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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

年賀状の用意

2016-11-30 15:24:35 | 福島

 11月も今日でおしまい。12月に入ると何かと忙しくなるので、早め早めに仕事を終わらせていくのがよろしい。

 というわけで、この何日間かは年賀状の絵柄を考えている。最近は年賀状も流行らないというが、もらって楽しくないような年賀状では流行らないのも当然と言える。一年に一度も顔を合わせていないにも関わらず、年賀状に印刷された文句が「今年もよろしく」だったりすると、この一年もきっと会う機会はないんだろうなと思ってしまう。

 年賀状も手紙の一種に違いないからには、少なくとも近況の気配くらいは感じさせてほしい。楽しく過ごしているのか、病気で苦しんでいるのか、そうした報告がなければ返信の年賀状も的外れなものになってしまうだろう。

 さて、干支なんてものは年賀状くらいでしか意識していないので、毎年のように次の干支はなんだったかなと調べなければならない。わざわざグーグルで調べると、「酉年」とある。鶏の絵は難しいんだよな。もっとも龍だとか蛇だとかもイラストにするのは難しい。ただ、その分作者の腕の見せ所だと頑張って描いてみよう。ただし、うまく描けたところで、年が明けるまではここで紹介するわけにはいかないのであった。

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ラクダの映画

2016-11-29 11:35:06 | 福島

 夜、テレビ番組がつまらないので、レンタルビデオで映画を借りてきてはせっせと見ている。ただ、ドラマは作者の思惑が先に頭に入り、あんまり楽しめないこともあって、実話を元にしたものかドキュメンタリーが中心だ。ロッククライミング中に岩とともに落下し、腕を挟まれ身動きが取れないクライマーが、5日後には自分の腕をナイフで切り落として脱出する「127時間」、人生に悩み、ほとんど無計画でラクダと愛犬を連れてオーストラリアの砂漠を横断する「奇跡の2000マイル」、モンゴルで暮らす遊牧民が飼っているラクダが、自分の産んだ子の育児拒否をしたので、昔からの儀式を執り行うことで子供への愛情を復活させる「らくだの涙」など。

 最近の映画はCGをふんだんに使い、アクション映画でなくてもよりリアルな描写ができるようになったが、実際の僕らの生活ではCGが必要になるような場面というのは滅多にない。それどころか、平々凡々、ただダラダラと長いだけで盛り上がりの少ない散文的な暮らしだ。

 が、「奇跡の2000マイル」にしろ、「らくだの涙」にしろ、身の回りには荒涼たる砂漠の風景が続くばかりで、その中をただ歩き続けるだけの毎日や、砂嵐や寒さの中で遊牧をする家族の日常は、不思議といつまでも見続けていられるのはなぜだろう。世界中で反響を呼んだということは、同じように平々凡々と続く日常でも、何か別のものをそこに発見しているということになるのだろうか。

 翻って、今の日本の日常をドキュメンタリーで撮ろうとすれば、親子でめいめいのスマホを操作しているシーンがメインになるのだろう。なんともつまらない話だ。

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器を買う

2016-11-27 11:50:34 | 福島

 三春の美術協会で一緒にやっている人が、器を専門に扱うギャラリーに絵を飾っているというので見に行くことにした。期間は今日までなので、慌てて出かけたが、飾っている絵は小さなものばかり7点で、すぐに見終わった。ギャラリーの店主の目もあるので、普段は興味のない器類もじっくり見学する。

 陶芸も面白そうだが、手間隙の大変さを考えると、おいそれと本格的にやりだすわけにはいかない。かといって、コレクションをする趣味というのは全然ない。結局のところ使えればなんでもいいという実用主義になりがちだが、今日は一人の作家の器だけが少し気に入った。土がどうのこうの、釉薬がどうのこうのと説明を受けても僕にはわからない。見ているのはフォルムと絵付けだけだ。

 で、2000円弱出して買ったのは、抽象的な動物の絵柄の湯のみ。コーヒーカップもあったが、器がダメになるとしたらまずは取手からだろうと、取手のないものを選んだ。絵柄は、キリンやカメ、カラスやわけのわからない鳥などがあったが、僕が選んだのはサイと鳥と変な植物が描いてあるものだ。で、これでお茶を飲むのかというとさにあらず。僕の場合は、晩酌用のコップとして使うつもりだ。

