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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

膝が痛い

2021-11-30 11:40:31 | 日記

 歳を取ってくると「膝が痛い」と言う人が増える。あんまり多いので、「膝が痛い」と言うだけで、年寄り扱いされてしまう。

 昨日、頑張って走ったせいで、今朝起きると膝が動かせないほど痛んでいた。昨日の夕方は痛みはあったものの、テオを連れて散歩するくらいの元気はあったのだが、今朝は曲げるのも辛いくらい痛みがある。朝の散歩に出るには出たが、タミちゃんとテオの歩く速度について行くことができず、後ろの方を、チンタラと歩く。

 それでも、歩いているうちに膝が温まって来たのか、少しは痛みが引いて行く気がした。一晩寝ている間、動かしていなかったので筋肉が固まってしまっていたのだろうか。歳を取ると膝が痛いというのは、もしかしたらコンドロイチンが減ったり軟骨がすり減ったりというよりも、筋肉が固まってしまっているのかもしれない。

 で、ランニングによる膝の痛みというのを調べてみると、一番多いのは、「膝蓋大腿関節障害(しつがいだいたいかんせつしょうがい)」という面倒くさい名前の症状で、膝蓋骨の裏側や周辺に鈍痛や刺激性のある痛みが症状として現れるとある。確かに膝のお皿の下が痛いので、僕の症状はこれに間違いないだろう。原因は、スクワットや階段の上り下り、坂道を使ったトレーニングなど、膝を曲げる動作を繰り返して膝蓋大腿関節に負担がかかることで発生する障害です、とあるので、まさに急坂を登り降りして来たランニングに当てはまるのである。

 治療法というのは特別ないようで、アイシングやストレッチをするとある。膝周りの筋肉を鍛えろという。どうやらケガの部類には入らないようだ。

 ついでなので、高齢者の膝の痛みの原因も調べてみると、膝痛でよく見られるものは「変形性関節症」で、 加齢により関節軟骨や半月板が摩耗することで発症する、とある。やはり歳を取ると軟骨が擦り減って起こるのか。ただ、誰にも起こるわけではなく、遺伝や肥満、生活習慣などが原因とある。あとは筋肉をつけなさいとも書かれている。わかっていても、歳を取って改善するのは難しいものばかりだ。

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全力を出しきる

2021-11-29 15:09:36 | 福島

 朝起きると、サッシがカリカリになっていた。今年一番の冷え込みだ。早朝の散歩も気合いを入れて外に出ないと、足が前に出ていかないのである。

 ここ数日で、安達太良山もすっかり雪化粧した。九州から来た人間としては、山が白くなる風景というのが珍しく、毎年この雪景色を見ると、「遠くにいるんだなあ」と感じる。

 冷え込みが激しい時というのは、放射冷却が原因になることが多い。こういう日は雲の少ない晴れ間の広がる天気なのである。休日の朝としては幸先がいい。今日はたっぷりランニングして来ようと思っていたので、最高のコンディションである。

 山の向こうに見える三角形のピークを持つ山は、会津磐梯山。一昨年は雪不足、去年はコロナでスキー場は大打撃だったようだが、ここ数日降り続いた雪で、スキー場は慌てて準備を済ませたらしい。

 朝食後、早速着替えてランニングに出かける準備をする。今日は日本三大桜のひとつ、三春の滝桜まで走って来る予定だ。距離にして25キロ。山間にあるので、途中とんでもないアップダウンの連続で、いつも急坂では走るのを諦めてしまう。が、今日は冷え込みが厳しい分、無理が効きそうな気がする。とにかく僕の背中にできた粉瘤の治療、コロナと続けざまに厄災が降りかかり、観光地である滝桜も入場制限があったりして、ここ2年ほど寄り付かなかった。さて、以前ほど走れるかどうか。

 今までだと途中で休憩を入れていたポイントも、止まらずに走り続け、1時間15分で滝桜に到着する。数年前に記録したタイムに並ぶいいペースだ。が、問題は別ルートをたどる帰り道で、すっかり足を使い切っているので、毎回山登りのようにヨッコラショと歩いて坂道を登るのが恒例だ。

 足は痛いし、立ち止まると凍えそうに寒いしで、とにかくズルズル走り続ける。さすがに急坂の頂上付近では歩いたが、それでも家に帰り着くと、今までで一番いいタイムで走り切った。2時間45分だ。

