おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

全力を使う

2023-12-31 11:34:05 | 日記
 昨日、走り納めと思って頑張ったら、下り坂で全力でコケた。

 あちこち擦りむいて家に帰って来たら、ジャージの膝に大きな穴が開き、その下に履いていたランニング用タイツにも穴が開き、膝小僧に10円玉ほどの擦り傷ができていた。両手の掌にも擦り傷、右手に至ってはご丁寧に手の甲と小指の先にも擦り傷ができている。風呂に入るときに全身をチェックすると右肘にも擦り傷ができていた。風呂に入ると、痛い痛い。

 が、これで済めばなんちゅうことはなかったのだが、激しく両手をついたようで、両手首を捻挫している。おかげでひねる動作がまるでできない。トイレのドアノブをひねる、フライパンの料理を皿に移す、といった簡単な作業でも手首が悲鳴をあげてしまうのである。とにかく炎症が起きた時には冷やすのが一番。大きな湿布薬を両手首に貼り、取れないように荷造り用の幅広テープで固定した。

 一晩たち、右の手首の痛みはだいぶ引いてきたが、左手は相変わらずひねる動作ができない。じゃがいもの皮を剥こうと右手に包丁、左手にじゃがいもを持つが、じゃがいもを手の中で転がすことができないので、皮を剥くにも苦労する。う〜ん、ここに来て仕事が捗らないのだ。

 とはいうものの、この歳になって全力で走り、全力でコケるなんてことは、あまりないことなんじゃなかろうか。歳を取ると、とにかく体力を温存する。この後何か体力仕事が待っているわけでもないのに、なぜか体力を温存している。子供のように全力を使い果たし、ご飯を食べている最中に寝てしまうというようなことがなくなり、「夜眠れない」とぶつぶつ言うようになる。そりゃそうだ、体力を温存したままなのだから。

 そういうわけで、手首の負傷は災難だったが、この歳で全力で転んだことに対しては自分でも面白がっている。

 さて、今年もいよいよ今日でおしまい。来年はもっともっと力を温存するようなことをなくし、毎日を全力を発揮して暮らしたいものだと思っている。
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派手にコケ納め

2023-12-30 10:59:51 | 12音詩
 昨日、走り納めをするつもりでいたが、夜中から頭痛がして結局1日頭が重かった。肩もひどく凝っているし、眼精疲労かもしれない。で、何もできないまま1日が終わり、今朝はスッキリと目覚めた。

 さあ、昨日やれなかった分まで今日は頑張ってやるぞと張り切る。朝から快晴、風はなく気温も高い。年の瀬とは思えない陽気にテンションが上がる。

 朝食後、すぐに着替えてランニングに出発だ。今年の走り納めなので、いつもより気合が入る。今季最高記録か、最長距離を走るか、とにかく記録に挑戦だ。

 で、脇目も振らず走り続け、かなりいいタイムで折り返し地点までやってくる。あと50メートルとなり、歯を食いしばり記録更新を狙って全力で走っていたら、ちょっとした下り坂でつま先が引っかかってしまった。あっと思った時にはもう遅い。体を立て直すほどの筋力は残っていない。天と地がぐるぐると回転したかと思うと、アスファルトの上で転がっていた。

 幸い人気はなく、誰も僕の派手に転ぶ姿は見ていないが、下り坂でズルズルと擦れ、全身はヤスリで擦られたように痛む。右膝のジャージには大きな穴が開き、両手の掌は擦り切れて血がにじんでいる。骨には異常はないようだが、手をついた拍子に手首を痛め、右膝と右肘がビリビリと痺れている。

 走り納めどころの話ではない。これではコケ納めではないかと、我ながら呆れる。そもそもランニングシューズが、普通耐久距離が700キロくらいのところを、僕の靴は1000キロを越え、靴底がすり減ってビーチサンダルみたいになっている。そのせいか、今日のランニングも、何度かつま先が引っかかることがあったのだ。年が明けたら靴を新調しようと考えていたが、ちょっと遅かったか。

 すっかりランニングモードではなくなったので、帰りはのんびり走った。途中、来る時には目もくれなかった白鳥の群れを観察し、飛んで行く白鳥の群れを羨ましく眺めていた。「僕を置いてかないでよぉぉぉぉ」

