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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

下を向いて歩こう

2020-06-30 11:05:44 | 福島

 通勤や買い物など、目的があって移動する以外に、ブラブラとただ歩くために歩いている人というのはどれくらいいるだろう。犬の散歩も目的があるとは言えるものの、犬の運動だけに集中していれば、せっせと早足でウォーキングする人と変わりはない。

 ブラブラ歩くというのは、途中で何度も立ち止まり、周囲を見渡し、足元を眺め、時にはしゃがみ込んで道端の草花を観察してこそ、本当のブラブラ歩きだ。それを実行しようとすれば、キョロキョロと不審者のように周りを見たり、下ばかり向いて歩くことになる。

 道路に熟した梅の実が転がっている。ここには梅の木があるなと気づけば、次には顔を上げて鈴なりに実をつけた梅の木を眺めることになる。

 足元の雑草もよく見ればかわいい花が咲いている。これはユウゲショウ。夕化粧なんて芸者さんみたいな趣があるが、実際には朝からちゃんと咲いている。

 別名クローバーの名前を持つシロツメクサも、花の時期は終わりに近づいたが、小指の先くらいの小さな葉っぱをたくさんつけて、道端で繁殖している。

 これに似ているのが、カタバミ。

 葉っぱの一枚一枚がハート形をしているのが面白い。大きさはシロツメクサよりはるかに小さい。以前は雑草のひとつとして気にも止めていなかったが、水色の羽を持つチョウチョのヤマトシジミが、カタバミにしか卵を産み付けず、幼虫にとってカタバミが世界のすべてだということを知ると、つい注目してしまうのである。庭に生えていても、無闇に除去できなくなっている。

 「どくとるマンボウ昆虫記」を読んでいたら、「詩人の蝶」という話の中に、ウスバシロチョウのことが書いてあった。ヤマトシジミがカタバミを唯一の生活圏にしているように、ウスバシロチョウは卵をムラサキケマンに産み付け、この植物を食草としているとある。ウスバシロチョウの生活史は、すなわちムラサキケマンの生育のリズムと完全に一致しているのである。

 で、これがゴールデンウイークの頃に撮影したムラサキケマン。この花は、今年の春散歩中に気になって、名前を覚えたばかりだ。そう言えば、名前を調べた時にウスバシロチョウの幼虫が食べるみたいなことが書いてあったような気がする。

 何はともあれ、下を向いて歩くだけで、昨日までは僕の中には存在しなかった世界が、突如として目の前に開けてくるのは面白いことだ。

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スタミナ

2020-06-29 11:47:22 | 福島

 昨日の朝はバケツをひっくり返したような雨だったので、楽しみにしていたケンくんとのボール投げには行けなかった。今日は曇り空ながら雨の心配はないので、5時半には家を出る。と、ケンくんちの前で、軽トラに乗り込むケンくんと遭遇し、テオとケンくんははしゃぎ出す。先にケンくんの軽トラックが出発すると、テオは後を追いかけるようにリードをグイグイ引っ張る。

 墓地に到着すると、しばらく2匹は全力で走り回る。お日様が出ていないので、過ごしやすい気温ではあるが、ケンくんに比べて体力が劣るテオは、すぐに根をあげた。

 ヒーヒー、もう走れません。

 ケンくんと別れ、丘の上まで歩くと、晴れ間が顔を出した。しかしながら、郡山の街の上には灰色の分厚い雲がかかり、スッキリとした梅雨の晴れ間とは言い難い。

 道路は触手を伸ばしてきたアレチウリに次第に侵食されている。これからは空き地という空き地がアレチウリとクズで覆われてしまう。

 梅雨の花と言えばアジサイやタチアオイだが、ネムノキの花はどうだろう。「象潟や雨に西施がねぶの花」と芭蕉さんも歌っているが、芭蕉さんの時代は旧暦なので、梅雨時期ではないのかもしれない。確かに、ネムノキはまだ花が咲いていないのだ。

