焼き物をしている人から、新型コロナウイルスを撃退するようなキャラクターを作りたいという話があった。そういうものがあれば欲しいという人がいるので、焼き物で作ってみようと考えているのだが、どういうものを作ればいいかわからないので、アイデアが欲しいと言う。
疫病退散のキャラクターと言えば、すでに妖怪アマビエが有名で、新年早々からやたらに露出しているが、どうやらこの存在を知らなかったらしい。日本人は昔から、都合のいい神様やら妖怪やらを、いくらでも考え出してきたのである。今更オリジナルキャラクターを考える必要がないくらい、探せば出てくるのである。
大体、オリジナルの疫病退散のキャラクターだと主張しても、みんながそうだと思わなければ意味がない。自分で考えましたでは、世間では通用しないのである。と、いくら説明してもわかってもらえないので、とりあえずひとつだけアイデアを授けることにしようと思っている。アマビエをちょっと変えるくらいしか、今更やりようがない。

とりあえず考えたのが、新型コロナをぶっ飛ばしそうなこんなキャラクター。おお、強そうだ。
ところで、日本人なら疫病退散を妖怪に頼るということもあるが、キリスト教やらイスラム教ではまた違ってくるだろう。
今読んでいる阿刀田高さんの「旧約聖書を知っていますか」を読んでいたら、昔若者の間で流行した哲学の「実存主義」について書いてあった。サルトルやらボーヴォワールやら、昔の大学生は訳も分からず心酔していたそうで、僕も成人してから、有名だから読んでおいたほうがいいかなくらいの気持ちで読んだことがある。結局なんのことかさっぱり分からなかったのだが。
実存主義が現れるまでの世界というのは、人間でも動物でも植物でも、物体には存在するためには定義あるいは本質があり、その後実体が現れると解釈していた。が、実存主義は定義に関係なく実体はあると言う。まさになんのこっちゃなのだが、阿刀田さんは簡単明快に説明してくれている。
例えば、エンピツというものを考えた時、人間が字を書くための道具としての定義、あるいは本質があり、その後でエンピツという実体が存在しているという。つまり、エンピツがこの世に存在しても、人間がいなければ無意味だし、そもそもエンピツは誕生していないだろうというのだ。が、それを実存主義は、エンピツが字を書くための道具でなくてもよろしい、と言ったのである。これが西洋社会では、ビックリ仰天の思想だったのである。
阿刀田さんは続ける。西洋人はどうして実存主義の考え方にビックリ仰天したか。それは人間を神、エンピツを人間に置き換えれば、キリスト教やイスラム教を信仰している人たちの気持ちが理解できる。人間がいなければエンピツが役に立たない無用の長物なのと同様、西洋人にとって、神がいなければ人間はこの世にいる意味を失うのである。「神がいないのに、どうして生きていけるのか」という疑問は、日本人はほとんど持っていないだろう。
日本人は生まれながらに実存主義者なのかもしれない。人間は神様が作ったのか、何か目的があって誕生したのか、というようなことはあまり重要ではない。その代わり、白紙状態の人間がこの世でどう生きていくのが意味のある生き方なのか、そしてそれは本人が決めて行くことだと思っているのが日本人の信仰なのである。
というわけで、新型コロナウイルスも、神様がなんらかの考えがあって流行させているのだろうと考える人たちには、妖怪に疫病退散を任せようというような発想は生まれないのである、と書いて、話はこのブログの最初に戻る。


































