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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

黄色い頭

2013-03-30 13:48:13 | 福島

 ようやく暖かくなり、いよいよ春だなと思うと、翌日にはすぐに冬に逆戻りだ。早朝から近くのダム湖の公園に出かけたものの、寒風が身にしみる。もっとも、散歩は犬のためなので、ノーリードで歩くだけで犬たちは満足そうだ。

 人間のほうは、暖かくなって春告げ鳥たちの姿を見ることができるだろうと、カメラをぶら下げて張り切っていただけに、寒さで静まり返った雑木林にがっかりだ。時折ウグイスの鳴き声が聞こえてくるので、なんとか姿を確認しようと、そっと枯れ葉を踏み近づいてみるが、鳴き声はパタっと止み、あたりを静寂が包み込む。寒いので、再び鳴き始めるのを待つほどの根気もない。

 それでも、2時間ほどいる間、キツツキ、キツツキの仲間のコゲラ、シジュカラにヤマガラなどを確認した。目の前をホオジロが横切ったので、シャッターを押し、あとで確認してみると、頭の黄色いミヤマホオジロが写っていた。こいつは初めての遭遇だっただけに、そうとわかればもう少し粘って写真を撮ったんだけどな。そのときはてっきり普段見る全身が茶色いホオジロと思っていたのだ。残念。

 公園に着いた時には、どこからか口笛を吹くようなウソの鳴き声が聞こえていたので、また会うことができると思って楽しみにしていたが、結局最後まで姿は確認できなかった。

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歌が好き

2013-03-29 11:52:55 | 福島

 朝、散歩していると、暖かくなったせいか野鳥のさえずりが活発に聞こえてくる。その声に合わせて歩いているうちに、「ピピピピピ」と自分でも気づかないうちに軽快なメロディーを口ずさんでいた。

 子供の頃、なんだかこんな歌があったなあ。「カエルはとっても歌が好き~」だったかな。いやカエルはピピピピなんて鳴かないな。「スズメっはとってもうったがすき~」だったかな。ちょっと違う気がするな。そうだ、「小鳥はとっても」だ。「こっとりはとってもうったがすき~」だったな。

 古い淀んだ沼をかき回すように記憶の底から思い出した歌を、ゆっくりした歩調に合わせて口ずさむ。「こっとりはとってもうったがすき~。かあさん、よっぶのもうったでよぶ~。ピピピピピ。チチチチチ。ピチクリピッ」

「なんだ、そのピチクリピッてのは」
「たしかそういう歌だったよ。ピッチクリピッ」
「ピッチクリピッなんて変だって」
「変じゃないよ、そういう歌なんだから」
「小鳥はピーチクパーチクだよ」
「それじゃあヒバリ限定だ」

 昔、タモリのラジオ番組で、衝撃を受けた歌があると、高田浩吉の「白鷺三味線」を紹介していた。Youtubeにもアップされているので、どんな歌か知りたい人は検索すれば、渋いメロディーと歌声を聴くことができるだろう。その歌詞の中に、白鷺を歌っているはずなのに、「ピーチクパーチク、深い仲」というのがある。訳がわからないが、最近はフルコーラス覚えたので、いつも鼻唄で歌っている。「しら~ぁさ~ぎは~、小首かしげて水の中~」ときたもんだ。

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冒険

2013-03-28 17:08:50 | 福島

 犬を飼う喜びとは何だろうと考えると、一番にはこっちが照れるくらいにシッポを振ってじゃれついてくることだろう。じゃれついて来なくたって、エサをもらうときや、散歩に出かけようとするときの喜びようを見ていると、すぐ身近なところに命があることを実感する。

 犬が全力で走る姿を見るのも、飼い主にとっては喜びだろう。また、陽の当たる場所で、長々と横になってだらしなく熟睡している姿も、幸せな気分にさせてくれる。こう書いてくると、結局は子供を持つ親と同じ気持ちなんだなあということに行き着いてしまう。

 今日はおそらくこの春一番の陽気になった。風もなくぽかぽかと暖かい。こんな日が数日続けば、桜も桃も梅もユキヤナギもモクレンも、あっと言う間に一斉に花開くだろう。犬たちも、ここ数日の寒さから解放され、庭先で長々と横になっている。散歩に連れて行けとも言わず、寒いから家の中に入れろとも催促せず、王様のように惰眠をむさぼっている。

