goo blog サービス終了のお知らせ 

おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

新たな引っ越し先

2025-04-22 10:48:30 | 日記
 朝からこのブログ「おっさんひとり犬いっぴき」の引っ越しを始めた。

 今度は「はてなブログ」さんにお世話になることにし、手順通りに作業を進める。新たなアカウントを取得し、自分のページを作り、そこへ今までのデータを移す。作業としてはこれだけだが、編集作業やデザインが今までとは変わるので、その辺は一からやり直さなければならない。

 どうせなら古いブログのタイトルも変えた方がいいかなと考えたので、新たなブログのタイトルは「犬やら猫やらジジイやら」にした。サブタイトルは今まで同様「家族がふえてもノンキな日々」である。

 デザインは編集方法をもう少し理解したら変更するかもしれないし、このまま続けるかもしれない。タイトルも即興で付けたので、これまた変更するかもしれないし、このままかもしれない。

 とりあえず引っ越し先をリンクしたので、今日からは新たなブログ「犬やら猫やらジジイやら」を、クリックしてご覧ください。

 このページ自体は、2025年11月の表示期限が切れるまで、このまま放っておきます。
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世界の見え方

2025-04-16 11:03:35 | 日記
 普段は何の活動もしていない三春美術協会なので、たまにはお花見でもしようかという話になった。というわけで昨日は昼食会へと出かけたのだが、あいにくの荒れた天気に、この時期滝桜目当てに観光客が増える三春の中心街はひっそりしていた。



 用意された弁当を食べながら世間話をしていると、誰ともなく絵の題材が見つからないという話になった。絵を描く人間にとって、モチーフの問題というのは結構大きく、これが見つからないと真っ白いキャンバスはいつまでも真っ白いキャンバスなのである。



 で、とりあえず肖像を描いているとか、今度どこそこへ旅行に行ってみるとか、モチーフ探しについて話をしているうちに、絵を描くとはなんだろうということに関して、ふとある考えが頭をよぎった。それは、絵を描くとは、その人がどう世界を見ているかではないだろうか。あるいはその人の目にどう世界が見えているか、というそのことが絵のモチーフなのではないだろうかということだ。



 とりとめのない考えなので、その場で話を披露することはしなかったが、家に帰ってきてもその考えが頭を離れない。

 裸婦ばかり描く人もいれば、きれいな花ばかり描く人もいる。ノスタルジックな風景を描く人もいれば、ドロドロとした人間の醜い部分を描こうと努力する人もいる。が、簡単に考えるなら、その人の目に映る世界とは、そういう世界とは言えないだろうか。あるいは、そういうふうに世界を見たがっているということではないだろうか。



 そんなことを考えるでもなくぼんやり考えていると、これは絵を描くということだけでなく、その人の目に映る世界がどういうものかというのが、人それぞれ全然違うものだというふうにも思えてきてしまうのである。例えば、ニュースでは毎日のように野菜の価格が上がっただの下がっただの報道する、株価の上下を逐一流す。そういうニュースばかりということは、ニュースを作る人たち、ニュースを見る人たちの目には、この世界は経済第一で動いていると映っているからなのだろう。戦火にあるウクライナでは、こういったニュースはほぼ流れないだろう。

 桜が咲けば、どんなに人が詰めかけてようがそこに足を運ぶ人がいるというのは、その人の目には大勢の花見客と一緒に眺めるのが、満開の桜の姿だと映っているのだろう。



 僕の目には、足元でたくさん花をつけているタネツケバナや、空を飛ぶツバメの姿が気になって仕方がない。世界とはそういうものだと思い見ているし、もっともっと奥深くまでそういった世界を眺めていたいと、僕は切に願っているのである。
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ブログの引っ越しを考えながら

2025-04-15 08:58:41 | 日記
 gooブログのサービスの終了のニュースにビックリしたものの、さてこれからどうしたものかと冷静になった結果、とりあえずほかのブログのサービスに引っ越しをしようかなと考えている。というのも、新しくブログを始めるにはどうしたからいいかを検討するのに、ネットで「ブログ 引っ越し」と検索してみたら、すでにgooブログの終了の発表に合わせて、ここぞとばかりにユーザーの乗り換えを勧めるブログが多数あるのがわかったからだ。

