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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

画面を構成してみる

2024-05-31 09:39:59 | イラスト
 歌人・山頭火という人の写真はあまり残っていないのか、本で見かけたりネットで検索してみても、有名な写真と言えば笠を被って歩いている後ろ姿だ。「うしろすがたのしぐれてゆくか」という代表作があるので、ぴったりの写真なのだが、あまりに有名なので後ろ姿だけですぐに山頭火とわかってしまうのである。

 で、ほかに何かないかなと探していたら、腰を下ろしているらしい写真があった。顔がわかる写真は数点しかないが、その中でも表情がわかりやすい写真なのではないだろうか。それなら、というので、この写真を使って山頭火の絵を描くことにした。



 ただ、このままそっくりに描いても山頭火らしくないので、とりあえず托鉢姿にするために笠を被ってもらうことにした。笠はいろいろ調べて山頭火らしいものにする。で、その笠を切り取って、山頭火の写真に貼り付ける。



 背景はどうしようかと思ったが、炎天下で遠くを見ている雰囲気にしたかったので、以前僕が撮った写真から入道雲を探してきて描き足すことにした。



 というようなわけで、あちこちから材料を集めて、ひとつの画面を構成してみる。絵が完成したら、左の空いている部分に、濃い墨で山頭火の俳句を書き加えようと考えている。

 さて、どういう俳句を書くか。候補はいくつかあるが、あとは絵の完成を待って決めることにする。
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花期が長過ぎる

2024-05-30 11:16:57 | 日記
 散歩をしていると、庭先や道端に咲いている花に目が止まる。なかなか全部は名前を覚えられないので、クイズのようにしながら一つずつ覚えている。

 花とひと口で言っても、庭木の花もあれば花壇で世話をしている花もある。道端の名もしれぬ花もあれば、森の中で花をつけている木もある。そんな花を見つけながら歩いていると、季節の移り変わりをはっきりと感じることができる。風の感じ、空の感じ、雲の感じでも季節の変化に触れることはできるが、間違いなく季節を感じることができるのは可憐に咲いている花だろう。

 ほとんどの植物は花を咲かせる。が、花を咲かせている期間というのは、長いのもあれば短いのもある。誰もが心待ちにする桜なんかは1週間くらいで散ってしまう。が、幸いにしてソメイヨシノと時期をずらしてヤマザクラやヤエザクラは咲くから、花は違うものの春の桜の時期は結構長いのだ。

 これから梅雨に入っていくと、この辺りではアジサイやタチアオイが目につくようになる。梅雨が終わればヒマワリ、そしてコスモスと続くが、コスモスの花期は意外と長く、夏にはあちこちで咲いている。

 コスモスのように花期が長い花と言えば、道端で咲いている白やピンクの花だ。春先、九州では1月の終わり頃から目にするようになるのがハルジオン。東北でも3月頃から目にするようになる。もともとは北アメリカ原産で、園芸種として日本に入ってきたようだが、今では花壇を逃げ出し、田んぼや畑のあぜ道で一番見かけるのがこの花だ。こうなると、もはや花壇では育ててもらえなくなる。野の花には、同じように花壇から逃げ出した園芸種が多い。

 春先に至るところで咲いているハルジオンだが、ぼんやりしていると秋になっても咲いているから、「えらく花期が長いなあ、一年中咲いているのか」と思ってしまうが、実は夏の到来とともに、ハルジオンはそっくりなヒメジョオンにその座を譲っている。よくよく観察すると、花びらの数が違っているし、葉っぱや背丈も微妙に違っている。この違いがわかると、春から夏への変化も感じられて面白い。



 今はちょうどハルジオンが終わってヒメジョオンに入れ替わる時期に当たる。僕が手に持っているのがヒメジョオン。後ろのピンクの元気がなくなっているのがハルジオン。どちらの品種も、白い花とピンクの花をつける。
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ないなら作る