 ただし、久しぶりに体力をすべて使い切ったので、体がまったく動かなくなってしまった。カロリーを使い果たしたので、とりあえずインスタントラーメンとビールを胃袋に入れたが、あとはコタツでひっくり返っていた。ようやく動けるようになったので時計を見ると、すでに午後2時を回っていた。

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貧乏症の買い物

2021-11-28 12:00:31 | 日記

 タミちゃんが、新しいマウンテンパーカーが欲しいと言い出した。日曜日の午前中ならふたりとも時間の余裕があるからというので、一緒に郡山にある大きなスポーツ用品店まで出かける。

 すでにこの時期なのでセール品も多数出ていて、選り取り見取りだ。ただ時間の余裕が1時間ちょっとしかないので、心置きなく時間を使って選ぶということはできない。量が多いので、ひと通り見て回るだけで時間切れになってしまう可能性もある。

 で、めぼしいところから見ていくが、どれもこれも帯に短し襷に長しで、良さそうなのがあるとサイズがなかったり、デザインがいいと丈が短めだったりと、なかなか満足の行くものがない。手分けして片っ端から試着してみるが、「これっ」というものがない。これが安い買い物なら、失敗しても諦めがつくが、安くても1万円以上はするようなものだと慎重になる。本当にいいものなら、少々値が張っても、長く使えるものなので思い切って買うつもりはあるのだが。

 そう言えば、貧乏人ほどゴミが多く、金持ちほどゴミが少ないという話をぼんやり思い出す。ゴミばかりではなく、所有品も貧乏人ほど多くなるという。というのは、金持ちは本当にいいものを大事に長く使うからで、安物を使い捨てにすることがないからだという。

 というようなことを考えながら、あれこれ探してみるが、結局納得が行くものがなかったので、このまま何も買わずに帰ることにした。我が家の方針として、「迷った時にはやめる」というものがある。迷うというのは、理由はわからないまでも、どこか心の隅っこで気に入らないことがあるということで、それが具体的に何かがわかっていない状態を指すからだ。

 タミちゃんが何も買わないなら、せめて僕のニット帽だけでも買おうと、その辺をちょこちょこ見て回ったが、どれも4、5千円はする。僕としては衝動買いをする金額ではない。これはこれで、またじっくり探しに来ることにしよう。

 というわけで、店を出る前に、つい最近2足続けて穴が空いた靴下を補充しようと、3足千円というのを買った。我ながら、なんとも貧乏症な買い物だなあと思うのであった。

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習字と書道

2021-11-27 11:04:00 | 日記

 来年になったら、昔の寺子屋の子供みたいに読み書きを勉強したいと思っていた。老後の趣味というものがあるなら、新しく何かを始めたいと考えていたのだ。で、そのことをタミちゃんにも公言していたら、書道の道具一式をクリスマスプレンゼント兼誕生プレゼントとして買ってくれた。

 早速包みを開けてみると、木箱に硯と墨と筆が入っている。これに小筆と文鎮、下敷きを見繕ってつけてくれた。習字をするのに最低限の道具だ。ただこだわったのが、墨汁ではなく墨を擦ってから字を書くということだった。墨汁は簡単だが、簡単なだけにすぐに辞めそうな気がする。墨を擦り、精神統一してから始めたほうが、上達しそうな気がするのだ。もっとも、やってもいないのにそんなことを言っているので、あくまでそんな気がするという話だが。

 ともかく、墨を擦ってなんて言っていたので、硯と墨はそれなりのものを用意してくれていた。しっかり値札が張り付いていたので見てみると、うん万円もするではないか。書道道具なんて、セットで5000円も出せば十分と思っていただけに、これだけの道具をもらった以上手を抜けないのである。

 というわけで、ネットで習字の本を取り寄せることにした。始めるのは年が明けてからと決めているが、その前に基礎知識くらいは頭に入れておきたいと思っているからだ。で、注文したのが「極める! 基礎習字練習帳」 鈴木曉昇著というやつだ。

 著者が何者かも無知な僕は知らないのだが、「習字(書道)を習う方にとって基礎力は大切であることは周知である一方、基礎に特化した習字の書籍は皆無に等しいのも事実です」という宣伝文句に惹かれたのである。

 それにしても、「習字」と言ったり「書道」と言ったり、僕がやりたいのは一体どっちだと疑問が生じてきた。習字道具と書道道具も何か違いがあるのだろうか。「習字と書道の違い」を調べてみると、習字は文字を正確に美しく書く練習のこと。書道は毛筆によって文字の美しさを表現する芸術のこととある。簡単に言えば「国語」と「美術」の差らしい。

