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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

走ることで

2019-03-31 11:36:13 | 日記

 図書館から借りて来た「マラソンと日本人」を読み始めた。NHKの大河ドラマ「いだてん」では、日本で最初のオリンピック選手となった金栗四三のことをやっている。先週ストックホルム大会で棄権という結果に終わり、そろそろ話は第二弾の東京オリンピックの誘致に変わるが、そっちの方はあまり興味がないので観ようかどうしようか決めかねている。

 明治以降、世界と面と向かって付き合うために、先人は想像できないような苦労をした。スポーツひとつとっても、スポーツをするという概念もなかった日本にそれを根付かせるのは容易ではなかったろう。近頃、そうした開国後の右往左往する様子に興味が湧き、好んで本を読んだりドラマを観たりしている。

 図書館のスポーツ欄で手にとった「マラソンと日本人」に、金栗四三とストックホルム大会のことが触れてあったので早速読み始めたが、前書きに面白いことが紹介してあった。それは「人はなぜ走るか」という命題が人類学や社会学から研究され、その成果として「持久走能力が我々の祖先に肉食動物との競争力を与え、大きな脳へと発達させた」というものがあるからだ。人間の骨格とは、二足歩行するためではなく、長く走るために発達したというのである。

 同じようなことを、以前読んだクリストファー・マクドゥーガルの「BORN TO RUN」にも書いてあった。それは短距離のスプリント競争ではほかの動物に負ける人間は、長時間走り続けるということにおいては、馬をも超えるというのである。瞬時に獲物を捕まえることができなくても、長時間に渡って獲物を追いかけ続け、相手が疲れるのを待って捕獲することで、人間は繁栄して来たらしい。

 長距離を走ることで脳を発達させたとか、人間の骨格が長距離を走るためにできあがったというのを知ると、現代人はどんどんバカになっていっているとも言えるかもしれない。が、それに反して市民ランナーの驚くほど多いことを思うと、現代人の生活が、いずれ人類の危機につながると無意識下で感じ取ったが上の、現代生活に対する抵抗とも考えられるかもしれない。

 先日ノーベル賞を取った山中さんが、マラソンが趣味だという話をテレビでしていた。研究と同じで毎日の積み重ねが、ある時成果を見せてくれるところが面白いところだと言う。走ればノーベル賞を獲れるわけではないだろうが、少なくとも脳に刺激を与えようと思えば、走るにこしたことはなさそうである。

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どろんこ

2019-03-30 12:02:49 | 福島

 最初のうちは家から出るのを怖がったテオも、毎朝の散歩を楽しみにするようになり、誰よりも早く起きて散歩に行こうと誘う。まだ横になっている人間の髪の毛をくわえて引っ張ったり、耳元でキャンキャン鳴いてみたりと、遠足の朝の子供同様待ちきれなくてハイテンションだ。

 リードをつける前には早くも玄関の扉の前に行き、家を出た瞬間から駆け足になる。不幸にも我が家の前は急坂になっているので、こちらは起きるなりいきなり急坂をランニングすることになる。オッサンにはハードすぎるぞ。普段は1時間の散歩コースも、ほとんど走りっぱなしで30分ほどで回ってくる。

 今日は図書館に行く日なので、早めにカフェの準備をし、掃除機をかける。その間外に出しておいたテオを家の中に入れて留守番させようとすると、狭い中庭を走り回って捕まえることができない。庭木の間をすり抜け、花壇の柵を飛び越し、テラスに上ったり下りたり、まるで鬼ごっこだ。おまけに庭のあちこちに大きな穴を掘り、全身どろんこになっている。

 早く家を出たいのに、やっと捕まえることができたテオは見事な汚れっぷりに家の中に入れるわけにはいかない。仕方がないので風呂場に連れて行き、手足や顔を洗いタオルで拭いて乾かす。こんなことをしている暇はないんだぞ。

 2時間ほど外出して戻ってくると、テオが待ってましたとキャンキャン鳴く。オシッコが溜まってるのかもと慌てて庭に出してやると、待ってましたとばかりに庭の穴掘りを始めた。