2024-05-29 11:42:41 | 日記
 家庭菜園のタマネギがすっかり大きくなり、ほとんどの茎が倒れた。茎が倒れてからも大きくなるらしく、1週間ほど放置してからが収穫時期になるらしい。ということを近所の人たちに聞いているので、収穫は6月に入ってからだ。ニンニクも茎が枯れ始めている。これも同様にもう少し待って収穫することにする。

 ジャガイモは、今年はトウヤとメークインを植えた。例年になく順調で、トウヤが白い花を咲かせ、メークインが紫の花を咲かせている。どちらも満開だ。ジャガイモはタマネギの収穫が終わってからになるだろう。ナスやトマトやキュウリも順調だし、里芋やサツマイモも土の中から葉っぱが顔を出している。枝豆のすくすく育っているし、とにかく今年の我が家の畑は豊作の予感がしている。

 気候変動で世界中で作物が取れなくなっている。魚介も変だ。となると、たちまち食料品の値段が上がる。品薄になれば購買力のある国が買っていくので、円安で国力が下がっている日本が買い付けてくるのは難しくなる。そうなると国産ということになるが、国産の牛や豚や鶏だって、餌は外国産の輸入に頼っている。となると、国産の値段も外国産に合わせて高くなるのは明らかだ。

 自然破壊の影響は徐々に起こるのではない。目に見えないような変化の果てに、突然破滅的な現象が現れると思っておいたほうがいいようである。そうなると、国に頼っているわけには行かない。食料品がないなら、国の政策を待っているわけには行かない。農家の努力に期待するわけにも行かない。手っ取り早く自分で作るのが一番の近道なのだ。

 食べ物だけに限らない。世の中には、自分がしない理由を、○○がないからできない、教えてくれる人が身近にいないからできないと、やらない理由ばかりを挙げる人がいるが、「ないからできない」ではなく、発想を「ないなら作る」に変換しなければいけない。世の中には多分、このふたつのタイプの人間がいる。生き残るためには「ないなら作る」タイプの人間でいるように努力したほうがいいと思う近頃のアベさんなのである。
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十年ひと昔

2024-05-28 11:06:47 | 日記
 90年代がブームです、とか80年代のファッションが脚光を浴びてますといった具合に、昔から10年という単位で時代を表すことが多い。「十年一昔」という言葉だってある。

 僕が今、福島に来て大体10年が経った。その前は大分で10年、その前が東京、埼玉で10年、その前が大阪で10年という具合に、10年区切りで住むところを変えている。最初からそんなに長く住むつもりがないと、あちこちをせっせと見てやろうと思うので、10年も経つと地元の人間よりよほど詳しくなっていることが多い。僕の場合経験から、同じ土地で10年も暮らせば、あまり見るところがなくなるなあと感じているのである。

 おそらく仕事だって同じことばかり続けていては、次第に効率が悪くなって行くのではなかろうか。確かに技術は向上し、同じ作業でもどんどん早くできるようになるということはある。が、その作業に特化することで、別の作業ができなくなってしまい、時代の変化について行けなくなるということはあるだろう。努力の結果、計算機と同じ速さで計算できるようになったとしても、計算自体を機械に任せ、その間別の仕事をするという選択肢だってあるわけだから。

 同じように、僕は政治家の寿命は1期が4年なら、2期8年くらいで引退でいいんじゃないかと思っている。「これがしたい」と立候補し、受かった暁には、是非ともそれを実現してもらいたい。それには1期は短く、2期くらい必要なんじゃないかと思う。仮に2期つとめてもできないとなったら、さっさと辞めてそれができる人と交代してもらいたい。そういう意味で、2期引退がいいんじゃないかと考えている。

 地方に行くと、10期40年町長を続けています、村長をやっていますという人がいる。他に人がいないということがあるかもしれないが、それだって同じ人間がずっと同じ役に留まるというのは、まるで変化に対応していないように見える。やはり強制的にでも、交代させるのが健全な地方の在り方だろう。