 というのも走りながら12音俳句をひねっていたからで、その句は「白鳥の影踏み走る」だったからである。







 ついでなので、遠くの山並みを眺めながらもう一句。「雪山を越えて 雪雲」

 家に帰って着替えると、ジャージの下に履いていたランニング用のタイツにも穴が開き、膝に10円玉ほどの擦り傷ができていた。
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遠くの山並み

2023-12-29 11:45:44 | 福島
 タミちゃんが実家の掃除に帰っていたので、午後の散歩はひとりでテオを連れて出かけた。あまりにいい天気なので、散歩にはちょっと早いかなと思ったが、テオも散歩に行く気満々だ。午後2時過ぎには家を出る。



 風は少し冷たいものの、なんだか春がやって来たかのような陽気である。この時期山肌が真っ白な安達太良山は、山頂だけが白い帽子をかぶっている。こんなんでスキー場はちゃんとやれるんだろうか。

 安達太良山から右に視線を移すと、そのはるか先、北の方にもっと白い山並みが見える。方角から見れば福島市だが、あんなに真っ白になるような山はない。とすると、もしかしたら宮城と山形にまたがる蔵王山だろうか。そんな遠くの山が見えるかなあと思うが、富士山が見える一番遠い地点が福島県内にあるから、遮るものさえあれば見えたっておかしくないのかもしれない。



 丘の上まで来て、今度は南の方角へと目をやれば、栃木県の那須連山が見える。



 真ん中のポッカリ丸い山が茶臼岳で、その右の尖ったのが朝日岳だ。茶臼岳は数年前に高校のスキーの授業中に雪崩が起き、数人が犠牲になった山でもある。朝日岳は女性で初めてエベレストに登った田部井淳子さん(福島県三春町出身)が小学校の時に初めて登った山で、それ以来山登りが趣味になったという。

 それにしても、いい天気だ。テオは僕があちこちカメラを向けている間、おとなしく草の匂いを嗅いだり、辺りを眺めたりして過ごしている。5歳になってちょっと大人になったか。



 毎日こんな日が続くといいだけどなあ。



 世界では戦争やら紛争やらが絶えず、日本でも国会は大騒ぎになっている。それもこれもいかに生きていくべきかの末の行動なのだから、人間というのは何がしたいのだろうかと思わずにいられない。



「なあ、テオ。人間ってどうしようもない生き物だよなあ」
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赤毛のアンを描く

2023-12-28 08:51:06 | イラスト
 以前、NHKでモンゴメリの「赤毛のアン」をドラマ化した「アンという名の少女」というのを放映していた。少女の成長物語に興味のなかったオッサンは、今まで小説を読んだことがなかったが、たまたま観たドラマは、どのシーンも素晴らしい映像美で熱心に最終回まで観た。

 ちょうどその頃、1匹の子猫を飼うことになった。山の中をテオと歩いていると、ガリガリに痩せた子猫がミャアミャア鳴きながら追いかけて来たのだ。そのまま置いて来るわけにも行かず、家に連れて帰ることになったが、テオが甲斐甲斐しく面倒を見るので手放すこともできず、我が家の一員に迎えることになったのだった。

 犬の名前に関しては、今までアナ、トト、テオと代々映画の中に登場する子供の名前から取っていたが、新しく家族になった子猫はすぐに「アン」と名付けた。ドラマで観ていた少女が、孤児院から老姉弟に引き取られるという話だったことと、その少女が赤毛だということが、子猫とダブって見えたのだ。

 最近墨を使って絵を描くようになった。水墨画と言えば中国のどこかの山の風景だったり、鳥や獣だったりするのがオーソドックスだが、そういうものはみんなやっているので、僕は墨を木炭デッサンのように使って描くことにした。勝手に新しい水墨画だと思っている。

 で、今度はドラマのワンシーンで印象的な、孤児院からやって来たアンが駅で引き取りに来るはずの里親を待つカットを描くことにした。この後、里親の方は働き手である男の子を手配したのだが、それが手違いだったことがわかる。が、持ち前の明るさでアンはマシューとマリラに受け入れてもらえるようになるのである。我が家のアンも、当初は里親が決まっていたのだが、一度家族の一員になったアンを手放すことができず、今に至るのである。

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年の瀬のひと仕事

2023-12-27 11:06:50 | 福島
 庭の柵に、グルリとモッコウバラを這わせていた。春になると香りの高い白い花がたくさん咲き、自慢の生垣でもあったが、切っても切っても1週間で枝がピョンピョン伸びお隣の玄関先に飛び出すので気を遣っていた。そういうこともあって、正面のモッコウバラはそのままに、お隣に面しているところだけはバッサリ切ってしまうことにした。