 こんな日は、たくさんお客が押しかけてくるかと思いきや、あまりに天気がいいので、カフェなんかで時間をつぶすのがもったいないのか、案外暇だ。かえって吹雪いたり雨が降ったりしているときのほうが、ぞろぞろやって来たりする。こういう日は、ぽかぽかと陽の当たる特等席に陣取り、コーヒーをすすりながら読書をするのが一番だ。先日買って来た「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」(角幡唯介著)を読む。昨日から読み始めたが、面白いので一気に読んでしまった。

 今の時代、冒険と言ってもやりつくした感があるが、危険なことに挑戦するのが冒険なら、いくらでもやりようがある。安全が確保されていれば冒険ではない。冒険とは、危険なことと同じ意味である、というようなことを著者も書いているが、チベット、インド、中国の国境に近い人跡未踏の地を、死にそうになりながら彷徨う話を、その対極にあるカフェで読んでおもしろがっているのだから、人間とは勝手なものだ。

 「冒険は生きることの意味をささやきかける。答えまでは教えてくれない」という印象的なラストを読み、カフェ「青い犬」も、ある意味冒険なのかなと感慨に耽るアベさんなのであった。

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勝負の世界

2013-03-27 16:14:56 | 日記

 夜中、サッカーの日本代表の試合をやっていたので、見ようかどうしようか迷ったあげく、睡魔には勝てずにさっさと寝ることにした。実力から言えば、アウェーといえども日本が負けるはずがない。W杯出場が決まる試合ではあるが、負けるはずがない試合を見たところで、盛り上がりに欠けるだろう。

 朝、早速試合結果をニュースで確認すると、なんと1対2で負けているではないか。W杯出場もお預けである。ああ、結局見なくてよかった。夜中に負け試合を見るなんて、悔しくて眠れなくなってしまうところだったじゃないか。

 やはり勝負の世界というのは、蓋を開けてみるまではわからない。いや、下駄を履くまでわからないだったか、どっちにしたところで、絶対ということはないということか。

 最近、柔道連盟だかなんだかで、選手の育成資金を横流ししたり飲み食いの代金に当てたりと、問題が発覚した。その前は監督の指導が行き過ぎ、パワハラ騒ぎになっていた。ちょっと前には、相撲協会が同じように芋づる式に悪事が発覚した。柔道では金メダルが取れず、相撲では横綱に日本人がなれない。今回の事件は、組織としてダメ人間の集まりが、選手を食い物にしているのがよくわかるのである。

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キジも鳴かずば撮られまい

2013-03-26 08:42:46 | 福島

 ヘビが苦手という人がいる。虫が大嫌いという人がいる。カエルを見ると虫酸が走るという人もいる。僕の場合、子供の頃から鳥が苦手だった。とりわけ、ニワトリだとかダチョウのように、飛べない鳥というのは身の毛もよだつほど嫌いだった。ガチョウやアヒルなどの、ずんぐりした鳥も嫌いだった。飛べないということで言えば、鳥のヒナも苦手だ。それが今では、カメラを持ってせっせと野鳥の撮影に行くのだから、人間というのはわからない。

 休日の昨日は、朝から食料の買い出しに出たり、本屋に行ったりして、昼過ぎまで忙しく過ごした。午後、犬を1匹ずつ連れ、普段ではできない長時間の散歩に出た。

 まだまだ花の時期には早い東北では、お彼岸のときにお墓にお供えされた色とりどりの造花が目を引く。このあたりでは、昔の土葬の頃の木製の造花をお墓に指していた名残が残っているんだそうだ。地元の人にとっては当たり前の風物も、他所からやって来た人間の目には興味深く映る。 

 それにしても、春はどこへ行ったのやら。これでは九州の真冬と変わりがない。冷たい風が吹き荒れ、野鳥の姿どこりかさえずりも聞こえない。

 今日は無理なのかな。でも、案外こんなときほど、珍しいものが撮れたりするんだよな。なんて考えながら歩いていると、視界の隅っこに色鮮やかな何かがかすめた。包装紙かなにかだと思ったが、念のため引き返してみると、そこには畑の畝の間から、頭を突き出しているオスのキジがいるではないか。

 ラッキー。おまけにどうやらキジの方は僕に気づいていないようだ。どうせ写真に撮るならなるべく近くでと、抜き足差し足で近づく。と、突然メスのキジが目の前をバサバサと横切って行った。オスばかりに気を取られ、目の前にいるメスに気がつかなかったのだ。その物音に、オスも僕の存在に気づき、あわててすたすたと駆け出した。

