goo blog サービス終了のお知らせ 

おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

二日痛

2015-04-30 14:01:25 | 福島

 マイペースで10キロを走ったので、筋肉痛はたいしたことはないと思っていたが、今朝からかがんだり立ち上がったりするのに、「どっこらしょ」とか「よっこいしょ」とか、掛け声をかけないことには行動が起こせない。走るだけで誰とも競争するわけではないと思っていたが、知らず知らずのうちに周囲のランナーに負けたくないと、普段以上に力が入ったに違いない。

 それにしても、山登りをしたときなんかもそうだが、翌日になって筋肉が悲鳴を上げるたびに「痛たたたたぁぁぁ」と笑いながら言ってしまうのはどうしてだろう。痛いんだから笑わなくてもよさそうだが、なぜだか筋肉が悲鳴を上げるたび笑いが出る。

 飲み過ぎた翌日、二日酔いというのは実につらいものだが、体を動かしすぎた翌日、二日痛というのがあるなら、それは楽しい筋肉痛だ。筋肉痛が楽しいのかと言われそうだが、そういうものは確かにある。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郡山シティーマラソン

2015-04-29 13:30:58 | 福島

 真夏日だった昨日に引き続き、今日も朝から気温がぐんぐん上がる。参加登録していた第22回郡山シティーマラソンが行われるので、8時半には家を出て、会場の開成山陸上競技場に行く。雨天決行とあったが、雨の心配はまったくない。それどころか、走る前からじりじりと暑い。これだったら、小雨でも降ってくれたほうが楽だったかな。

 エントリーしたのは一般男子50歳以上10キロの部だ。生まれて初めてのマラソン大会なので、今回はとりあえず10キロ。完走は多分できるだろう。目標タイムは1時間を切ることだ。

 ジジイの部なのでたいして人はいないと思っていたら、なんと430人もエントリーしているではないか。

 で、フラフラになりながらなんとか完走する。途中子供たちの和太鼓の演奏などもあったが、そんなものに耳を傾けている余裕はない。聞いたことがないような自分の呼吸音で、鼓膜の中はいっぱいなのだ。

 とにかく途中歩かず、最後まで走りきって、時間は55分59秒。順位は209位であった。目標タイムはクリアだ。さあ、完走したらさっさと家に帰り、カフェの準備をしなきゃ。開店時間に間に合わないぞ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

問題と答え

2015-04-28 11:43:15 | 福島

 「学校の時に習ったことなんか、社会に出たら役に立たない」と言う人は多い。実際、微分積分だの、ミトコンドリアだの、清少納言だの言ったって、仕事の現場でその知識を使っている人は、その方面の仕事に就いた人以外、まったく使う機会がないのが実状だろう。

 が、そんなことは百も承知で教育というのは行われる。となると、役に立たないのは、習い方(あるいは教え方)が間違っているということになるのかもしれない。

 ある物理学者が、物理の世界は、問題を見つけることができればそれが答えだと話していた。また、最近読んだ心理学の本でも、自分が歩いている道そのものが目的地だと書いていた。禅問答のような話だが、これを仕事に置き換えるならこういうことになる。

 社会で必要なのは、問題を解く力ではない。問題を見つける力のほうが大事なのだと。売り上げが落ちているが、一体どこに問題があるのか。一生懸命働いているが、やたらに効率が悪いのはどこに問題があるのか。この機械はうまく動かないが、どこに問題があるのか。それさえわかれば、あとは自動的に解決への道が見つかる。ぼくらが実生活でぶつかるのは、そういう事態だ。

 「645年、大化の改新」と学生時代は丸暗記したが、こう質問されれば、僕はまるっきりお手上だ。「645年に大化の改新がありましたが、なぜそれは起き、その後社会はどう変化しましたか」と。自分の人生を振り返れば、あの出来事があったから、その後の僕の人生はどう変わったかということを考える。そしてそのことは、何があったかよりずっと大事なことだ。それなのに、せっせと暗記したのは、何があったかそのことばかりだったのである。

「答えがわからない、正解がわからない」と言い、尋ね調べる人は、あきらかに学校教育の弊害そのものだろう。近頃は「自分探し」なんて言葉が流行るが、答えを探しているのだとすれば、これほど虚しい努力はないだろう。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩春の桜

2015-04-26 12:12:04 | 福島

  もうすっかり桜は終わったなあ、これからは新緑が目に楽しい季節だな、なんてことを考えながら、里山をテレテレ歩く。

 顔を出したばかりの若葉は、まだ緑色も淡く、遠目に見ると花が咲いているように見える。こんな緑もひと月もすれば、濃い葉っぱへと変化する。

 と、頭上を見上げて思わず声が上がる。とっくに終わったと思っていた山桜が、雑木林の中でひときわ高く枝を伸ばし、空へ向かって花をいっぱい咲かせているではないか。その姿は青い空に浮かぶ、白い雲の塊だ。