 但し、gooブログを運営していたNTTが撤退するということは、ブログというジャンル自体の衰退が激しいということを意味している。仮に新しいブログのサービスを受けるとしても、ジャンル自体の衰退ということになれば、いずれ新しいブログに移っても、そこも早いうちに終了してしまう可能性は高い。

 とはいうものの、ブログ自体がなくなるのが、数年後なのか数十年後なのか、というのはわからない。今できる最善策は早いうちに新しいブログのサービスに引っ越しを済ませ、現在利用しているgooブログで引っ越し先を通知することだろう。

 ホームページのような大掛かりなものから、簡易なブログへと流行が移り、今度はもっと簡単に利用できるTwitterやFacebookへと世間は移行した。動画サービスもYouTubeからもっと簡易なインスタやTikTokへと利用者は移動して行く。こうした傾向は「時代の流れだよ」と言えるかもしれないが、よくよく考えると技術の進化というよりも、目先の変化にすぎないように感じる。

 これはちょうどナタデココが流行したり、タピオカミルクティーが一斉を風靡したりするのに、似ているように見える。日本料理店が中華料理店に変わるのは大変だが、ナタデココやタピオカのスイーツを売る店は、簡単に出したり閉店したりできる。おそらくそうしたお店を出す人は、流行している間にどれだけ儲かるかを考えているに違いない。そのサイクルは短くても構わない。とにかく爆発的に売れることが大事なのである。

 ブログの引っ越しを検索していたら、コロナの期間に需要の多かったネット回線を利用してウェブ会議ができるスカイプがサービスを終了させたという記事が出ていた。おそらくコロナ終了により需要が減ったためだろう。同じようにコロナ期間中に爆発的に業績を伸ばしたキャンプ用品などを扱うアウトドアメーカーが、軒並み業績が悪化している。「時代の流れだよ」というのは間違いではないかもしれないが、歴史的に見れば社会の揺らぎ程度のものなのかもしれない。

 そう考えなければ、トランプ大統領がクシャミをすれば株価が変動するのも、時代の流れということになってしまうのである。
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サービスの終焉

2025-04-14 11:31:08 | 日記
 ブログを書こうとページを開くと、「gooブログのサービス終了のお知らせ」が表示されているではないか。終わる時期は今年の11月18日だという。このブログを開設する前は、ホームページを自分で作ってせっせと書き込んでいたが、そのうちホームページ自体が人気がなくなったのか、無料だったのが有料のサービスになったのを機会に、このブログに移行した。

 が、ブログもそろそろ人気がなくなってきたのか、サービスを終了するというので、また別の手段を考えなくてはならない。大体、最近は長文を読むことが苦手という人も多いし、書く文章はほぼおしゃべりの延長だから、短いセンテンスでしかない。明治時代にそれまで話し言葉と書き言葉が別々だったものを、小説家なんかが言文一致運動を始めた。「話すように書きたい」というのが目標だったが、中には芥川龍之介のように「書くように話したい」という天邪鬼もいたりして、僕なんかは「なるほどなあ」と感心したものだ。

 近頃はもっぱらしゃべるようにしか書かなくなっている。そのせいか文字だけでは伝わりにくくなっているので、絵文字だったり文章の終わりに(笑)なんて説明を入れるのが主流だ。直近では書いてから送信するのではなく、書いている文章が同時進行で相手のスマホに表示されたりするらしく、「だったら最初からしゃべれよ」と僕なんかは苦笑してしまうのである。

 なんでもかんでもスマホやタブレットでという風潮の中、デジタル先進国のフィンランドでは、世界に先駆け教科書は100%デジタルでタブレットやパソコンを使うようにしたところ、子供たちの理解度が落ちてしまったということで、改めて紙の教科書に戻したそうである。