 こらー、何度言ったらわかる。

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ひきこもる

2019-03-29 12:03:25 | 日記

 以前から若者の引きこもりがニュースで取り上げられることは多かったが、引きこもりは若者特有のことではなく、そういった人たちは表に出てくることなく歳を取っていく。内閣府は初めて全国規模の調査をし、40〜64歳までの引きこもりの人たちが61万人強存在すると発表した。これまで引きこもりとされていた15〜39歳までの数が54万人だっただけに、実際に引きこもっているのは中高年が多いという調査結果だ。総数で言えば100万人を超える。日本の人口が1億人なら、百人にひとりが引きこもりとなる。これを多いと見るか、そうでもないと見るか。

 一定の数は昔からいたのかと言えば、社会が貧しく弱者救済ができない時代というのは、引きこもることは不可能に近かったろう。行政も親族も養うような余力がなく、口減らしのために奉公に出されたり、養子縁組をした。今は年金もあれば生活保護もある。病気と診断されれば、ほかの補償もあるだろう。そう考えるならば、引きこもりは社会が成熟すれば当然数を増やすことになる。

 引きこもりも一種の病気だろうから、軽々しく口にすることはできないが、昔は世間が生きていく上で勉強する場だった。子供の頃は近所の子供たちと群れて遊ぶ中、社会のミニチュア版で人付き合いを学んでいた。そこではずる賢い奴や、先輩に要領よく取り入る子など、早くからいろんなタイプの人間を観察することができた。

 毎朝散歩していると、親の車で送り迎えしてもらっている子たちが一定数いる。昔一緒に働いていた娘を持つ女性からも、ひとりで通学させるのが怖いから、高校を卒業するまで車で送り迎えしたという話を聞いた。が、親の庇護の下で安全・安心な生活を送った子供は、高校卒業と同時に社会に飛びさなければならない。これではかえって子供に酷だと僕は思うが、親心というのはそういうものではないらしい。

 引きこもる原因がどういったものなのかはわからないが、少なくとも人前に出てうまく立ち振る舞えないことが原因だろうとは推測できる。そう考えると、引きこもりはある種の都市が抱える病という気がする。歴史の上では、都市の誕生が伝染病の始まりだったように、大自然の中、人影もまばらな場所で暮らしていれば引きこもりになるとはあまり考えられない。となると、今後引きこもりは増えはしても減ることはなさそうだ。人間が都市を捨て、別の生き方を求めない限りは。

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準備、チャンス、欲求

2019-03-28 13:32:54 | 日記

 2週間に一度図書館に行き、本を返したついでに新たに本を借りてくるということを繰り返している。思い返してみれば、この習慣は東京にいた頃から続いていて、埼玉に住んでいたときには少し中断するが、その後大分、福島でも続いている。その度に三、四冊借りているので、最低でも毎週一、二冊くらいは読んでいる勘定になるから、トータルすれば図書館から数百冊は借りていることになるだろう。中には画集や写真集のような高価なものもあるから、自腹を切っていたらいくらお金があっても足りないのだ。

 で、今回借りた本は三冊は読み終え、明後日までにあと一冊だ。大体、数冊借りても読みたいものか、読みやすそうなものから手をつけるため、期限が近づいてくると難解な本が残るという状況になる。読み飛ばしたところで頭に入らないので、そんなことなら読まないで返すという選択肢もあるが、それはちょっと悔しい。

 昨日読み終えた本は、「天才科学者のひらめき36」というやつで、偶然によって大発見をした科学者の紹介とその仕事について書いていて、凄い発明や発見だとは思うが、その凄さがよくわからない。合成繊維の発明やら、恒星のパルサーやら、僕の脳みそでは雲をつかむようなものだ。

