おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

文化祭の季節

2022-09-30 11:46:29 | 日記
 先日、知人から郡山市の文化センターで美術展が開催されるというので、招待券が送ってきた。コロナ禍でここ2年ほど展覧会は中止になることが多かっただけに、久しぶりに足を伸ばしてみることにした。チケットには公共機関をご利用くださいとあったので、近くの図書館に車を止め、そこから歩いて行った。普段からコンサートの時などには大行列ができているのを見ているので、混雑を予想していたが、広い会場に入ると、客は僕ひとりだった。おかげで1時間ほど、誰にも邪魔されずにのんびりできたが、入場料を取ったところで、とても採算は合わないだろう。

 福島県南で活躍する画家という触れ込みだったが、ごく一部の絵を除いて、ほぼ素人の絵だった。それでも人の振り見て我が振り直せで、いろいろと自分自身で気をつけなければならないところが見えてくる。絵を描くということは、すなわち世界をどう見ているかということにつきると僕は考えているが、そういう視点で絵画を見ると、個性を出そう出そうと頑張るあまり、対象物とちゃんと向き合っていないような気がするのである。

 僕たちはバラの花を見て、ああ綺麗だと感じる。バラの美しさなんてよく知っていると思っているから、同じ花を数時間見続けるなんてことはできない。ところが画家はそれをやっている。僕らが美しいバラだなあと感じ、立ち去った後も、画家は延々と見続け、新たな美しさをそこに見続けている。

 10月に入ったら、三春美術協会の恒例の美術展がある。美術展といえば大仰だが、趣味にしている人の発表の場で、カラオケとか日本舞踊とかフラダンスとかのお披露目を町のホールでやるだけのことだ。それでも参加している以上、そろそろ出品作品を用意しなければと考えていた。

 そんな時、散歩の途中で今度は郡山市で市民グループで作る美術展の会長に会ったので、いつやるんですかと尋ねてみた。いつもは前もってもらう出展要項が届いていなかったからだ。会長は僕のところへ届けるのを忘れていたようで、昨夜わざわざ尋ねてきた。とりあえず印刷の都合があるので二日後までにタイトルだけでも教えてほしいとのこと。10月になればぼちぼち始めればいいやと考えていただけに、昨夜から焦って出品作品を何にするか考え、朝一番で連絡した。

 市民グループのほうには大きな絵を1点、三春美術展のほうには中くらいの絵3点と絵葉書ほどの作品2点を用意することになった。おまけにふたつの展覧会の日程が見事にダブってしまったのである。いやいや、急に尻に火がつき、アタフタしているアベさんであった。
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お祭り騒ぎ

2022-09-29 11:50:09 | 日記
 安倍さんの国葬に対し、世論は反対の声を上げ、ちっとも死者を弔う雰囲気のないまま、とりあえずは開催された。間が悪いことに、イギリスではエリザベス女王の国葬が行われ、こちらは世界中が追悼の意を示した。比べる気がなくても、どうしても比べてしまうのは、あまりに明暗が分かれたふたつの国葬だったからだ。

 そもそも国葬だというのに、日本の場合慌てて国葬を取り仕切ることができるイベント会社を入札で決めた。結果、問題の多かった「桜を見る会」を仕切っていたイベント会社に決まったわけだが、そもそも要件に一致する会社がそこしかなかったわけだから、随意契約と言われても仕方がない。ただ、これを見てもわかるように、国葬を行うルールが何もないまま決定したということである。国葬をやるのに、民間のイベント会社が取り仕切るということ自体が、なんとも国の儀式として情けないのである。

 エリザベス女王の国葬の方は、60年前から準備を始めたという。いつかはやってくる女王の死に備えるというのは、早すぎるということはないということなのだろう。ところが、日本人の国民性は、まさかの事態を考えること自体が縁起でもないことと嫌がられるために、ことが起こるまで何ひとつとして決められないのである。エリザベス女王の国葬よりも多額の費用がかかったにも関わらず、葬儀自体は地味で質素だったのも、同じように何ひとつ決めてこなかったことが原因だ。