 ソメイヨシノは終わったが、山桜の中には今が満開を迎えたものもあるようで、あちこちの雑木林の中に、ちらほらと桜の花を見ることができる。

 終わったと思っていた桜をまだ見ることができるとは、なんという贅沢。昔から日本に根付いた山桜は、きっと個体差が激しいのだろう。その点明治以降挿し木で増えていったソメイヨシノは、きっと同じ遺伝子を持つため、花を咲かせるのも散るのも同じ時期に集中するのだろう。

 田んぼの中には畦のくろ塗りを終え、水を入れているものもある。カエルの群れがケロケロと声を合わせて鳴いているのを耳にすると、もう夏がすぐそこに来ているのを実感する。

 散歩道では、ツクシが背丈を競い、ハルジオンが可憐な花を咲かせ始めた。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青い象

2015-04-25 11:50:43 | 福島

 先週末忙しくて図書館に行けなかったので、今日は午前中に買い物ついでに寄ってみた。今はマーク・トゥエインの短編集を読んでいるので、とりたてて何が読みたいというわけではなかったが、書架に並ぶ背表紙を見ていると、あれもこれも読んでみたくなる。

 心理学のコーナーにさしかかったとき、ちょっと気になるタイトルの本が目に入った。「青い象のことだけは考えないで!」。 動物や生物のコーナーにあれば本当に青い象がいたりするのかもしれないが、置いてあるのは心理学のコーナーなので、あくまでも何かの象徴なのだろう。

 で、ふと、昔こんな話を何かで読んだのを思い出した。

 真夜中、どこそこの交差点に行き、その真ん中を掘り返すと宝が埋まっている。が、注意してほしいのは、地面を掘り返している間、絶対に羊のことを考えてはいけない。もしちょっとでも羊のことが頭をよぎったりしたら、宝は出てこない。

 当然のように、そう聞いたが最後、羊のことを思い出さないわけがないので、宝をゲットすることはできない。羊のことを振り払おうとすればするほど、羊に捉えられてしまうのである。

 自分は誰にも影響されない、自分の脳味噌で考えたと言うが、僕らは自分で考える以上に、不自由で束縛された存在だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七重八重

2015-04-24 12:35:29 | 福島

 あっという間に桜が散り、若葉が一斉に顔を出す。

 冬の間、葉っぱを落とした裸の雑木林は、バードウオッチングをするには最適で、いろんな野鳥を観察できたが、これからは葉影に隠れ、姿を確認するのが難しくなる。

 これからの時期の散歩は、足元を注意深く観察するのが正解だ。

 タンポポが咲き、ツクシやスギナがあぜ道を覆う。

 雑木林の間で黄色い花をたくさんつけるのはヤマブキ。春にヤマブキを見るたび、兼明親王の歌を思い出すが、いつも頭とお尻の部分しか思い出せず、後でネットで調べるというのを毎年繰り返している。「七重八重、ええとなんだっけかな。実のひとつだになきぞ悲しき、なんだけどな」

 正確には、「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」である。

 お偉い人が雨が降って来たのでその辺で傘を借りようとしたら、「山吹は花を咲かせるけれども、実のひとつもありません」と言われ、「なんだそりゃ」と思ったとか思わなかったとか。「実の(蓑)ひとつない」と歌った貧乏人の訴えは、ちょっと難易度が高かったようだ。

 野鳥の観察は難しくなったが、ツバメの姿はあちこちで目撃されるようになった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すでに初夏

2015-04-23 16:40:08 | 福島

 朝から気温がぐんぐん上がり、お昼を過ぎると室内の温度は25度を超えた。窓を網戸にし、風が通るようにしてちょうど過ごしやすくなる。先週は桜が満開、その前の週は雪が降ったのだから、あまりに早い季節の変化に、花々がついて行っていない感じだ。

 桜は日曜日には見頃だったのに、今日はすでに散ってしまっている。三春町にとってのドル箱の滝桜は、これからが本番だと思っていたら、あっという間に満開になり、あっという間に散ってしまった。駐車料金を徴収していたが、観光客から「桜が咲いてないのに金を取るのか」と言われ、渋々無料にしたそうだ。

 ツアー旅行などは、何か月も前から計画していたため、今週末がピークを迎えるらしい。きっと青々した葉っぱをたくさん見ることができるだろう。花がなくったって、立派な木を見るだけでも見応えはあるはずだ。

 天気予報では、明日は今日よりも気温が上がり、28度になるらしい。福島では7月中旬の気温らしく、春を飛び越え、梅雨を飛び越え、夏休みの頃の陽気になった。

 網戸にした窓は、風が通り抜け、野鳥のさえずりが飛び込んでくる。ああ、気持ちがいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然は贅沢が嫌い

2015-04-22 14:20:20 | 福島

 図書館に行く暇がないので、本屋で買って来た文庫本を読んでいる。池内紀さんの「ゲーテさん こんばんは」。池内さんは、僕の好きな映画「ブリキの太鼓」の原作、ギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」の訳者であり、旅のエッセイは抜群に面白いので、本屋で見つけたとき購入しておいた。もっとも、旅のエッセイとは違って文豪ゲーテの評伝なので、面白いかどうかはわからないが、池内さんを信じて読み始める。ゲーテの作品は「若きウェルテルの悩み」と「ファウスト」くらいしか読んでいないので、ゲーテの生涯にはあまり興味はない。

