おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

梅雨が明けたら

2023-07-31 11:41:00 | 福島
 毎日のように雨が降り、早く梅雨が明けないかあと恨めしく空を見上げていた。梅雨が明けたら、いろいろやりたいことがあったのだ。ところが、梅雨が明けたと思ったら、連日の猛暑続きでぐったりだ。テレビでは「今日も危険な暑さが続きます」なんて言っている。



 朝の散歩もなるべく早く出かけないと、たちまちうだるような暑さになる。毎日畑に立ち寄り、キュウリやナスやトマトを収穫しているが、ここにきて雨が降らないせいか、急に収穫量が落ちてきた。畑のためにはひと雨来てもらいたい。この前草刈りや草むしりをしたのに、気がつけばだんだん雑草が進出してきている。草むしりをしたいが、この暑さでは重い腰が上がらない。

 とにかく気合を入れて、昨日は午前中は草むしりに精を出した。ジャガイモを掘り起こしていた畝にも雑草が蔓延っているので、ここはクワで掘り返す。全部はとても無理だったので、残りはまた気温が下がってから出直すことにして慌てて家に避難する。

 家の中に犬や猫を残して来たので、あちこち戸締りしてクーラーを入れてやっていた。でないと、戸締りした家ではたちまち蒸し風呂になってしまうのだ。





 帰ると、窓のところでアンが僕らを迎えてくれた。外の暑さも知らず、のんきなものだ。

 梅雨が明けたら、ほかにもテラスのペンキを塗り直したり、柵が一部朽ちて来ているところも修理したい。そう思いペンキや木の板をホームセンターで買ってきたが、この暑さではとても一気にやる気にはなれない。涼しい時間帯に、少しずつ進めて行けば、いつか終わるだろう。
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夏は雲(その2)

2023-07-30 09:52:51 | 福島
 先日、「夏は雲」というタイトルでブログを書いたが、その中で枕草子の作者が紫式部と間違えていたことを指摘してもらったので、改めてここで訂正しておきます。学生の頃から、清少納言と紫式部がすぐにごっちゃになる。ちゃんと確認すればいいのだが、忙しいとつい書きっぱなしになってしまい、確認を怠ってしまうのだ。

 ところで、久々に映画館に映画を観に行った。前回はゴッホの油絵をそのままアニメーションにした映画を福島市まで観に行ったが、それ以来である。観た映画はトム・クルーズのミッション・イン・ポッシブルの最新作だ。若い頃はアクション映画とかアドベンチャー映画というのを、まったく観なかった。古今東西の名作と言われるものを片っ端から観て、年間60本ほど劇場で観ていた。が、近頃は難解な映画や、主張のある映画はほぼ観ない。自分で歳だなあと思う。人生に悩みもなければ野心もなく、いろいろ悩むような主人公に共感が持てなくなっている。その点、還暦を迎えたトム・クルーズが頑張っている姿は、それだけでオッサンには嬉しいのである。

 映画館を出ると、空には黒雲がかかり、遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。留守番させているテオのことが気になり、慌てて車を飛ばして帰宅した。雷は大丈夫かと思ったが、家に入るとテオのよだれが床にぼたぼた落ちていた。きっと部屋の隅でガタガタ震えて我慢していたに違いない。こっちが映画を観て楽しんでいた時間、1匹で震えていたことを思うと、ひどく可哀想になった。

 テオにハーネスをつけ、すぐに散歩に出る。空には怪しげな雲が出ているが、雷の気配はない。





 留守番をさせている間も、きっと遠くで雷が鳴っていたに違いない。臆病なテオのことなので、小さな音でも我慢できなかったんだろう。そう思っていたら、散歩の途中ですれ違ったオバチャンから、すごい雷だったねえと声をかけられた。

「ちょっと出かけてたんでわからなかったんですが、すごかったんですか」
「ザーッと雨は降るし、ゴロゴロ雷は鳴るし」と教えてくれる。

 テオのよだれは、ただ単に臆病だということではなかったのである。悪い悪い、大変な思いをしていたんだなあ。



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ライバルは猛暑

2023-07-29 11:04:34 | 福島
 朝、散歩の途中で畑に立ち寄ったら、ずいぶん雑草が目立つようになってきた。この前こそ草刈りと草取りをやったばかりなのに、すでに1割くらい侵略されているではないか。猛暑日続きで、畑に立ち寄るのは早朝くらいで、なかなか日中に畑に出て作業をする気になれない。今日はランニングに出ようかなと思っていたが、その前に畑が先だと予定を変更することにした。

 朝飯を食い、さて畑に出かけようと外に出ると、玄関先の庭が草ボーボーになっているのが気にかかる。畑に出かける前に、とりあえずこちらから片付けておこうと、倉庫から芝刈り機を取り出してきて、庭の隅々まで這いつくばって草を刈る。芝刈り機といっても、芝の生育が悪いから芝刈り機として利用できる場所はちょっとしかない。ほとんど雑草刈りなのである。

 1時間ほどかけてキレイにすると、雑草で暑苦しかった庭が涼しげになった。



 さて、次は本来の目的であった畑の番だが、すでに体は水分が抜けてカラカラになり、一旦休憩を挟まなければ出かける気にはなれない。などとグズグズしている間にも、気温はグングン上昇し、今日もまた猛暑日になっている。風はほとんどなく、元気なのはミンミンゼミとアブラゼミくらいだ。よし、今日はもうおしまい。畑の草取りは、明日の朝に延期なのである。
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夏は雲

2023-07-28 11:31:57 | 福島
 「春はあけぼの」というのは「枕草子」の書き出しで、春は夜明けがいいなあといういう意味だ。続いて、「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」となっている。「つとめて」というのは早朝の意味なので、あけぼのと似たり寄ったりな気もするが、紫式部さんが選んだ季節の良さはこんな感じだ。

 で、雲フェチの僕にすれば、一番好きなのは夏の雲だ。清少納言(訂正)さんに倣っていうなら「夏は雲」と言いたい。



 この数日、馬鹿みたいに天気が良い。真夏日どころか猛暑日続きなのである。こうなると、地上から水蒸気がどんどん立ち上り、モクモクと雲が発達する。



 あんまり発達すると雲の形が崩れ、続いて天気までも崩れてしまい、夕立になる。僕が好きなのは、雲の形が限界に近くなり、いつ崩れるかわからないという状態まで発達した瞬間だ。



 真っ青な空に巨大な入道雲。それを見たいために、どんなに暑くても、わざわざ散歩に出ることもある。テオにはなるべく日陰や草むらを歩いてもらうことにして、僕はずっと空を見上げて歩く。

「もくもくと盛り上がる雲へ歩む」というは種田山頭火の俳句だが、まさにそんな気分なのである。
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よくよく考えたつもりが

2023-07-27 11:30:37 | 日記
 若い頃、下町の工場でアルバイトをしていた時のこと、そこの社長さんと飲みに行く機会があり、いろいろ話しているうちに、社長さんが自分の娘につけた名前を後悔していると打ち明けてくれた。社長さんは、日本の大学を出て、海外の大学にも留学経験もある賢い人だったから、娘の名前をつけるのにもいろいろ悩んだようだ。

 そして、これからの時代、科学を知る子という意味で、「知科」と書いて「ちか」と読ませることにした。「ちか」という名前の女性は多いから、どうして後悔する必要があるのかと思ったが、社長さんが言うには、後で調べてみると、「科」という文字には、「科人(とがにん)」すなわち罪人という言葉があるように、あまりいい意味はなかったというのである。改名するには、娘さん本人が大きくなってやればいいだろうから、僕は「科(とが)を知るという意味では、罪を知ると同じで宗教的に深い意味がありそうだから、それはそれでいいじゃないですか」と慰めておいた。

 最近は、キラキラネームが流行り、大した意味でもなく、ただ音の響きだとか、文字面だとかからつけることが多いようで、親の知力を疑うような名前も多い。ある若い両親が、「みづき」と読ませるつもりで「水月」と子供に名付けた。途端に知人や親戚から「クラゲ」なんて馬鹿な名前をつけるもんじゃないとお叱りを受けたという笑い話もある。

 どうしてこんな話を書いているかというと、今ニュースでやたらに騒いでいる札幌の首なし死体の事件で、娘とその両親が逮捕されたからで、事件の背景に何があったかは知らないが、僕が気になったのは娘の名前についてである。父親は精神科医というから、一般的には高学歴の人間ということになるだろう。そんな人が、なぜよりによって「瑠奈(るな)」なんて名前を娘につけたのか不思議でならない。

 Luna(ルナ)は、ラテン語で「月」のことである。また、月の女神でもある。それだけなら女神の名前から取ったということになるが、月には満ち欠けがあるため、昔から太陽が人間の表の姿なら、月は人間の裏の姿の象徴と捉えられてきた。西洋では、オオカミ男が月を見て変身するように、月には怪しげで人間の心を不安にさせることから、Lunaticは、「キチガイじみた」とか「狂っている」とか「狂気の」という形容詞に発展したのである。日本のバンドにLunacyというのがあるが、Linaticを名詞にしたのがLunacyだ。

 こういうことは、西洋の文学でも映画でも見ていれば、割といろんなところで出てくる知識だ。札幌の事件で娘とともに逮捕された父親が知らなかったとは考えにくい。本当に知らなかったのなら、そのくらいの知識で精神科医をやっているというのも恐ろしい。

 昔からよく「名は体を表す」と言われている。よくよく考えてつけなければ、将来大変なことになってしまうかもしれないのである。
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買い物は自転車に乗って

2023-07-26 14:43:49 | 福島
 ランニングに出るには、あまりに暑い。体を鍛えるということで言えば、こんな日に走るのもいいのかもしれないが、体力をつけるというよりも、気力を鍛えるという意味合いの方が強い気がする。甲子園に出るわけでもないので、そこまでして精神力を鍛えるつもりもない。かといって、家の中でじっとしていると、じわじわと汗が吹き出し、自分の体が油まみれになってようでなんとも気持ちが悪い。熱中症対策に躊躇なくエアコンを使えと、テレビも行政もアナウンスしているが、温暖化対策に逆行するようなことを進んでやる気にはならない。

 そこで、今日はせっかく天気がいいので、サイクリングに出ることにした。といっても、我が家には折り畳み自転車があるだけである。ヘルメットを被って遠くまでサイクリングするのは楽しそうだが、ママチャリみたいな自転車では走る距離に限界があるのだ。

 というわけで、郡山の街まで自転車で買い物に行くことにした。車なら15分くらいの距離だが、ランニングだと片道1時間はかかる。自転車なら30分くらいだろうか。買い物時間を入れても2時間弱で帰って来れるだろう。



 コースは途中までいつものランニングコースだ。ジリジリと焼けつくような暑さだが、阿武隈川に沿って自転車で走るのは快適だ。それもそのはず。普段僕がランニングしている道路は、もともとサイクリングコースなのだから。



 途中で本流の阿武隈川から別れ、郡山の中心部へと向かう。たまには自転車で走るのは面白い。なんたって普段車で走らない道を走ることができるし、行き当たりばったりで走るので、途中で行き止まったりしてあれこれ迷いながら目的地を目指すのも楽しい。にっちもさっちも行かなくなって、どこかの工場の中を申し訳なさそうな顔をして、自転車を押して通してもらったりする。

 スーパーで、自転車のカゴいっぱいになるくらい買い物をし、別の道を使って我が家へ向かう。熱中症対策に、スーパーで買ったサイダーを飲みながら、風に吹かれていると、猛暑日だろうが酷暑日だろうがなんのそのだ。



 2時間のサイクリングを終え家に帰ると、テオとアンが床の上でへばっていた。窓を全開にして外出したが、一旦窓を閉めてクーラーを入れてやる。すぐに冷えるから、待ってろな。
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完全に梅雨明け

2023-07-25 11:49:05 | 福島
 連日猛烈な暑さが続いている。つい2、3日前は暑いと言っても時々雨が降る天気が続いたが、昨日から頭のてっぺんが焦げるような素晴らしい天気だ。あまりに素晴らしすぎて、外で仕事をするのも大変だ。

 畑では毎日いろんな野菜が採れるようになったので、早朝の散歩で立ち寄るようにしている。夕方の散歩に比べれば、まだ涼しく快適だ。ビニール袋を持参していくのだが、その袋がパンパンになるくらい採れる。今は用事でタミちゃんが実家に行っているので、それらの野菜を僕ひとりで消化しなければならない。昨日は鍋いっぱいトマトを煮て、トマトソースを作り、ズッキーニや玉ねぎ、ジャガイモでシチューを作った。簡単に作れるという糠漬けの素みたいなのを使って、毎日キュウリの糠漬けを2本ずつ作る。食事のたびに糠漬けも完食するが、それでもキュウリの消費がおっつかないから、甘い辛子味噌を作ってモロキューにしたりしている。ほとんど自分がコオロギになった気分である。

 畑の草刈りはやったばかりだが、早くもボソボソと伸び始めている。庭木の剪定は済ませたが、地面からはニョキニョキといろんな草が顔を出す。草むしりもしなきゃなと思うものの、この暑さでは外に出て作業するにも命がけだ。

 そんなわけで、今日は朝から風呂場の壁のペンキ塗りをやった。10年以上前に風呂場の壁を自分で全部塗り直した。その後も、数年後にはカビが目立ってきたのでもう一度全部塗り直した。それから数年、部分的にペンキが剥がれている箇所が出てきたので、今朝は脚立を立てて修復作業を行なった。前回使ったペンキがまだ少し残っていたのである。

 部屋の中はすべての窓を開け放っている。風がある日は海の家みたいで涼しいが、今日はほぼ無風に近いのか、ちっとも風が入ってこない。仕方がないので、エアコンを送風にして動かし、反対側に扇風機を置いて動かしている。両側から風を送ることで強制的に家の中に風を作り出す作戦だ。そうやって、習字を始めたら、すぐに暑さで頭がぼんやりしてくる。筆を持ったまま、固まっている時間が多くなる。気づくと半紙に筆を押しつけたまま寝ている。

 ああ、暑い。予報では今週いっぱい猛暑日が続くらしい。テオもアンも、涼しい場所を求めて、あちこち横になる場所を変えながら過ごしている。クーラーを入れるのは、寝る時だけの我が家なのである。
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旅する人

2023-07-24 11:41:08 | 日記
 NHKで植物学者・牧野富太郎をモデルにした連載テレビ小説を放映している。まだ日本に植物学というものがない時代に、植物を採取するために日本中を旅して回った。そういえば、地図を作るために伊能忠敬も日本中を旅したんだなあなんて考えていたら、学者と呼ばれる人たちには、大旅行家と呼べるような人がたくさんいることに気づいた。今でこそ学者といえば、大学にこもり地道に研究に励んでいる人を思い浮かべてしまうが、試験管の中を調べることだけが学者の仕事ではないのである。

 ネットで何か本を注文しようと思い、「さて次は何を読もうか」を考えてみるに、牧野富太郎さんみたいに日本中をくまなく歩き回った民俗学者の宮本常一さんのものを何か読もうと思い、探してみた。ずっと昔、宮本常一さんの本は、「忘れられた日本人」というのを読んだことがある。日本各地の村々を歩いて、その土地の風俗や習慣を書き記したものだが、戦後の話にも関わらず、まだまだ江戸時代みたいな暮らしを送っているような地方の暮らしにビックリした。

 確かに日本は一般市民がそれぞれ武器を手に取り、革命によって民主国家を作ったわけではない。それまで権力を持っていた武士たちによる権力争いによって、江戸時代は明治時代に変わったのだ。が、田舎の人たちにとって、江戸が東京になったというだけで、自分たちの暮らしに大きな影響はほとんどなかったのではないか。「また、お偉い人たちが何かやっているな」「江戸は今度東京という地名に変わったらしいぞ」というくらいだっただろう。寺子屋が小学校に、飛脚が郵便に、金貸しが銀行になったとはいえ、庶民にとっては名称が変わったくらいの変化だったに違いない。

 ネットで頼んでいた宮本常一さんの「ふるさとの生活」という本が届いた。早速開いてみると、前書きを民俗学者の柳田国男さんが書いている。面白いことを書いてあったので、少し紹介しておくと、昔から旅行というのは誰もが行けるものではなかったから「長い旅行をして還ってきた人から、旅の話をしてもらって聴くことが。もとは私たちの大きな楽しみであった」。が、最近は「みんながおもしろがるような、また、ためになるような話ばかりはしてくれない。そうして旅行もいつの間にか、さほど楽しい有益なものではなくなっているのであった」。

「このごろは行く方角がいつでもきまりきっていて、珍しい話があまり得られない」。「この本を書いた宮本先生という人は、今まで永いあいだ、もっとも広く日本の隅々の、だれも行かないような土地ばかりを、あるきまわっていた旅人であった。どういう話を私たちが聴きたがり、聴けばおもしろがりまたいつまでもおぼえているかということを、この人ほど注意深く考えていた人も少ない」

 最近は、テレビで有名な観光地を紹介する番組をやっていても退屈でつまらない。どうして誰もが行列を作るようなところばかり紹介するんだろうと思う。大渋滞の情報を長々と流し、日本中が人で溢れかえっているような印象を覚える。

「日本は狭い、小さい、人がいっぱいだ、というようなことをだれでもいうが、近頃できた全国の土地利用図などを見ると、どこもかしこも空地だらけである。どういうわけでこれがそんなに窮屈なのか、まだほんとうのことを説明してくれる人がない」と、やはり大旅行家だった柳田国男さんは言う。
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虫づきあい

2023-07-23 11:56:27 | 日記
 一昨日ハチに刺された左手の甲は、二日目になりだいぶ腫れが引いてきた。まだ熱は持っているものの、空気が入ったゴム手袋から、ちょっと肉付きのいい人の手くらいまでにはなった。甲全体が痛痒かったのも、今は部分的に痒い程度だ。これだったら、タチの悪い藪蚊に刺された程度である。

 散歩の時に、ハチに刺されてという話をしていたら、生垣には大概はハチが巣食っているから、殺虫剤を撒いてから庭木の剪定をしていると教えてくれた人もいたが、なかなかそこまで用心深くはできないのである。

 現代は驚くほど虫が苦手という人が増えているようで、都会の人ばかりでなく田舎で暮らしながら、「いやー、虫気持ち悪ーい」と大騒ぎする人も多い。この地球上で一番多く存在するのが昆虫だから、虫がいない場所を探す方が本当は大変なのである。

 そんなことを考えていたら、こんな記事がネットニュースで紹介されていた。「田舎に移住を希望する人に必ず質問すること」として、「あなたは虫が大丈夫ですか?」と聞くそうである。田舎暮らしを始めるに当たって、田舎での人付き合いについてはいろんなところで話題になっている。人間関係が濃いだとか、うまく溶け込めなくて疎外感を覚えるだとか、わずらわしいお役目がいろいろ回ってくるのを覚悟しておかなければならない、なんてことは、必ずアドバイスされるところだろうが、都会暮らしから田舎に暮らして一番の変化は、虫の量なのである、という記事である。

 都会では虫にびっくりするくらい虫がいない、ということにも驚くが、それ以上に田舎暮らしやキャンプでの虫の存在が頭にないという人がいることにも驚く。昔東京で働いていた頃、殺虫剤のメーカーが都市部での販売をやめたということが話題になったことがある。気密性が高く、徹底的に清潔な街づくりを進めた結果、都市部では売り上げが激減したからだ。そのニュースに、「虫も住めないような場所に住めるか」と僕は思ったが、多くの人は虫が住んでいる場所には住めないらしい。

「田舎暮らしに必須な条件は人間付き合いのうまさよりも、虫付き合いのうまさである」と、ネットニュースでは紹介していたが、それを言うなら、虫だけではなく、野生動物やさまざまな植物との付き合いも大切である、と付け加えてもらいたい。

 野生動物の生息地に人間が入り込み、人間に害を与えるからと駆除をするというのが、あまりに人間の都合に偏りすぎているし、雑草が生えるからと家の敷地を隙間なくコンクリートで埋め尽くしてしまう、というような家を見かけると、僕はひどくガッカリしてしまう。都市というのは、人間だけの都合で作られた区域である。そんな場所はこの地球上で、ほんのちょっとあればじゅうぶんだ。

 ありとあらゆる生き物が我が物顔でほかを圧倒しないのと同様に、人間も少し遠慮しながら地球の生き物の一員として暮らしてもいいように思う。
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何かに集中すれば

2023-07-22 14:23:47 | 福島
 昨日、ハチに刺された左手の甲がパンパンに腫れている。ちょうどビニールの手袋に空気を入れたみたいになり、赤ん坊の手みたいだ。むず痒さはあるが痛みはないので、医者に診てもらうまでもないかなと思っている。以前、アシナガバチに刺された時は、とにかく左腕全体が痺れ、痛みも半端なかったから、それに比べればこれ以上どうこうなるということはなさそうな気がする。もっとも、ハチに刺されたと言っているが、その瞬間ハチの姿を見たわけではないので、本当にハチかどうかはわからない。蚊や蟻ではこんなにならないから多分ハチなんだと思う。

 今日は午前中曇り空で気温も30度に達していなかったので、頑張って走ってくることにした。走り始めれば、むず痒い左手のことは気にならなくなる。人間というのは、とにかく目の前のしんどいことに集中するようで、走るしんどさの前ではむず痒さなんてなきに等しい。そうやって走りながら、大量の汗をかいていると、うまく行けば、デトックスとして左手の毒もうまい具合に汗と一緒に放出されるんじゃないかと期待してしまう。いつもより左手を大げさに振りながら、足を運ぶ。

 2時間ちょい走って家に帰る。汗は出切って、少しの風でも心地良い。シャワーを浴び缶ビールを開けると、トロトロと瞼が重くなってくる。左手は相変わらず痒いので、氷を乗っけて冷やすことにする。

 午前中の曇り空も、午後になるとすっかり晴れ上がり、ぐんぐんと気温が上昇する。早い時間に走っておいて良かった。窓の外では、アブラゼミとともにミンミンゼミの大合唱だ。ああ、夏本番だなあ。
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