 今回、岸田さんは安倍さんの国葬を執り行う根拠として、総理大臣として歴代最長だったこと、経済再生に尽力したこと、外交で頑張ったこと、世界の要人から弔意が送られたこと、民主主義に対する攻撃を許さないことを示すためと説明した。が、国民のほとんどは、このことが国葬に値しないと判断した。

 歴代最長だからといって、歴代最高の政治を行ったとは限らない、経済再生に尽力するのは当たり前のことだし、外交で頑張るのも当たり前のこと。世界の要人の弔意に応えるのにわざわざ国葬は必要なく、民主主義に対する攻撃に屈しないためというのは、ピントがずれているように見える。

 確かに安倍さんが凶弾に倒れた時はショックのあまり、国民の多くが普通の葬儀ではないと思ったとしても不思議ではない。日本人の信仰のひとつに、無念の死を遂げた人間は手厚く葬らなければならないということがあるからだ。

 ところがである。民主主義への攻撃と力んでみたものの、事件が明るみになるにつれ、民主主義への攻撃などではなく、個人的な恨みだということがわかってくる。テロではなく、逆恨みによる犯行だったのである。例えて言うなら、浮気され生活がメチャクチャにされたと思った夫が、奥さんの浮気相手だと勝手に信じ込んだ男を殺害したというケースに似ている。その男がたまたま政治家だった時、それは民主主義への攻撃と呼べるのかどうか。

 なんとなく違和感を感じながらも、終わってしまえばすべて水に流すのが日本人だろう。おそらく国葬にすべきケースの一定のルールを設けなければならないと騒いでいるが、終わってしまえば火が消えたよう何も決まらないに違いない。
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しまった、しめた!

2022-09-27 11:51:49 | 福島
 ゴミ出しの日だったから、早朝の散歩のついでに出して行くことにした。ゴミ袋が大きい時には車で出しに行くが、今回はちょっとしかないので、ぶら下げて行ける。

 ゴミの集積場に着くと、カラスよけのネットをまくり上げ、中に入れなければならない。ところがその様子を見ていたテオが、どうしても近寄りたくないと後退りする。子犬の頃からやたらに警戒心が強く、見たことがない物や人に対しては絶対に近寄ろうとはしないのだ。その辺に荷物でも置いておこうものなら、遠巻きにウーっと唸り声を上げていたりして、「お前、そんなものを警戒しているのか」と笑われてしまうのである。

 いくらテオが抵抗しても、とにかくゴミを集積場の中に置いてこないことには、散歩を続けることはできない。そこでテオのリードを力を入れてグッと引き寄せ、なんとかゴミを中に置くことに成功した。

 振り返ると、なんということだろう。僕の握っているリードの先には、もぬけの殻になったハーネスがぶら下がり、テオは身軽な姿でこっちを見て突っ立っているではないか。ハッと冷や汗が流れる。ここで逃してしまっては、身軽なテオを捕まえることは難しいミッションになってしまうのだ。ところが、僕が「しまった」と内心思った瞬間、テオはテオで僕の心の声を聞いたのか、目を輝かせ「しめた!」という顔をした。それまでぼんやりと朝の散歩を続けていた顔と、一瞬にして明らかに違う表情になったのだ。

 慌てて散歩用のカバンから、いつも用意しているオヤツを取り出すと、「テオ、テオ」と猫撫で声で呼んでみる。が、テオはもう自分が自由の身になったことがわかっている。僕が距離を縮めようとすると、「さあ、追いかけてきてごらん」とシッポを振って飛び跳ねる。