 で、どうしてこういうことを思ったかというと、東京都知事選に立憲の蓮舫さんが出馬表明したというニュースを見たからだ。小池さんはすでに2期つとめ、3期目に向けて出馬するようだが、最初に当選した際の公約はほとんど果たされていないという。2期つとめてできないというのは、やれなかったか、あるいはやる気が失せたかのどちらかに違いない。だったら、やはり降りてもらったほうがいいんじゃないかと思う。

 思い返すと、小池さんが都知事になった時というのは、希望の党を作り、人気はピークにあったように思う。確か小池さんが出てくるイメージビデオみたいなのもあったなあ、なんて懐かしく思い出すのだ。あの頃から比べると、時代を引っ張っていく力はもはやなくなっているように見える。
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国の成り立ち

2024-05-27 11:08:26 | 日記
 昔、日本はこの国のことを倭と呼んでいた、と僕が学生の時には学校で習ったが、正確には「国」ということではなかったようで、中国人に「お前の国は何というのだ」と聞かれ、「私たちは自分たちのことを『わ』と言っている」くらいに応えたのだろう。今でも青森あたりでは自分のことを「わ」と言っている。

 だから、当時中国により「倭」と記された場所には、日本人だけでなく対馬海峡あたりで生活する朝鮮人も含まれていたようだ。

 その後、大和王朝が日本を統一した。すると、国境というものが必要になってくる。その頃にはじめてはっきりとした「日本」という国の意識が生まれてきたのである。

 そもそも世界的に見ても、国というのは自然発生的で、同じ民族、同じ言葉、同じ風習、習慣を持つような人たちの集まりである。そこに力を持ったものが現れる。中国の唐だとか隋だとか秦だとか清だとか、武力で隣近所を制圧して作った国だ。権力の頂点にある人を「皇帝」と呼ぶが、別の力のあるものが地位を奪えば、別の国名になる。たとえ、そこに住む住民が同じ顔ぶれであったとしてもだ。そういう国は「帝国」といい、中国やドイツ帝国なんかがある。

 同じように力で国を治めても、代々血のつながった者が跡目を継いでいくと、それは「王国」となる。イタリア王国、フランク王国、プロイセン王国、イギリス王国だ。

 そんな中、国民ひとりひとりが人権を持ち、国王や皇帝といった権力者には従わないといって初めて国を作ったのが、アメリカ合衆国である。「契約国家」と言い、国民は憲法と契約を結ぶ。アメリカ国民になろうとすれば、憲法と法を遵守しますと誓えば、アメリカ国民なのだ。今読んでいる「哲学と宗教全史」で紹介されているエピソードに、トランプさんが司法長官に「俺に忠誠を誓え」と迫ったら、司法長官は「私はアメリカ憲法に忠誠を誓っています」と言い捨てられた話が出てくる。だから、アメリカでは移民を受け入れることに抵抗がないのである。

 そんなアメリカが独立戦争をしている時、ヨーロッパから義勇兵がたくさんやって来た。独立後それぞれの国に帰って行ったが、その盛り上がりが伝染したのがフランスだった。王様を処刑し、人権宣言を出して第二の契約国家となったのだ。だからフランス共和国という。

 日本が明治維新で近代化を図ったとき、どこの国を真似しようかと考えたが、ドイツはまだ帝国だったし、アメリカ、フランスは契約国家になっていた。イギリスが「北アイルランド及びグレートブリテン連合王国」を名乗っていた。日本という国のデザインを考えていた官僚たちは、代々血縁によって続いてきた天皇を頂点にした国づくりをするため、イギリスをお手本とすることにしたのだった。今でも日本の皇室がイギリス王室と仲がいいのは、こういった経緯があるからである。

 さて、大日本帝国憲法によって明治政府は「帝国」を名乗ったが、本質は「王国」だった。が、日本では天皇のことを王様とは呼ばない。そういうことから第二次大戦までは、日本は「帝国」でも「王国」でもない「皇国」と自称していた。

