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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

命の輝き

2020-10-31 09:43:44 | 里山探検隊

 Yahooニュースを見ていたら、日本の15歳から39歳までの死因のトップが自殺で、先進国では日本のみという記事が出ていた。先進国の中で、日本の若者だけが悲惨な状況にあるとは思えないから、そこには社会構造というよりも、人生の捉え方、掘り下げれば宗教の問題というものがあるのかもしれない。

 キリスト教国のような一神教の世界では、自殺は犯罪である。この世にあるものは神様がお作りになったものだから、それを勝手に破壊するのは神様への冒涜だという信仰がある。だから殺人だろうが、自殺だろうが、動物虐待だろうが、同じような罪なのである。

 日本でも、当然のことながら自殺はよくないことだとされている。が、なぜいけないことなのかという理由に、迷惑をかけるということが第一義になっている気がする。自分の命は自分のものという考えも根っ子のところにあるのかもしれない。だから、迷惑をかけてもいいんだと開き直れば、自殺へのハードルは低くなってしまうのだろう。 

 自殺も将来的には、病気の一種と認定されるだろう。ギャンブル狂が依存症であるように、偏執的にしか働かなくなった脳は、正常な状態ではないのである。

 アンが我が家にやって来て以来、身近に命があることをつくづく感じるようになった。

 躍動する命を間近に見ていると、自分が何をしなくても、幸福感が生まれる。

 自分の周囲には実にたくさんの命があって、それが日々輝いていることを知ること、それだけで一切のストレスから解放されるのを実感することができる。

 日本の若者の自殺がストレスからだとしたら、彼らの追い込まれている袋小路は、日本の精神風土とともに、最近の教育方針にも原因がありそうな気がする。

 学校の授業でもあるいは家庭でも、命の大切さを言いながらも、具体的にはそれを心の底から感じさせる機会を子供に与えていないのではないかと、僕には感じられてしまうからである。

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有名人の値段

2020-10-30 10:37:50 | 福島

 今日から三春町の三春美術協会による展覧会が「まほらホール」で開催される。と言っても、カラオケや民謡などの町の文化クラブのひとつなので、作品も玉石混淆というところだろう。

 作品の飾り付けが終わったあと、ゆっくりとひとつひとつの作品を鑑賞する。僕の場合、カフェがあるので会期中は見ることができないからだ。次に来るときは片付けの時なので、目に焼き付けておかなければ、誰がどんな作品を描いたのかわからなくなってしまうのである。

 それにしても、今更ながら思うのは、素人が描く絵ほどモチーフに偏りがある。作品の多くは、花瓶に生けた花、椅子に座った女性、そして絵葉書のような風景画だ。下手は下手なりに、オリジナルの題材に挑戦しても良さそうだが、すでに目にしたことがあるような題材の方が絵っぽい感じがするということなのだろう。

 二、三日前、最近やたらに名前を耳にする現代画家のバンクシーのニュースをやっていた。印象派の画家、モネが晩年自宅の庭に作った池のハスの葉ばかりモチーフにしていたのは有名だが、オークションに売りに出たバンクシーの作品というのは、モネが描いた池の絵のパロディーで、池の中にショッピングカートやら道路工事で使われる三角のコーンが放り込まれているというものだった。そして、その作品に10億円を超える値がついたのだった。

 もし、同じ絵を現役の芸大生あたりが描いたとしたら、あまりに陳腐な文明批判として先生から呆れられるんじゃないかと思う。コンテストに出品しても、審査員に平凡だと評価されるだろうが、バンクシーの名前がつけば10億円である。

 こうなると、10億円は絵の価値じゃないのははっきりしている。有名人の値段である。例えば、若い頃、美大に入りたくて何度も受験して失敗したヒットラーの絵などは、絵としての価値はほとんどないが、オークションに出れば億単位の値段になるだろう。買いたいと思うのは、コレクターと呼ばれる人たちである。

 僕なんかは、不法投棄された池の絵なんかを描こうとは思わない。文明批判や政治批判を作品にしようとも思わない。僕が描きたいと思う題材は、他人がつまらないと思おうが、僕自身が「いいな」と感じたものだけである。例えば、我が家の犬とか猫のちょっとした表情だ。

 ちなみにアンは、今朝体重を測ると1.75キロあった。40日前に拾って来て動物病院に連れて行った時が800グラムだったから、倍以上の大きさになった。

 