 今日のお休みは、2週間ごとの歯医者の日だったので、朝飯後に出かけてきた。待合室で雑誌をめくっていたら、疲れにくい体を作ると記事が出ていた。現代人は毎日三食食べているが、そのこと自体が胃袋を疲弊させ、疲れやすい体にしているとある。おまけに肥満のリスクもある。そこでと記事は続ける。人間は食べずにいると、16時間後に体が危機を感じて細胞を活性化させ始めるという。だから、しょっちゅう食べてばかりいるのではなく、一日に一度12時間以上、できれば16時間、食べない時間を作ると若返りが図れるという。

 若い頃は朝飯を食べなかったので、必然的に16時間を開ける毎日だったが、今はきちんきちんと食べているので、胃が疲れているのかもしれない。ただ、きちんと三食食べていても、腹が減って動けなくなったりするので、そういう時はどうしたらいいんだろう。とにかく若者と違って、年寄りはこらえ性がなくなっているのである。

 記事には、疲労しにくい体を作るには鳥肉がいいとあった。とりわけ胸肉がいいと紹介している。その理由というのが、渡り鳥など長い距離を飛び続けなければならない鳥の肉は、スタミナをつけるにはもってこいだという。なるほど、と思うとともに、ホントかなとも思う歯医者でのアベさんであった。

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集めたがる人

2020-06-28 11:41:35 | 日記

 久しぶりに本屋に行った。文庫本の棚を物色しているうち、ふと一冊の本が目に止まって買うことにした。どくとるマンボウのあだ名を持つ作家の北杜夫さんの「どくとるマンボウ昆虫記」だ。「どくとるマンボウ航海記」は親が買ったのか、家の本棚にあったので中学生の頃に読んだ。医者の資格を利用して、船医として船に乗り込み、半年間に渡って世界を航海した時のエッセイで、面白く読んだ記憶だけある。何が書いてあったかは、すっかり忘れた。

 本屋で「どくとるマンボウ昆虫記」を見かけた時、この前「バカの壁」の養老孟司さんが、著名人には虫好きが多いというのを読み、そう言えば手塚治虫なんかに混じって北杜夫の名前もあったような気がした。僕は特別虫好きというわけではないが、それなりに何かを成し遂げたような著名人が、大人になっても子供のように虫を追いかけている姿には興味をそそられる。

 子供の頃、クワガタの名前などをスラスラ言える友達を、羨望の眼差しで見ていた。夏休みの宿題で蝶々の標本を作ってくるような子供は、よほどのお金持ちの子供だと、妬みを通り越して神々しく見えた。昆虫採集セットの注射器やら薬品やら虫ピンやらを持っているということが、別世界の人に思えたものだった。

 近頃は、虫を見るだけで「怖い」とか「気持ち悪い」という人がいて、時代の移り変わりを感じる。成人男性でも虫が苦手なんてのを目の前にすると、こいつに子供時代はなかったのかと気持ち悪くなることもある。

 昆虫採集や昆虫の標本を作る人は、昔に比べると希少価値になりつつあるのかもしれない。僕にしてみれば、虫を集める人も奇妙な人だが、割り箸の袋だのマッチ箱だの、スニーカーだのジーンズだのを集める人もそれ以上に奇妙に思える。世の中から、収集癖というのは、いつの時代になってもなくならないのだろうか。

「どくとるマンボウ昆虫記」を読み始めると、最初のページにこういうことが書いてあった。「ある種の分裂病患者に濫集症というのがあるが、およそ役に立たぬもの、汚らしいもの、捨てるよりほかないものを、無闇やたらと蒐集する」。こういう人は「他人がそばにくると一片でも渡してなるものかという表情をする。そっとしておいてやったほうがいい」。

 一読してすぐにゴミ屋敷の住民を想像した。が、昆虫や破れたジーンズをありがたがって収集する人も、ある意味、他人にとってはゴミに近いと感じるものもあるだろう。どういう心の動きが、そういう収集癖につながるのだろうと思うが、考えたところで理由が見つかりそうにはないので、ある種の分裂病患者と言っておくのがいいのかもしれない。

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梅雨の晴れ間

2020-06-27 11:48:22 | 福島

 久しぶりに太陽が顔をのぞかせている。天気予報では今日も曇りだったが、いい方に外れてくれたということだろう。もっとも、天気予報の曇り空とは、空全体で7割とか8割とかいった具合に、どのくらいの割合で雲が広がっているかを指すので、雲間から太陽がのぞいていても曇りということになる。

