 犬のいない散歩にも少しずつ慣れてきてはいるが、出くわす人たちから「あら、犬は」と尋ねられると、改めて犬のいないことを痛感させられる。気の早い人は、「早く犬を飼えば」と言ってくれたりするが、犬を飼うのは、死までもひっくるめてだと思っているので、辛いからと言ってすぐに別の犬を飼うのは、最期まで責任を持って飼ったとは言えないんじゃないかという気がする。

 犬がいない散歩というのは、ほとんど立ち止まることも寄り道もしないので、同じ距離を歩いてもずいぶんと早い。カメラを持って、あちこちにレンズを向けたりしていないと、ただ黙々と歩いているだけということになってしまう。

 今日もお日様が上がっていなかったが、カメラだけは首にぶら下げて出た。木々の葉っぱが散り、この季節になるとリスを見かけることが多くなる。そこで毎年のように目撃する農家の庭先にあるクルミの木を経由して散歩することにした。
「リスがいるといいね」と話し合いながら、クルミの木が近づくと抜き足差し足でそろそろと近づく。警戒心の強いリスを驚かせないように注意しながら、クルミの木の周囲を観察するが、今日は残念ながら出てきてはいなかった。残念残念。

 しばらくおしゃべりして歩いていると、道路を横切る黒い影があった。鳥かな、それともハクビシンかなと思い、その先に注意を凝らすと、民家の庭先でリスがウロウロしているのを発見する。が次の瞬間、軽トラックが通過してリスを見逃してしまった。シャッターは押したものの、辺りが暗いのでピントがイマイチだ。でも、リスを目撃しただけでも嬉しい。

 と、まるで僕らに挨拶でもしに来たかのように、目の前の庭木の上にリスが現れちょこんと座っているではないか。おお、カメラカメラと慌てている隙に、リスは木を駆け下りると、裏の雑木林へと走って行ってしまった。挨拶をしたかったんじゃなくて、ただ人間をからかいに来ただけだったのか。

 昨夜、テレビで東京の街を上空から俯瞰している画を見た。隙間なくコンクリートで埋め尽くされた景色に、人間の手が入っていない場所がまったくないということに驚き、そこにびっくりするほどの人間が住んでいることに改めて驚愕した。10年ほど東京に住んでいた時には別段異常とは思っていなかったが、今ではあの場所で生活していたことが夢の中の出来事だった気がしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遊びランニング

2018-11-27 10:42:34 | 福島

 休日の昨日は午後から三春ダムまで車で出かけ、ダムによってできたさくら湖をぐるっと走ってくることにした。いつもなら我が家から出発するのだが、それだと25キロほどあり、僕の足では日が傾いてくるのだ。さくら湖一周なら10キロほど、1時間ほど走って家に帰り、洗濯物を取り込んだり、夕飯の準備をしたりするにはちょうどいい。

 近頃では、どこの自治体でも盛んなように、さくら湖の周りでもマラソン大会が開かれている。去年はタミちゃんだけが10キロコースに挑戦した。僕はいつも走っているコースの一部なので、わざわざお金を出して走りたいという気にはなれない。タミちゃんなどは、大会でも出なければ走る機会がないという。そういうものかなあ。

 普段よりも短い距離ながら、さくら湖の周辺はアップダウンが厳しく、マラソンというよりも山を走るトレイルランニングみたいなところがある。目標を1時間に設定し、途中滝桜に立ち寄りお参りをした。ここはいつも立ち寄ると家内安全、交通安全、一攫千金をお祈りするのだが、今回はドリが安らかな死を迎えたことの報告だ。ぐるっと回って、快調なペースで車まで戻ると、タイムは1時間4分ほど。もうちょっとペースをあげればよかったかな。

 家に帰りパソコンを立ち上げて、今までの記録を見てみた。タミちゃんが参加した大会では、女性が少ないのか、10キロコースは年齢に関係なく一律に順位がつけられている。タミちゃんは82人中の66位。女性の参加者は年配者が少ないだろうから、なかなかの好記録だ。

 さて男性はというと、39歳以下の部、トップが32分でビリが1時間15分。僕の記録だと139人中129位。でも、これは若者の部なので仕方ない。次の40代男子の部は、1位が35分、ビリが1時間17分。僕の記録だと136人中126位。50代になると1位が38分、ビリが1時間23分。僕の記録だと113人中102位。もっとも高齢者となる60代以上になると、1位が40分、ビリが1時間23分。僕の記録だと100人中82位。

 全体の真ん中ぐらいは行ってるかなと思っていたが、とんでもないことだった。みんな早すぎだ。特に上位の連中は、市民マラソンなんかに参加するんじゃなく、もうちょっと本格的な大会に出たほうがいいんじゃないかと思った。

 結局、早さを競う競技のしてのランニングだと、僕なんかは箸にも棒にもかからない。従って、今まで通り、記録を狙うんじゃなくて、どれだけ長い時間、体が動かせるかということを楽しむことにしよう。

