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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

少しだけ読める

2025-04-07 13:04:10 | 日記
 NHKの大河ドラマ「べらぼう」を見ていたら、花魁の瀬川が鳥山検校に離縁状を渡されるシーンがあった。離縁状の文面が画面に映ると、「離縁状之事」と書いてあるのがちゃんと読める。「おお、読める読める」と感激し、続きを読もうとしたらあっという間に画面変換となった。離縁状のことを当時三行半と言ったが、「離縁状之事」の続きの本文が、大体三行半で書かれていたのでそう呼ばれている。画面に映った離縁状もきちんと三行半で書いてあったので、文面はちゃんとしたものだったのだろう。

 今日は通信教育の「古文書を読もう」の1回目の添削用紙を郵送した。約1ヶ月半で一過程が終了することになっているので、まだまだ始めてそんなものなのだが、何が変わったと言って、今まで昔の文字が出てきただけで最初から読むことなど考えていなかったのが、結構目を皿のようにしてどこまで読めるかを試すようになった。

 先週やっていた「ブラタモリ」でも、東海道五十三次の宿である桑名が登場したが、その中でも古文書が出てきていたので、慌てて目で追った。ところどころだが読めるところもあったりして、1ヶ月半の勉強ながらほんのちょっぴりだが進歩が見られて驚いているのである。

 というものの、昔は読めて当たり前で、弥次さん喜多さんの登場する「東海道中膝栗毛」を、みんなガイドブック代わりに旅を楽しんだのだ。

 さて、これから半年、真面目に勉強すればどこまで読めるようになるのだろうか。せめて江戸時代の寺子屋に通う子供くらいには読み書きできるようになるといいなあと、今から楽しみにしているアベさんなのである。
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工夫という名の自由

2024-02-04 12:04:13 | 日記
 イラストボードを買いに文房具屋に行ったついでに、隣の本屋にも寄ってきた。特別に読みたい本があったわけでもないので、ブラブラ棚の本を見て歩いたが、結局買った本は、もう何度も読んだ小林秀雄の評論の文庫本だった。とはいえ、新刊になっていたのは、新たに戦争についての著述ばかりを集めたもので、タイトルは「戦争について」だ。

 小林秀雄の戦争についての発言で、当時センセーショナルを巻き起こした「僕は無知だから反省なぞしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」という文言も出ていた。戦後すぐに行われた座談会で、作家が集まり、戦争をどう反省すべきかというような話をしていた時のことだ。その時にも「無責任だ」とか「放言にすぎない」と糾弾されていたが、今読むと本意は全然違うところにあり、いかに誤解されていたかがわかるのである。

 その発言の前ではこう発言している。「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起こったか、それさえなければ、起こらなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている」

 戦争が起きないように努力するのはわかる。が、努力さえすれば戦争は起こらない、とは僕には思えない。やはりそこには歴史の必然というのがある。極端な言い方をすれば、人が幸せを求める以上、諍いは必ず起こるのが世の中ではないのだろうか。

 同じように、能登の大地震のように自然災害も、国や自治体が努力すれば被害を最小限に抑えられるものではないだろう。歴史同様、自然も僕らの理解を遥かに超える事態を用意する。小林秀雄は同じ座談会でこういうことも言っている。「必然性というものは図式ではない。僕の身に否応なくふりかかってくる、そのものです。僕はいつもそれを受け入れる。どうにもならないものとして受け入れる。受け入れたその中で、どう処すべきかを工夫する」

 すぐに戦争が起こるとは思えないが、自然災害はいつ身に降りかかってくるかわからない。そのためには、個人で工夫しておくことはいくらでもある。常に水を確保しておく。非常食を用意しておく。簡易ガスコンロやガス缶を備蓄しておく。ラジオや懐中電灯を準備する。何をしなければならない、という決まり事はない。それこそ、工夫は個人個人に任されている。小林秀雄はそういった個人でやる工夫のことを「自由」と呼んでいる。
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ワチャワチャな電話

2023-09-04 11:22:11 | 日記
 雨が降らなかったら、畑を耕そうと思っていたら、朝の散歩の途中からポツポツと降り出し、その後はまとまった雨が降り出したので、畑に行けなくなってしまった。雨が降るのは本当に久しぶりで、これで今植っている野菜たちは、息を吹き返すだろう。あまりのカラカラ天気に、ナスもピーマンもちっとも大きくなれなくなっていたのだから。

