おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

少子化という現実

2022-02-01 12:19:50 | 日記

 新型コロナウイルスの登場により、さまざまな補助金だの補償金だの、公的資金が注ぎ込まれている。とにかく社会活動は停止させ、なおかつ経済活動は低下させないようにしようというのだから、いくらお金を使ってもキリがない。おまけに社会活動が鈍れば、国や自治体の税収は減る。それでも今は社会を疲弊させないようにと、借金を増やしてでも社会を維持しようと頑張っている。

 東京都などは、潤沢にあった都の貯金をほとんど使い果たしたという。おまけにオリンピックで入るはずだった収入もほぼゼロになったわけだし、出て行く一方ではそれも当然のことだろう。が、ほとんどの人は、新型コロナウイルスが終息すれば、経済活動は復活し、僕らの生活も元に戻ると考えている。そうなれば、少々借金が増えようと、みんなで働いて返せば良い、ということになる。

 が、日本の借金は、コロナウイルスの終息後も、簡単には片がつかない問題だということが、あるニュース記事にあった。というのも、借金返済に待ったをかけるのが、少子化問題だからである。一見、少子化と借金と何が関係するのかと思いきや、ちょっと考えれえば子供でも分かる理屈だ。つまり、借金を大勢の人で返す場合と、借金を返済するための人間がちょっとしかいない場合を比べれば、返済する人間が少ないほど返済額が増えるのに気づく。

 つまり少子化とは、日本が抱えた借金の返済を、年々減り続ける日本国民が、次第に負担を増やしながら返し続けていかなければならないということなのである。

 おそらく役人や政治家は、そんなことなど百も承知だろう。けれども、誰も責任を取らないのが役人や政治家の特徴である。とりあえず少子化問題として切り離してアピールしておけば、なんとなくやっている感だけは演出できる。子育て世代を応援するとか、結婚相手を得るための場を作るとか、税金を使って政策は打ち出せる。

 ところが、少子化ということで調べると、そうした小手先のやり方では無理だということがわかる。これは算数に近く、小学生でもわかる。というのは、戦後ベビーブームが起ったが、それ以外の時代は夫婦からふたりの子供というのが、ほぼ一般的になっているのである。つまり、未婚の人間がすべて結婚し、平均ふたりの子供を作って、初めて人口は維持できるのである。

 今の国のあり方というのは、すべての国民が結婚し、ふたりの子供を作ることを前提にできている以上、日本の借金にせよ、社会保障費にせよ、どうしようもない結末が待ち構えている。それを放置しているとしたら、原子力発電所の安全性と同じで、見て見ぬ振りをしているとしか思えないのである。

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