 日本なんかはひと周り遅れているので、これから学校ではタブレットなどの使用がどんどん増えるだろうが、物事を理解するには利便性や効率だけでは測れないものがあるようである。人間は文字を発明した時から、記憶力が低下し続けているという。スマホの登場により、ついに何も記憶しなくてもいい世界を誕生させた。スマホが命の次に大切だという若者が増えるのは仕方がない。なぜなら、手のひらの上に自分の脳みそがあるようなものなのだから。

 さて、ブログの終了後、どういうサービスを使えば今までのようにネットを利用することができるだろうか。その辺のところをこれから半年近くかけて考えなければならなくなったのである。
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意味不明な日本国憲法

2025-04-11 12:10:11 | 日記
 この前から「ことばの番人」(髙橋秀実著)を読んでいる。髙橋さんの本は、クスッと笑わせながら、実はかなり深いところを指摘していたりして、好きな作家のひとりとして何冊も読んでいる。今回の本は、言葉の番人としての校正についてレポートしたものである。

 僕は昔、アルバイトで1年間だけ新聞の校閲をやったことがある。校正と校閲、何が違うのかと思っていたら、原文とゲラ原稿を突き合わせ、一字一句原稿と入力(昔は職人が字母という活字をひとつずつ並べていた)した文字に、間違いがないかをチェックするのが校正、文字だけでなく文章の中身が事実に反してないかまで調べるのが校閲ということになるらしい。

 簡単に言えば、校正は何が書いてあるかわからなくても字面だけチェックし、校閲は何が書いてあるのか理解した上でチェックするということになるのだろう。どちらも誤植と呼べるものだが、校閲をやりすぎると、作家が書いたものなのか、校閲する人間が書いたものなのかわからなくなってしまうのである。

 で、「ことばの番人」の最後の方で「日本誤植憲法」という章が出てくる。法律には誤植はつきもので、その辺の本よりよほど多いらしい。最近のネットニュースの記事も誤植だらけだが、同じくらい法律は訂正がつきものらしい。

 文章があれば必ず間違いがあると思っていたほうがいいようで、日本国憲法も誤植だらけというのは制定当時から言われていたという。というのも、日本国憲法のオリジナルはマッカーサーが英語で書き、それを日本側が日本語の憲法に書き換え、その後再び英語に訳した上で、アメリカのチェックを受けていたのである。

 そうしたやり取りを繰り返した結果、当然のように伝言ゲームみたいに少しずつ中身が変化し、本来の意味合いが歪んだり、反対の意味になったり、おかしな日本語になったりと問題だらけなのだそうだ。それだけでも、憲法の改正はやらなければならないのだが、憲法を書き換えるというのは憲法改正になるため、国民投票やらいろんなことがまとわりついていて、おかしな憲法はおかしな憲法のままありがたがられている、ということになっている。

 昔、江戸幕府を作った徳川家康は外国に国を開こうとして、日本のあちこちの港を外に開いた。ところが、家康の死後、なぜだか日本は鎖国の道をたどり、家康さんが定めたことだからと江戸幕府が滅びるまで、勘違いしたまま鎖国政策は続けられたのである。

 「日本国憲法」を図書館で借りて読んだことがある。戦後すぐの憲法だっただけに、参議院のことが前提になっていなかったり、公衆衛生はあっても環境のことが触れられていなかったりと、今すぐでも変えないといけない項目がかなりある。

 そんな中、憲法を読んだ時から、意味がいまいちわからなかったのが第25条にある「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」である。よく読むと、これでは「すべての国民は、最低限度の生活を送る権利があるんだよ」と言っているのと同じである。これは僕が天邪鬼な読み方をしているのではなく、昭和21年の国会でも議論になっている。これでは「国民が貧乏で暮らす権利を持って居る」(帝国憲法改正案特別委員会)ことになり、「貧乏権」にすり替わっているのである。

 日本語は立派で偉そうな表現をするほど、間違いやすいらしい。
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武士と商人