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本日は休店なり

2020-10-29 11:19:08 | 福島

 本日は予告通り、「アトリエ・カフェ 青い犬」は臨時休業いたします。なんの準備もしていないので、来店されても入ってもらうわけにはいかないのであしからず。

 さて、いよいよ日が短くなって来た。朝は5時半だとまだ暗い。夕方も5時半だと真っ暗で懐中電灯が必要だ。これから冬至にかけて、まだまだ日は短くなり、朝は6時にならなければ明るくならないし、夕方は4時半には暗くなる。テオとの散歩にカメラを持って出ても、あまり写すものがなくなってしまうのだ。

 家を6時前に出ても、まだこの暗さ。

 ほとんどのところは稲刈りが終わり、天日干しをしていた稲もすでに取り込まれている。コンバインで刈り取ったところは、すでに何もなくなり、冬の田んぼになった。

 今朝は暖かいほうだったが、それでも空には冬の雲が浮かぶ。地球温暖化が進み、冬も暖かくなっては来ているようだが、今年は例年以上に大雪になる可能性があると天気予報では言っていた。

 テオは2度目、アンには初めての冬となる。

 我が家でもいよいよ冬支度が終わり、石油ファンヒーターには灯油が入り、コタツ布団も新調した。夜、暖かいので、テオとアンはいつまでもプロレスごっこをして大暴れだ。

 その代わり、暖房をつけていない日中は、2匹してくっついて寝ている。アンはテオの尻尾を布団代わりにして潜り込んでいる。テオもお尻があったかいのだろう。嫌がるそぶりも見せないで、昼寝している。

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臨時休業のお知らせ、或いは赤い自転車

2020-10-28 11:22:56 | 福島

 「アトリエ・カフェ 青い犬」のブログの方ではすでに告知をしていますが、そっちを見ないでこっちだけ見て来店する人もいるので、ここでも書いておきます。

 明日10月29日(木)は臨時休業します。来店予定だった人はご注意ください。

 生前のドリを散歩中のこと、急にダッシュしたドリに引っ張られて立木に顔面から激突した衝撃で、前歯が傾いて根っこのところが歯茎から飛び出してしまった。先日、そこのところの歯を抜いてもらい治療を続けていたが、完治したのでそれまでの仮歯から本歯を入れることになった。

 治療そのものはそんなに時間がかからないだろうが、歯を入れた後はしばらく食事をしないでくださいと言われそうなのと、料理の仕込み準備などの時間がなくなってしまう可能性もあるので、カフェを休業することにした。

 理由はそれだけではなく、金曜日から三春美術協会による展覧会があるのだが、前日が会場作りになっている。会員が高齢者ばかりで、おまけに病気持ちが多いために人手が足りない。僕のようなオッサンでも、力仕事ができる若手として期待がかかるのである。そういうこともあるので、忙しすぎてカフェどころではなくなってしまったのだ。

 仮歯から本歯にするのに、歯医者さんから2万円ほど用意しておいてくださいと言われた。毎回、いくらかかるかわからないまま治療しているので、いつも不安を抱えての治療なのだが、次回は2万円と聞き、震え上がっているアベさんである。

 手持ちがないので、今朝は郵便局でお金を下ろしてきた。普段は車で行くのだが、今日は久しぶりに我が家の赤い自転車で出かけることにした。

 この自転車は、そもそもドリとトトが死んで寂しくなったので、タミちゃんとふたりで自転車でも使った旅行でもしようととりあえず1台試しに買ってみたのだが、自転車旅行を実行に移す前にテオを愛護センターから引き取ることになったので、乗る機会を逸してしまった。

 その後、僕の車の荷台に折りたたまれて載せられていたが、車検の際に中庭に下され、そのまま放置されていた。先日、せっかく買ったので近くに行く時には利用しようと乗ってみたら、タイヤの空気が抜けて、ものすごく漕ぐのに力の必要な自転車になっていた。

 新たに空気入れも買い込んだので、今日は試し乗りである。郵便局までの距離は短いが、急坂を下り、帰りは上ってこなければならない。家を出る時には、絶対途中で押したりはしないと心に決め、いざ郵便局へ漕ぎ出す。