 レジで精算してもらうと、器を作った人のプロフィールを書いた用紙をくれた。それによると北海道の石狩で活動する女性作家だ。経歴としては大きな賞はもらっていないようだが、その器が気にいる気に入らないということにはまるっきり関係がない。

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足元の世界

2016-11-26 09:04:55 | 福島

 気温がぐっと下がり、夜明けと同時に外出するのには根性がいる。それでも、覚悟を決めて一歩外に出れば、家の中でぬくぬくしているのがもったいないような美しい夜明けを見ることができる。冷たい張り詰めたような空気に、一発で目が覚め頭が冴える。

 安達太良山に朝日が当たり、赤く染まる。頂上付近はすでに白くなっている。見た目には大したことがなくても、実際登ってみると、結構雪が深くて苦労する。

 毎日あたりが真っ白になるくらい霜が降りるので、我が家の菜園を見に行くことにした。今年は冬野菜の準備が遅れ、全然成長しないままに寒くなってしまったのだ。

 春菊は5センチほどになっていたので、なんとか食材として利用できそうだ。大根は土から盛り上がっているのはひとつもないものの、よく見ると小さいのができている。

 大根は引き抜かれて横から見ることがほとんどなので、改めて真上から見て見るとタンポポみたいな葉っぱだということに気づく。

 白菜は葉が開いた状態で、丸くなっているものはない。この寒さではこれ以上の成長は見込めないだろう。ただ、葉っぱの先についた霜が、星の形をして綺麗なのには驚いた。野菜としての役目は果たせないが、それはそれで良しとしておこう。

 NHKで「足元の小宇宙」という番組をやっていて、植物学者から写真家に転向した人や、生涯科学絵本というジャンルで植物を描き続けている人が紹介されていた。それこそ朝から晩までその辺にある雑草を相手に、カメラを向けたり地面にへばりついて絵を描いたりしている。ともに80歳を超えるお年寄りだったが、好奇心旺盛で明るいことにかけては、若者も太刀打ちできない。

 好きなことを夢中でやり続けると、それが仕事になり、日々を幸せに暮らせるという典型的な人たちだ。そして、そういう生き方は、決して遠いところにあるのではなく、僕らの立つ足元にあることを教えてくれる。

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むひょーっ!

2016-11-25 11:00:40 | 福島

 昨日の雪は、箱根や会津の方は大変だったかもしれないが、このあたりは一瞬白くなっただけで、その後あっという間に溶けてしまった。ただ、裏の空き地の木々に雪氷がつくと、普段とはまるで違った光景になり、思わずシャッターを切りたくなる。

 今朝はぐんと冷え込み、何もかもがコチコチに凍りついている。外に置いてある犬たちの飲み水を入れたバケツも、初氷を作っていた。

 散歩に出ると、霧が出ている。おまけにその霧が凍り、木々に霧氷がついているではないか。なんとも幻想的な光景だ。

 雑草の小さな花にも霧氷。そして蜘蛛の巣にも霧氷がつく。

 巣の中心では、虫がかかるのを蜘蛛が待機しているが、凍りついた網では虫は張り付いてくれないだろう。おまけに蜘蛛の糸が普段の何倍にも太くなり、これでは虫の目にも罠が丸見えなのである。蜘蛛さん、残念。

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朝起きても

2016-11-24 11:24:30 | 福島

 天気予報で散々今朝は積雪があるというので、昨日はどこの車屋さんもタイヤ交換で大にぎわいだったようだ。僕の場合、自分で交換しているので、雪が積もってからでもタイヤ交換は遅くはないのだが、できれば暖かい日に交換したい。雪が降りしきる夜明け前に交換なんてことはやりたくないのだ。

 明日の朝は一面の銀世界を散歩することになるかな、カメラも持って行った方がいいなと、雪が降るのは面倒くさいが、期待にそわそわしながら眠りにつく。

 朝5時、天気予報では雪が降り始めている時間だ。が、雪が降る気配はまったくない。残念。雪の写真はお預けだ。外に出ると気温は低いが、風がないので寒さはあまり感じない。しばらく歩いていたら、ちら、そして時折、ほら、と小雪が舞い始めた。

