おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

ヤギに似てくる

2017-10-31 10:22:36 | 福島

 せっかくのお休みだというのに、強風が吹き荒れる。朝の散歩もしっかりと雨の中を歩くことになったので、午後は3時には家を出て、のんびり犬と散歩することにした。

  空には台風の余波で、ちぎれた黒雲が浮かび、時折思い出したように雨を降らせる。台風一過の青空を期待していたのに、気温は昼間だというのに10度にも届かず、風も強いので体感温度は真冬並みだ。秋らしい格好で家を出ただけに、15分もしないうちに顔や手足がこわばってくる。

 2週連続の台風で、これから紅葉を迎える柿の木やイチョウの木は、早々に葉っぱを落とした。たわわに実った柿もずいぶん道路に転がっている。

 そんな中、強風にも落ちなかった姫リンゴを発見。

 少しだけ下痢から回復したドリと、高齢ですっかり足腰が弱ったトトのために、この日は2時間近く歩き回る。ドリは下痢のせいで体重が落ち、ゴールデンレトリバーというよりもヤギに近くなってきたぞ。とにかくしっかり運動して、しっかり食べることが大切なのだ。

 東北の秋は日が短く、4時を回ると寒々としてくる。これから長い冬がやって来るかと思うと、暑かった夏が恋しくなってしまうアベさんなのであった。

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嵐が去っても

2017-10-30 14:00:12 | 福島

 夜の間に台風は通り過ぎ、夜が明ける頃には温帯低気圧に変わっていた。

 雨は上がったものの強風が吹き荒れ、空には大きな雲の塊が次から次に流れていく。

 家を出ると、目の前に大きな虹がかかっていた。

 雨が降らないなら、少しくらい風が吹いたってランニングに出ようと思っていたが、遠くの山では雨が降っているようで、いつ雨になるか心配だ。

 せっかくのお休みなので、久しぶりに犬たちと長めの散歩をする。青空が見えたと思うと、次の瞬間にはザーッと雨が落ちて来る。カメラを持って出たものの、気がつけば全身しっとりと雨に濡れている。

 強風で葉っぱが道いっぱいに落ちていた。紅葉はもう少し先だが、二週連続の台風で、ずいぶん葉っぱが落ちて寂しくなった。

 お昼には晴れるかと思っていたが、結局北から冷たい風が吹き込み、雨模様の木枯らしが吹き始める。今日はランニングはできないな。 

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当たり前に起こること

2017-10-29 09:43:14 | 日記

 九死に一生を得たりすると、二度とそんな目に遭わないようにと、なるべく同じ危険からは離れていようとするのが普通だろう。が、エベレストに挑戦する登山家や植村さんのように極地を探検する人たちのように、まるで自分からそんな危険な目に飛び込んでいく人たちもいる。そういった人たちの日記や記録を読むと、一緒に行動する人たちが死んでいくことを、まるで無感動に書き留めていたりするのに驚く。一緒に助かろうと寄り添うことで、一緒に遭難してしまうよりは、助かる可能性のある人間だけでも助かったほうがいいというのは、理屈としてはわかるが、自分が同じ目に遭った時に、冷静にわりきった行動を取れるとは思えない。

 冒険家の角幡唯介さんの「アグルーカの行方」を再読していたら、同じような感想を抱いていることを書いていた。「アグルーカの行方」は、昔、未知の世界だった北極海に航海ルートを探るために探検したフランクリン隊が遭難したルートを、同じようにソリを引きながら徒歩で旅する記録だ。「その極限的な行為は、自ら進んで死に向かって歩んでいるようにしか、当時の私の目には映らなかった。(中略)死に対するハードルが自分と比べてあまりにも低いような気がして、人間とはこうなってしまうのかという薄気味悪いさを覚えたのだ」

 冒険家や探検家と呼ばれる人たちは、僕たちと比べると、死というものを遠くへ追いやることができる人たちのように思われる。生と死の間に、なにやら大きなギャップがあり、死とは別世界の出来事のように感じることができるのではないかと僕はいつも感じていた。

 ところが、実際に極地へ行き、極限の世界を体感した角幡さんは、圧倒的に過酷な自然環境に置かれると、死は無意識に身近に感じさせてくれるという。「生から死へと至る一連の過程が、あくまで地続きに、滞りなく起きてしまう」

