この前から取りかかっていた瀬戸内海の鞆の浦の絵を完成させた。うまく行ったのかどうだか、いまいちわからない。たとえうまく描けたと思っても、時間が経てばだんだん気に入らないところは出てくるし、そうでもないと思っていた絵が、時間とともに自分にとって意味のある絵になることもある。
さて、鞆の浦の絵とは言いながら、実は実際の風景とは異なっている。一番大きいのは、林立する電信柱と、アジアならではのこれでもかというほど張り巡らされた電線を、全部なくしてしまったことである。古くてあちこち剥がれ落ちたペンキや、崩れ落ちそうな壁や屋根瓦も、すべて新品のようにしてしまった。
こうなると、もはや鞆の浦とは言えないかもしれない。
ただ、昔から絵の世界は、どんな形に描こうと、「富士山」というタイトルにすれば富士山になるし、絵の具を塗りたくっただけでも「シャンゼリゼ通り」とタイトルがつけばパリのシャンゼリゼ通りなのである。電柱や電線がないくらいどうってことないのである。
絵を描いている途中で、もっとシンプルに、色も単純にというふうに気持ちが動いたが、とりあえず今回は、ある程度細かいところまで描き込んだ。
細い路地や裏通りというのは、絵の題材としてはかなり魅力的だが、画面を整理しないと、ただ雑然とした、とっ散らかった絵になってしまいそうだ。