 雨のおかげで、朝から涼しく過ごしやすい。涼しいというだけで、気分は上々、こういう日は知的労働に励むのが良い。

 ところで、夕べ2度目の中国からの嫌がらせ電話があった。電話のベルが鳴るので受話器を取ると、前回同様沈黙の間がある。と、数人の中国人の話し声がワチャワチャ聞こえてくる。誰かが電話で喋るというよりも、電話をかけたものの、誰かが代表して喋るつもりはないらしい。翻訳した日本語の自動音声ででも流れればいいが、ただ電話の向こうでワーワー言っているだけなので、聞いているのも馬鹿馬鹿しく電話を切った。イタズラならせめて片言でいいから「バカヤロー」と言ってもらいたい。いくら流行とはいえ、ほとんど日本に電話している意味を見失っているようだ。

 それにしてもである。改めて書くが、岸田さんは処理水放出について、「関係者には了解をとった」と説明していた。が、「関係者」とは一体誰のことだったのだろうか。漁業関係者は反対している。福島県民は何ひとつ説明は受けていない。外国への説明にしたって、国際機関のIAEAが放出を承認したというばかりで、権威に頼り自分たちで何とかしようという気概が感じられないのである。

 おそらく中国にしろ韓国にしろ、太平洋上の国々にしろ、多くのところが自分のところも関係者だと考えていたのではないだろうか。「関係者に丁寧な説明をした」とは言うが、関係者が誰だかわからないから、反発する人がたくさん出てくる。よく政治家が、「市民からの要望があったから」なんて説明をしてよくわらかない法案を作るが、実はほんの一握りの人間の要望に過ぎず、それをもって市民を代表させてしまうのだからたまったものではない。
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損得がからむと

2023-07-14 12:18:57 | 日記
 こんな話がある。あるところで美人コンテストを開催した。このコンテストの特徴は、審査員による審査によって優勝者が決まるのではなく、純粋に観客の人気投票により決定する。一番多く票を得た人が優勝者である。この方法のコンテストだと、観客は自分が選んだ女性が優勝しなかった場合、不満は残るものの、ある程度理解はできるという。

 ところが、ここにひとつだけ制約を設ける。それは優勝した女性に投票した人それぞれに、賞金が入るというものである。賞金なんか関係ない、自分が一番美人だと思った人に投票した、という人も中にはいるだろうが、多くの人は周囲の観客の顔色を伺い、優勝しそうな人に投票する。その結果、多くの場合、みんなが「えっ」というような人が選ばれたりするという。飛び抜けて美人ではないが、欠点が少ないとか当たり障りのないといったことが、選択する際の要素に加わってくるからかもしれない。

 この状況によく似たものに、「株式投資」があるという。本当に価値ある企業や将来有望な企業の株を買うというよりも、周囲の顔色を伺い、どの企業の株が今後伸びそうかを考え、株を購入するからである。その結果、株式市場は誰の予想も反し、乱高下を繰り返したりする。

 よくよく考えれてみれば、僕が生きていく上で、純粋に「それが良い」という理由で行動を選択するということは少ないかもしれない。ほとんどの場合が、その時その時で損得勘定が働く。大人になれば、「子供の頃にもっと勉強しておけば良かった」「部活をもっと頑張れば良かった」と振り返る。が、そんなのは後になって、他人のように自分の子供時代を反省しているに過ぎない。自分が子供だった頃、勉強するかどうか、部活を頑張るかサボるか、それなりに考えて出した結果である。その時には、勉強を或いは部活をサボるほうが、自分にとっては得だと思ったのである。

 政府が政策を行う。国民のほとんどがその政策に不満を持つ。戦争をしても誰も得はしないが、なぜだか戦争へと進んでしまう。いくら反省しても無駄である。その時点では、それが損得勘定した場合に一番の得策だと感じているからである。
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頭だけが先走る

2023-03-14 11:11:07 | 日記
 10日ぶりにランニングに出た。いっちょまえにランナーにつきもののケガ、足底筋膜炎でかかとが痛かったからで、治るまでは酷使しないように用心していた。

 土日に畑仕事をしたので、背筋と腰が痛いが、のんびり走ってくるつもりで出発する。足底筋膜炎対策として靴の中に入れるインソールを買って来たので、効果を確かめたい思いもある。が、スタートするとすぐにかかとの痛みが引いていないことを知らされた。とは言え、走ってこないことにはインソールの効果もわからない。とにかくその辺をぐるっと回ってくることにしよう。

 千代の富士が肩の脱臼グセを克服するために、肩のあたりの筋肉をつけた。大谷くんが肘や膝のケガを克服するために、筋肉の鎧をまとった。足底筋膜炎の予防方法も、基本的には筋肉をつけなければならないそうで、あんまり静養していては筋肉はますますなくなるばかりである。