 もしかしたら、死を遠ざけてしまったのは、僕らのほうなのかもしれない。文明というものが、都市と自然を切り離した時から、死は僕らの目の見えない場所へ遠ざけられたのかもしれない。そのために、僕らはいつの間にか、死は毎日の生活と地続きにやって来ることが認められなくなったのかもしれない。

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帯に短し

2017-10-28 11:37:30 | 福島

 この前の月曜日は台風で一日家に閉じ込められ、今度の月曜日も台風の影響で一日雨になりそうだ。その前も、ドリの調子が悪く、月曜日に動物病院に出かけるということが続いたので、10月になって全然走れていない。今日こそはと、朝飯を食ったらすぐにランニングをしてくることにした。ずっと怠けているので、おそらく体が動かないだろうと、15キロのコースにする。

 冒険家の植村さんの本を読んでいると、毎日がギリギリの自分との戦いで、夜になり生きている自分を確認することで、今日も精一杯生きることができたと感じるという。そんな生活が毎日のように続き、北極圏12000キロの犬ゾリの旅では、2年間も続けた。そんな本を読んでいると、僕の生活なんてのは生ぬるいどころの話ではなく、人生を湯水のように浪費しているのと同じだろう。

 で、そんな自分の尻を叩きながら、先日氾濫した阿武隈川の土手を久しぶりにせっせと走る。泥だらけになっている田んぼを眺めながら、自然の猛威と同様に、自然のたくましさに驚く。

 体は思っていたほどはなまっていなかったようで、折り返し地点まで休憩なしで走り切る。空はこれから天気が崩れていくのだろう、灰色の厚い雲が山からどんどんと湧き出し、頭の上を覆っている。

 家に帰ると、ネットで度付きのスポーツサングラスを探した。いつもコンタクトを入れて走るのだが、汗だくになると海の中をコンタクトをはめて泳いでいるようなもので、目をこすりたいけどこすれずに困る。メガネをかけてもいいのだが、スポーツ用ではないから、激しい動きには全然役に立たないからだ。

 どうせなら車の運転をするときにも、サングラスを利用したいが、トンネルに入った時などを考えると跳ね上げ式にしたほうが良さそうだ。ところが、跳ね上げ式だと構造上、どうしてもやわな作りになってしまうのだ。

 いろいろ調べてみるが、どれもこれも帯に短しタスキに長しだ。いっそ裸眼で走るというのもあるが、それだと地面の凹凸がわからない。

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ケネディと大人の国

2017-10-27 11:46:11 | 日記

 1963年に起きたケネディ暗殺事件の捜査資料が公開されるという。アメリカという国のことを、僕は勝手なイメージで、なんとなく大雑把でルーズな国だと思っているが、どんな機密資料でも50年を過ぎたら公開するという規則をちゃんと守っているのは感心する。さすが民主主義の国なのだ。それに比べれば、ついこの前会ったばかりの森友学園の関係者とお役所の記録を破棄したとか、存在しないとかいうのが通用する日本という国にはガッカリさせられる。

 子供の頃、ケネディ暗殺を扱った映画をテレビで見たことがある。まだ小学生だった僕に事件そのものはナンノコッチャという感じだったが、犯人とされたリー・ハーベイ・オズワルドの名前だけは、頭にこびりつき、いまだにすらすらと出てくる。単独犯なのか共犯がいるのかは、公開される資料で明らかになるかもしれないが、今更真相が明らかになったところで、歴史は覆らないだろう。

 逮捕後すぐに殺されてしまったオズワルドの奥さんが、数年前にテレビのインタビューに答えていた。大統領を暗殺したとされる人間の身内が、顔を出してインタビューに答えること自体が日本では考えられないが、奥さんはインタビューで「今でも主人のことを愛しています」と堂々と答えているのには感動した。

 たとえ凶悪犯と言われようと、旦那は旦那であり、愛した人は今でも愛した人であることに変わりがなく、そして家族は凶悪犯ではないのだ。こんな当たり前のことが日本では通用しない。凶悪犯の家族は引っ越しを余儀なくされ、正体を隠して暮らしていかなければならない。ネットによる犯人の親族探しまで行い、匿名で攻撃する。民主主義を言い、個人の人権を尊重すると憲法で謳いながら、実質は犯罪については連座制であり、陰に隠れて中世の魔女狩りのような磔・石打ちの刑が平然と行われる。

