暑い。梅雨が明けた途端、蒸し風呂のような暑さが待っていた。少し体を動かすだけで、全身から滝のような汗が出る。こういうときは、お昼はソーメンでも食いながら、クーッとビールを飲みたい。
と、言いたいところだけど、飲酒運転が厳しいので、午後に車で出かける用事があるともかぎらず、ただひたすら夜まで我慢している。これが少し前だったら、まあビールくらいならというのが普通だったんだけど。
子供の頃は、飲酒に関してはもっと世間は鷹揚で、学校の先生が家庭訪問に来て酒を飲み、次の家でまた飲まされるなんてことは当たり前だった。もちろん、移動は自家用車だ。勧めるほうも、「今日は車だから、お酒は止めてビールでも出しましょうか」と言っていた。「車だからビール」というのは、ビールというのは酒ではないという認識だったのである。
隣に住んでいた巡査は大の酒好きで、べろんべろんに酔っ払っていて警察のバイクを運転し、谷底へと転がり落ちていったこともあった。今だったら、警察官が飲酒運転ということで大々的に報じられるところだが、当時はみんなで大笑いして済まされていた。
どうしてこう何もかもが厳しくなっていくのだろう、と考えてみると、都市の人口の過密化が原因としか思えない。アラスカの原野を想像すれば、他人が近くにいない世界では、大概のことが許される。ところが、あまりに過密化が進むと、ちょっとした過ちが大事故を起こしかねない。酔っ払ってちょっとハンドルを切りそこなうだけで、歩行者の列に突っ込んでしまうということは、おおいに予想される。かつては本人が谷底に転がり落ちるだけで済んだことも、そうは行かない世の中になってしまったのだ。
ネズミを使った実験では、狭い場所に過密にネズミを入れると、いじめや同性愛が増えるという実験結果がある。