 が、何にもなくなるとお隣の玄関先がよく見え、おまけに殺風景だ。そこで、ホームセンターで板を買ってきて青く塗り、目隠し兼植木鉢を下げられるようにしてみた。



 足元にはプランターでも置けばいい感じになるんじゃないかと思うが、僕の仕事はここまで、あとはタミちゃんに任せることにする。とりあえずこれで年内に、気になっていた庭が整理できたのである。

 タミちゃんの方は、散歩の途中で拾ってきたツルや松ぼっくりを使って、お正月用のリースを作っている。





 なんだかあちこちに飾っているなと思ったら、玄関の前にも飾っている。



 いろいろ拾ってきて、余ってしまったのだろう。気がつけば外の壁にもこっそりぶら下げているではないか。



 ちなみに、しめ飾りというのは神様が降りた神聖な場所を示すものだそうで、これが張ってあるところには、不浄のものや悪霊は入れないとされている。要は一種の防御壁・魔除けの役割も果たしているのである。地方によっては、家の周囲をしめ縄で囲うところもあるというから、我が家はこれに相当するのだろう。これだけあれば、我が家は完全無敵の神聖な家なのである。
 
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テオ、5歳

2023-12-26 11:34:07 | 福島
 昨日の午後、長い散歩に出た。気温は低いが、風はなく青空が広がり気持ちのいい昼下がりだ。



 普段だとそこで曲がるところを真っ直ぐに進み、久しぶりに高屋敷神社まで歩いてみた。クリスマスなのに神社にお参りなんておかしなことになっているが、1年間、無事健康で過ごせたことを感謝しておいてもいいだろう。初詣があるなら、年の瀬詣があってもいいのだ。







 でかい鈴をガランガラン鳴らし、2礼2拍手で祝詞をあげる。「祓いたまえ、清めたまえ、守りたまえ、幸いたまえ。来年もまた何事もなく、無事過ごせますように」。再び1礼して神社を後にする。

 神社を出ると来た道を帰る。と、途中で時々顔を合わせる知り合いが向こうからやって来た。
「この時間にウオーキングですか」
「暖かくなってから出かけているからね」
「高屋敷神社まで行って来ましたよ」

 そんな会話を交わしていると、ポケットから犬のおやつを取り出し、テオに与え始めた。飼い犬が死んでから、いつも犬のおやつを持ち歩き、出会った犬に食べさせているのだ。

 以前は他人からおやつをもらうのにさえビクビクしていたのに、ずいぶんテオも大人になったなあと考えていたら、ふとクリスマスがテオの誕生日だったのを思い出した。もともと誕生日がわからないテオの誕生日を忘れないようにと、クリスマスをテオの誕生日にしていたのだ。

 そもそも野良犬が産んだ子犬で、愛護センターの人が捕獲した時には親犬は逃げ、子犬だけが穴の中にいたということである。そういう経緯があったからなのか、テオは我が家にもらわれて来た時から人間に対して物凄く警戒し、人が近づくとすぐに逃げ回っていた。きっと親から人間がどういう動物かを聞かされていたのかもしれない。

 どれくらい警戒心が強いかというと、5年経った今でも家族に尻尾を振ったことがなく、おいでと呼んでも喜んでやって来ることはない。僕がひと月大分に滞在し、久しぶりに帰ってきても逃げ回るばかりで、尻尾は後ろ足の間に挟まれたままだったのである。

 そんなテオも5歳になると、顔立ちもずいぶんしっかりし、自分の頭でいろいろ考えているように見える。家族に尻尾を振らなくても、遠くから知り合いがやって来ると、頭を触らせることはなくても、尻尾だけは振っている。少しずつだが進歩し、人間に対する警戒心も薄れているのだろう。



 家に帰ると、テオの夕ご飯は誕生日のご馳走として、いつものカリカリにパウチのジビエのを混ぜてやった。うまいぞと言ってテオの前に差し出すと、テオは遠巻きにこちらを見ていた。