 行きは坂道なので快適だ。漕がなくても、スルスルと気持ちのいい速度で自転車は走る。天気は上々、少しだけ冷たい秋風が気持ちがいい。いやあ、自転車はいいなあと満喫しているうちに郵便局に到着。帰りは6段ギアの一番軽いのを選択して、必死で漕いで坂を上る。あっという間にふくらはぎがパンパンになり、ランニングより筋肉を使う。これはいいトレーニングになるな、今度の休みは自転車で遠出をしてみるのもいいかもなと、歯を食いしばってペダルを漕ぐのであった。

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野鳥の名前

2020-10-27 11:01:32 | 福島

 普段、犬を連れての散歩は、タミちゃんがテオのリードを握り、僕はテオが用を足した時の「ブツ処理班」として後ろをついて行く。そして、タミちゃんの「ウ●コォー」の呼び声に、そそくさとテオの立ち去った場所に行き、慎重に危険物を処理するのだ。以前は、ドリとトトといたので、それぞれに1匹づつ連れて歩いたが、1匹しかいない現在、二人でリードを握ることはできない。

 今朝は玉ねぎの苗を家庭菜園に植えるという仕事があったため仕事を分担し、タミちゃんは畑へ、僕はテオのリードを握り、首からカメラをぶら下げて散歩に行くことにした。

 いつもならペースを合わせて歩くが、今日は僕がカメラを構える間、テオにはお座りさせて僕のペースで散歩だ。

 久しぶりの快晴で、ゆっくりと木々が紅葉して行く様を撮影する。

 と、木々の上から、キチキチヒッヒッと鳴き声が聞こえて来る。「この声はジョウビタキだな」とピンと来る。同じような鳴き方でも、声の太さでモズだったりするが、今朝聞く声はこの秋、まだ姿を確認していなかったジョウビタキだろう。

 あちこち目を凝らして探すと、電線の上に黒い影があった。ジョウビタキの特徴である黒い羽のところに白いラインが見えるから、間違いない。

 ジョウビタキは夏の間は、この辺では見かけない。きっと山の上にでも行っているのだろう。冬の間はキチキチ鳴きながら、度胸があるのか警戒心が薄いのか、すぐ身近まで飛んで来る。

 今朝の散歩では、別の場所でも計4回、ジョウビタキの姿を確認することができた。家に帰ったら、すぐにタミちゃんに報告しよう。

 それにしても、ほんの数年前まではほとんど鳥の名前なんて知らなかった。カフェを始めるようになり、庭に給餌台を置いたところスズメがやって来て餌を啄ばんでいたが、それでも「スズメだ、スズメだ」と喜んでいた。

 ある時、ジョウビタキがやって来て、その後、シジュウカラ、ヤマガラとやって来て、そうこうするうちにすっかり野鳥にハマり、野鳥の雑誌まで定期購読するようになっていた。

 今では姿を見なくても、鳴き声で見当がつくようになった。そもそも野鳥には、活動する季節がそれぞれあるし、棲息場所も人里だったり、街中だったり、森林だったりと決まっている。そういうことを総合すれば、野鳥のシルエットだけでわかる時もあるし、飛び方でわかる時もある。

 エナガなどは必ず群れをつくる。シジュウカラやヤマガラはカップルでいることが多いが、ジョウビタキは1匹だけで見かけることがほとんどだ。

 野鳥の名前がわかってくると、それだけで散歩の楽しみは格段に増える。珍しい野鳥の少ない街中には、住みたいとは思わなくなる。

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元気とガッカリ

2020-10-26 11:55:55 | 日記

 最近の流行りなのか、スポーツとか何かのイベントとかを見た人がインタビュー受けたとき、「元気をもらいました」と返答する。頑張っている人は確かに元気な人だが、元気そのものがそう簡単に受け渡しできるとは思えない。

 休日、ランニングに出ようと思うが、気が乗らない時がある。なんとなく体が重い気がするし、着替えたり外出するのが億劫だ。頭の中でランニングのシミュレーションをしたりすると、「走ってきたからと言って、だから何だって言うんだい」と耳元で悪魔が囁く。

 が、経験からわかっているのは、少しくらい気が乗らないと言ってやめてしまうと、決まって後からもの凄く後悔する。特に、午後になって買い物に出た時などに、道路脇や河川敷をランニングしている人の姿を見かけようものなら、「元気をもらいました」どころの話ではない。頑張っている人の姿を見ると、自分自身の情けなさを突きつけられ、自分自身に対する「ガッカリをもらってしまう」のである。

