おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

ずぶ濡れ

2020-08-31 11:59:40 | 福島

 天気予報では、午後から雨になっていた。が、朝から今にも降りそうな気配で、もしかしたらランニングの途中で雨に降られるかなと思ったものの、どうせ降ってもポツポツ程度だろうし、走っていれば頭からも背中からも汗が吹き出し、雨に濡れているのとたいした違いはない、と家を出発した。

 九州では35度以上の中、連日のように走っていたが、福島ではお盆後初めてのランニングとなる。気温は25度を超えるくらいだから、前回のランニングと比べると10度くらい低い。これだったらちっとも暑くないし、おまけに曇り空だから熱射病の心配もなさそうだ。

 広い阿武隈川の土手の上に出ると、霧雨状の風が吹き抜けて涼しい。こりゃ快適だ。春に背中を切開後、すっかりなまっていた体は、長い距離を走れなくなっていたのだが、今日は折り返し地点まで休まずに走り切った。

 と、ここで急に雨脚が強くなって、頭からシャワーを浴びたようになった。運悪く、広々とした河川敷で、近くに避難できそうな場所はない。800メートルほど先に林があるので、とりあえずそこまで移動してみたが、木々の枝を伝って落ちて来る雨粒の量が半端じゃなく、おまけに雨粒がでかいので、かえってビショビショになった。

 どうせ走っていれば全身ビショビショになるし、たいした違いはないとたかをくくっていたが、靴の中までビショビショになるとさすがに気持ち悪い。走るたびに靴の中でグチョッ、グチョッと音を立てる。ああ、水虫になりそうだ。

 それにしても、雨の中を走るなんて、子供の時以来かもしれない。昔は、夏といえば必ずと言っていいほど夕立が降った。一日中外で遊んでいた子供たちは、全身ずぶ濡れになって走って家に帰ったものだ。中には、おかしなテンションになって、水たまりに飛び込むものまでいた。

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雨よ、降れ

2020-08-30 11:31:39 | 福島

 ここしばらく雨が降っていない。昨日は我が家の畑の草刈りをして来たが、畑はカラカラに干上がり、草刈りをしても砂埃が舞うほどだ。ぼちぼち採れていたキュウリやナスは萎れてしまい、出来の良かったピーマンは大きくなれなくなった。時々車に積んで水を持っていくが、それくらいでは間に合わない。

 夕方、遠くでゴロゴロと雷が鳴り始めた。雷にビビるテオを連れて散歩に出ると、空には巨大な入道雲と、部分的に真っ黒な雲も出ている。

 雷はだんだん近づいて来ているようだし、安達太良山は灰色の雲に覆われ姿を消している。この調子なら久しぶりに夕立が来るかもしれないと期待する。

 が、雨は一向に降る気配を見せない。家に帰りテレビをつけると、福島県中通り(この辺のこと)に洪水警報が出ているという。最近の天気は、降るところにはまとまって降り、広範囲に降るということがあまりない。

 今日の天気予報は、お昼から夕方にかけて傘マークになっている。朝から灰色の雲が空を覆い、青空は顔を見せていないものの、なかなか雨が降りそうな気配にならない。天気予報は、部分的に降れば当たったことになるのだろうが、我が家の上に降らなければ意味がないのだ。

 ウィキペディアで「雨乞い」を調べてみると、昔から日本で行われた雨乞い方法が書いてある。「山野で火を焚く、神仏に芸能を奉納して懇請する、禁忌を犯す、神社に参籠する、類感(模倣)呪術を行うなどがある」と書いてあるが、すぐにできそうなものは禁忌を犯すことくらいだ。これは水神が住むとして清浄を保つべき湖沼などの水を汚すことで水神を怒らせて雨を降らせようとするものや、石のお地蔵様を縛り上げ、あるいは水を掛けて雨を降らせるよう強請するとある。要するに、わざと神様を怒らせて雨を降らせるという魂胆なのである。身近に地蔵様もいないので、てるてる坊主でも作って、ぐるぐる巻きにしてやろうか。

 雨が降らないなあと、窓の外を気にしていたら、今日もヤマガラが飛んで来た。すっかり我が家に定住したようである。となれば、写真を撮らないわけにはいかない。さあ、じっとして、可愛い顔をこちらに向けてごらん。