 そもそも僕が足底筋膜炎になったのは、素人で筋肉がないくせに、それ以上に頑張って走ったことにある。つまり80%の出力の筋肉に対して、100%で走るから壊れてしまう。ケガをするとはそういうことだ。そんなことを考えていたら、何もランニングだけに限ることではないなということに思い至った。自分には80%の能力しかないくせに、100%あると思い込んでいることは多い。

 親が子供に「勉強しろ」と強要する。そんな親は勉強の大切さを知っていると自分では思っている。だから子供の背中を押すのだが、そんな親は小学生、中学生レベルの問題を解けなかったりする。自分では平均的な大人だと思っている親が、実は平均的な小学生、中学生レベルの知能もないということは多々あるのだ。

 運動会の父兄によるリレーで、オッサンが派手にすっ転ぶのも根っこは同じだ。脳みそは全力100%で走っているのだが、足のほうは80%でしか動かない。だから頭はどんどん前に進んでいるのに、足がついて来ないのですっ転ぶ。そういう姿を見て子供は大喜びする。

 「これが私」と思い込んでいる姿を100%とすると、本当の自分は80%の能力もない。そのことを自覚していないと、人生でもケガをするのである。

 フランスの詩人コクトーが、「バイクは美よりも速く走る」と言った。速く走るために無駄をすべて削ぎ落としたバイクの形の美しさも、バイクそのもののスピードについていけないという意味だが、人間について言えば、「脳みそは肉体を置いてきぼりにして先走ってしまう」ということになるのだろう。
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ネーミングの妙

2023-01-22 11:59:56 | 日記
 漫画の祖と呼ばれているのは、19世紀に活躍したフランスの画家オノレ・ドーミエだ。当時、漫画と言えば風刺漫画のことで、ドーミエは新聞に、国王を風刺した風刺画を発表した。それは国王が洋梨に似ているというもので、国王の似顔絵を洋梨として描いたものだった。「国王を洋梨に例えるとは無礼だ」ということで裁判沙汰になったのだが、ドーミエは法廷に立つと、「国王が洋梨に似ているのか、洋梨のほうが国王に似ているのか」の大演説を行い、法廷の聴衆を笑いの渦に包んだ。

 笑いというものは、権力に対抗する大きな力だ。逆に言えば、冗談も言えない世界というのは、硬直した封建的な社会だとも言える。日本人によくあるタイプだが、シリアスな場面で冗談を言うと、「場所を考えろ」などと叱られたりする。が、そもそも笑いとは、緊張を緩和するものであり、シリアスな場面ほど必要になるものだ。

 最近ニュース記事を読んでいて、思わず「山田くん、座布団一枚」と言いたくなったのが、岸田総理が「岸田検討使」と呼ばれているという話題だった。口を開ければ「検討する」ばかりで、いつ実行に移すのかと思っていたら、今度は「検討を加速する」と言い出した。検討を加速してどうなるというものではないだろう。さすが「岸田検討使」なのである。

 安倍元総理が自慢していた経済対策アベノミクスは、コロナ対策に布マスクを配ると、途端に「アベノマスク」と嘲笑された。その前の総理麻生さんは、アホウ太郎と呼ばれてしまった。

 本人たちは腹が立っただろうが、庶民はそんなことで溜飲を下げているのである。年の瀬に流行語大賞というのをやっているが、それとは別に僕としてはネーミング大賞みたいなものもやってもらい、大いに笑いたい。
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熱燗がうまい

2023-01-10 13:07:23 | 日記
 去年の暮れから、お酒は燗をして飲んでいる。夏場はなんたってビールだが、寒くなってくると冷えた体には熱燗がたまらない。

 お酒は大概なんでも飲むが、特別強いというわけではない。少し飲んで気分良くなればそれでいいので、いつまでも尻に根っこが生えたようになって飲んでいることもない。

 最近は居酒屋で働いている若い子などは、お酒を燗をして飲むという習慣がなくなっているので、お燗をするよう頼むと、グラグラと煮立たせてきたりするという。大人が熱燗をおチョコで飲む様子は、子供心に大人ってカッコいいなあと感じていたが、自分が大人になってみると、案外お燗をして飲むという機会は少ない。

 美味しいお酒というと、最近は大吟醸だの純米酒なんかをワイングラスで飲んだりするから、燗をする人は減っている気がするが、年末年始、テレビを観ながらおでんをつまみに、徳利からお猪口に少しずつついで飲むというのは風情があって大変よろしい。徳利は適当にあるもので飲んでいるが、お猪口は会津に行った時にお気に入りのものを買ってきた。今年はぜひともお気に入りの徳利でお燗をしたいと思っている。