 ところが、戦争に負け、アメリカから「日本国憲法」を押し付けられ、天皇は「象徴」となって、これからの日本は民主主義国家になりなさいと言われてしまった。が、自分たちで勝ち取り作り上げた憲法ではなかったために、日本では「憲法」と契約を結んで日本国民になったという意識はない。

 移民の受け入れ問題や、憲法改正の問題がいつになっても進展しないのは、心の底では、いまだシンボルとしての「皇国」に住んでいるのであり、本当は「日本国憲法」との契約を交わすことで、日本国国民になっているということが理解できないからである。

 
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薔薇が咲いた

2024-05-26 12:01:46 | 福島
 我が家の庭は、バラが花盛りだ。5、6種類は植えているだろうか。すべてはバラ好きのタミちゃんが世話しているので、僕はただ眺めるだけだ。時々名前を聞かれるが、適当に答えている。コーネリアスとかピーエル・ド・タキとかソンブレラといった具合に、連想ゲームみたいな名前を答えている。

 そんなわけで、名前まで紹介すると間違っているに違いないので、一部のバラの写真だけアップする。



 玄関前で咲いているなんとか。



 玄関先のパーゴラのバラ、なんとか。



 中庭のなんとかとなんとか。ほかにもまだあるが、写真に撮ると似たような感じなので、この辺でやめておく。



 すっかり初夏の陽気で、爽やかな風が吹いているので、テオを連れて長い散歩に出る。



 目に青葉、山ホトトギス、初鰹というくらいで、この時期の里山はホトトギスの鳴き声があちこちから聞こえる。雑木林はすっかり葉っぱに覆われ、昼なお薄暗い。



 風があるせいか、空は埃もなく真っ青だ。見上げていると、宇宙に吸い上げられてしまいそうだ。





 あちこちで目にする赤紫の可愛い花はムシトリナデシコ。満開を過ぎたハルジオンは、少しずつヒメジョオンにその座を譲っている。

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偏見を意識する

2024-05-25 11:36:40 | 日記
 この前から読んでいる「哲学と宗教全史」も、やっと近代へと入った。人類誕生以来の歴史なので、なかなか前に進まない。世界で最初の宗教ゾロアスター教からギリシャ哲学、キリスト教、中国の思想、イスラム教と時代は進む、ルネサンスを経て神様から自由になり、人間の世界へといよいよ現代に近づいた。

 信仰の世界から合理性と自然科学の世界へと時代が踏み出した時、重要な仕事をした思想家がフランシス・ベーコンだ。同時代にはガリレオ・ガリレイ、ヨハネス・ケプラーがいる。共に「地動説」を裏づけた科学者で、人間が神様の作った秩序から自由になり、不合理から合理性へと世界は移り変わっていく。

 フランシス・ベーコンは400年前の人だが、著者の出口さんも指摘するように「現代人への警告にもなっています。とても400年前の言葉とは思われません」というくらい、今でも何も変わらない知恵である。

 そんなベーコンさんは、人間には常に偏見がつきものであるという前提に立っている。人間の性質はラテン語でイドラ(idola)というが、その意味は偶像とか幻影と翻訳されている。アイドル(idol)と語源は同じである。現代のアイドルは、ファンの人たちにとっては理想像であり、偶像化された存在だということだ。

 で、ベーコンさんが警告した偏見は四つ。僕も自戒するために、ここに書き写しておくことにする。

1)人間が本来、自然の性向として持っている偏見。これは、嫌なことは過小評価する、楽しいことは過大評価する、見たいものしか見ないという性質のことだ。
2)個人の経験に左右されて、ものの見方がゆがむケース。パリを旅行していて、たまたま乗ったタクシーの運転手の運転が荒っぽかったことから、パリのタクシーは乱暴だったと狭い視野から全体を見てしまう性向。
3)伝聞による偏見。人混みで耳にした噂話から、事件の真相を誤って理解してしまうケース。週刊誌の記事に踊らされるようなもの。
4)権威の偏見。有名タレントが話したことや権威ある人が説教したことを、何の疑いもなく信じてまうケース。