 それでも、何枚か撮ったうちの1枚には、はっきりとキジの姿が捉えられていた。

 毎日の散歩で、薮の中からケーンケーンという鳴き声だけは聞いていたが、ついにその姿を確認でき、大満足なのである。この調子で、先日見たリスも写真に撮ることができたらいいんだけどなあ。

 

 

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オルゴール

2013-03-25 08:33:37 | 福島

 近所に住む小学生が、「この前撮らせてもらった写真の作品ができたので持って来ました」と手に小さな箱を持ってやって来た。何かと思って受け取ると、それは手作りのオルゴールの箱で、犬の絵が彫り込んである。

 そういえば、ひと月ほど前に、「ドリとトトの写真を撮らせてください」とカメラ持参で遊びに来たのだが、その写真は小学校の卒業記念のための記念の品へと姿を変えたのだ。

 オルゴールを見せてもらい、写真に撮らせてもらう間、外につないだドリとトトと仲良く遊んでいたが、その様子を眺めていると、自分ちで飼っている犬でもないのに、こうして卒業記念の作品に使ってもらえるなんてのは光栄なことだ、としみじみ思う。おい、ドリ、トト。おまえら光栄なんだぞ。

 東京では桜が満開だと言う。三春の滝桜は例年通り4月の20日あたりが見頃らしいが、ソメイヨシノなどはぼちぼち咲き始めそうな雰囲気になって来た。

 

 近頃は、カワラヒワを頻繁に見かけるようになった。こいつもまた春告げ鳥なのかな。

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預かり物

2013-03-24 15:32:06 | 日記

 福島の二本松市で、小学校六年生の息子を、卒業式の朝に母親が殺すという事件が起きた。母子家庭で、生活が苦しかったという母親は、息子を残して自分だけが死ぬことができなかったと言うことだが、結局は母親のほうが死にきれなかった。

 殺人事件の8割は、肉親やら近しい人間の間で起きると聞いたことがある。人を殺すというせっぱ詰ったところに追いつめられるには、他人はそれだけ遠い存在だということだろう。だから、通り魔殺人などは理由がわからないだけにニュースになりやすい。が、実際には頻繁に起こることは、報道ではあまり大きく取り上げられない。

 最近、親による子殺しのニュースが多い。少子化対策とかで、産めよ増やせよと掛け声は大きいが、自分の世話もできない大人に、子育てを任せていいのかという気がする。朝日新聞に、子供ふたりを持つシングルマザーが30万円ほどの生活保護を受けながら、生活が苦しいという記事を載せ、母親と母親に同情する新聞記者に対して、読者からふざけるなという声が上がっていた。

 問題を抱える子供を保護するあるボランティアの女性が、こんな発言をしていた。それを聞いて、僕はなるほどなあと感心し、最近の事件に接するたびに思い出す。昔から子供は「神様からの授かり物」と言われているけれども、どうかそんな考えは持たないでもらいたい、と女性は言う。なぜなら、授かった物という言葉の中には、子供は自分の所有物でもあるかのような響きがあるからで、そのためにどうしても子供に対して横暴になりやすいというのだ。「神様からの授かり物」ではなく、「神様からの預かり物」だと考えて欲しい。神様から預かったものである以上、立派に育て上げ、神様にお返ししなければならない、それが親の努めのはずだと。

 しつけだと言って、子供を殴り殺す。子供を残してこの世を去るのは不憫だと、子供だけを殺し、自分はちゃっかり生き残る。少子化対策にせっせと税金を使うのもいいが、僕には今の世の中、どこかバケツの底が抜けている気がする。それにはちゃんと理由があるのだ。

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変化

2013-03-23 10:17:12 | 福島

 今日もリスが見れるかなと思いながら散歩に出る。同じような時間帯だし昨日の今日だから、リスだって僕らが散歩に出るのと同様、同じリズムで暮らしているに違いない。

 リスを見かけた雑木林で、目を皿のようにして何か動くものはないかと木々の間に注目するが、残念ながら今日は何も発見できなかった。

 自然は同じようなサイクルで移り行くだとか、変わらないのは自然だけだとか、人間というのはやたらに自分の都合のいいように考えすぎる。自分だけが忙しく、激しく変化しているつもりでいる。が、もしかしたら、代わり映えがしないのは人間のほうなんじゃないだろうか。周囲の変化に気づかず、のんべんだらりと同じような生活を続けているというのが本当のところなのかもしれない。