 そう言われてみれば、僕がやらなければならないのはとりあえず「習字」ということになるだろう。なんたって筆を持つのも小学校以来なので、おそらくまっすぐな線ひとつ満足に引けないのがわかっているからだ。せめて自分でも読める字を書けるくらいにはなりたい、と思っている今日この頃のアベさんなのである。

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道元さんと大谷くん

2021-11-26 10:46:12 | 日記

 今朝読んだ道元さんの本に、こういう文章があった。「世間の人、馬より落つる時、未だ地に落ちざる間に種々の思い起こる」。訳すまでもないだろうが、世間一般の人がもし馬の背中から落ちるようなことがあれば、地面に落ちるまでの間にいろんなことを考える、というようなことである。

 で、道元さんはどういうことが言いたいのかと言えば、このようにケガをするとか死の危険があるとか、とにかく大事件を前にすれば、どんな人でも脳みそをフル回転させて判断しようとするものだ。そんな時には、生まれつきの鋭い人も愚鈍な人もない。だから、明日死ぬだろう、いや今夜にも死ぬかもしれないと考えて、とんでもない事件に遭遇しているとでも想像すれば、ひたむきに頑張れるし、志を持てるものである。結局のところ、「人の鈍根と云ふは、志の到らざる時のことなり」なのである。平和ボケしているようでは、ひたむきに努力するなんてことは及ばない。

 というところを読みながら、僕はしきりに最近テレビでインタビューを受けていた大谷くんのことを思い出していた。大谷くんの今シーズンの活躍はめざましいものがあったが、当の本人は「自分の野球選手として活躍できるのは、あと5年から7年くらいだろう」と話していた。人の一生は長いかもしれないが、野球選手としての選手生命というのは長いものではない。まさに道元さんが言っていたように、「明日死ぬだろう、いや今夜にも死ぬかもしれない」と考えるのは、一流のアスリートにとっては決して他人事ではないのである。

 あと、5年から7年しか寿命がないとすれば、今やっていることに打ち込む以外余計なことである。実際大谷くんは明日のために早く就寝につき、食事も自分の体のことを考え、自分で勉強して作る。すべてが今どうすればいいかという、その一点にかかっている。

 平和ボケしている脳みそが考えることというのは、美食家に似ている。「今夜何を食べよう」というのは、「何かおいしいものが食べたいな」という無限の選択肢を頭に思い描いているが、災害に遭い、食べるものもない人間が「今夜何を食べよう」というのは、選択肢の問題ではない。生きたければ食べる、食べなければ死ぬかもしれないという二者択一の覚悟の問題だ。

 「何をしたらいいかわからない」「やりたいことが見つからない」と言う人の多くは、あれこれおいしそうなものを頭に描いているだけなのである。

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漢字クイズの続き

2021-11-25 11:22:05 | 日記

 昨日、漢字の読み方の問題をブログに書いたが、アップした後もしばらくほかの漢字の問題も解いていた。「蟋蟀」なんてのは、漢字自体が難しい。書いてみろと言われても、書ける人なんてよほどの漢字オタクだろう。が、文字面だけ見ていると、なんとなく見たことがあるような気がする。正解は「こおろぎ」で、僕はこの問題を正解した。

 逆に、漢字は簡単なのに、送り仮名がついた途端、まるっきり見当がつかない読み方というのがある。「北く」と書いてなんと読むか。もちろん「きたく」なんて答えではない。正解は「そむく」だ。一般的にはそむくと言えば、背くと書く。なぜ北という字を当てるのかというと、解説では「南を向いた時に背中が北になるから」だそうだ。いやいや、東を向けば背中は西だし、北を向けば背中は南だから、これでは説明になっていないのである。でも、そう解説しているので、ふ〜んと思っておくしかない。

 「顰める」「擲つ」「鬱ん」などという文字は、漢字自体が難しく、最初からお手上げだが、読み方は意外とよく耳にするものばかり。順番に、「しかめる」「なげうつ」「さかん」と読む。「鬱ん」などは「うつん」と言ってしまいたいが、鬱蒼としている森なんかを連想すれば、「さかん」というかのもなんとなく納得がいく。

 「北く」と同様に、漢字は簡単だが見当がつかないのが、「角べる」「接わる」「串く」「心寂しい」といった言葉だ。正解は、「くらべる」「まじわる」「つらぬく」「うらさびしい」。串という漢字を当てて「つらぬく」というのは、漢字というより見た目じゃないかと思わずツッコミたくなる。

