この前から描きかけていた里山の散歩道の絵を完成させた。うまく行ったかどうか、自分では判断はつかない。もっと細かいところまで描き込めば良かったかなとか、反対にもっと大胆な省略をしても良かったかなとか、考えるところはいろいろある。ただ、どれが正解かわからないので、今回はこれで完成としておく。
ところで、ウクライナへのロシア軍の侵攻のニュースが朝から晩まで流れていて、それ以外の話題に触れるというのは、何を書いても的外れな気がする。
戦争が起これば、日本国の憲法9条を世界に広める必要があると声高に叫ぶ人もいるが、その精神や重要さは認めながらも、憲法9条が世界から戦争をなくすとは僕には思えない。
数学者の岡潔さんの本を読んでいたら、学校では道義を教えることを必須にしなければならないと書いていた。世の中を法で管理しようとしても、法には網の目があり、必ず漏れるものが出てくる。それに引き換え、道義というものに網の目はない。だからこそ道義を教えることで、漏れなく教育の効果があるというのである。
で、道義というのはなんぞや、というと、岡さんの説では「他人の悲しみがわかる」ということが道義なのだという。
去年亡くなった歴史家の半藤一利さんのインタビューの再放送をNHKがやっていたが、半藤さんが口を酸っぱくして、「国を作るのは経済ではない。教育だ」と強調していた。
今の政治家は、二言目には「経済、経済」という。が、経済は最終的にはいつだって諍いを生んでいる。人間が協調し合って暮らすには、最後は教育の力が頼りになるのである。
教育で戦争反対を教え込む必要はない。戦争反対のための教育は、結局は軍国主義の教育の裏返しでしかないだろう。教育で他人の痛みが理解できる人間を育てることができるなら、ことさら平和教育などする必要もないのである。