 ただ、どんな発明でも発見でも、「準備」「チャンス」「欲求」というものがなければなされない、というのはなるほどと膝を打つことができる。アルキメデスが風呂のお湯がこぼれるのを見て、「わかった」と声をあげたり、ニュートンがリンゴが落ちるのを見て引力の存在に気づく。風呂のお湯がこぼれたり、リンゴが木から落ちたり、そんなものは多くの人が目撃して来たことなのだが、どうして天才にだけその奥にある真理が見えたのかと言えば、それまでに徹底的に準備をして来た過去があり、常日頃からヒントはないかと狙っていて、そのひらめいたところを解明しようという意思があった。

 「準備」「チャンス」「欲求」と言われれば、新鮮な指摘だと感じるが、同じようなことは昔からもっと平易な言い方で言われてきている。「百聞は一見にしかず」だ。多くの人が、この言葉の意味を「百回聞くより一度見たほうがわかりやすい」と考えているが、本当のところは「百回聞いてきたからこそ、一度見た瞬間に理解できる」という意味だ。人は自分の中にないものを、外に見ることはできない。

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フキノトウが食べたい

2019-03-27 11:27:05 | 福島

 朝、着替えをしていると足元をテオが行ったり来たり、ズボンの裾をくわえたり、飛びついて来たりと大騒ぎだ。毎朝の散歩に出るのがすっかり日課となり、誰よりもテンションが高いのである。

 テオのリードはタミちゃんに任せ、僕はテオのトイレの係と写真撮影担当だ。テオが用を足すと、即座にビニール袋を用意し、テオがその場を立ち去るときには素早くウンコ袋を腰に下げたカバンに収容する。その早業はすでにトイレ番長の名に恥じない堂に入ったものだ。

 が、写真の方はと言えば、重たい一眼レフを首からぶら下げて後ろからついていくと、テンションの高いテオは走る走る。引っ張られてタミちゃんも普段の運動不足解消に走る走る。おかげで僕はゆっくり写真を撮る暇もなく、ひとりと1匹の後を必死に追いかけることになる。

 「こら、待たんか」と声をかけると、立ち止まって僕に早く来いという目で振り返るテオ。

 北国の春でも歌われているコブシは、花芽がフックラと膨らんで来た。春の花と言えば桜ばかりがもてはやされているが、コブシやモクレンや梅や桃といった花も楽しみだ。

 昨日収穫できなかったフキノトウは、丹念に探せば食べられそうなものが見つかるかもと思ったが、今年はなぜだかどれもこれも小さいうちから花が咲いていて、食べるには遅すぎたようだ。残念。春の味覚としては、一番強烈な味わいなんだけどなあ。かといって、スーパーで買うのだけはやめておきたい。それじゃあ旬のものとは言えなくなりそうだから。

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いよいよ本格的な散歩へ

2019-03-26 11:03:56 | 福島

 日曜日に2度目のワクチンを打ってもらい、いよいよテオは自由に散歩ができるようになった。これからは車に乗せたり、一緒にランニングしたり、ほかの犬たちと遊ばせたりと行動の幅がグンと広がるのである。

 手始めに、今朝はドリ・トトが毎朝歩いていた1時間の散歩コースを、テオに歩いてもらうことにした。

 我が家にやって来てひと月。体重はすでに倍近くあり、丸っこかった体型はスマートに、短かった手足は長くたくましくなった。顔つきも子犬というより少年といった感じだ。

 初めての場所は不安がいっぱい。キョロキョロウロウロ、呼吸は荒く落ち着かない。それでも足取りだけは老犬だったドリやトトとは比べ物にならないほど元気いっぱい。

 丘の上に到着すると太陽が登って来た。例年なら、春の初めはまだまだあちこちに雪が残っていてもおかしくないのだが、今年は九州のように殺風景な景色が広がる。

 田んぼのあぜ道にはバレリーナのようなヒメオドリコソウや、青い星のようなオオイヌノフグリが花を咲かせている。散歩の途中でフキノトウを収穫して晩御飯のおかずにしようと考えていたが、大きくならないうちに早くも花が咲いている。

 スプリング・エフェメラルでもある福寿草は今が盛りだ。花の少ない東北の春にとって、福寿草の黄色は昔の人の目には鮮やかに映ったことだろう。名前を見ても、いかにめでたい存在だったかわかるのである。

