おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

2016-08-31 11:45:00 | 福島

 各地で災害をもたらした台風10号だったが、我が家では庭のヒマワリが倒れたくらいで、近所の川も溢れず、この辺は大きな被害はなかったようだ。前もって大きさや進路がわかっている台風よりも、もしかしたら怖いのはゲリラ豪雨かもしれない。事実、数年前には阿武隈川や近くを流れる桜川が溢れ、かなりの家が浸水した。予測もなしに降られては、土嚢を積み上げるような余裕もないのである。

 で、今日は一転、朝から青空が広がった。湿度も低く、台風の余波か風が吹いているので、クーラーをつけなくても窓さえ開けていれば涼しい。といっても、カフェに来るお客さんの中には暑がりもいるから、クーラーをつけるかどうか温度計を確認すると、正午の時点で室温は27度。クーラーの設定温度が26度にしてあるからなんとも難しい判断が求められる。

 ただ、僕としては窓を閉める気にはならないんだなあ。時々風鈴がリンリン鳴ったり、すぐ近くでツクツクボウシが騒々しく鳴いたり、ザワザワと木の葉の擦れる音が聞こえたりする方が好きだ。

 最近の家はなるべく窓を小さく作り、エアコンで室内環境をコントールするようにできている。僕にはそういう家は息が詰まって暮らせそうにない。東京で働いていた時も、できれば窓を開けて欲しいなあといつも思っていた。朝、オフィルビルに入り、夕方に帰る頃には外が暗くなっていたりして、1日の経過が時計の針でしか判断できなくなっているのに気づき愕然とした覚えがある。

 窓の小さな家に暮らすというのは、なんとなくそこに住む人間までもが閉鎖的なんじゃないかと勘ぐってしまう。勝手な偏見だというくらいわかっているが、少なくとも開けっぴろげな人間にはならないような気がする。

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台風接近

2016-08-30 08:06:49 | 福島

 台風10号が、観測史上初となる東北太平洋側からの上陸をするかもしれないという。それだけ聞くとなんだか凄いことが起きそうな気がするが、よくよく聞くとかなり限定的だ。というのも、日本海側を回って東北に上陸したことはあるし、一旦千葉あたりで上陸した台風が、再び太平洋に出て東北にやってくることもある。今回の台風は、ただ単に日本のどこにも寄らずに、太平洋から東北入りするというところが初となるのだ。

 台風が近づいてきたので、昨日から天候が落ち着かない。ザーと降ったかと思うと、次の瞬間には空が明るくなったりする。昨日の休みも、朝からずっと雨だったのが、午後2時を過ぎたところで青空が広がり始めた。次はいつ降るかわからないから、犬たちの散歩を済ませておこうと2匹を連れて散歩に出た。

 風が強いので涼しいかと思ったら、陽の当たるところは強烈な日差しだ。空を見上げると、埃を風が吹き飛ばしてくれたおかげで、青を通り越して黒っぽく見えるほど色が濃い。皮膚がジリジリと焼けつくようだが、空気中には細かいミストが漂い、大きな虹もかかっている。日陰に入ると、今度は冷蔵庫のようにひんやりと冷たい。犬たちを熱射病にさせないようにと、なるべく木陰を選んで歩き、陽の当たるところは早足で通り過ぎる。

 犬たちは普段と違う時間に散歩に出たのでテンションが上がり、あちこちの草むらに突進しては道草を食う。いつもの散歩コースを外れ、今日はこっちへ行こうよと抵抗する。時間も早いし、じゃあ遠回りして帰るか。

 1時間半ほど歩きまわると、さすがに犬たちも暑さにへばったらしく、清水の湧いているところに連れて行くと、ドリはなんとかそこで寝そべろうと努力する。バケツくらいの大きさの受けの中に片足を突っ込み、次に体を入れようとするが、そのでかい図体が入るすべはない。

 午後4時過ぎ、雲行きが怪しくなる中、家までたどり着くと、その瞬間にバラバラと大粒の雨が降り始めた。おお、間一髪ではないか。

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先人の知恵

2016-08-28 10:29:01 | 福島

 イタリアで大きな地震があった。被災地が映し出された映像には、粉々に粉砕され、がれきの山となった町の景色があった。まだあの瓦礫の下には、多くの人が生き埋めになっているのだろうが、救助はそう簡単にはいかないのは明らかだ。レンガや石積みの建造物というのは、一見堅牢そうだが、地震などによって倒壊した時には、隙間という隙間が瓦礫と粉塵で埋め尽くされ、おまけにその重量は、人力ではどうしようもなくなる。