 カヌーイストの野田知佑さんが、競技カヌーしかない時代、川を下って旅行をするということにカヌーを使う、遊びのカヌーというのを日本に取り入れた。僕もこれに習って、移動の手段として走る遊びランニングというものを提唱しよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパーカブを描く

2018-11-26 12:02:19 | イラスト

 2回目の犬たちのいない休日となった。犬たちのいない散歩の後、朝食を食べたらタミちゃんは仕事に出かける。途端に家の中が信じられないくらいシーンとする。朝からテレビを見ていてもつまらない。こういうときには、じっとしているよりも単純な仕事をしている方がいい。

 明日からのカフェの準備のため、買い物に出かけ、明日では間に合わない仕込みを今日のうちにやっておくことにする。いつもなら、夕方の犬たちの散歩のために体力を残しておかなければならないため、午前中にランニングをして体力の回復を図るのだが、今はその必要はない。雑用をすべて済ませた後、午後にでも走りに行けばよい。

 ずっと我が家の犬たちを題材に絵を描いて来たが、今はなるべく動物から離れて絵を描いてみようと思っている。それでも描きたくなる題材というのは、今までと全く違うものというわけには行かない。今までに撮りためた絵の中から、じいさんと犬の一場面を描いてみたくなったので挑戦してみるが、一体何を描きたかったのかわからなくなった。

 そこで、最初からやり直すことにし、今度は手前に大きくスーパーカブを描き、堤防の上にじいさんと犬を移動させた。スーパーカブは、燃費がリッターあたり180キロくらいという話を聞き、そのうち購入したいなと考えている。昔は仕事のバイクという印象が強かったのが、最近はレトロでオシャレなものがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋色暮色

2018-11-25 11:30:05 | 福島

 寒気が抜け、再び穏やかな日が続いている。厳しかった早朝の冷え込みも落ち着いたので、お日様が昇るのを待って散歩に出る。

 犬がいない散歩は、なんとも間抜けな感じで、両手を振って歩くのもカッコ悪いと、ついついポケットに手を入れて歩く。それでも、秋の深まりとともに色づく里山は、足を止めてカメラのシャッターを押すのには十分なほど魅力的だ。

 雑木林の中に、リスを探してみる。と、ガサガサと藪をかき分ける音が聞こえる。もしかしてと目をこらすと、クワクワッという声とともにツグミが飛び出してくる。

 若い頃は、田舎に住んでも何も面白いことはないじゃないかと考えていたが、今の生活が当たり前になると、身近にリスもいないような場所に住んで、何が面白いんだろうと思ってしまう。

 我が家の裏の鬱蒼とした林も、すっかり葉っぱを落としたせいで、夕方になると見事な夕焼けを見せてくれる。

 犬たちのいなくなった家には、今はふた組のつがいのシジュウカラがひっきりなしにやって来ている。4羽が代わる代わる給餌台にやって来ては、用意しておいたヒマワリの種をくわえて運んでいく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不作

2018-11-24 10:54:46 | 福島

 春に植えた里芋が、気がつけば葉っぱがなくなっていたので、掘り返してみることにした。今年の夏は例年にない猛暑で、梅雨明けからいっこうに雨が降る様子がなく、毎日ポリタンクに水を入れて車で運んだ。ただ、タンクがふたつしかなかったので、水を撒けるのはふた畝分しかなく、何度も往復する時間的な余裕もなかったので、キュウリや葉物など、水をたくさん必要とするものから優先的に水を巻いた。

 結局、ただひたすら自力で夏を乗り切ってくれと応援していただけで、一度も水をやることもなく夏が終わった。おかげで、どこの畑と比べても小さな葉っぱのまま秋を迎えてしまった。

 昨日は東北のあちこちで雪が降ったようで、いよいよ冬到来だ。畑を掘り返すのも地面が凍る前にやっておかなければならない。そんなわけで、今朝は朝飯を食った後、鍬で里芋の畝をほじくり返して来た。

 が、雑草は見事なほど成長しているものの、里芋は掘っても掘っても姿を見せない。まるで宝探しみたいな様相を呈する中、時折小さな芋がコロコロと出てくる。これじゃあ皮を剥いたら食べるところがないのだ。

 1時間近く掘り返したが、コンテナひとつ分も収穫できなかった。写真ではそこそこ採れているように見えるが、このうち半分は食べられる大きさではないのである。こんなところにも地球温暖化の影響が現れているのかもしれない。って書くと、おまえが水をやらなかったせいだろと突っ込まれそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

季節の鳥

2018-11-23 11:10:42 | 福島

 以前は興味がなく、たとえ目の前にいたとしてもちっとも注意を引かなかった野鳥も、見分けがつくようになると、季節によって目撃できる種類が違っていて、そんなところにも季節の移り変わりを感じるということでは面白い。現代よりもずっと自然が身近だった僕らのご先祖たちは、野鳥の到来によって種を蒔く時期や収穫の時期を判断したかもしれない。