 と、写真を撮ろうとした瞬間、ヤマガラは写真はイヤだねと、さっさと逃げて行った。

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夏の色

2020-08-29 12:18:54 | 福島

 我が家の裏手に、洗濯物を干すための物干し台を作っているのだが、そこに1本のエゴノキがある。洗濯物を干しに出ると、エゴノキの下をヤマガラがウロウロしていた。ヤマガラが来るのは、エゴノキの実を目当てに来ることが多い。エゴノキを見ると、気がつかなかったがたくさんの丸い実がぶら下がっているではないか。

 ヤマガラは暑い時期には涼しい山で過ごすことが多いのか、あまり見かけることはない。今年は暑い日が続いているので、まだまだ秋を感じることはないが、ヤマガラは不思議なことに、ちゃんとエゴノキの実がついていることを知っていたのである。昨日、今日とせっせとエゴノキの実を啄ばみに来ているヤマガラが、このまま我が家で冬を越してくれたらいいのになと期待している。

 今年は暑いわりに入道雲を見る機会があまりない。蒸し暑いばかりで、いつも霞がかかったような空模様だ。モクモクと巨大な白い雲が発達していくには、もう少しカラッとした陽気の方がいいのだろうか。

 暦の上ではすでに秋だとはいえ、連日の猛暑で、あたりの風景は緑でモリモリしている。朝、早い時間に散歩に出ると、朝露をつけた色鮮やかなツユクサを見かける。この青さは、夏の朝の一服の清涼剤だ。

 土手は雑草が生い茂り、まるで抽象的なカーテンのような模様になっている。

 丘の上から、林の間を抜ける小道をウオーキングしている老夫婦の姿があったので、思わずカメラを向けた。

 夕暮れ、家の屋根の上で、巨大な入道雲が赤く染まっていた。

 暑いのはうんざりだけど、夏が終わっていくのは、それはそれでちょっと寂しいものがある安部さんなのである。

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夏の朝の絵、あるいは詰め腹

2020-08-28 11:13:12 | イラスト

 あっつい。連日の猛暑日で、すっかり干からびている。それでも朝晩の散歩には行かなきゃならないので、「外は風が吹いて涼しいぞ」と自分に言い聞かせながら表に出る。日本人は昔っから言霊信仰を持っている。言葉さえ言い換えれば、その気になる民族なのである。敗戦を終戦、犬死を玉砕、軍隊を自衛隊と呼んで、都合の悪いものはなかったことにする。「暑い」というから「暑い」のだ。こういうときには「あったけ〜」と口に出せば、暑さも暖かさに変わる。

 朝からギラギラと太陽が照りつける。そんな散歩の一コマをイラストにしてみた。太陽光線の強さを強調するには、コントラストを強めることだ。白黒をはっきりさせれば、お日様が照っている感じが強くなり、コントラストを弱めてぼんやりさせると、曇り空や雨の日の雰囲気が出るのである。

 で、ここからは別のお話。今読んでいる「逆説の日本史」が日露戦争を取り上げているのだが、ロシアとの戦争に備えて、冬山の行軍の練習をしておく必要が陸軍にはあった。映画にもなった「八甲田山雪中行軍遭難事件」である。映画はあくまでフィクションであり、事実と異なることも多いのだが、大筋は似たようなものだ。

 ロシアの進行により海岸線を使えなくなったときのために、八甲田山を横切る補給路を確保する目的で、冬の八甲田山に200名以上の陸軍が、雪中行軍の練習をした。映画でもあったように、それによって210名中199名が死亡するという、世界の山岳史上でも例のない大惨事となったのである。

 失敗となった原因は、今となってははっきりしている。指揮をとった人間が、冬の青森の山のことをまったく知らなかったためだった。本人はかろうじて救助されるが、責任を取って病室で拳銃自殺した。

 問題なのはこれからで、事件後、無知な人間をトップに任命した陸軍上層部の責任についてはまったく追求されていないのである。雪中行軍を指揮した人間が責任を感じて自殺したのだから、これ以上追求する必要なしとされてしまったのである。

 現場の人間に責任を取らせ、詰め腹を切らせるということは、今の政治家の得意芸かと思っていたら、昔から日本ではこんなことばかりやっているのである。第二次大戦では、補給路の確保を考えなかった上層部のせいで、前線にいた兵士たちのうち、半分以上は飢え死にやマラリヤなどで病死してしまった。が、責任を取って詰め腹を切らされたのは、現場の指揮官たちだった。今でも平気で部下に公文書を改ざんさせ、自殺しようとも調査の必要なしとして、のうのうとしている。

 本当に責任を感じているなら、どこに不備があったのか、どうしたら防げたのか、そういったことを現場の人間を呼んで調査するのが、将来のためになるはずである。それがないので、いつになっても同じ失敗を繰り返す。