 今年は桜の満開が2週間以上早いそうだ。異常気象だと言うが、実は異常なのは人間のほう、ということだってあるだろう。

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棚からぼた餅の神様

2013-03-22 10:47:05 | 福島

 暑さ寒さも彼岸までの言葉通り、今日は暖かい日になった。散歩に出ると、梅の花、桃の花、桜の花が一斉に咲き始めている。三つの春が同時に来るという三春町の名前の通りなのである。

 風もなく穏やかな朝なので、きっと春を告げる鳥がたくさん見れるだろうとカメラを持って出る。と、丘を登ったところで、木の上でツツピーツツピーと鳴く声を耳にした。おっ、新種だと声のした方に顔を向けると、さっと木の枝から飛び立つ。あわてて目で追いかけると、近くの雑木林の中へと入って行った。今の時期、雑木林はまだ葉っぱを落としているので、注意して見ていれば、枝の間を飛び回る野鳥の姿を発見できる。

 と、何やら黒い影が枝の上を走り回っている。今度こそ逃がさないぞと目を凝らすと、なんだか様子が変だ。鳥じゃない。野鳥のように小さいが細長い胴体に大きなしっぽがついている。

 そうだ、リスだ。

 この数ヶ月前、この近くで、田んぼから飛び出して来て雑木林へと道路を横切ったリスらしき影を見たが、半信半疑だった。けれども、今日ははっきりと木々の間を走り回るリスの姿が確認できる。あわててカメラをかまえるものの、動きが速くてズームで捉えることができない。ちょこちょこと動いたかと思うと、ムササビのように別の枝へと飛び移る。テレビや写真で見るように、ドングリを両手に持って静かにカリカリ食べているようなことはない。

 残念ながら写真は撮れなかったが、それにしてもこんなに近くでリスに遭遇するなんて、それだけで興奮する。きっと近所の人は、リスがいるなんて知らないんだろうな。

 野鳥を探して木々の間を注意して観察しているからこそ、リスもまた発見できたのだ、と考えると、棚からぼた餅とはこういうことを言うんだろうなと思う。やっぱりお彼岸だからな。ぼた餅の神様が僕にリスを見せたのかもな。ありがとう、ぼた餅の神様。

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中学入試問題

2013-03-21 15:42:57 | 日記

 新聞をとってないので、ときどきYahoo!などで、ニュース記事をまとめて読む。お固い政治経済のニュースから、芸能記事まで斜め読みするが、ときには雑誌の記事が転載してあったりして、ついついじっくり読んでしまう。

 今日は「ドラえもん問題の真相」という記事があったので、なんだろうと思いアクセスしてみた。麻布中学の入試問題にドラえもんが取り上げられたということだったが、問題そのものは別にドラえもんでなくてもいっこうに構わず、「精巧にできたロボットは、なぜ生物ではないのか」という問題だった。小学六年生レベルの問題なのだが、大人でもう~んとうなってしまう質問なのだ。

 大半の人は、厳密にロボットと生き物の違いは考えたことがないので、「ロボットはどこまで精巧になっても、所詮機械に過ぎない」なんて答えてしまうのだが、これでは「ロボット」を「機械」に言い換えただけで、問題を解いたことにはならない。

 この問題のミソは、「生物」の持つ共通の特徴を考えさせることにある。つまり、「自分と外界とを区別する境目をもつ」だとか、「自身が成長したり、子をつくったりする」だとか、「エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている」なんてことをヒントに、ドラえもんにはどこが足りないかを答えさせるのである。正解は、ドラえもんは成長しないし、子づくりもしない、である。

 ところが、子供というのは大人が考える以上に科学者であり、哲学者でもあるようだ。

 ある小学校で同じ質問をしたところ、ドラえもんの持つ道具のひとつ「ビッグライトを使えば、大きくなれるじゃないか」と答えた子供がいれば、その子に対する反論として、「成長するというのは細胞の数が増えることだが、ビッグライトでは部品のひとつひとつが大きくなっただけじゃないか」と答える子もいたと言う。また、「ドラえもんは交尾をしない」と答えた子に、「フエルミラーを使えば自分の分身を作ることができる」と言う子もいたと言うのだから、今どきの子供は恐ろしい。

 オッチャンなんて、そんな質問を受けたら「ドラえもんは、もう生物といってもいいんじゃないか」と適当に答えそうだ。

 

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