 こんな時に花火の一発でも上がれば、テオは脱兎の如く逃げ出すだろう。このことではすでに前科がある。花火が上がらなくても、この時期田んぼのスズメを追い払うために時折パンパン派手な音を出している。猶予はならないのだ。「テオ、テオ」と呼びながら、逃げ回るテオにオヤツを投げる。オヤツにはいやしくなったテオは、地面に落ちたオヤツだけは回収して回る。そのうちオヤツの魔力に屈したのか、僕がオヤツを見せながら「お座り」と大声を上げると、その場でオヤツをもらおうと腰を下ろした。

 このチャンスを逃したら、テオはますます警戒するだろう。慎重に間合いを詰めると、居合い抜きさながら、テオの前足をサッと掴んだ。テオはあえなく御用となったのである。しかしながら、早朝からあちこち走り回り、すっかり汗だくになってしまい、これから散歩かと思うと、散々遊んだんだからもういいんじゃないかという気にもなった。

 それにしても、テオの「しめた!」という顔は、人間が浮かべる表情とまったく同じだっただけに、思い出すたびおかしくて仕方がないアベさんであった。
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思いっきり汗をかく

2022-09-26 11:37:50 | 福島
 台風が来たりして、なかなかランニングをするチャンスがなかった。その間、体がほとんどビールでできあがり、水膨れ状態になった。久しぶりにヘルスメーターの電池を入れ替えたので、早速乗っかってみると、過去最高に近いくらい体重が増えている。どうやら体の中にビールが数リットル溜まっているらしい。

 そういうこともあって、昨日は長い距離を走ってくることにした。普段走っているコースを逆回りで走ることにし、最低でも20キロ以上と固く決心して出発する。気温25度。空には鱗雲が広がる爽やかな秋空で、最高のランニング日和だ。



 1時間も走ると、土砂降りにあったかのように全身が汗でビッショビショになる。水脹れしていた体も、少しは絞れただろうか。



 乾いた風のおかげで、汗をかいてもすぐに乾いてくれる。途中帽子を脱いでリュックにしまったが、汗が乾き黒い帽子が真っ白に粉を噴いていた。



 2時間12分で家に到着。持参したスマホの万歩計を確認すると、距離は25キロと出ていた。思ったより快調なペースに満足する。早速シャワーを浴びヘルスメーターに乗ると、前日に測った時より4キロ減っている。それだけ汗をかいたということだろう。

 今日は夏に逆戻りの気候になるという。気になっていた畑の草刈りに朝食後出かけると、2時間かけてあちこち綺麗にしてくる。前日に引き続き大量の汗をかき、途中何度も目に汗が入るせいでその度に草刈機を置いて顔を拭う。虫や日差しを避けるために長袖で出かけたが、全身汗だくになり、絞ったら汗が滴るほどになった。こんなに毎日汗をかいていたら、1週間も続けたら干物みたいになるに違いないアベさんなのであった。
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プロパガンダ

2022-09-25 08:26:00 | 日記
 映画好きという人でも、映画の歴史ということになるとまるで疎いという人は多いだろう。野球好きと言ったって、野球の歴史に興味を持ったことがないという方が、当たり前だろう。

 映画の歴史をちょっとでもかじったことのある人には、改めていうことではないのだろうが、映画の誕生はそもそも記録を残しておくためのものだった。ある時、ひとりの女性が、妖精の格好をした創作話をフィルムに収めた。これが物語を表現する手段としての映画の誕生であった。

 ただ、最初のうちはカメラは一箇所に固定し、カメラの前で芝居を演じるという方法が採られた。10分の演劇を撮るには、カメラの前で10分演じなければならず、登場人物はカメラのレンズの前に立ったり、外れたりして映画を作った。

 そうした映画の世界に革命的な手法を編み出したのが、ロシアの映画監督エイゼンシュテインである。彼はモンタージュという手法を発明した。それは部分部分を撮影したものを、編集することで意味のある映像に仕立て上げることだった。映画論の教科書では必ず登場するエピソードだが、彼はこんな実験をしている。同じ表情の男性の写真を、食べ物を映写した後につなげると、お腹が空いた表情に見え、楽しい映像の後に同じ表情の写真をつなげると、幸福そうな顔に見えるといった、モンタージュすることで心理や情緒に訴えることが違ってくるということを見つけた。