 ちなみに雪中行軍の遭難から命からがら救出された指導者は、重度の凍傷を負っていたろうから、拳銃の引き金を引けたとは思えない。自殺した時間は夜だったのだが、静まり返った病院内で銃声を聞いた人間もいないという。

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動物愛護センターの話

2020-08-27 11:24:43 | 日記

 犬の散歩の途中、時々愛護センターで働いている人と顔を会わせることがある。その人は代々愛護センターから殺処分されそうな犬を引き取ってきて面倒を見ているのだが、今は3本足のジョンくんと秋田犬のハナちゃんを交互に散歩に連れ出している。

 テオはそもそも、この人からの情報で引き取ることになった。トトとドリと相次いで亡くし、しばらくは犬なしの散歩に出ていたが、その様子を見て、いつも愛護センター情報を教えてくれていた。で、ある時、今子犬が3匹いて、近いうちにネットに譲渡の案内が出るのでよかったら注意しておいてと言われていたのだ。

 というようなわけで、テオが我が家にやって来たわけだが、愛護センターにいる犬の情報は欠かさず教えてくれる。今はハスキー犬が2頭と四国犬が1頭いるらしい。ハスキーは外人のブリーダーの犬なのだが、奥さんにDVを働き捕まったので、奥さんがハスキー犬を愛護センターに持ち込んだらしい。四国犬のほうは和犬だけあって、ちっとも懐かなくて大変だと言う。

 殺処分される犬や猫の数は年々減って来てはいるらしい。それでも犬猫合わせて約9万頭のうち、飼い主に戻されたり新たな飼い主が見つかったのを除き、4万頭あまりが殺処分されている。

 これだけの犬猫が殺処分されているという話を聞けば、飼い主の責任とか覚悟とかいうものが話題になるのだが、実際愛護センターに引き取られた犬猫のうち、飼い主からの持ち込みは全体の1割ほど、残りは野良犬や野良猫で、その多くは投資目的のブリーダーや、ペットショップなどの売れ残りが9割を占めている。

 最近は殺処分ゼロを目指して、愛護センターや保健所も簡単には引き取ってはくれない。その代わり、引き取り屋という存在が暗躍しているそうで、ブリーダーやペットショップから売れ残りを引き取り、その代わりに金銭を得る。そういう引き取り屋は劣悪な環境で飼ったり、飼育放棄をしたりするということで、殺処分ゼロの弊害も生まれているという。

 散歩の途中に会う愛護センターの人も嘆いていたが、ブリーダーの資格が厳しい試験や審査を経て与えられているわけではないので、悪質なブリーダーが後を絶たない。生命を扱うということで言えば、医者並みの国家資格を与えれば、むやみやたらと繁殖させて、挙げ句の果てに山に遺棄するなんて行為も減るだろう。ペットショップも、早く外国並みに生体販売を止め、ペット関連商品だけを扱うようになってもらいたいものだ。

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散歩で見かける黄色系の花

2020-08-26 10:55:16 | 福島

 朝、うっすらと霧がかかったような天気で、太陽は雲の後ろに隠れている。こういう薄暗い日は、カメラを持って出てもあまりきれいな写真は撮れないので、カメラを持って行かないことが多い。が、手ぶらで散歩しても面白くないので、何も撮るものがなくったって、首から重い一眼レフをぶら下げて歩くことにする。天気が良くったって、1枚も撮らずに家に帰るなんてことは日常茶飯事なのだ。

 散歩に出てすぐに黄色い花が目に留まった。カボチャの花だ。近くにカボチャ畑でもなければ、案外カボチャの花を見る機会というのは少ないかもしれない。家庭菜園でもなければ、住宅街の庭先の花壇にカボチャを植えて、花を愛でる人は滅多にいないだろう。

 野菜の花というのは、自分で畑をやるようになるとすぐに覚えるが、スーパーでしか野菜を買わないという人は、花を見ても何の野菜かわからないんじゃないかと思う。

 道端にブタナの花が咲いていた。これは雑草で、春から夏にかけて今年はいたるところで目についた。夏も終わりに近づき、ちらほらとしか見かけなくなったので、そろそろ終わりなのだろう。

 黄色い花の写真が続いたので、意識して黄色系の花を写真に撮ってみることにした。

 黄色というよりオレンジだが、コスモスの花をずいぶん見かけるようになった。コスモスも最近は品種改良が進み、ひと目で見たくらいではコスモスと思えないものも出回るようになった。