 
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クリスマスには餅つきを

2023-12-25 10:36:32 | 福島
 キリストの教会の暦では、日没から次の日没までの間を一日とする。従ってクリスマスの1日とは12月24日の日没から25日の日没までを言う。ということはキリスト教徒にとっては当たり前のことだから、25日の朝は家族揃って教会に出かけたりする。ところがクリスマスというイベントだけを取り入れた日本では、25日がクリスマスなら、24日の夜はなんだということになった。本来クリスマスの夜を意味するクリスマス・イブ(当然イブニングの略)が、クリスマスの前夜祭みたいに捉えられ、イブのことをひとつ前のことだと勘違いするようになった。そういうわけで、時々23日のことを、クリスマス・イブ・イブなんていう人もいる。

 さて、キリスト教徒ではない我が家は、僕が浄土真宗、タミちゃんが臨済宗ということになっているが、どちらも信心深くないので、クリスマスプレゼントは何が欲しいなどとお互いに尋ねることもあり、日本人らしくまったく節操がない。昨日のクリスマス・イブには餅つきをした。なぜクリスマスに餅つきをするのかというと、年末は何かと忙しいというのと、タミちゃんが早々と小豆を煮てアンコを作ってしまったのだ。

 というわけで、タミちゃんが実家から持ってきて餅つき器で餅をつく。餅つきも今年が3度目、春にはよもぎ餅もついているので手慣れたものだ。前日から水に漬けておいた餅米を機械にセットし、蒸しあがるのをのんびり待つ。ブザーが鳴って蒸し上がると、次は「つく」のスイッチを入れる。と、お釜がグルグルと回転を始め、あっという間に餅がつきあがるのである。回転しているだけでなぜ餅がつけるのかは判然としないが、とにかくそれでホカホカの餅ができる。

 あとは片栗粉を巻いたところに餅を出し、せっせとふたりで丸める。本来東日本は切り餅で、薄く板状に伸ばし、少し硬くなったところを長方形に切るのだが、西日本方式でまるめて丸餅にする。



 アンコの入った丸餅と何も入っていない素の丸餅を作ると、すぐに冷凍する。これでいつまでも柔らかい餅が食べられるのである。

 さて、クリスマスはこれだけでは終わらない。秋に家庭菜園で収穫したサツマイモを、今年は干し芋にしてみようということになったので、早速挑戦した。丸のまま茹で上げたサツマイモを板状に切り、網の上に並べて行く。適当な網がなかったので、これはドリが使っていたケージの枠を代用することにした。そうして外に干しておけば、数日で完成だ。とにかく湿度が低く天気が良ければうまく行くはずなので、天気予報とにらめっこだ。



 夜には夜露に濡れないよう家の中に運び込む。こうして我が家のクリスマス・イブは更けていくのであった。なんちゅうクリスマスだ。
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冬に見る鳥

2023-12-24 12:38:00 | 福島
 午後、早い時間に散歩に出る。少しでも日が翳ってくると急に寒くなる。その前にのんびり散歩したいのだ。



 那須連山や猪苗代湖のほうでは雪が降っているのだろう。幸いこの辺は、日本海からの雪雲が奥羽山脈に遮られ、案外雪は少ないのである。



 テオにこちらを向かせ、写真を撮る。こうして見るとテオもすっかり大人の顔になっている。ジャニーズ系と思っていたけれども、最近はちょっとだけ男らしさが出てきたような気がする。

 1時間ほどブラブラしていると、どこからか野鳥の群れの囀りが聞こえてきた。なんだろう、エナガかなと思っていたら、タミちゃんが「メジロ、メジロ」と声をあげる。指差す方を見ると、柿の実を食べにメジロの群れがやって来ていた。



 いた、メジロだ! 姿を確認したので慌ててカメラを向ける。





 熟した柿の実を食べるのはヒヨドリくらいかと思っていたが、メジロも好物なのだろう。この冬初めてのメジロの姿にテンションが上がる。

 ひと口に野鳥と言っても、季節によって目にする野鳥の種類は違ってくる。渡り鳥ではなくても、夏の間は山の上に、冬になると餌の多い里に降りてくる野鳥は多い。

 僕が観察した感じで言うと、秋になり最初に目にするようになるのはモズだ。次にジョウビタキやヤマガラ、年が明けるとツグミがやって来る。春が近づくとコジュケイやウグイスの鳴き声を耳にするようになる。

 メジロは冬になると割りに頻繁に目にする。我が家の庭にも群れでやって来る。が、年の暮れに久しぶりに見るメジロの姿にはやはり興奮する。しばらくその場に足を止め、メジロが全部飛んでいってしまうまで観察していた。やっぱり可愛いなあ。