 ちなみにベーコンさんは偉大な哲学者でもあったが、同時に国会議員もしていた。さらにユートピアを描いた小説家であり、ある説では多くのことが不明のままのシェークスピアは、ベーコンさんではないかという。

 何はともあれ、人間は昔から偏見と闘い続けているとも言える。気をつけていないと、落とし穴にいつ落ちてもおかしくないと思っていた方がいい。



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腕時計の変遷

2024-05-24 11:24:57 | ランニング
 長い間、腕時計といえばアナログ表示で皮のベルトと決めていた。デジタルは安っぽいし、金属のバンドは成金趣味だと感じていた。

 が、山登りをするようになると、皮のベルトは物凄く不都合になった。雨だの雪だの過酷な状況で使用すると、あっという間にベルトがダメになってしまうのである。買い換えるとしたら、どんなのがいいかなとネットで探していたら、サッカーのJリーグの審判のする腕時計が格安で売りに出ていた。価格はそれなりにしたが、耐久性は絶対だろうとすぐに購入することにした。

 バンドはゴムかシリコンだ。穴がたくさん開いているから、通気性は抜群だ。表示はデジタルで、おまけにガラスの部分が凸レンズみたいになっているから、表示される文字が物凄く大きく見える。試合中に何度も確認する審判にとって、視認性は最も重要なところだろう。アナログオンリーだった僕だったが、すっかり気に入り、ベルトが切れるまでしていた。

 次に買ったのは、同じようにデジタルだったが方位磁針がついているものにした。山登りをするようになって、地図とコンパスは必需品になったが、方位を確認するのにいちいちリュックから取り出すのは面倒だ。その点方位磁針がついている時計は便利だろうと買ってみたが、実際使う場面というのは滅多になく、あまり活用しないままに終わった。

 その次に買ったのは高度計がついた腕時計だ。山登りをしていて、今どのくらいまで登ったかがわかるというのは、頂上まであとどのくらいかという指針にもなる。そう思って購入したが、実際の高度計というのは気圧の差で測っているので、同じ高度にいても低気圧で天気が悪かったりすると高度が変わってくる。それではあまり意味はないのだ。

 山登りの次にランニングを始めると、必需品となったのはストップウォッチだ。そこでランニング用にとなるべく軽く小さい腕時計を買った。ところが、表示される文字が小さすぎで、老眼の入った目では走りながらでは数字が読み取れず、その度に立ち止まって腕時計を目に近づけるということを繰り返した。

 で、それからはなるべく文字が大きくデジタル表示されるもの、黒地に白抜きは明るい場所では見にくいので、白地に黒文字のものを買うようにした。あとはストップウォッチがあれば十分だ。

 ある時ウルトラマラソンを走っているランナーが、心拍数が140を超えると乳酸が溜まるので、気をつけて走っていると言っていたので、心拍数が測れるものにした。実際は走りながら心拍数がわかっても、それで走り方を変えるわけにも行かないので、これまたあまり重要ではなくなった。今はスマホを持って出ると、歩数や距離も出るので、腕時計に求めているのは時刻とストップウォッチくらいだ。

 そう思っていたけれども、腕時計をなくしたので新調しようとしたら、80%引きで心拍数が測れる腕時計が売りに出ていた。約3万円のものが5,500円である。さらに別売りで10,000円出すと、走る速度と距離がわかる装置も付けることができる。不必要になるかもしれないが、試してみる価値があるかもと、早速買ってみることにした。

 というわけで、今日は早速試しにランニングに出かけた。心拍数は胸に専用のベルトを巻くようになっている。速度と距離のオプションはまだ購入していない。





 心拍数が150を超えないようにと思いスタートしたが、ずっと170前後だった。45分走り5分休憩したら、やっと150台まで下がった。うーん、心臓を鍛えないと、乳酸出まくりのランニングになっているなと痛感するのであった。
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幸福な国