 クサノオウもブタナと同じで、春先から夏にかけて多く目にした雑草だ。

 月見草はこの季節になると、道端で数多く見かけるようになる。

 空き地や荒れ地をツルで覆い尽くしてしまうアレチウリも、小さな花を咲かせている。世界を占領しそうなアレチウリも、9月に入るとあっという間に枯れてなくなってしまう。

 見慣れない黄色い花があったので、タミちゃんがスマホのアプリを使って調べてみると、キツリフネという名前だった。漢字で書くと、「黄釣船」。花が細い糸のような筋でぶら下がっているので、魚を釣っているように見えるのだろうか。ツリフネソウの一種で黄色いからキツリフネ。早口言葉になりそうなので、「青ツリフネ、赤ツリフネ、黄ツリフネ」と試しに口にしてみる。

 人んちの庭先にあったマリーゴールド。園芸種の名前は、僕はいくら聞いても覚えられない。だいたい名前が小洒落たものが多く、ちっとも面白くないのである。

 まだまだノウゼンカズラだのジャノメソウだの、オレンジ系の花はあったのだが、今日のところはこれくらいにしておこう。

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歯医者にて

2020-08-25 11:29:29 | 日記

 今日は歯医者で抜歯の日だったので、朝からバタバタと用事を済ませ、9時には歯医者に行く。抜く歯は、ドリの散歩で負傷した歯で、根っこからずれて神経が死んでしまっている。おまけに歯茎から根元がはみ出しているという事態になっていて、抜く以外にない。悪い歯を治療してもらうことには異論はないが、ドリとの思い出の歯がなくなってしまうというのは、なんとなく寂しい気がする。災害に遭った人も、復興のためにいろいろ再建され、新しい生活が始まることに対して、古い思い出がなくなって行くことへの寂しさを感じるんだろうなと、歯医者で抜かれた歯を見ながらふと考えた。

 麻酔を打つので、歯茎から引っこ抜くのに痛みはない。「痛かったら左手を上げてください」と言ってくれるが、どのくらい痛かったら手を上げていいのかよくわからない。「痛いですか」と聞かれても、「ひへへ」と間抜けな返事しかできないのだ。

 抜いた歯は、見事なくらい先端から根元まで黒ずんでいた。根っこが歯茎から突き出していたので、根っこの先端に歯石がつくという、見たこともない状態になっていた。

 抜いたところと、根っこが突き出していたところと、2箇所を糸で縫い、治療は無事終了。「今日は熱い飲み物や食べ物は控えてください」というが、昼からカフェをやるのに、味見をすることができるだろうか。その前に、痺れて感覚のなくなった口元は、開店前に復活するのだろうか、などと心配していたら、次第に麻酔が切れてくるに従って、しっかり痛み始めた。これでは熱くたって冷たくたって、飲み食い自体ができそうにない。

 なにはともあれ、悪いところを治すというのは、なんであれ痛みを伴うものなのであった。

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自然の予算

2020-08-24 10:39:09 | 日記

 あまりニュースで取り上げられることがないが、「エコロジカル・フットプリント」という考え方がある。簡単に言えば、地球1個分の予算のことで、石油とか鉄鉱石といった地下資源や、きれいな大気や飲料水や農作業、工業に必要な水資源、魚介類のような海洋資源、森林や耕作地、家畜や穀物などの農作物など、要は地球1個分の1年に使える資源量のことで、それを人類が1年で使えば資源は長く使えるし、1年未満で使えばいずれ資源はなくなるという考え方だ。

 地球外から雨が降ってくれば、水資源は無限にあることになるが、地球上にある水の量というのは循環しているだけで、大昔から一定量しかない。大気だって汚してしまえば、どこからか他の惑星から調達するというわけにもいかない。地球1個分以内の予算で人類は暮らしていかなければ、いずれ借金で自分の首を絞めることになる。

 で、今現在、人類はどのくらいのペースで1年分の予算を使い切っているかというと、元旦から使い始めて今年は7月29日に使い切ってしまった。あと5ヶ月は来年分を使うことになる。この使い切る日にちを毎年5日遅らせることができれば、2050年には帳尻を合わせることができるという。

 当然のことながら、地球の資源をより多く使っているのは先進国と呼ばれる国々だ。例えば日本人はどのくらい使っているかというと、1年で地球2.4個の資源を使っている。アメリカは地球5.3個分を使っている。