2025-04-06 11:35:22 | 日記
 NHKの大河ドラマ「べらぼう」を観ていると、武士の世の中なのに関わらず、だんだんと商人の方が力を持っている様子が伝わって来るようだ。

 少し前までは、学校教育では江戸時代というのは暗黒の時代で、封建社会でお百姓は年貢を取られ、自分たちで育てたお米を食べられなかったというふうに教えられていた。が、これは江戸時代を否定しようとした明治政府が言いふらしただけで、現在では江戸時代は意外といい時代だったというふうにも考えられるようになった。

 そもそも江戸時代というのは海外と貿易をしていなかったのだから、武士階級がお百姓からぶんどったお米は一体どこに行ったのかと言えば、結局はお金に換える必要があった武士たちは商人に売って、現金を手に入れていたのである。それが回り回って町人やお百姓さんにも届いていたわけで、武士階級だけがお米を食べていたわけではなかったのである。

 ある時、大学の授業で海外からの留学生から、「幕府が徴収したお米はどこに行ったのですか」と質問があり、その時教授はハタと気づかされたと書いていたが、案外思い込みというのは深いものがある。

 武士道というものがあるが、実は武士に贅沢をさせないための倹約政策のために生み出されたものだという説もある。「武士は食わねど高楊枝」と言うように、とにかくプライドだけ高く、やせ我慢するように強いられていたのが武士だったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、確かに商人の街でもある大阪の人たちは、合理的な考えの持ち主が多く、やせ我慢なんて馬鹿馬鹿しいと考えているように見える。これは僕の偏見かもしれないが、西日本よりも武士の世の中だった東日本ほどプライドに縛られ、やせ我慢を良しとする文化があるように見える。

 西日本では当たり前だが、数台の観光バスで移動するとき、必ず号数の大きい方からスタートする。5台のバスなら、5号車が先頭で最後が1号車だ。これだと狭い峠道などで車同士がすれ違う時に道を譲らなければならない場合に、1号車が来た時点で後はないことがわかる。ところがこれが1号車からだと、5号車がすれ違ってもあと何台来るのかわからず、こちらは待っていなければならない事態になる。

 こうした合理的なやり方は、当然関東のバス会社も知っているはずだが、なぜだかそれを真似することはない。自分たちはあくまで1号車から順番を守ることを優先しているのだから、それでいいのかもしれない。が、相手に自分たちの存在を知らせるということで言うなら、全然合理的ではないのである。
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ジェンダーレスな時代

2025-04-04 10:25:33 | 日記
 今年の春から古文書を読むための勉強を始めた。通信教育のテキストではまず「離縁状」から始まる。今でもそうだが、人が文章を書いたり読んだりするのに一番必要になるのは、お役所への届出や通達を読むためだからである。その点、身近な「離縁状」からということらしい。

 で、テキストにある当時の離縁状がこれ。普通の人が書いた普通の離縁状である。



 兼輔さんから奥さんのおきんさんに出した離縁状である。内容は「私は婿養子として縁組しましたが、今回離別することになったからには、あなたがどこの誰と縁組しても、決して干渉することはありません」という断り書きだ。これだけ見ると、兼輔さんの方が家から追い出されたように見えるが、実際離縁されたのは旦那さんのようだ。

 というのも、離縁状というのは、どちらから離婚を申し出ようと、お役所に出す離縁状は旦那さんが書くことになっていたからで、時代劇でよく離縁することを旦那さんが「三行半をくだす」というが、あくまで旦那の顔を立てていたまでのことで、実際には女性側から離縁することも多かったらしい。

 ではなぜ女性側から離縁を申し出ることが多かったかと言えば、今と違いほとんどの家庭が農家である。機械化が進む現代と違い、昔は田植えや稲刈り雑草取りなど、女性の労働力も男性と同等に必要だったため、女性の仕事も巷に溢れていたのである。要するに、経済的には男性も女性もあまり違いがなかったから、男性に頼る必要がなかったのである。