 都合の悪いことはすぐに隠そうとするのは子供のすることだ。都合が悪くても、自分のやったことは自分のやったことだと堂々と言うのが大人の対応なのである。

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極北の世界

2017-10-26 11:53:26 | 福島

 レンタルビデオ屋から借りて来たDVDの中に、「氷の上のふたり」という映画があった。どこのどういった映画かもわからなかったが、パッケージにホッキョクグマの写真があったので借りることにしたのだ。

 映画はディズニーの動物映画みたいな話で、カナダ北部の町(たぶん)に迷い込んだホッキョクグマ親子のうち、母熊だけが北極に移送され、子熊が残されてしまったので、少年が苦労しながら自力で母熊の元へ連れて行くというものだ。ただ、フィクションなのでツッコミどころ満載だったが、母親が移送された場所が北極海のレゾリュートという場所だというのは印象に残った。というのも、どこかで見聞きしたような覚えがあったからだ。

 もしかしたらと、以前読んだ探検家・角幡唯介さんの「アグルーカの行方」を引っ張り出してみると、確かに同じ場所が出ている。この本は、北極海に海洋ルートを見つけようとイギリスが大編隊を組んで探検に向かいながら、氷に閉じ込められて全滅した同じルートを、角幡さんが徒歩でたどるというものだ。その出発点がレゾリュートだった。

 植村さんの「北極圏1万2000キロ」の中でも、途中立ち寄っている。植村さんはグリーンランドから犬ゾリで出発するが、国境を超えカナダに入るとエスキモーも犬ゾリではなくスノーモービルを利用する。「氷の上のふたり」の舞台がカナダ北部だろうと見当をつけたのは、登場する人たちの足は、すべてスノーモービルだったからだ。

 氷点下30度という世界では、氷点下10度では「今日は暖かい」と言う。凍っていればスノーモービルや犬ゾリで移動できるが、氷が溶ければ飛行機でも使わなければ遠くへは出かけられない。

 地球温暖化により北極海の氷がなくなり、ホッキョクグマが絶滅の恐れがあると言うが、エスキモーだって猟もできなくなるし、移動もできなくなる。僕らが普通暮らしやすさと呼ぶものとは正反対の場所だが、最近やたらに惹かれるものがあるアベさんなのである。

 

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ドブ板って

2017-10-25 10:39:13 | 日記

 選挙が終わり、小池さんや前原さんが批判の矢面に立たされている。誰も来てくださいと頼んだわけでもないのに希望の党に集まって来た輩や、全会一致で前原さんの提案に乗った連中は、大負けした途端、手のひらを返したようにふたりの代表のせいだと大騒ぎだ。誰のせいでもない、本人のせいだということくらいわからないのが政治家をやっているかと思うと、その低レベルぶりにそもそも政治家なんて必要なのかと思ってしまう。

 安倍さんが、都議会選挙の演説で「こんな人たち」と発言したと、マスコミは鬼の首でもとった勢いで報道したが、庶民の立場に立たず上から目線で報道していることには気づいていない。

 政治家たちが選挙活動で、商店街や各家々を周ったりすることを「ドブ板選挙」と呼んでいる。戦後すぐの闇市が立っていた時代ならともかくも、今の世の中、ドブもなければドブ板もない。余程庶民を下に見ているのだろう。もし、いまだにドブ板があるとすれば、それは政治家とお役所の怠慢なのではないか。

 おまけに「こんな人たち」に食いついたマスコミは、「ドブ板」にはちっとも反応しない。今時、ドブは側溝に代わり、ドブ板はグレーチングという名の網状の蓋になっているのだ。これからは「グレーチング選挙」と言ってもらいたい。

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嵐の後

2017-10-24 10:32:27 | 福島

 台風は、午後には三陸沖に抜け、温帯低気圧になった。このところずっと雨が続いていたので、まだまだ風は強かったものの、久しぶりに犬たちを連れて長い散歩に出ることにした。

 外に出ると、吹き飛ばされた雨雲の残骸が、時折霧のような雨を降らせる。ところどこにぽっかりと空いた雲の隙間から青空が見え、虹が現れたり消えたりしてめまぐるしく空模様が変わる。