 こういう話を聞くと、新型コロナウイルスのせいで落ち込んだ経済を早く回せなんて議論は、それはそれでおっかない話に聞こえる。

 経済を立て直すのが、とにかく第一だという政治家がいたっていいが、同様にエコロジカル・フットプリントのような、長期の視点に立って発言する政治家がもっといたっていい気がする。経済再生大臣が営利団体から尻を押されて目の前のことばかり追いかけるのはわかるが、せっかくいる環境大臣とか、国家の将来を決める総理大臣なんてのは、せめて同じくらいの大声で人類の未来について発言してもらいたいものである。

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田舎の恒例行事

2020-08-23 11:46:52 | 日記

 連日の猛暑も今日はひと息つくらしいという予報だったので、朝食後は草刈りをすることにした。タミちゃんは我が家の畑の草むしりをするという。僕も畑の周囲の草刈りをしたいところなのだが、お盆の間留守にしていたこともあり、畑だけでなくあちこち草が伸び放題になっている。畑はとりあえず後回しだ。お盆の前にやったばかりとはいえ、この季節はひと月に2回くらいはやらなければ、とても雑草の成長に追いつくものではない。田舎の恒例行事だと思って、たんたんとやって行くしかないのである。

 カフェのために借りている駐車場の草刈りを先日決行したら、草刈機が全然切れなくて、時間ばかりかかって駐車場はトラ刈りになった。草刈機を買った時に、スペアの刃がおまけで付いてきて、今年の春に古いのと交換したばかりなのに、もう切れなくなってしまった。

 どうせなら値段に関係なく切れ味のいい刃が欲しいとホームセンターに行くと、草刈機の刃は一番高いのでさえ1500円ほどだった。3000円くらいの予算を考えていたので、意外に安くてホッとする。中には2枚組で800円なんてのもある。おそらく僕の草刈機に付録でついてきたスペアの刃は、このくらいのだったのだろう。

 で、昨日のうちに刃を付け替え、今朝は朝食後にすぐに草刈りを始める。近所に住むひとり暮らしのお年寄りの畑の周りと、我が家へ通じる道路の両側をきれいにする。途中、何人も知り合いが車で通るたびに声をかけて行く。「精が出るねえ」とか「こんなとこの草刈りしてんの」とか、「暑いのに申し訳ないねえ」とか、その度に作業を中断して挨拶するので、次第に面倒臭くなり「ボランティアです」と、すべて同じ答えで返事をする。

 それにしても、刃を交換する前は力任せに草刈り機を振り回しても、のれんに腕押しでちっとも草は切れてくれない。それに比べると新しい刃は、そっと草の上に置くようにするだけでどんどん根元から刈り取ってくれる。力もいらないが、時間の節約にもなる。昔、芸能人は歯が命というコマーシャルがあったが、草刈り機も刃が命なのである。

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夏の犬

2020-08-22 10:45:13 | 福島

 お盆休みを酷暑の九州で過ごし、福島に帰ってきて最初の週末、暑いことは暑いが季節はぐっと進んだようだ。台風の影響からか、今朝は雲も多く風も吹いている。セミの声も弱々しく、秋の気配が漂い始めている。

 空にはうろこ雲が広がる。

 ちらほらとコスモスも目立ち始め、稲穂もこうべを垂れている。今年は日照時間が足りなかったようだが、お米は不作とまでは行かないようだ。

 家を出ると、最初に立ち寄るのはサクちゃんちだ。サクちゃんはすでに散歩に行ってきたようで、草の上ですっかりくつろいでいた。今日は曇っているし、外にいてもそんなに暑くはないだろう。

 サクちゃんと別れ、墓地の空き地まで来ると、すでにケンくんがボール投げをして遊んでいた。早速テオのリードを外すと、鉄砲玉のようにケンくんのもとにすっ飛んで行く。が、近頃はボール投げに飽きたのか、ケンくんを全速力で追いかけ回すと、すぐにマイペースでその辺を探検して回る。

 ボール投げで体力を使い果たしたケンくんは、軽トラックの荷台に飛び乗ると、そこでひと息つく。もうこれ以上は動けませんと、寝そべったまま洗面器に顔を突っ込み水をがぶ飲みする。

 テオはたいして運動しないので、涼しい顔だ。でも、ここでの経験がテオを少しずつ大人にしていく。

 ケンくんと別れ、ゴローちゃんちまで来ると、庭先で散歩から帰ったゴローちゃんがひっくり返っていた。

 それぞれのやり方で、犬たちも夏を過ごしているのである。

 

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