 男女の差がないということになると、異性としての意識も低くなる。今と違い、女性は男性が守るべきか弱き者ではなく、同等の存在でもあった。従って銭湯にしろ温泉にしろ、明治までは混浴は当たり前だったのである。

 ところが、明治になり先進国の仲間入りを果たそうとする政府は、西洋の真似をして、男性は外で仕事を、女性は家を守るべき存在だとした。西洋がそろそろウーマンリブの世の中になろうとしていたのだから、実は日本の方が先を行っていたのである。そんなわけで、混浴も恥ずかしいこととされた。そうした教育がなされたため、今の日本人の中にはすっかり洗脳され、女性はいまだに家を守る存在であると信じている人たちもいるが、本当のところは男性中心の社会にした方が先進的だと信じていた近代の風潮によるところが大きいのである。

 同じように世界の仲間入りをするのに恥ずかしいと政府が考えたのに、里犬、村犬の存在である。かつては犬は村の中を徘徊する人間と同等の存在であって、愛玩動物として各家庭で飼われるということはあまりなかった。犬は村の中を自由に歩き回り、好きな場所で餌をもらい、外からやって来る村人以外に対して警戒した。これが海外から来た外国人には、恐怖の対象となったのである。

 その後、お役所はせっせと野犬狩りというのを実施した。里犬、村犬には首輪をして繋いでおけとなった。犬にとっては苦難の時代の到来である。今や犬は猫並みに小さくなり、お座敷で可愛がられているのである。
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通常運転

2025-04-03 11:53:12 | 日記
 昨日は午前中、風邪気味だったので用心して寝ていた。その分午後はいつも以上にやることが増え、忙しく過ごした。今は百人一首をお手本に習字をし、今年の春から通信教育で古文書を読むための勉強をしているので、それもやる。そういうのに飽きてきたら今年の初めから練習しているピアノに向かう。エリック・サティの「ジムノペディ第1番」と「グノシエンヌ第1番」を、なんとか譜面を見ずにつっかえつっかえ弾けるようになってきた。

 本当は水彩画を描きたいのだが、題材がなかなか見つからず、とりあえず「なにを描こうかな〜」と頭だけひねる。読書は「西行」(高橋英夫著)と「からくり民主主義」(高橋秀実著)をちょっとだけ読むと、今度はテオが散歩に連れて行けと騒ぎ出すので、雨の中着替えて出発だ。

 と、なんだかあっという間に1日が終わってしまうのである。もっと時間があれば、ギターや三線、ウクレレ、ハーモニカの練習もしたいし、もう少し頻繁にランニングもしたい。春になればこれからは畑に出る時間も増えてくるし、去年から引き受けている地区の役職も果たさなければならないし、体があとふたつくらいあればなあと思う。

 そうこうしていると、時々近所の人から「毎日何をしてるの?」と聞かれたりする。どう見ても仕事をしているように見えないので、どうやって毎日を過ごしているのか気になるようだ。

「毎日やることがない」というグチを聞くことは多い。「一日中家にこもっていると社会と疎外しているようで」と、一度定年退職していても、イヤイヤ仕事に出る人もいる。世の中は、「社会とのつながり」ということを強く言い、人手不足から高齢者も働かなければならないと言う。が、その割に報酬は少なく、「あちこち痛い」と言っている間にどんどん歳を取り、いずれ何もできなくなってしまうのである。

「社会とのつながり」ということだけで調べると、「友人との交流、家族との支援のやりとり、地域のグループ活動への参加、サークルや部活動への参加、ボランティアへの参加、近所付き合い、運動グループへの参加」とある。どこにもパート・アルバイトに出ろなんて書いていないのである。

 人によってその人の「通常運転」にはいろいろバリエーションがあるだろう。が、すべての人に共通することがひとつだけある。それは人生は一回切りだし、過ぎた時間は取り戻せないということである。そうした時間の中で生きて行くとなると、非常時の運転ばかりを考えている必要はないのである。
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散歩を欠席