 散歩から帰るとみぞれが降り始め、そのうち本格的な雪に変わった。タイヤ交換しなくても大丈夫そうな降り方だが、どうせいつかはやらなきゃならないので、さっさとやっておくことにした。雪の朝の方が、放射冷却で澄み切った青空の朝よりも暖かかったりする。

 お昼になると道路には積もらないが、空き地や畑がうっすらと白くなってきた。ただ、この雪は午後には止んでしまうらしい。

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最長記録

2016-11-23 12:09:38 | 福島

 高校生の時、全員参加のマラソン大会というのがあり、16キロを走らされた。体育の時間に5キロくらいは毎回走らされていたが、10キロを超えることはなかったから、まったくのぶっつけ本番だ。走るまでもなく、「絶対無理」と思っていた。

 が、最後は足が痛くなりながらも、ビッコを引き引きなんとかゴールにたどり着いた。そして、それが生涯で一番長い距離を走った記録になっていた。

 その後、走る機会も走る意欲もないまま歳を重ね、気がつけばオッサンと言われる歳も半ばまできていた。ある日、犬の散歩の途中で自分が走れるものかどうか試してみようという気になり、誰も見ていないのを確認すると、農道をできる限り早く走ってみた。結果、50メートルはおろか、20メートルも走れば心臓が口から飛び出しそうに苦しくなった。

 それから散歩のたびに少しずつ走る距離を伸ばし、50メートル100メートルと走れるようになり、1キロを走れるようになった時には、自分の能力に惚れ惚れしてしまった。20メートルがなんと1000メートルと50倍に記録が伸びたのだ。

 10年が経ち、一昨年郡山市民マラソンの10キロの部に参加し、完走を果たした。去年は自分でコースを考え、家の周りの15キロのコースを走れるようになった。

 今年はいよいよ20キロ越えだと三春ダムからさくら湖を一周する25キロのコースを何度か走った。そしてこの前の休日は、ついに自己記録を更新する28キロを走ってきた。

 が、最後の急坂で何度も立ち止まってしまったので完走とはいいがたいが、アップダウンの少ないコースなら、きっと完走できたに違いない。

 さて、記録はどこまで伸ばすことができるだろう。人間は本来長距離を走るように進化を続けてきたというので、諦めなければなんとかなるだろう。

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ストレス歓迎

2016-11-22 11:15:00 | 福島

 NHKの「ためしてガッテン」で、アンチエージングについてやっていた。宇宙ステーションに滞在した宇宙飛行士は、数ヶ月で何十年も老化してしまうということで、NASAは老化についての研究を一所懸命やっているのだ。

 普段僕らが生活していく上で、体は常に重力というストレスを受けている。そのために体が重かったり、疲れたり、面倒臭かったりと感じる。けれども、重力から解放された宇宙飛行士がどれだけ快適に暮らせるかと言えば、実はあっという間に老け込んでしまうという大変な自体に陥る。

 が、これは何も宇宙飛行士の問題ではない。体を動かすのが面倒だからと、ソファに横になって楽チンな姿勢でテレビを見ているというような生活は、無重力で生活する宇宙飛行士にかなり近づいているのである。僕らの体は、もともとストレスの存在を当たり前のこととしてできあがっている。

 もう年寄りなので運動なんてしない、という人は多い。しかしながら、運動をしないから年寄りになってしまうというのが真実に近いのかもしれない。

 ストレスについてこんな実験結果がある。いつも埃にまみれた環境と清潔に無菌状態を保たれた環境それぞれでマウスを生活させ、その後、より過酷な環境に2匹を入れた時、清潔な環境でストレスなく暮らしていたマウスは、すぐに死んでしまったというものだ。

 近頃は、いかにストレスから解放されるかばかりが取り沙汰される。が、今思えば、若い頃ほどストレスに囲まれていたんじゃないかと思う。

 

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大勢で動く

2016-11-20 12:04:15 | 福島

 ヤフーニュースに、トレイルランニングの流行で登山道が壊されてしまっているという記事が出ていた。山自体は登山者だけのものではないので、誰でも楽しむ権利はあるだろうが、何事にも許容量というものがある。