 これらの文字は、パソコンで漢字変換すると、結構な割合で変換できるから、それもまたビックリだ。

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漢字クイズ

2021-11-24 11:09:25 | 日記

 Yahoo!ニュースを見ていると、時々読めそうで読めない漢字がクイズ形式で出題されている記事が出ている。読める時にはなんということはないのだが、普段見慣れた文字に送り仮名を振ってあったり、簡単な漢字なのに熟語になるとまったく見当がつかなかったりで、ついつい次から次へと出題を見て行くことになり、いつの間にか時間が経っていたりする。それで賢くなればいいのだが、その時は「へえ〜」と感心しても、数分後にはもう忘れているという体たらくで、ちっとも語彙は増えていかないのである。

 例えば「禿びる」をどう読むか。パッと見、「はげる」かと思ったら、送り仮名が「びる」なので、もうわからない。正解は鉛筆が短くなった時に使う「ちびる」である。ただし、おしっこをちびるの「ちびる」とは違う意味になるらしい。う〜ん、日本語は難しい。

 「過る」なんてのは、見慣れている文字だけに、「すぎる」かと思いきや、すぎるだと送り仮名が「ぎる」でなければならない。これだと「する」になってしまうのである。で、正解は「よぎる」。う〜ん、日本語は難しい。

 ほかにもいろいろ出題してあるので、一部を再録すると、「萎萎」「稚い」「恍ける」「苛む」「木通」「直向き」などは、連想を働かせれば、なんとか正解にたどり着けそうな気がするが、正解を書くなら、「しおしお」「いとけない」「とぼける」「さいなむ」「あけび」「ひたむき」だ。

 なるほどと感心しても、ここではじめて知った人は、間違いなく明日には忘れてしまっているに違いない。こういうことを「最近、恍けてきたなあ」と言うのである。

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勤労に感謝する日だって

2021-11-23 11:31:16 | 日記

 朝、テオを連れて散歩していたら、後ろから軽トラックがやって来た。荷台のケージにケンくんが乗っていて、これから散歩をさせに行くところだという。

「今日は仕事はないんですか」と尋ねると
「祝日だから休み」とのこと。

 僕の場合、月曜日を休日にしているが、夏休みや冬休みを除けば祝日に関係なくカフェを開けているので、世の中が祝日だというのにちっとも気づかないことが多い。今日が祝日と聞き、はじめて勤労感謝の日だったことを思い出した。

 それにしても「勤労感謝の日」って、すごいネーミングだなあと昔から思っていた。大体、1年に1回しか勤労に感謝しないってどうかと思うが、そもそもなぜ今日がその日なんだろう。「1年間お疲れさま」というのなら、12月の仕事納めのあたりにやれば良さそうなのに。

 これはきっと労働組合あたりが運動して、無理やり国会で休日を増やすためにねじ込んだ法案だったんだろうと想像していたが、そもそもの始まりは天皇が行う新嘗祭に言われがあるらしい。

 新嘗祭というのは、天皇がその年に収穫された新穀などを神様に供えて感謝する儀式のことである。で、その新嘗祭が大体11月23日あたりに行われていた、というところから、収穫した穀類に感謝する祝日を作ろうということになったらしい。

 ウィキペディアによると、「新穀祭」「生産感謝の日」などの案が検討された結果、「感謝の日」案が有力となり、その後の衆参合同委員会で「感謝の日」では漠然としていて何に対する感謝かわからないという理由で「勤労感謝の日」と「労働感謝の日」の二つの案が出され、日本社会党などの委員による賛成多数で「勤労感謝の日」が採択された、という。

 うーん、ここで社会党が出て来たのか。それによって、作物の収穫に感謝するという意味が、労働者に感謝しろよな、というふうに変わったのだろう。

 なんにせよ、ネーミングだけは物々しく、僕は昔からピンとこない。大体、いまだかつて「仕事を生き甲斐」だの、「生涯現役」だの考えたことがない怠け者なので、仕事を神事のように祀り上げるのは苦手なのである。僕の理想とするところは、「犬と散歩したり猫と遊んだりが生き甲斐」であり、「生涯隠居みたいな生活」なのである。どうせなら国会議員には「遊びの日」なんて祝日も作ってもらいたい。