2025-04-02 11:23:00 | 日記
 夜中に気分が悪くて起きた。しばらく便座に座って我慢していたが、とにかくムカムカして気持ちが悪い。吐いたらスッキリするような気もするし、ただ風邪を引いて頭がぼんやりしているような気もするし、このところの気温の乱高下に体が悲鳴を上げているのかもしれない。とにかくもう一度寝ることにして、朝を待つ。

 が、目が覚めても気持ち悪さは変わらない。おまけに頭もガンガンする。タミちゃんは「そりゃ、風邪だ」と断言し、朝の散歩はひとりで行ってくるとテオを連れて出て行った。体調不良でテオの散歩を任せるのはしばらく振りだ。ひとりコタツに潜り込んでいると、とっても寂しい気分になるのである。

 朝飯は当然食べられず、とにかく10時までは横になっていた。すると、アンがすり寄ってきて僕の脇で丸まり、テオは頭のところで時々こちらの様子を伺っている。普段いるはずのない場所でゴロゴロしているので、何事があったのかと心配になっているのだろう。

 この前日本にやって来ていたドジャースのベッツが、体調不良で体重を落とし、試合に出る前に帰国してしまったが、後でノロウイルスだろうということになっていた。もしかしたら、僕もノロウイルスにやられているんだろうか。最近どうやら流行しているらしいのだ。

 それでも10時に起きて、用意してもらったお粥を食べたら、お腹が減っていたので、二杯をペロリと食べてしまった。気持ち悪さは変わらないものの、これだけ食欲があればもう大丈夫だろう。ただ、時間とともに頭がガンガンしてきたので、これはどうやら本格的に風邪を引いているようだ。

 初夏からいきなりの真冬に戻り、気分も体調も全然スッキリしない今日のアベさんなのである。
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勝って兜の

2025-04-01 11:31:11 | 日記
 「勝って兜の緒を締めよ」という言葉がある。誰の言葉かというと、北陸地方を支配した上杉謙信と互角の力があった戦国武将北条氏康の父、北条氏綱の遺言らしい。今調べたら、そう書いてあった。意味は文字通り、「敵に勝ったからと油断して兜を頭から外すと、敵から反撃を受けて負けてしまう可能性があるため、最後まで兜の緒を締めて用心しなければらない」ということで、うまく行ったからと言って油断するな、気を引き締めろという戒めの言葉だ。

 突然こんな言葉を思い出したのは、テレビでフジテレビの記者会見をやっていたからで、今回のテレビ局としての体たらくは、結局は過去の成功体験が、会社をおかしなことにしてしまったと思うからである。

 かつてフジテレビには全盛期があり、それは多くをバラエティ番組に頼るところが大きかった。そのため、報道機関というよりも娯楽番組の制作会社となり、「面白くなければテレビではない」というキャッチフレーズまで掲げていた。会社のトップには報道よりもバラエティ番組を制作していた人たちが並び、真実を封印してでも面白い番組さえ作っていれば会社は反映すると信じていたのだった。

 成功体験というのは、よほど注意してかからなければ、いつまでもそのことに引っ張られることになる。日本経済の今の体たらくも、実は高度成長期という成功体験が、日本社会の構造を変えられなかったということで言えばフジテレビと同じである。

 戦後日本は欧米に追いつけ追い越せとガムシャラにトップを目指した。そのためには、技術やアイデアを欧米から輸入し、ひたすら大量の製品を作ることに専念した。多くの労働者が働き蜂となり、寝る暇を惜しんで物作りをすることで、安い商品を輸出することができたのだった。

 が、一旦トップに立つと、技術やアイデアを他所から持ってくるわけには行かない。オリジナルなものを次々に生み出す体制を作って来なかったため、日本の立場は人件費の安い中国やタイ、ベトナムといったところに取って代わられたのだった。

 24時間ガムシャラに働けば給料が上がり、経済が上向くといまだに考えている人たちがいるが、それが高度成長期という成功体験から来ている、ということには気づいていない。本当は、経済が上昇している時にこそ、兜の緒を締めなければならなかったのだが、油断からすべてが負け戦になってしまうのである。
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