 お燗の種類もさまざまで、単純に熱燗ということはできない。温度の高い方から言うと、飛び切り燗(55~60℃)熱燗(50℃)上燗(45℃)ぬる燗(40℃)人肌燗(40℃)日向燗(35℃)。
冷酒の場合は、冷(20℃)涼冷え(15℃)花冷え(10℃) 雪冷え(5℃)となる。

 同じお酒でも、温度によってこれだけ飲み方があるのだから、なかなか奥が深い。ワインやウイスキーやバーボンじゃあ、こんな細かい区分はないに違いないんじゃなかろうか。

 と言うわけで、おでんとか煮魚とか刺身とか、日本食の時はほぼお燗をしてちびちび飲んでいる。好みの温度で言うと上燗くらいだろうか。

 それにしても、熱燗の温度を知らない若者が増えているのは残念だが、最近は寿司はサビ抜き、ビールは苦くて飲めないという若者が増えているというから、お酒の好みも甘いか炭酸入りが主流なのだろうか。日本人として、実にもったいない話なのだ。
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老いるショック

2023-01-04 12:21:18 | 日記
 年末年始はテレビ局も休みたいから、今までに放送した番組を再放送したり、編集しなおしたりして放送していた。手抜きと言えば手抜きだが、評判の良かったものの再放送だろうから、見逃していたものに関しては面白く見ることができた。そんな中、NHKで「最後の講義」という番組の再放送をやっていて、講師の名前がみうらじゅんとあったので、録画しておいた。

 みうらじゅんさんという人は、今のゆるキャラブームを作った人だし、マイブームという辞書にも載っている言葉を発明した人である。子供の頃から仏像に興味があったことから、「見仏記」という本も出していて、僕は時々読み返してみたりしている。

 みうらさんの考え方の基本にあるのは、漠然とした物事に対してまず言葉を作ることから始める。町おこしなどで作られた出来の悪いキャラクターを「ゆるキャラ」というネーミングをする。絵葉書のくせに何を撮ったのかわからないようなものを「カスはが」など名づけることで、それまでに存在しなかった分野を新たに生み出すのである。

 そんなみうらさんが、学生など若い人たちのために講義を行った。番組はその模様を記録したものだったが、なかなか面白い内容だった。たとえば、若い時というのは、自分に対して自信がなかったりいらだったり不安になったりするが、それは理想の自分というものを想定しているからである。そんなものはない、自分は他人との関係の中でしか現れてこないぼんやりとした存在だと思えば、うまく行かなくても自信をなくす必要はない。ダメなのは、すぐに周囲と比較してしまうからである。そこでみうらじゅんさんは、他人と比較しないことを「比較三原則」という言葉を作ることで、落ち込んだ時に自分に言い聞かせる。「比較三原則」とは、「親、他人、過去の自分」と比較しないことを言う。

 みうらさん本人が歳を取り、急に肉体の衰えを感じ始めたのが、飲みに行っているときにオシッコが近くなったことだった。ところがある日、カウンターで飲んでいたジイさんが、一度もトイレに立たない。たいしたものだと感心していたら、ジイさんは「オムツをして飲んでいるんだ」と言い放ったという。で、こういうふうに歳を取ればいいのかと納得し、「老いるショック」と呼ぶのである。まるで赤瀬川原平さんの「老人力」を彷彿させる話である。

 講義では、そんなみうらさんの話を若者たちが熱心にノートにメモをしながら聞いていた。「がんばれ」とか「夢を描け」なんてことを言われるより、若者にもこんな話のほうがよほど心に刺さるのではないか。「自分さがし」なんてやったところで自分なんて見つからない。「自分なくし」のほうが大切だ。子供の頃から仏教に興味を抱いていたみうらさんならではの言葉である。
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未来のこと

2022-12-31 11:45:44 | 日記
 いよいよ今日で2022年が終わる。と言っても、暦は自然界には存在せず、人間が勝手に使っている尺度に過ぎない。1年間というサイクルがあるように感じているのは暦を見ているからで、人間以外の生物がどんな時間軸で生きているかは想像できない。渡鳥だとか春になると花開く桜なんかを見ていると、ちゃんと季節を感じて、自然のサイクルの中で暮らしているようにも思えるが、もしかしたらただ過去から未来に真っ直ぐに伸びている時間があるだけかもしれない。