 トレイルランニングだけではなく、このところの登山ブームで、有名な山には人があふれかえり、登山道は踏み荒らされているという。もともとが集団で往来できるようにはなっていない登山道を、大勢の人間が行列を作り両手にステッキを持って路肩を突き刺しながら進む。まるで集団で山道を耕しているようなものだ。

 山に負荷をかけないということで言えば、なるべく少人数で静かに登るのが良い。どうしても大勢で登りたいという人は、高尾山みたいにケーブルカーや舗装された遊歩道が整備されたところに出かけるのがマナーだろう。

 近頃ではSNSでどこそこが名所だと聞くと、大勢が殺到する。それまで誰も振り向かなかった場所が、一夜にして絶景スポットと呼ばれるようになり、誰もがスマホを片手に撮影に励む。

 欧米人に比べ単独行動が苦手なアジア人だが、最近の日本人の傾向としては、ますます大勢で動くことに傾いている、と感じている人は多いだろう。人はひとりで生きているのではない、周囲の人とのつながりで生きているとはよく聞く文句だが、時には孤独な時間というのを、もっと真面目に考えてもいいんじゃないかとも思う。

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ちょっとしたショック

2016-11-19 12:36:00 | 福島

 朝から大雨が降っていてランニングに出ることはできないので、昨日あたりをつけておいたランニングコースの下見に、車で行くことにした。大体の見当では30キロくらいだと踏んでいたが、もしかしたら35キロくらいあるかもしれない。

 車を走らせながら、歩道の幅や交通量を確認し、歩道のない場所では田んぼの畦など迂回路があるかどうかもチェックする。最後に家からの距離がはっきりしているさくらの公園の駐車場に車を止め、走った距離を合計してみる。結果、28キロで思ったほどなかった。アップダウンがきつい場所がかなりあるので、平坦なマラソンコースにしたらもっと距離があるかもしれないが、山の中を走るトレイルマラソンからすると、入門者用の高低差だろう。

 この前から読んでいる「BORN TO RUN」の売り文句に、これを読んでアメリカ中のランナーが一斉に考えを変えたとあった。一体何があったのかと期待して読み進んでいたが、ついに愕然とするような事実の記述になった。書かれていたのは、ランナーの足の故障の多さについてなのだが、その故障を生んでいるのがランニングシューズの開発と軌を一にしているという事実なのである。

 体型にも走る距離にも速さにも関係なく、多くの人を調査した結果、5000円以下のランニングシューズより一万円以上のランニングシューズを履く人の方が2倍足に故障を抱えていたのだ。

 それはつまり、緩衝材などで足を衝撃から守ろうとすればするほど、足は本能により固い安定した地面を求め強く踏み込んでしまうためだったのだ。ちょうど体操選手が、マットが柔らかいほど強く踏み込んで安定した着地をするのと同じなのである。

 そしてさらに衝撃的なのは、そもそもジョギングという概念を世に持ち出し、ランニングシューズを開発して売りまくったナイキも、その事実は承知しているというのだ。そもそも良かれと思い開発された靴は、いずれ事業となり、ついには金儲けのタネになるという典型的な事例なのだろう。

 ランニングシューズ開発の根本には、人の足は走るためにはできていないから、なるべく保護してやろうという思想がある。が、最近の研究では、人間の足は人間が唯一地面に接する箇所で、手や顔と同じくらい鋭敏さにおいて発達しているはずである。そのため、靴を履くというのは、実は腕にギプスを巻くようにいつしか足の本来の機能を損ねている可能性があるという。だったら裸足が一番なのかというと、実はその通りで、世界中にいる裸足で暮らす民族には、水虫を筆頭に足の故障はないらしい。人はもしかしたら、靴を履くことで膝や腰を自ら痛めている。

 1年ほど前にスポーツショップに行って初心者用のランニングシューズを買ったが、あの時見たピンからキリまで飾ってあったランニングシューズの数々は一体何だったんだろうか。店員は、そういうことを知ってか知らずか、機能や効能を熱心に説明してくれたが。

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