 ちなみに福島の県鳥はキビタキでゆるキャラはキビタン、大分県の県鳥はメジロで、ゆるキャラはメジロンである。本当にどうでもいい余談だが。
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寒い散歩

2023-12-23 11:18:11 | 福島
 東北の寒さにまだ順化していない僕の体にとって、急な冷え込みは堪える。今までは朝5時には起き、6時にはテオの散歩に出ていたが、今朝は起きると窓の外が白くなっている。さみー。トイレに行き、顔を洗いコーヒーを淹れると、すかさずコタツに潜り込む。散歩の当人のテオはと見ると、僕が抜け出した布団に「今度はオレの番」とばかりに潜り込んでいるではないか。「お前が行かないんなら、散歩は後回しだぞ」

 午前7時。さすがにあまりもたもたしていると、朝飯の時間がずれ、1日の予定が大幅に遅れてしまう。夏の間なら日が長いから、少々予定が後ろ倒しになっても大丈夫だが、日が短い今の時期だとあっという間に暗くなってしまって、何もできないうちに1日が終わるのだ。



 タミちゃんによれば今年最初の積雪だという。その割にはずいぶんしょぼいのだ。以前は11月にこのくらいは積もっていたが、年末でようやくうっすらとなるくらいだから、やはり暖かいのだろう。



 今朝は山登りに行っていたときの防寒用のズボンを履き、毛糸の帽子をかぶる。いよいよ本格的な冬対応の格好だ。テオは相変わらずの自前の毛だけだから寒そうだが、辺りが白くなっているのでテンションは高い。犬は喜び外を駆け回る。残してきたアンは姿が見えないから、コタツの中に潜り込んだままなのだろう。歌の通りだ。



 一昨日から庭の柵を作ろうと、板っきれを買ってきて青く塗り乾かしてある。朝飯をくったら組み立て、庭の隅に立てようと思っていたが、この寒さでペンキがじゅうぶん乾いていない。それになにしろ素手で大工仕事をするような気温ではないのだ。これはまた暖かくなったらやろうと、家の中にさっさと引っ込んだ。
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気温順化

2023-12-22 12:21:48 | ランニング
 山登りの世界では、高い山に登るときには高度順化を行うことは常識となっている。地球の大気圏内では、高地への移動などにより高度が上がるにつれ、気圧や気温が低下し、人の呼吸に必要な酸素を含む空気が希薄になるためである。4000〜5000m以上の登山においては、ある程度の高度に達したらいったん高度を下げ、休養後再び登るという過程を数度繰り返して高度順化を図る。

 高さに関しては順化ということが物凄く大事なことになるが、平地だって北へ行くほど気温が下がるのだから、気温順化ということが必要なのではないだろう。なんたって、つい数日前の九州の気温はほとんど夏日に近い20度超えだったのが、今日の福島は朝の気温がマイナス4度、最高気温でも4度という極寒である。



 朝7時前にテオの散歩に出ると、外はコリコリに凍りついている。雪はうっすらと辺りを白くしている程度だが、耳や鼻先がちぎれるんじゃないかというくらい寒い。ほぼ夏日に対応していた僕の体は、それだけで悲鳴をあげるのである。



 雪を被った安達太良山が、朝日を浴びて赤安達太良となっている。

 ここ1週間、走る時間が取れなかったので、今日は朝食後にランニングに出ることにした。午前中の気温はずっとマイナスである。僕の筋肉はちゃんと動いてくれるのだろうか。



 阿武隈川沿いの土手を走っていると、川面にはたくさんの白鳥が羽を休めていた。時々小さい群れが川から飛び立っていく。



 グエッグエッという白鳥の鳴き声を聞いていると、ああ、東北だなあと実感する。寒いのは寒いが、寒くないと白鳥だって飛来しないだろうから、暖かい冬というのはある意味面白くない。



 折り返し地点の小和滝の公園までやって来ると、目の前に安達太良山が勇姿を見せる。朝見た赤安達太良とはまた印象が違う。福島に来てすぐの頃、無謀にも12月の中旬に安達太良山に登ったことがある。頂上は吹雪いてホワイトアウトで、気温はマイナス20度という極寒であった。もう一度登れと言われても、「ちょっと」と断りたくなるような体験だった。面白いことは面白かったけど。

 さて、今日のところは気温順化のためのランニングのつもりで出てきたので、この辺で折り返し家に帰ることにする。年の瀬はいろいろとやりたいことが多いので、のんびりランニングも難しいのである。
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