 これにより舞台俳優に比べ、映画では俳優の演技力は大して問われなくなった。オーディションをし、登場人物に近いイメージの人間を当てることができれば、後は編集の力で演技させることができるのである。犬や猫などの動物を使い、まるで演技しているように見えるのも、この手法が使われるからである。こういったことは舞台では不可能だ。

 この前NHKの「映像の世紀」を見ていたら、エイゼンシュテインのナチスへの影響力の話が紹介されていた。正確には、エイゼンシュテインが生み出した映像の魔力を、ナチスが積極的に政治利用したのである。

 コマーシャルは僕らが日常目にすることが多いものだが、これを政治利用した時にはプロパガンダという言葉が当てられる。映像を積極的に利用し始めたのは、ナチスドイツで宣伝大臣をやっていたゲッペルスである。彼はナチスドイツを徹底的に憧れの存在であるように見せかける努力をした。ナチスの将校の制服を、ブーツやコートや帽子など若者が憧れるようなスタイリッシュなものにした。今でこそ悪の象徴のような制服だが、当時の日本や中国の軍服と比べると、ファッションセンスということで言えば、雲泥の差がある。

 世界にナチスの力を示すために、初めて国家を挙げてオリンピックを開催した。東京オリンピックでも制作したオリンピックの記録映画も、初めて作ったのはナチスドイツである。年配の人には懐かしい、オリンピックや運動会の一糸乱れぬ行進も、ナチスドイツが始めた。政治は理屈ではない、人を納得させるのは理屈や理論ではなく、情緒に訴えるのが一番の近道であること以外ヒトラーは信じなかった。

 SNSの発達で、「いいね」や「映える」という言葉がもてはやされ、中身はともかく他人の目にいかにカッコ良く写るかということだけが行動への原動力になってくると、政治を動かす人間にとってプロパガンダは昔以上にやりやすい環境にあるんだろうなと思ってしまう。プロパガンダを利用しているのは政治家だけではない。かつて大本営発表を繰り返したマスコミ同様、今のマスコミにしても、プロパガンダを利用して世の中を誘導する風潮は見られる。オレオレ詐欺みたいな稚拙な方法でも、人は簡単にだまされてしまうことを思うと、知らず知らず間違った道を歩かされているような気持ちになる。

 ちなみに、ロシアの映画監督エイゼンシュテインの代表作である「戦艦ポチョムキン」が、当時ウクライナで撮影されたことを思うと、歴史の底に流れている皮肉みたいなものを感じるのである。
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青い鳥居

2022-09-24 11:25:20 | イラスト
 台風が近づいているせいで、朝からザーザーと雨が降っている。朝の散歩ではテオにレインコートを着せ、雨の中濡れネズミになって歩いてくる。こんな日は憂鬱だ。畑にも行けないし、ランニングに出ることもできない。おまけに買い物に行く予定はないから、家でおとなしくしてなければならない。こういう日は、イラストを描いたり習字をやったり、読書をしたりして過ごすとするか。晴耕雨読という言葉があるが、知らず知らずのうちにそんな生活を送っている近頃のアベさんなのである。



 で、この前から描きかけていた神社の絵を完成させる。同じ絵を、全体の色だけ変更して描くので、前に描いた時よりもどんどん描いていくことはできるが、色を間違えるとつまらない絵になりそうなので、使う色を慎重に選んで画面を構成する。



 さて、前回が秋の絵だとすると、今回は涼しげな夏の絵になった。鳥居は朱色から青に変更したが、木の幹や地面の色は地味に変更するしかできなかった。そこまでは大胆になれなかったのは、まだまだ思い切ったことができない小心者だからである。