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痛む尻、剪定

2019-03-25 16:28:18 | 福島

 3日ほど前から尻が痛い。正確に書くなら、左の足の付け根の部分が痛い。尾てい骨なのか、筋なのか神経なのかよくわからない痛みだが、椅子に座っても左っ側の尻が痛い。仕方がないので、椅子に座るときはちょっとだけ左の尻を浮かす。決してすかしっ屁をかまそうというわけではない。

 こんな状態でランニングに出て大丈夫かと思うが、安静にしていたらますます体がなまってしまいそうなので、とりあえず走れるところまで走ってみるつもりで、いつもよりもスローペースで出発した。それでも以前よりもスピードが上がっているので、去年まではどうしても30分を切れなかった地点まででも30分ジャストで走り切る。ただ、やはり左の尻が痛い。おまけにその部分をかばうせいか、右のふくらはぎまでつりそうになってきた。まったく軟弱な体なのだ。引退したイチローと比べるのはおこがましいが、自分が情けない。

 なんとか1時間半ほど走ってはみたものの、いつもよりは体力を温存したので、午後は洗濯物を干すところに生えているエゴノキの剪定をすることにした。すでに隣の空き地にはみ出し、お隣の敷地にも進出しているので、葉っぱが出る前にコリコリにしておく必要がある。

 脚立を立てかけ、三分の一ほどコリコリにし、それからは市町村指定のゴミ袋に切った枝を詰める作業だ。実際枝を落とすよりも、こちらの方がずっと時間がかかる。太い枝から出ている細い枝を剪定バサミですべて落とし、太い枝はノコギリで20センチほどに切る。細い枝はまとめて剪定バサミでやはり20センチほどに切っていく。なるべく細かく切るのがミソで、そうすることでゴミ袋により多く詰めることができるのだ。

 この作業に1時間半。テオと遊ぶ暇もないまま休日は終わろうとしている。テオが遊べとうるさいので、夕食の準備を済ませたら、夕暮れのあぜ道をのんびり歩いてくることにしよう。

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春なのに

2019-03-24 11:02:45 | 福島

 春は三寒四温というけれど、一昨日から冷たい強風が吹き荒れている。今日は青空が見えているものの、相変わらずの強風が吹き荒れ、おまけに雪までちらついている。春だというのに、いつまでも寒いのだ。

 ニュースではあちこちで桜の開花宣言が出たという。ここ三春町は、梅、桃、桜が一緒に咲くと言われているが、ようやく梅の花が目立つようになったばかりだ。やはり東北の春は遅い。

 春分の日を過ぎ、日が長くなったのを実感できるようになった。朝も6時には明るくなる。こうなると今まで以上に散歩は遠くまで足を伸ばしたくなる。テオが来て一ヶ月、生後三ヶ月を過ぎたので、今日は朝から動物病院に行って健康診断を受けた上、2度目のワクチンを打ってもらった。今日明日はなるべく激しい運動を避けるようにとのことなので、明後日からはいよいよ本格的に散歩にいけるようになるのである。楽しみだなあ。動物病院からの帰り道、ホームセンターに寄ってテオの散歩用のリードやリードをつける胴衣を買った。3週間前に動物病院で体重を測ってもらった時には3.75キロだったのが、今日は5.75キロあった。首輪もリードも超小型犬用では、テオには小さくなり過ぎた。

 我が家の庭には、まだまだ餌となる虫が少ないのか、野鳥たちが頻繁に訪れる。ジョウビタキやツグミ、シジュウカラやシメは、ほとんど我が家の家族の一員なのである。

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富の集中

2019-03-23 11:50:06 | 日記

 ちょっと前に、ナッツ姫やらその親族のパワハラといった韓国の財閥による事件がニュースを賑わせた。韓国の総生産の4分の3を十大財閥と言われる企業グループが占めているというのを聞くと、国をバックにしてやりたい放題だなと感じる。国が発展して行くというのは、こういう弊害を生むのかなと他人事のように思っているが、「教科書には載っていない!戦前の日本」という本を読んでいると、日本も同様の道を歩んでいたことがわかる。