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雨音を聞きながら

2021-11-22 12:26:21 | 福島

 天気予報通り、朝起きた時からすでに雨が降っていた。昨日のうちにランニングをしておいて大正解だったのだ。バンザーイ。

 で、雨のせいでいつもより夜が明けるのが遅かったので、テオの散歩は普段より30分遅く家を出た。今日は一昨日からタミちゃんが実家に戻っているため、休日をまるっと1日、ひとりで過ごすことになっている。だから、時間はすべて自分のために使えるのである。

 テオにレインコートを着せると、雨の中のんびりと近所を歩いて回る。雨だからウオーキングをする人にも、犬を散歩させている人にも会わない。傘を叩く雨音を聞きながら、テオが道草を食うに任せて、あっちへブラブラこっちへブラブラ、とにかくテオが用を済ませるまでは家に帰るつもりはない。

 朝食は、昨日の食べ残しのサラダと、インスタントのお吸い物、そして納豆だ。朝食後はゴミ出しに行く。今週はゴミ集積場の掃除当番にもなっているので、他の人がきちんと出しているかチェックしなければならない。

 その後は、庭先のフリーシアの枯葉が大量に落ちているので、雨の中、ホウキとチリトリを持って掃除をする。スーパーの開くのを待って買い物を済ませ、ついでにホームセンターでトイレットペーパーも買っておく。

 さて、ここまで終われば今日1日の雑用はおしまいだ。午後になっても雨は止みそうにないし、読書やネットで映画を見て過ごすことにするか。ファンヒーターをつけてやると、暖かいのでアンもテオも近くにやってきて、お互いに毛づくろいを始める。それを見ているのは、読書や映画を見るよりも楽しい。

 夜はひとりなので、ご飯を炊くのは面倒だ。パスタか焼きそばにでもしようか。それとも何か酒のつまみでも作って、熱燗でチビチビというのもいいかもしれない。特別やらなければならないことがないので、そんなことを考えてみるが、トロトロとまぶたが重くなってきた。昼寝をするというのが、もしかしたら一番贅沢な休日の過ごし方かもしれないな。

 

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凡人、超人

2021-11-21 11:28:42 | 日記

 天気予報では、明日の月曜日は大雨になるという。この前の月曜日の休日は風邪気味でおとなしくしていたので、ランニングには出なかった。明日走れないとなると、2週連続でランニングをサボることになるので、それを避けるためにも今日のうちに走っておくことにした。

 以前だったら、午前中にランニングに出ると、午後は足腰ガクガクになって、ちょっと動くのも億劫だった。夕方のテオの散歩は、ヘロヘロヨロヨロと情けない足取りでしか散歩できなかったが、近頃は少しは筋力がついたと見えて、午前中に走っても、午後は午後で長い散歩ができたりする。これだったら、午前中に走っても、午後の仕事はできるんじゃないかとちょっとばかり自信がついてきたのである。

 というわけで、今にも降り出しそうな空の下、2時間弱走ってくる。頭の先から汗が吹き出し、靴下までビッショリだ。やはり1週間に一回くらいは、全力を使い果たしたいのである。

 筋力が衰えないように努力するのは必要だと思うが、世の中にはそうは考えない人もいる。「今さら鍛えてなんになるの」とか、「歳をとっての運動は、かえって体に悪い」とか、「同世代を見たら、こんなもの」だとか、とにかくやらないことに関しての言い訳は山ほどある。

 どうせ比べるなら、自分と同程度か劣る人とばかり比べるより、自分より優れた人と自分を比べたほうが、どれほどためになるかと思うが、そう言うと「あの人は特別だから」と、すでに言い訳を用意している。

 で、僕としては優れた人を見習いたいので、図書館でもそうした人の書いたものを借りてくることが多い。世の中には、マラソン大会に出場するだけでも大変なのに、市民マラソンの開かれる都市まで、必ず自分の足で走って出かけ、そこでマラソンを走り、再び走って帰るという人がいる。以前、テレビで四万十川100キロマラソンの番組があったが、参加していた人は、走り終わった後「これから仕事をしに行きます」と平然と答えていた。

 図書館で借りた本に、シルクロードをランニングで走破した人の本を読んだが、僕の記憶が間違いでなければ、山梨か長野の実家から、羽田空港まで自分の足で走り、中国のどこかの空港から走り始めていた。

 世の中には超人と呼ばれる人たちがいる。凡人とは別世界の住人かもしれないが、ただし勝手に親近感を持つのはこちらの自由なのである。

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