 というわけで、絵を完成させた後は、せっせと習字の練習をする。こちらは上達しているのかどうだか自分ではちっともわからない。書道教室にでも通って先生の教えを乞うとか、昇級試験みたいなものを受ければ上達を実感できるんだろうが、せっせと書いていれば、うまくならないわけがないと思っていれば、それが1番の近道のような気もする。
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お彼岸に来た猫

2022-09-23 09:49:24 | 福島
 お彼岸と聞くと、我が家ではすぐにアンのことが頭に浮かぶ。というのは、2年前のお彼岸の日に、山奥のお墓参りに出かけた時に、藪の中からニャアニャア鳴きながら、僕らに助けを求めて来たのが、まだ生後すぐのアンだったからだ。

 放っておくわけにも行かず連れて帰ったのだが、よほどお腹が空いていたのか、テオが食べずに残していた犬の餌を、ムシャムシャと食べ始めた。テオは自分の食事を取られても、怒るでも吠えるでもなく、黙ってアンのすることを見ていた。それ以来、まるで兄妹のように、遊んだり一緒に寝たりして過ごしているのだから、アンにとってもテオにとっても運命的な出会いだったのかもしれない。(下の写真は初めてやって来た日のアン)



 お彼岸の日からさかのぼりアンの誕生日は8月1日にしたから、2歳の誕生日は少し前に迎えたが、お彼岸で我が家に来てからちょうど2年になる。

 痩せっぽっちで小さかったアンも、今ではすっかり家猫となり、一緒にテレビを見たり、お腹が空くと餌をくれと催促する。ちなみにテオの餌は最初の日以来一度も食べようとはせず、目の前にあっても見向きもしない。





 アンの写真を撮るついでに、テオの写真も撮っておこうと探すと、寒くなったせいで布団に潜り込んでいた。猫より寒がりな軟弱な犬なのである。

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彼岸花の絵

2022-09-22 12:02:06 | イラスト
 毎年、お彼岸が近づくと、暦通りにきっちりと彼岸花が咲く。桜の花などは、今年は早いだとか遅いだとか、咲く時期にズレがあり、そのために桜祭りが桜が終わった後に開催して、間抜けなことになることがある。その点、彼岸花は正確だ。これだけ正確なら、彼岸花祭りをやれば、間違いがない。もっとも、世間はお彼岸だからわざわざ彼岸花祭りなど必要としないだろうが。

 そう言えば、山の中でさまよっていたアンを連れて帰ったのが、2年前のお彼岸だったから、我が家ではお彼岸が来るたびに特別な思いがあるのである。



 彼岸花の絵は、白黒で絵を描き始めた頃から今まで、何度か描いている。何枚描いたのか忘れたので、データを探してみると、とりあえず全部で5枚見つかった。もしかしたら絵の隅っこに小さく描いたようなものもあるかもしれず、それは含まれていない。古い時代から並べてみる。少しずつ描き方が変わって来ているのが面白い。











 薔薇の花だとか桜の花だとか、絵の題材として人気のある花は多いが、彼岸花を描いて飾ってあるところをあまり見かけることはない。お彼岸の時期だけというあまりに限定的なので、飾っておく時間が短いせいだろうか。あるいは、彼岸花の持つ怪しさが、壁に飾るには一歩引けるということがあるのかもしれない。

 彼岸花は別名曼珠沙華とも言う。なんともおどろおどろしい名前だが、他にも様々な別名を持つ。それを見るだけで、家の中に飾ろうという気になれなくなってしまうかもしれない。

 死人花、地獄花、幽霊花、毒花、痺れ花、天蓋花、狐の松明、狐花、雷花、石蒜、龍爪花、剃刀花、捨子花などなど。なぜだか、可愛い名前はひとつもないのである。

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固定観念

2022-09-21 11:48:54 | イラスト
 里山の絵をシリーズで描いているのだが、このところ描きたいモチーフが見つからず、ちっとも新作が描けない。おまけに、以前描いて気に入っていた絵が、時間が経つに連れまるで気に入らなくなってしまう。こうなると、描き変えないことには先へ進めない気がする。