 阿武隈川は氾濫したので、反対方向の里山を目指す。道路には枯葉や杉の枝などがいっぱい落ちている。

 ススキの穂も、風に激しく波打っている。

 高台から郡山市を見下ろすと、雲間から光が帯のようになって差し込んでいた。

 田んぼは水浸しだが、稲刈りの終わっている田んぼも多いので、被害は少なかったのではないだろうか。

 何ヶ月も台風のように暴れまわっていたドリの下痢も、ここ数日落ち着きを見せ、普通の便をするようになった。以前は、お腹が痛いせいか丸まって寝ることが多かったドリだが、のびのびと体を伸ばして寝ることができるようだ。ドリの嵐も、そろそろ終わりに近いのだろう。

 病気知らずのトトは、心配しているのかドリのそばを離れない。でも、真っ黒なので写真を撮ると、影に紛れてしまうのであった。

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台風の朝

2017-10-23 13:38:20 | 福島

 せっかくの休日なのに台風が接近し、早朝からサイレンは鳴るわ役場の放送が流れるわで、騒々しい夜明けになった。慌てて散歩に出る必要もないので、風雨が治るまで待ってから、犬たちにレインコートを着せて散歩にでた。

 今日こそは天気が良ければランニングに出ようと思っていただけに、窓の外を恨めしく眺めながら選挙結果をテレビで見た後、近くの郵便局まで出かける。と、郵便局員から、「今日は避難勧告が出たので、阿武隈川を超えて集配に来ないので、二、三日は郵便が止まるかもしれません」という話を聞かされる。急いで出す必要もない郵便だったので、とりあえず受け付けてもらうことにしたが、阿武隈川が渡れないとなると大変だ。

 郵便局に行ったついでに、本屋に行くことにし、阿武隈川に向かうと、川幅はいつもの何倍にもなり、土手を超えた川の水で浸水した場所がある。橋を渡ることはできたが、橋のたもとの自動車学校は水没し、車やバイクが何台も水に浸かっていた。これではランニングに土手を走ることはできないのだ。

 本屋では目的の本が置いてなかったので、仕方なく帰り道にレンタルビデオ屋に寄って何本かDVDを借りて帰る。午後、風は強いものの、雨は止み、少しずつ雲の切れ間が見えてきた。犬たちも体がなまってるようなので、夕方は早めに散歩に行き、長い距離を歩いてこよう。

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行くには行ったが

2017-10-22 11:34:02 | 福島

 台風が近づいているためか、朝から土砂降りになっている。あんまり外出はしたくないが、選挙の投票にも行かなければ、無条件で安倍政権に信任を与えるようになるのは気に入らない。

 福島県民からすれば、自民党の原発再稼働の政策は許されるものではないだろう。消費税だの自衛隊の扱いだの言う前に、とにかく原発をこの先も動かし続けることには賛成できない。もし、核のゴミの最終処分場の建設が終わり、原発事故が起きた時の避難場所もすべて用意されているなら原発政策も理解できるが、ブレーキの付いていないバスに国民を乗り込ませ、ブレーキをどう設置するかは走行しながら考えていきますでは、どうしようもないのである。

 希望の党の小池さんは、安倍政権下で防衛大臣をやってたくらいだから、憲法についてはまったく同じ考えなんだろう。共産党や社民党のように、とにかく憲法改正反対というのも馬鹿げている。今度の衆議院解散だって、総理大臣の専権事項だと憲法を盾にとって解散したくらいだから、都合のいい時に勝手に解散できないように憲法も改正しなければいけない。

 立憲民主党の枝野さんは、福島の原発事故当時の責任者のひとりでもあったが、「健康被害はない」と言い続けたことはすっかり忘れてしまったのだろうか。家族をいち早く避難させたという噂も、福島県民の間では有名である。

 維新は、橋下さんの時には魅力があったが、今ではすっかり地域政党になってしまった。日本のこころというのは、なんだかわからないし、投票所に行ったはいいが、どこに入れていいのかちっとも決まらない。

 こんなに決まらないのは、きっと僕のせいではなく、アイデアもビジョンも持たない政治家ばかりだからだな。

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