 今日も朝から体が重く、おまけに天気も悪いので、走って来るのが面倒だなと思っていた。ただ、走ってくればスッキリするのがわかっているので、とにかく10分だけでもの気持ちで家を出る。案外走っているうちに体調が改善することは、多々あるのだ。

 それでも今日は10分走っても相変わらず気が乗らない。少し歩いたところで、あと10分だけと走り出す。そういうことを繰り返しながら、普段なら40分ほどで到着する三春ダムに45分かけてたどり着いた。いつもならここからダム湖の周囲を1時間かけて走るが、引き返すことにする。

 それでも帰路は往路よりは体が軽くなり、走りながら「やっぱり出てきて正解だったな」と思う。アップダウンのきつい15キロのコースを1時間40分走り、家に戻って来る頃には、「とりあえず今日は、自分にガッカリしないで済むかな」と考えているのである。

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マルチをする

2020-10-25 10:54:08 | 福島

 朝の散歩の途中で、畑に寄ってみた。昨日はタミちゃんがひとりで畑に行き、茎立の苗を植え、玉ねぎの苗を植えるための畝を作ったというので見に寄ったのだ。茎立はショボンと萎れていたが、そうなっても大丈夫らしいよと言うので、そんなものかと納得しておく。きっと丈夫な植物なんだろう。

 玉ねぎの畝のほうは、今年初めてマルチシートを貼ることにした。マルチシートというのは、畑の畝の上に貼る黒くて薄いビニールシートのことで、これをすることによって水分の蒸発を防ぐし、太陽光を集めて地面の温度を高くする役目がある。雑草も生えにくいしで、いいことづくめだから、畑をやる農家はもちろん、家庭菜園でもやっているところは多い。

 我が家は畑といってもマルチをするほど広くないので、今まではお金をかけてでも畑をやる必要はないとタカをくくっていたが、一度ちょっとだけシートを分けてもらい使ったことで、冬を越す玉ねぎはやらないわけには行かないということになったのだった。

 で、畑に行ってみると、玉ねぎ用の畝ができている。が、残念なことに畝の幅が狭い。マルチシートには最初から5列縦隊で穴が空いているが、我が家の畝は3穴の幅しかない。じゃあ、あとで畝の幅を広げに来るかということになった。

 朝食後、畑に行って畝を耕す。虫が来ないようにちょっとだけ農薬を使い、肥料も撒いてすき込む。表面を平らにして断面図が台形のような畝にし、そこに穴あきのマルチシートを貼った。

 畝は広げたが、それでも4つ分の幅しかなかった。穴の数を数えると約160ほど。これだけ玉ねぎの苗を植えれば、我が家で消費する玉ねぎの数としては十分すぎるだろう。あとはここに苗を植えるだけだ。とりあえず50本くらいは買ってあるので、あと100本くらいは足りない。タミちゃんは手広く畑をやっている友人から苗をもらって来るという。畑は近所の人からタダで貸してもらっているし、我が家の野菜たちは本当に金がかかっていないのである。

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静かな、静かな秋

2020-10-24 11:53:54 | 福島

 朝5時ではまだ真っ暗だ。ずいぶんと日が短くなり、夕方も5時には暗くなる。カフェを閉めてテオと散歩に出ても、懐中電灯がなければテオが用を済ませたブツを回収することは困難だ。

 今朝はちょっとだけ家を出るのが遅く、6時前になってしまった。土曜日はケンくんと遊べるとわかっているのか、テオは夜明け前からテンションが高いが、ケンくんの飼い主さんが明るくなってからでないと出て来ない。

 テオとケンくんがひと暴れするのを待って、我が家の畑に寄って行くことにする。ケンくんの飼い主さんが、「あとで野菜を持って行ってあげるよ」と言ってくれたが、我が家の野菜たちも食べなければ、せっかく作った意味がない。最近は鍋料理ばかりなので、ネギだの春菊だの大根だの白菜だのの消費が多くなっているから、ちょくちょく散歩の途中で立ち寄るのだ。(言葉通りケンくんの飼い主さんが野菜を届けてくれたが、里芋、人参、玉ねぎ、カボチャだったので、畑に立ち寄って正解だった)