 第二次大戦に敗れ、日本の財閥がアメリカにより解体されたということは教科書に載っていたが、三菱、三井、住友、安田といった財閥を解体したといっても、今も名前は残っているから、何を解体したのかは知らなかった。

 韓国は十大財閥が総生産の4分の3を生み出しているのに比べると、日本は四大財閥が日本企業の資本の半分以上を持っていたのだから、韓国以上に独占状態だったのがわかる。そもそも財閥というのは、明治維新で開国後、外国企業がどんどん国内に進出してくるのをなんとか阻止しようとして生まれたのだという。江戸時代が幕を閉じ、国を開いたばかりの日本に大企業などというものはなく、ほとんどが家族で経営していた会社で外国資本に立ち向かうというのは無理な相談だ。そこで政府は国の資金をいくつかの企業に集中してつぎ込んだ。資金援助のほかに、法律の面でもそれらの企業に有利になるように整備した。

 結果、短期間のうちに巨大企業へと膨れ上がったものの、家族経営はそのまま続けられていた。これが財閥である。昭和2年の長者番付を見ると、1位三菱合資社長、2位三井合名社長、3位三井合名重役、4位三井鉱山社長、5位三井銀行重役と財閥ばかりが並ぶ。ちなみに1位の三菱合資社長の岩崎久弥の年収は、現在の金額で約500億円というから、近頃話題のゴーンさんの報酬なんてのは、実に微々たるものである。

 こうした財閥の会社では、課長クラスでも年収は5000万円。三井の重役ではボーナスだけで20億円あったというから、貧富の差は戦前のほうがよほど大きかった。そうなると庶民の不満は溜まりに溜まる。終戦でアメリカが財閥の解体を命じたのは、会社を解散させたのではなく、国からの援助を切り、家族経営を止めさせたということだったのだろう。

 国が円熟してくると、なんだか昔は良かったというような風潮も生まれるが、こういう歴史を知ると、少しずつでも世の中は良くなって行ってるのかなと、現状に楽天的にもなれるのである。

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しつけ

2019-03-22 11:48:10 | 福島

 トトと比べてはいけないとは思うものの、どうしてもトトの子供の頃はどうだったかなと考えながらテオと接することがある。

 テオがやって来て三ヶ月が経ち、急に手足が伸びて来た。幼犬用のドッグフードではそろそろ物足りなくなって来そうだ。首輪もリードもテオにとっては華奢になって来たので、買い替え時期も迫っている。今度の日曜日には2度目のワクチンを打つ予定にしているので、それが終わればいよいよ好きな場所に連れて行くことができるので楽しみだ。

 さて、連れて回るとなると問題になるのは、マナーだろう。「お座り」や「待て」は、最低限身につけてもらわなければならないし、足元で「伏せ」をしていられるようになってもらわなければならない。車に乗せるとなると、行儀良くしてもらわなければ運転していても危ない。「乗れ」や「降りろ」の合図で行動してもらわなければ、事故にもつながりかねない。覚えてもらうことはいろいろある。

 トトは子供の頃からおっとりしているというか、落ち着いているというのか、無駄吠えもしなければ、教えたことはすぐに覚えてくれた。「待て」も「お座り」も「伏せ」も一発でマスターし、はしゃいでどこかに行ってしまうこともないので、生後半年はノーリードでどこへでも連れて行ったのだった。山登りも日本一周旅行も、トトを連れて行くのに不安はまったくなかった。

 その点、テオは元気すぎるようだ。中庭を全力で走り回り、人が近づくと逃げ回るのが楽しくて仕方がないらしい。キャンキャンと子犬特有の甲高い鳴き声で、道行く人に吠えてみたりとなかなか手が焼ける。

 今日は朝から、おやつで誘導しながら「お座り」「待て」「伏せ」「よし」の特訓をしている。

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