網野善彦さんの「歴史を考えるヒント」を読んでいる。日常何気なく使っている言葉も、案外間違って理解していることが多々あり、意外な意味があったりするというお話である。
何気なく使っているけれども、その言葉について深く考えたこともない、というのが普通の人々だろう。たとえば、日本という国名が決まったのはいつですか、という質問にも、実は答えられる日本人はいないので、これが外国だったらまず考えられないということも意識したことがない。アメリカなら1776年、中国なら1949年が、国名が決まった年である。
普通の人々というけれども、公にはどう呼ぶのが適当か、ということも案外難しい。「人民」と言うとなにやら社会主義国家の匂いがする。が、すでに日本書紀の中にこの言葉はすでに出てくるらしい。「国民」と言うと「日本国民」となって、日本に国籍があるというだけで普通っぽさが失われる。政治の世界では市民運動とか一般市民といった「市民」がよく使われるが、これだとインテリ臭いし、都会の人だけしか対象にしていないようなニュアンスがあって全体を表現していない。「庶民」だと親しみはあるが、公的文書に採用されない。
なるほどなあ、と思いながら読み進めているが、外では今朝から急にミンミンゼミがけたたましく鳴き始めた。予報では明日にも梅雨明けするようなことを言っていたので、セミもそれを聞いたのだろう。
ミーンミーンミーンミーンミィィィィィィン、ミーンミーンミーンミーンミィィィィィィ、ジリリリリ。
ミーンミーンミーンミーンミィィィィィィン、ミーンミーンミーンミーンミィィィィィィ、ジリリリリ。
ああ、いよいよ東北も夏本番だな。
僕のように何も考えず、季節の移り変わりばかり感じている人間は、人民だの国民だの市民だのいうより、ミーンミンと呼ぶのが一番ふさわしい気がする。お役人の世界には官官接待という言葉があるから、僕のような根っからの一般人はミーンミンと呼んでもおかしくはないだろう。




