 現代人は暦というのは正確なものだと思っているが、人間が地球に勝手に引いた国境と同じで、人間の都合で分割された時間にすぎない。太陽だって1日で回転するスピードは誤差の範囲かもしれないが、早くなったり遅くなったりしているだろう。太陽の周りを回るスピードだって正確無比というわけではない。今年は冬が遅いとか、早く春が来た、なんてのは、暦の上の出来事なのである。

 暦を持たなかったご先祖たちにしても、自然界に生息する生き物にしても、季節の移り変わりは感じている。春が来れば桜が咲き、冬が来れば熊は冬眠する。そして、本当のところは、その肌で感じる季節こそが、宇宙で繰り広げられる時間の経過に寄り添っているのである。

 犬がいなくても、朝は散歩を続けようと、今朝もカメラを持って家を出た。老犬の足では難しかった阿武隈川まで、ぶらぶら歩いていく。ホオジロやモズ、ツグミなんかが草むらから飛び出してくると、いつの間にか冬鳥たちばかり目にするようになっているのに気づく。

 と、遠くでグワグワグワグワと騒々しい鳴き声を上げている野鳥の声がする。
 「ハクチョウだ」
 慌てて空を見上げて探してみると、阿武隈川からこちらをめがけて飛んでくる群れがいる。

 タミちゃんは、今年初めて見るハクチョウだと言う。 僕はすでに阿武隈川の土手をランニングした時に何度かお目にかかっている。ハクチョウは、僕らに挨拶をするかのように頭上まで来て旋回すると、川へと帰って行った。これから3月まで、阿武隈川で冬を越す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の散歩に出る

2018-11-22 13:08:58 | 福島

 朝5時半に目が覚めた。昨日も5時半には目が覚めた。顔を洗ってカーテンを開けて、コーヒーを飲みながら身支度を整える。習慣になってしまった動作をやめ、7時くらいまで寝ていてもまったく問題はないのだが、犬がいなくなったのを幸いに、朝寝をしてやれみたいなことになるのが嫌なので、今日はドリが死んで初めて朝の散歩に出ることにした。

 玄関を出ると、なんだか忘れ物をしているような気がする。ドリのウ○コを取るための袋の入ったバッグを腰につけるないと、お腹のあたりがスースーして心細い。リードを持たない手は、どこに持っていいのかわからないので、ポケットに突っ込んでみたり、行進するみたいに前後に降って歩いてみるが、なんともぎこちない。

 僕はカメラを首にかけて歩く。犬がいないと、まったく立ち止まることがないので、以前だったら1時間以上かかっていた散歩も、あっという間に終わる。時々は立ち止まって道草を食ってもいいのだが、どのタイミングで立ち止まればいいのか、ふたりともわからない。

 向こうから、時々散歩の途中で顔を合わせていたオッサンが歩いてくる。犬がいない二人連れを見て、きっと不審に思っているだろうな。と思ったら案の定、ドリのことを聞かれた。ドリの葬儀から数日経ち、かなり現状に慣れて来ている中、改めて誰かに説明するというのは辛い。もう大丈夫と思っていても、相手の驚いた顔を見ると、それが伝染したかのようにこちらのスイッチも入ってしまうことがある。

 こうしたことにも、いずれは慣れてしまうのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オードブル

2018-11-21 13:38:27 | 福島

 この前開いた「空の会」の展覧会の反省をしたいから、できたら「カフェ青い犬」でお願いしたいけどと頼まれ、簡単な食事くらいならと返事をした。「オードブルみたいなのでいいよ」って言われても、お店でオードブルなんか出していないので、何かしらメニューを考えなければならない。

 と言ったところで、レパートリーは知れてる。とりあえず唐揚げと、油を使うついでにチェダーチーズを餃子の皮に包んで揚げた。あとは、おにぎりもほしいかなと、あさりの炊き込みご飯でおにぎりを作る。サラダもいるかな。これだけでは寂しいから、ペンネにナスとトマトを合わせるかな。デザートはパンナコッタでいいかな。普段は朝食後は少しゆっくりできるのが、今日はすぐに部屋の掃除をし、揚げ物やらおにぎりの準備に忙しい。なんたって、11時には集まるというのだから。

 食事をしながら、いつもだったらドリが「オレにもくれよ」と催促するが、今日は静かなものだ。が、誰ひとり気づかないので、ドリのことには触れずにいた。

 たっぷり3時間近く、反省会をした後、食べ残しの唐揚げは「晩御飯のおかずに」と小分けにして持ち帰ってくれた。玄関先で、ひとりが思い出したように「今日は犬を見てないね」と、ギクリとするようなことを言う。ここに来て説明するのは嫌だなと思っていたら、別のひとりが「犬なら小屋で寝ていたよ」と、飼い主も知らないような情報を知らせてくれたので、「そうかそうか」とみんな納得して帰って行った。

 人間の注意力というのは、実にいい加減なものだなあと思うと同時に、それで案外気楽に生きられているところもあるんだろうなと納得するアベさんであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする