図書館から借りて来た「マラソンと日本人」を読み始めた。NHKの大河ドラマ「いだてん」では、日本で最初のオリンピック選手となった金栗四三のことをやっている。先週ストックホルム大会で棄権という結果に終わり、そろそろ話は第二弾の東京オリンピックの誘致に変わるが、そっちの方はあまり興味がないので観ようかどうしようか決めかねている。
明治以降、世界と面と向かって付き合うために、先人は想像できないような苦労をした。スポーツひとつとっても、スポーツをするという概念もなかった日本にそれを根付かせるのは容易ではなかったろう。近頃、そうした開国後の右往左往する様子に興味が湧き、好んで本を読んだりドラマを観たりしている。
図書館のスポーツ欄で手にとった「マラソンと日本人」に、金栗四三とストックホルム大会のことが触れてあったので早速読み始めたが、前書きに面白いことが紹介してあった。それは「人はなぜ走るか」という命題が人類学や社会学から研究され、その成果として「持久走能力が我々の祖先に肉食動物との競争力を与え、大きな脳へと発達させた」というものがあるからだ。人間の骨格とは、二足歩行するためではなく、長く走るために発達したというのである。
同じようなことを、以前読んだクリストファー・マクドゥーガルの「BORN TO RUN」にも書いてあった。それは短距離のスプリント競争ではほかの動物に負ける人間は、長時間走り続けるということにおいては、馬をも超えるというのである。瞬時に獲物を捕まえることができなくても、長時間に渡って獲物を追いかけ続け、相手が疲れるのを待って捕獲することで、人間は繁栄して来たらしい。
長距離を走ることで脳を発達させたとか、人間の骨格が長距離を走るためにできあがったというのを知ると、現代人はどんどんバカになっていっているとも言えるかもしれない。が、それに反して市民ランナーの驚くほど多いことを思うと、現代人の生活が、いずれ人類の危機につながると無意識下で感じ取ったが上の、現代生活に対する抵抗とも考えられるかもしれない。
先日ノーベル賞を取った山中さんが、マラソンが趣味だという話をテレビでしていた。研究と同じで毎日の積み重ねが、ある時成果を見せてくれるところが面白いところだと言う。走ればノーベル賞を獲れるわけではないだろうが、少なくとも脳に刺激を与えようと思えば、走るにこしたことはなさそうである。






