 以前描いた神社の絵は、それまでの絵から一歩進め、いかに物の持つ固有色から逃れるかということを宿題にして描いたものだ。固有色というのは、例えば赤の塗料で塗られたポストは赤、青く塗られた柵は青、というふうに、その物が本来持つ色のことである。ところが、19世紀末に科学が発見したのは、物に固有色なんてものはなく、光が反射する時の波長の長短により目が受ける刺激だということだった。簡単な話、空は青という固有色を持っているわけではなく、青く見える波長が目に届いているに過ぎず、これが夕方になって波長に変化が現れると夕焼けの赤になったりする。

 すべてがこの調子で、僕らが見ている世界というのは、光が反射して目に飛び込む波長の違いが色として感じられているに過ぎないということである。これを絵の上で実践したのが印象派の画家たちだった。モネなどは網膜に飛び込むさまざまな波長の光を描こうとして、教会の壁も稲藁もスイレンも、たくさんの色が混じり合う不安定な世界を描いた。モネにとってさまざまな光を描くことだけが目的になり、物がそこにある必要はなくなったのである。

 物の持つ固有色に縛られるのは、人間を描く時には肌色を、空を描く時には空色のクレヨンを使う子供ばかりではない。空を青く描くという固定観点になってしまった脳みそから逃れるのは、思ったよりも難しいことだ。



 近くのお宮の写真をもとに、自分なりに色調を構成し、絵を描こうとした。完成した時には思った以上に面白い絵になったと喜んでいた。



 が、時間が経つと、やっぱり固有色という固定観念から自由になったように見えなくなってきた。これでは朱色の鳥居が、夕陽を浴びてちょっと色調が変わった程度に思えるのだ。これではダメだと、思い切って描き直すことにして、鳥居は朱色という固定観念をわざと無視することにした。まだ描きかけだが、前よりは少しオリジナルな感じが強くなっているような気はしている。

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台風の話

2022-09-20 12:08:09 | 日記
 台風がやって来るというので、テオの散歩を心配していたが、福島をかすめて行った時には全然大したことがなかった。朝の散歩では傘を持って出たが、雨はおろか風もほとんど吹いてない。これは一体どういうことだと思っていたら、お昼近くなりどんどん風雨が強くなった。今回の台風はバカでかい上に、九州を過ぎたあたりから速度を増したため、台風が通り過ぎてから後を追っかけるように雨やら風やらがやって来たらしい。あんまり納得が行かないが、そういうことなんだろう。今までの経験で言えば、台風が通り過ぎた途端、嘘みたいに晴れ間が広がりがいつもの光景だったのに、温暖化の影響は台風一過という言葉でさえ、変化させてしまったのだろうか。

 台風は英語でタイフーン(Typhoon)という。津波が英語でTsunamiというから、同じように日本語が英語に転化したと思っていたら、どうやら順序が逆らしいということを最近知った。台風の語源を追いかけると、その昔、中国が貿易をしていたアラビアあたりから、ギリシャ神話の風の神様テュフォン(Typhon)という言葉が渡ってきて、中国や台湾で大風タイフーン(Typhoon)になり、それが日本に入ってきて台風になったというのが正しい順序のようだ。日本で台風と表記するようになったのは、実に明治末のことだという。

 ちなみに太平洋で発生するのを台風と呼んでいるが、これが大西洋になると同じものがハリケーンとなり、インド洋で発生すればサイクロンになる。

 さらに余談だが、昔から日本で怖いものは「地震、雷、火事、親父」ということになっている。昔の親父は怖かったのだ、というのは実は間違いで、「親父」ではなく「おおやまじ」が退縮していつの間にか親父に変化したという説がある。「おおやまじ」は「大山風」と書き、今でいう台風のことだ。つまり怖いものの代表は、「地震、雷、火事、台風」で、昔も今も親父の立場はどうも弱いらしい。

 
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