 畑で野菜を収穫する間、テオはお座りをして作業の様子を眺めている。小さい頃は畑に来るのをとにかく嫌がり、一度はハーネスをしているにもかかわらず、柔らかい関節をどうにかして、忍者の縄抜けみたいに脱いでしまった。その時は、その辺にあった棒切れを投げると、テオは喜んでくわえて戻ってきたので事なきを得た。

 12月のクリスマスには2歳になるから、テオも近頃は青年の風格が出て来ているのだろう。

 風は冷たいが、早朝の畑に立つと、周囲で野鳥のさえずりが聞こえ、次第に明るくなる空には、金色に輝く雲が浮かんでいて、思わず「ああ、秋だなあ」とうっとりする。寒くなって来ると、ウオーキングをする人も車の往来も減るので、静かな、静かな朝だ。

 回覧板が回って来ていたので見てみると、今年は新型コロナウイルスの影響で、地区のお宮の秋祭りは中止にしますとあった。

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読書の不思議

2020-10-23 11:08:03 | 日記

 話をしていて本の話題になり、僕が同じ本を何度も読むということを言うと、「私はどんな本でも、一度読んだ本は二度と読まない」と、バッサリ切り捨てられてしまった。「読書百遍意自ずから通ず」を頭から信じて、繰り返し読まなければ理解できないと思っている僕からすれば、かなり衝撃の返答だった。

 が、後で考えてみれば、僕だってすべての本を何度も繰り返し読んでいるわけではないのだから、似たようなものなのかもしれない。例えば、ネットニュースを読んでも、時間を置いてもう一回読むなんて面倒なことはしない。と言うよりも、そもそも「読む」というより「目を通す」と言ったほうが正しい。一度目を通せば、なんとなくわかるので、難解なニュースでなければ読み返すというようなことはしない。

 現代人の多くは忙しすぎ、一冊の本も読まないという人もいるし、必要最小限だけ目を通すという人もいる。小説を読むのが好きという人だって、結末のわかっているものを再読することはしないという人もいる。そういう人と会話をすると、言葉は情報のひとつに過ぎないんだろうなと感じる。

 言葉を情報として捉える、というのがどういうことかと言えば、「窓を閉めてください」という言葉は、窓を閉めてもらった時点で意味を失う。これが情報だ。「古池や蛙飛び込む水の音」と聞いて、何か行動を起こさなきゃと思う人はいない。ここには情報はなく、詠み人の心が現れているだけである。もし、この俳句を情報と捉えれば、「一体どういう意味? 何を望んでいるの?」と首を傾げてしまうだろう。

 読書の楽しみとは、作者の心を知る楽しみでもある。わかりやすく言えば、好きな人にもらったラブレターなら、その真意を知ろうとして、書いてあること以上に裏の裏まで読み取ろうと躍起になるだろう。

 そう考えれば、言葉とは精神そのものということになる。とっくに死んだ昔の人だって、その人の言葉がそこにあれば、僕らは何度でも繰り返し読むことで、その人をありありと想像することができる。肉体は滅びるが、精神は不滅だ。

 今、カヌーイストの野田知佑さんが40年前に出した本を読んでいるが、そこには若々しく力が漲っている野田さんがいる。その姿をありありと目の前に感じると、読書という行為の不思議さを思わずにはいられない。

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テオとアン

2020-10-22 11:21:04 | イラスト

 テオとアンの絵を描いた。

 前回は2匹で寝そべっているところで、今回は2匹が並んで座っているところだ。

 山の中でガリガリに痩せていたちっぽけなアンを拾ってきてから、1ヶ月になる。毎日せっせと遊びせっせと食べているので、来た当初に比べて3倍くらいの大きさになった。

 自分の餌が足りない時は、テオの餌にまで食らいつく。独占していると、テオがアンの背後に回り、そろそろ交代してくれませんかと前足でアンの背中をノックする。

 アンが来て以来、テオはすっかりお兄ちゃんぽくなり、アンの行動を見守っていることが多い。夜、布団を敷くとすぐに2匹してプロレスを始める。テオが仰向けに転がると、アンが首根っこに飛びついて、組んず解れつ大騒ぎだ。

 急に静かになったと思ったら、テオのお腹を枕にして、アンがゴロゴロと喉を鳴らしている。

 動物が近くにいるというのは、実に幸福な気分になれる。すぐそこに、確かに命があると実感できると、いろんなストレスはどうでもよくなってしまうのであった。

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