 雨の心配がないということになると、梅雨の晴れ間にやっておかなければならないことはいろいろある。前から気になっていたのが、お店の看板の文字が雨で薄くなってきたことだ。今回はペンキではなく油性マジックでロゴを書いたのだが、思っていたより持ちが悪い。そこで改めて上から書き直した。雨が続いたせいで地盤が緩んだのか、道案内の看板も少し傾いていたので、木槌を持って行って打ち直した。

 そして何と言っても、この雨で駐車場の草があっという間に伸びてしまっているから、草刈機で綺麗にしておかなければならない。車の出入りくらいでは、草の成長は止められない。草刈りからひと月も経たないうちに、車体に届くほど伸びているのだ。

 砂利が敷いてあるので、慎重に草刈機を動かす。時々、チュンチュンと石ころを弾き飛ばす。草刈機の歯もこの前交換したばかりなのだが、あっという間にあちこち欠けている。

 タンポポ、ブタナ、カタバミ、スギナ、ノシバ、シロツメクサ、ムシトリナデシコと、草を刈りながら生えている植物を確認して行く。以前なら、「雑草」の名の下に一括りにしていたものが、名前がわかってくると刈り取るにも少しだけ申し訳ない気になる。何しろ、それぞれが生き抜くために戦略を立て、子孫を残そうと頑張っているのだから。自然との共生という言葉はよく耳にするが、あくまでも自分の生活にあまり関係ない部分でしか共生はできなさそうだ。

 と、きれいになった駐車場を見ながら、草刈機を抱えて家に戻るアベさんなのであった。

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回転寿司を食いに行く

2020-06-26 11:55:05 | 日記

 たまにはお寿司でも食べに行かない、とタミちゃんが言うので、昨夜は珍しく外出して回転寿司屋に行った。子供の頃から寿司が大好物というわけでもなく、かといって嫌いなわけではないので、食べに行こうと決めるとゲンキンなもので楽しみになる。テオには留守番をさせ、隣町の本宮にある美味しいと評判の回転寿司屋に向かった。

 回転寿司屋に行くのは、数年振りである。その時は郡山で美味しいと評判の寿司屋に行ったのだが、干からびたようなネタばかり出てきて、大失敗だったとすっかりショゲた。それ以来、寿司屋から足が遠のいていた。

 最近で記憶に残るのは、数年前に大分県に行った時、親戚のおじさんに佐伯にある寿司屋に連れて行ってもらった。港町だけあって、うまい寿司をたらふく食ったが、その後テレビを見ていたら、タレントの石原良純が「佐伯の寿司が日本で一番うまい」と言っていたので、確かにそうかもしれんとうなづいた。

 仕事で金沢に出張した時にも、寿司がうまいというので昼飯に回転寿司屋に連れて行かれた。セミエビやノドグロといったあまり馴染みがないネタがいろいろあり、美味しかったのだが、接待ということもあってなんとなく遠慮してしまった。

 で、昨日は久しぶりに回転寿司屋に行ったが、職人さんも定員さんもマスクをして、カウンターには隣の人との接触を防ぐためのパーテーションを設置しているが、目の前を流れる湯飲みや小皿はそのままなので、カウンターで喋っている人たちがウイルス感染していれば、湯飲みや小皿はウイルスが付着したままカウンターをぐるぐる回ることになる。寿司の乗った皿にも、カバーはないから、客の飛沫が付着しないとは限らない。そんなことを考えると、積極的には皿に手が伸びないのである。

 寿司は嫌いではないが、大好物でもない。大体、食べたいものをその都度注文するというのが僕の性に合わない。出されたものはなんでもありがたく食べるが、自分からアレが食べたいこれが食べたいという欲求があまりないからだ。何かを注文しようとすると、つい値段が気になり、安いので我慢しようとしてしまう。そうなると、珍しいネタや高価なネタは絶対に口にできないのである。

 今思えば、佐伯でおじさんにごちそうになった寿司も、金沢で接待で食べた寿司も、結局自分で支払っていないため、料金を気にせずに食べていたからかもしれない。そう思うと、今時の子供が好物はお寿司が一番と答えるのは、自分で金を払っていないからに違いない。

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夏の風物詩

2020-06-25 11:19:07 | イラスト

 扇風機、金魚と絵を描いてきたので、もう少し夏を感じさせるものを描きたいと思っている。とりあえず青空と簾を背景に、風鈴がぶら下がっているところを描いてみた。

 風鈴だけでは画面が少し殺風景になるかなと思っていたが、ゴチャゴチャ描き込むより殺風景くらいなほうが涼しげかもしれない。風鈴は、実際に我が家でぶら下げている風鈴だ。風を受けるためのぶら下がった紙は、風鈴を買った時にドリとトトの絵を描いた紙と交換した。ドリもトトもいなくなったけれども、夏になると風鈴とともに登場するのである。

 ほかに夏の風物詩はどういうものがあるだろうなと考えながら、「風物」って一体なんだとふと思った。ウィキペディアで検索してみると、該当の項目はないので新たに作成しますかと出てきた。調べたいから検索したので、僕が作ったのではおかしなことになるではないか。

 で、「風物」って何ということになると、場所や季節を想起するような事柄や事物ということになるらしい。目を閉じて夏を想像すると、僕の中ではすぐに海の家のゴザの感触や吹き抜ける潮風が脳みそをいっぱいにする。ザブンザブンという波の砕ける音も聞こえて来る。海辺は僕の記憶にあるどこかの海辺だろうし、ゴザや潮風は夏を想起させる事物ということになる。

 当然、風鈴も夏にしか窓辺にぶら下げないから夏の風物詩なのだが、近頃はタワーマンションなどもあり、窓は締め切りで年中空調で部屋の中を管理しているようなところで生まれ育った子供には、おそらく風鈴は夏の風物詩とは言えないだろう。海にしたって、今時の子供の半数以上が海水浴をしたことがないという。親御さんの主張するところでは、海は不潔だし危険が伴う。だから泳ぐのはプールでということになるようだ。

 さて、こうなって来ると、風物詩といっても個人差が激しくなるだろう。俳句は共通の季語というものを大切にしているが、そのうち季節感のない俳句が主流になってきてもおかしくないかもしれない。

 

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不寛容な世界

2020-06-24 11:11:10 | 福島

 梅雨入りした途端、連日雨が降り続いている。雨でもなるべくカメラは持って出るようにしているが、どんよりとした天候では、どこにカメラを向けても灰色の世界が広がっている。

 ところで、最近気になるニュースがあったので、ひと言書いておこうと思う。NHKがこんな世論調査をした。それは、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、政府や自治体が外出禁止や休業を強制できる法改正が必要だとするもので、賛成が6割に上ったという。これに対してホリエモンなどの著名人が、ヤバイ傾向ではないかと危惧する発言をしている。

 確かに、外出自粛の風潮の中、フラフラ遊びまわっている人間に対しては、きっちりと自粛を守っている人たちは腹が立つだろう。せっかくの努力が水の泡になる可能性があるのだから。が、だからと言って、国や自治体の力で禁止令を出してしまうというのは、行き過ぎていると言えないだろうか。県外ナンバーの車を見るだけで、正義の鉄槌を下す正義を履き違えた人たちがいたように、国などが後ろ盾になってしまうと、真面目な人ほどより強力な正義マンになってしまうのである。

 明治維新後、富国強兵を目指した時にも、太平洋戦争に突入した時でも、高度成長期で日本がイケイケドンドンだった時にも、古くは中世ヨーロッパで魔女狩りを行なっていた時や、未開の地で強引な布教活動を行なっていた時にも、またナチスドイツのホロコーストだって、人々は普段ならあり得ないパワーを発揮した。人類は、同じ目標に向かう時にはいつだって物凄い力を発揮して来たのである。それが例え地獄へ続く道でもだ。

 だから、近頃の世界の風潮は、なるべく多様性を認めようという方向へ進んでいる。多様性を認めるということは、力を分散させるということでもあるからである。

 原発にしろプラスチックにしろ、発明された時には夢の時代が来ると宣伝していたものだが、世界全体が同じ方向を向いた結果、一体どういうことになってしまったか。アフターコロナの世界だの、新しい生活様式だのというスローガンをせっせと掲げる風潮に、僕が眉に唾をつけて聞いているのは、国などの強大なところがお墨付きを与えたものに対しては、そのお墨付きを楯にして、反対意見は有無を言わさず封じられてしまうことが多々あるからだ。

 犬を散歩に連れて行くと、以前にはなかった「犬の散歩お断り」や「犬連れの入場禁止」が看板が立っているのを目にする。どこかのマナーの悪い飼い主のせいだなと、犬を飼っている人は皆思うだろう。そして、たったひとりの不心得者のために、犬連れのすべての人が出入り禁止になってしまうことの乱暴さを感じるだろう。また、近頃は自転車による事故が多発しているから、さっさと免許制にしろみたいなことも言われているが、それも乱暴な話である。

 新型コロナウイルスが流行している時、マスクをしていない人を見かけたら魔女狩りのように糾弾するのではなく、少なくともマスクをしていない理由に思いをはせるくらいの寛容さは持ちたいものである。

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家族の物語

2020-06-23 10:55:37 | 日記

 少し前までは、山を歩くにしても普段の犬の散歩にしても、とにかく天気が良くなければ面白くなかった。近頃は、年齢のせいか、雨の日には雨に濡れて歩く風情みたいなものも嫌ではなくなった。わざわざレインコートを着て、山の中をウロウロするなんて真っ平だと思っていたのが、レインコートや雨傘に当たる雨の音を聞きながら、足元の草花を見て歩くのも、またオツなものだとジジくさいことを考えるようになった。

 ただ、雨で困るのは、散歩の時に犬が用を足しづらくなるためで、すぐに済ませてくれればいいのだが、雨に濡れながらのウ●コ待ちというのは風情がない。今朝も結局散歩の時にしてくれなかったので、朝食後にカフェの準備を済ますと、買い物ついでにテオを車に乗せて一緒に連れて行った。

 阿武隈川の土手を歩かせると、しばらくしてようやく用を足してくれた。

「はぁ〜スッキリした」とテオ。まったくウ●コさせるために、一日に何回散歩に出かけなければならないんだ。

 昨夜、見るとはなしに、NHKの「ファミリーヒストリー」を見ていた。俳優の柳葉敏郎の回で、幼い頃に両親が別居し、父親はひとり暮らしをしている間に若くして死んでしまったから、父のことを調べてもらいたいということで調査が始まったという。

 調べて行くと、母親も親戚も黙っていたが、父は柳葉の母とは再婚で、2年ほど一緒になっていた女性がいた。そして娘もひとり生まれていた。その娘も1歳の時に親が離婚してしまったので、父のことはわからずにいたが、養父が死んだことで、実の父親の墓参りをしたいと考えていた時に、NHKがやって来たのである。娘も柳葉も腹違いの姉弟がいたとは知らなかったわけで、番組はいつになく劇的な結末を迎えた。

 若くして死んだ父親は、最初の結婚も2度目の結婚も失敗するとは思ってもみなかっただろう。ところが、意に反して、後々自分の子孫に多大な影響を及ぼしているのだから、人生とは不思議なものだ。

 動物学者の日高敏隆さんの「ネコはどうしてわがままか」を読んでいたら、ネコは犬と違って群れを作らない生き物で、父親は一切子供には関わらないらしい。そういったところから、基本的にその行動は自分本位とも言えると書いている。

 同じ生き物でも、皇帝ペンギンなんかになると、極寒の地で子育てするために、父親は自分の足の甲とお腹の間に母親が産んだ卵を抱え、ただひたすら卵が孵るのを待つ。そうこうしていると海まで数十キロの道のりを歩いて魚を捕りに行っていた母親が帰って来て、父親と交代する。もし旅の途中で事故に遭って死んでしまえば、父も子供も死ぬ運命が待っている。

 繁殖だけに参加し、あとは知らん顔の猫の父親、母親と協力して過酷な子育てをする皇帝ペンギン。同じ生物でも、家族のあり方は様々だ。さて、人間はどうだろうと考えると、人間らしい家族像というものはなく、猫っぽい父親がいたり、皇帝ペンギンぽい父親がいたり、あるいは両親がカッコウみたいなものもいるかもしれない。進化の頂点に立つ人間は、どうやらすべての生物の生き方を併せ持っているようだ。

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体を動かそう

2020-06-22 11:43:42 | 福島

 朝から雨が降りそうで降らなさそうで、どんよりした天気だ。週に一度の休日の月曜日は、なぜだか天気が悪い。神様は意地が悪いのだ。

 朝の散歩に出ると、すぐにちび丸くんにばったり会う。早速テオは顔をペロペロ攻撃する。とにかくこの攻撃で、最初は威嚇していた犬だって、いつの間にやら仲良くなってしまう。とにかく今まで飼って来た犬で、こんなに社交的な犬に会ったことがない。おかげで散歩中に他の犬に会ったところで、牙を剥き出して吠えまくるというようなことがないので安心できる。

 じゃあね、ちび丸くん。

 次には仲良しのサクちゃんちに寄っていく。いつの間にやらテオのほうがひと回り大きくなっている。

 その後は、ボール投げをしてもらっているケンくんのもとへ。犬の中でも一番の運動能力と賢さを持つと言われるボーダーコリーなだけに、ボールを咥えて走る姿も様になっている。そんなケンくんをお手本に、テオは真似をする。

 「師匠、こんな感じでいいですかぁ」と後ろをついて行くが、ボールが大きくてアゴが外れそうになっている。

 休みには2週間に一度は歯医者の予約を入れているので、ランニングも隔週でやっている。今日もまだ体ができていないので、あまり長い距離は走れそうにない。この前片道45分かかったところまで、10の力のうち、7割の力で走ってみる。残りの3割は帰って来るために残しておかなかればならない。

 3ヶ月前には40分を切るか切らないかというタイムで走っていたのに、この前走ったときには45分を切ることさえできなかった。やはり3ヶ月のブランクは大きい。今日の目標はとりあえず45分を切ることだ。

 で、前回何度も途中で休憩をいれたところを、頑張って走り切る。記録は43分50秒。目標の45分は切ったが、ついこの前まで40分で走っていたのかと思うと、まだまだあと1割は速く走る必要がある。1割って結構大変だぞ。来週はまた歯医者の予約が入っているし、しばらくはリハビリに励まないとな。

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子犬も三日会わざれば

2020-06-21 11:18:31 | 福島

 風の強かった昨日とは打って変わって、今日は静かな朝となった。朝5時にはテオが散歩に行こうと騒ぎ出す。外に出ると肌寒いくらいで、この前まで暑かっただけに、気分的には秋がやって来たかのようだ。

 家を出てすぐに散歩中のサクちゃんとばったり会う。サクちゃんのほうは散歩を済ませて帰って来たところだが、早速2匹で組んず解れつでプロレスを始めた。「道の真ん中で騒ぐ奴があるか」と、2匹して怒られる。

 道端に小さな朝顔の花が咲いているのを見つけ、パチリと写す。体感的には秋っぽいが、やっぱり夏なのだ。

 今朝もボール投げをしてもらっているケンくんとひと暴れさせようと墓地によると、子犬のゴローちゃんが散歩に来ていた。ゴローちゃんはまだ生後7ヶ月ということで、つい最近去勢手術をしたばかりだという。テオとはまだ生まれたばかりで、初めての散歩だという日に対面しているので、すでに知らない仲ではない。ケンくんとも遊ばせたいが、少しの間ゴローちゃんと組んず解れつのプロレスをさせる。飼い主さんは「喧嘩じゃないんですか、じゃれてるんですか」と心配しているが、「大丈夫、遊んでいます」と言ってあげる。

 ケンくんともボール投げをして走り回った後、再び散歩に戻る。

 モンシロチョウの写真をパチリ。

 ムラサキツメクサの写真をパチリ。

 今日も楽しい一日なのだ。

 と、ブラブラしていたら、僕らと反対周りでぐるっと散歩して来たゴローちゃんと再会した。そして、道路上でプロレスを始める。

 ついこの間までほんの子犬だと思ったのに、すでにテオよりひと回り大きくなっている。その手足を見る限りは、まだまだ大きくなりそうだ。今はまだ先輩ヅラしているテオも、すぐに力ではかなわなくなってしまうだろう。まさに、子犬も三日会わざれば刮目して見よ、なのである。

 

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