 若い頃、大ベストセラーとなった「若きウェルテルの悩み」を書いたゲーテは、まだ20代だった。おそらく、世界最初のベストセラーで、主人公を真似て黄色いチョッキを着るのが大流行し、主人公を真似て自殺する若者がたくさん出た。今でも芸能人が自殺をすると、後を追って自殺する若者が出てくるが、こういう現象は大昔からあった。

 さて、ゲーテさん。小説ばかりではなく、政治や山登りや、骨相学や地層学、いろんなことに興味津々だ。中でも骨については、その学会でも歴史に名を残している。難しいことはよくわからないので乱暴に書くと、当時人間と動物は全然別の生き物と考えられていたのを、人間も動物と同じ骨を持つと言ったのである。人間が猿から進化したと言うと、今でもウキーッと目くじらを立てる宗教家がいるくらいだから、その当時は大騒ぎになったろう。

 そんな骨の話の中で、僕が興味を持ったのは、牙を持つ動物は角を持たないという話だ。つまりライオンや虎のように牙を持つものは、わざわざ角を生やす必要はないし、角を持っていてそれで攻撃できる動物は、わざわざ牙を備える必要はないという。陸上を速く走ることができるダチョウは大きな翼を持つ必要がないし、海中をスイスイ泳ぐイルカに足は必要ないのである。

 要は、自然界というものは、牙を持ったうえで角まで生やすような「余力」を備えてないという。自然は、贅沢や無駄を極力嫌うということだろう。

 というようなことに感心すると、人間の空想がいかに自然界の道理から外れているかがわかる。ペガサスなんて空想の動物は、速く走る馬の足を持ちながら、大きな翼で空を飛び、額には角が生えていたりするのだから。

 人間は大昔から贅沢で無駄が大好きだったということだろうか。今でも、携帯電話なのに、写真が撮れたりお財布になったりする。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポチと番犬

2015-04-21 12:13:53 | 福島

 猛烈に忙しい週末が終わり、昨日は買い物に行ったり、車の定期点検とタイヤ交換に行ったり、本屋に行ったりと、溜まった雑用を済ませた。

 久しぶりにのんびりした気分でテレビのニュースを見ていると、沖縄の基地問題やら韓国や中国に対しての謝罪の問題やら、海外の自衛隊の派遣やら、なんだかキナ臭いことばかり言っている。そう簡単には戦争は起らないだろうとタカをくくっているが、歴史を振り返れば、時代の大きなうねりは、人間の思惑などはるかに超えて、まるで津波のように押し寄せる。

 この前図書館から借りて来ていた第二次大戦のユダヤ人迫害の本の中でも、あの当時ユダヤ人自体が、「まさかこの20世紀の科学の時代に、中世の魔女狩りみたいなことが行われているなんてあり得ない」と、捕虜収容所から命からがら逃げて来て、そこで何が行われているかを知らせに来た人間を、まるで気違いのように扱ったのだ。その「まさか」が起るのは、日本人も東日本大震災で経験したばかりである。

 総理大臣の安倍さんが、ごり押しで自衛隊を紛争地に送り出すことができるように法整備を行っている。それを見て、「日本はアメリカのいいなりだ。アメリカの要請にノーと言えない日本は、まるでアメリカのポチだ」と言う。それじゃあ全国のポチが可哀想だ。

 が、そんな日本に対してアメリカ人はどう思っているかと言えば、「日本は金だけだしてアメリカに日本を守ってもらっている。いざことが起れば、死ぬのはアメリカ人だ。アメリカはまるで日本の番犬ではないか」と感じているのである。

 ポチと番犬、どっちもどっちだ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三春の滝桜

2015-04-19 08:33:54 | 福島

 三春町に住んでいて、三春の滝桜を見ないで春を終えるわけにはいかない。昼間は渋滞で近づくのが困難な滝桜も、さすがに夜間や早朝は人が少ない。

 朝4時半に起き出し、犬を車に乗せると滝桜を見に出かけた。大駐車場につくと、すでにかなりの車が止めてあった。キャンピングカーも多いところを見ると、暗いうちにやってきてここで朝を迎えたに違いない。車のナンバーも関東一円、北陸、遠くは静岡、名古屋も見られる。

 滝桜の周囲には、三脚にカメラを固定してシャッターチャンスを待ち受けるカメラマンたちでいっぱいだ。

 ポスターや絵葉書ですっかり見慣れた滝桜だが、目の前で見る満開の桜は、何度観ても荘厳で畏怖さえ感じる。これで誰もいなければ、悟りが開けるんじゃないかと思うくらい宗教的だ。

 滝桜見物の後は、犬たちの散歩を兼ねて近くのさくらの公園に寄った。ここはまだ桜の名所にはなっていないが、植林した桜がかなり大きくなってきたので、そのうち桜鑑賞ツアーに組み込まれるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする