おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

国威発揚

2022-02-09 10:37:13 | 日記

 北京で冬季オリンピックをやっている。連日テレビで放映されているので、見るともなく見てはいるが、僕の中では今ひとつ盛り上がらない。この感じは夏の東京オリンピックの時もそうだったのだが、世間で言われているほどには、コロナウイルスのせいとばかりは言えないようだ。

 もっともコロナウイルスの蔓延により、通常のオリンピックよりも露骨になった部分は多い。そもそも何のためのオリンピックかというのがはっきりしない。IOCや開催国の偉い人たちは、事あるごとに「アスリートのため」というようなことを言うが、本当のところはアスリートのためなんてのはただの表看板にすぎないのが透けて見えてくる。

 中国のやり方を見ていると、何はともあれオリンピックの成功による国威発揚と、世界的に反発を呼んでいる世論を抑え込もうとしているのが見え見えである。そうまでしてどうしてオリンピックをやりたがるかという疑問は、そのままロシアのウクライナ侵攻へと繋がっている。権力者は、国民のためだと心底信じてやっているのかもしれないが、権力者の信念はいつだって国民ひとりひとりの生活を置き去りにしてしまうようだ。普通に生活している国民の誰が国土が広がることを、心の底から願っているだろう。他国の人間を蹂躙することを望んでいるだろう。

 小林秀雄の「光悦と宗達」というエッセイを読んでいたら、こんな文章にぶつかった。
「幸福は、己れを主張しようともしないし、他人を挑発しようともしない。言わば無言の知恵であろうが、そういうものもまた大思想であるという考えることが、現代では、なんと難しことになったことか」

 幸福であるということは、見せびらかす必要もないし、他人を必要ともしない。幸福とは幸福であることを黙って実感しているだけで十分である。そのことを実践するということが、実は人間にとっては最も偉大な思想であるということが、現代では非常にわかりにくくなっている。というようなことなのだろう。

 東京オリンピックにしても、アスリートのためや国民ひとひとりのためではなく、国威発揚のためだったのは明らかである。それにマスコミは同調した。「国威発揚」、実に嫌な言葉である。

 

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