 「未来」という言葉は、字面の通り「未だ来らず」という意味である。未だ来ないことに関してああだこうだ言うと、昔から「鬼が笑う」と言っていた。が、テレビを見ていると、来年の経済はこうなる、政治の世界はああなる、世界はこんなふうになるという未来予測が盛んだ。が、予測している人たちだって、本気で未来を予測しているとは考えていない。ただ今手元にあるデータを参考に、このまま行けばこうなるだろうと意見を言うだけで、自然災害や突発的な事故などは考慮に入れられていないので、未来予測は外れるのが当たり前なのである。巨大地震がいつ発生するか、それがわからないのに、未来の姿を描くことは絵に描いた餅である。

 そうした未来予測の中で、割と正確なものがひとつだけある。それは人口動向である。今年70万人生まれた子供たちが、1歳の時には100万人になっていた、ということだけは絶対にない。どれだけ減るかは自然災害や戦争などの人為的災害で変わってくるが、増えることはあり得ない。

 そう考えると、いろんな政策はすべてこの間違いの少ない人口動向から立てるのが理にかなっているということは一目瞭然だ。が、これだけ少子高齢化が叫ばれ、今後どういう人口ピラミッドになるのかはっきりしているのに、ほとんど指を咥えて見ているだけの政治では、日本国民は最後には自分で自分のことは守らなければならなくなるだろう。

 このところずっとドナルド・キーンさんが書いた伝記「明治天皇」を読んでいる。江戸末期から続いた内戦が終わり、日本はほぼ何もない状態から世界に追いつかなければならなかった。小中高などの学校を日本中に作り、郵便局を全国に作り、銀行を作り、ガス水道電気のインフラを整備し、鉄道も走らせなければならなかった。それにどれだけお金がかかったのか。想像することもできないほどだが、当時の日本は海外からの借金をせずにやり遂げた。外国からの借金は、いずれ植民地化されるというアメリカからのアドバイスを受け、さまざまな国からの援助を断り続けた。

 そういう史実を読んでいると、古い水道管を新しくすることさえできず、高速道路や日本中の橋の老朽化もお金がなくて手が打てないというニュースを聞くと、明治維新の時よりも今の日本は貧乏になったのだろうかと思ってしまう。これからの社会は、いよいよ住みにくくなってしまうのだろうか。

 さて、来年の世の中のことはわからない。が、こうしたいという自分の夢ははっきりしている。未だ来ない明日のことを心配している前に、やるべきこと、やりたいことは今日ならいくらでもできる、ということは心に留めておくのが大切だ。
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政治家になるのに試験がない

2022-12-28 11:44:58 | 日記
 テレビをつけると、岸田さんが復興大臣を更迭したというニュースが流れていた。ついでに「LGBTは生産性がない」と発言した政務官もクビになった。復興大臣というのは、昔からある役職ではない。2011年に起きた未曾有の東日本大震災から日本が立ち直るために設置された省庁だ。その頃は民主党が政権をとっていたが、復興大臣というのは最初からグダグダだ。大きな顔をして県知事に「大臣を待たせるとは何事か」と説教した大臣がいたり、「震災が東北で良かった」と発言した大臣がいたり、そして今回は政治と金で辞めることになった。その顔ぶれを見ていると、復興大臣というのは大臣の中でも1番責任のない役職で、力不足の政治家がどこも務まらないのでとりあえず復興大臣にしておくか、という決め方をしているのだろう。同じくらいいるのかいないのかわからないのが、少子化担当大臣と沖縄・北方担当大臣である。

 昔は「末は博士か大臣か」というくらい、出世の頂点にある役職だったが、最近は使い物にならない人材が任命されるのが大臣ポストになっているようだ。なぜこんなことになるのかを考えてみると、大臣もそうだが政治家になるのに、試験や資格(年齢は置いといて)が必要ないというのに大いに問題がありそうな気がする。選挙で選ばれたのだから、民意を反映しているとは言うが、選挙で選ぼうにもその人がどんな人かもよくわからずに選ばなきゃならないのだから、本当にそれが民意なのかと言いたくなる。民意を反映すると言う前に、とりあえず人間として、政治家として最低限の素養は持っていて欲しいと思う。

 もっとも難しい試験に通って来た官僚やお役人にしても、与えられた問題を解くことに特化した勉強しかして来ていないので、目の前で起こっていることのどこに問題があるのか、ということに関しては無力な場合が多い。「正しく質問することが、即ち正しい答えを導くことだ」とは言われることだが、どこに問題があるのかを正しく認識していなければ、いくら優秀な頭脳を持ってしても正しい答えにはたどり着けないだろう。政策に効果がないとか逆効果になっている、というような時には、問題の立て方自体が間違っているから妙な方向へと進んで行ってしまう。

 
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