2024-05-23 11:13:29 | 日記
 少し前、ブータンという国が話題になった。ブータンの若き国王夫妻が来日し、その爽やかな風貌と国民が感じる幸福度調査で世界一であるというニュースが、実に新鮮だったのである。そんなブータン王国だが、決して経済的に豊かな国ではない。ヒマラヤ山脈のふもとにある小国で、産業らしい産業もないような国である。ところが、チベット仏教の影響によって、物質的なことよりも、人々の精神的な結び付きが幸福であると国民は考え、誰もが幸福に暮らしていると信じていた。

 すっかり世知辛くなり、どんどん元気がなくなっていく日本からすると、なんともうらやましい話だなあと思っていたら、最近のブータンはそうではなくなりつつあるという。ネットの普及などにより、他国の情報の流入によってブータンの人々は他の国の物質的な豊かさを知り、自分たちの相対的な貧困が気になり始め、かつての世界一幸福な国は95位まで順位を落としてしまっているのである。

 ブータンから比べれば、日本は豊かな国であることは間違いない。が、そんな日本の幸福度は先進国の中では最低に近い。なぜ幸福度が低いかというと、日本人は自分たちの住宅環境の貧困さ、所得の高くないこと、コミュニティ活動の低迷、環境問題対策の不徹底さ、政治への市民参加がない、人生に満足していない、ワーク・ライフ・バランスの不充分さを挙げる。

 ということは、逆に言うなら、ここに幸福になるためのヒントがあるということにもなる。住宅環境の貧困さ、所得の高くないことはニュースになりやすく、しかもなかなか改善していかないことを実感している。だとすれば、別の項目を改善すればいい。

 コミュニティ活動の低迷、環境問題対策の不徹底さ、政治への市民参加がない、人生に満足していない、ワーク・ライフ・バランスの不充分さといった項目は、ほとんど個人の努力でどうとでもなる項目なのである。とすれば、すぐにでも幸福度を上げようと思えば、個人の努力でどうとでもなるとも言える。ああしてほしい、こうしてほしいと他人に期待するのと同時に、ああしよう、こうしようとちょっと足を前に出せば、幸福度はどんどん上がって行くだろう。
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心臓に毛を生やす

2024-05-22 12:18:09 | 日記
 6月から定額減税が始まるという。それに関して、給料明細にきちんと減税しましたという旨のことを書くようにというお達しがあった。増税メガネをあだ名された岸田さんにすれば、増税ばかりではない、減税もやってるよとアピールしたい。

 が、税金や保険料が上がる時にはひと言も言わずに実行するのに、下げるとなると明記させるというのはあまりにセコイ。せこすぎてますます評判を落としている。面倒臭い事務手続きはすべて民間任せで、減税してやったぞ感だけがものすごいからである。

 やることなすこと失敗続きでも、決してへこたれないのが政治家である。不倫がバレようが、エッフェル塔の前でポーズを取ろうが、恥ずかしがらないのが政治家である。と書いているが、これは悪口ではない。なんともうらやましいのである。

 一体どうしたらあれだけのメンタルの強さを獲得できるのか。どうしたら自分の失敗を棚に上げて他人を攻撃できるのだろう。どうしたら恥ずかしがらずに堂々としていられるのだろう。どうしたらフサフサの毛を心臓に生やすことができるのだろう。心臓に毛が生えているから政治家ができるんだよ、という人もいるかもしれないが、持って生まれた資質というものだろうか。

 ソクラテスは、人間の一番大事なことは、自分が何も知らないということを知ることだと言った。「無知の知」というものである。が、それでは心臓はいつも丸裸で、ちょっとしたことで傷ついてしまうのである。自分が何も知らないということを知らない。それどころか、何も知らないにも関わらず、誰よりもいろんなことを詳しく知っていると信じることができる行動力が、お山の大将になる条件としか思えないのである。ああ、心臓に毛を生やしたい。
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