 その点、日本家屋というのは、昔から木材と紙でできたいた。たとえ倒壊しても、大きな柱によって内部にはかなりの隙間ができるはずである。おまけに軽く、救助するのにノコギリがあれば個人の力でも救助が可能になる。イタリアの地震の映像を見ていると、地震に対応した日本家屋の優秀さを思わずにはいられない。それは先人たちが経験の中から生み出した技術だったのである。

 レンガというのは、実は紀元前からある建築素材で、中国や韓国にも古いレンガ造りの建物はある。そうした建築素材を昔の日本人が知らなかったはずはなく、先人たちは日本では使い物にならないと考え、輸入しなかった。

 やがて時代は明治になり、一気に世の中の西洋化が始まると、旧来の日本家屋は古めかしいものだということになった。日本が文明国と呼ばれるには、レンガか石積みの建物がふさわしいと当時の人たちは考えた。だから、文明開化と呼ばれた時代、レンガ造りの建物が流行した。銀座にレンガ街ができ、横浜や小樽などにはレンガの倉庫が並んだ。そこには文明の最先端があった。

 しかし、そんなところに関東大震災がやってきた。人々は今更ながら先人たちの知恵に感心した。

 

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巨大台風

2016-08-27 16:34:55 | 福島

 台風が立て続けにやって来る。台風10号は、あちこちブラブラした挙句、いつの間にやら勢力を強め日本に上陸するつもりらしい。

 台風が続けてやって来るのも、台風の進路がいつもと違うのも、バカみたいに大きな台風になるのも、すべて温暖化が影響しているらしい。ただ、本当の原因は科学ではわからないので、「らしい」というしかない。

 化石燃料を燃やして出る二酸化炭素が地球温暖化の影響だと言われて久しい。民主党が政権を取っていた時には鳩山さんがCO2排出削減を宣言し、世界からやれるものならやってみろの拍手を受けていた。が、その後原発事故があったので、なし崩しに日本は火力発電所に頼らざるをえず、いつの間にかCO2排出削減は言わなくなった。

 二酸化炭素というのは水に溶けるので、もともとは地球上の7割を占める海に吸収されてしまう。従って大気中に二酸化炭素が増えるということはないのだが、それが増えたというのなら、海に溶け込む許容量を超えてしまったということだ。ちょうど風呂桶に水を溜めていたところ、ついに溢れ出したということだ。ということは、これからは排出した二酸化炭素は海には吸収されず、すべて大気中に溢れることを意味する。

 もしこれが本当なら、温暖化は加速度的に進むはずである。これまで大丈夫だったからこれからも大丈夫というのは、風呂桶に空きがあったからに他ならない。

 ただ、いくら目の前に危機が迫ろうとも、政治家もお役人も決して公表することはない。なぜなら、「民衆がパニックを起こすからだ」という。「本当はわかってたんですが、いろいろ努力するのが面倒でして」とは決して言わない。

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夏の終わり

2016-08-26 09:19:13 | 福島

 福島では子供たちの夏休みが終わり、二学期が始まった。僕が子供の頃、北海道や東北は夏休みが短いと話には聞いていたが、実際東北に来て、9月を前に一週間早く二学期が始まるのを見ると、なんだか可哀想だなあと思う。なんたって子供の頃は、お盆を過ぎた頃から憂鬱な想いで過ごしていたのに、それが一週間も前倒しになるのだから。

 夏休みの間、子供たちの登校がないので、朝の散歩はいつも静かだった。親が車で駅まで子供を送って行くこともないから、車の通りも少ない。が、二学期が始まったとなると、途端に賑やかな朝が戻ってきた。

 台風が続けてきているので、夏の風とも秋の風とも違う風が吹く。すべての台風が通り過ぎた後は、すっかり秋に変わっているのだろう。

 柿の木にはすっかり大きくなった実がぶら下がり、栗の木の下には、青々したハリネズミのような栗が落ちている。

 ススキの穂が目立ち始め、田んぼの稲にも気づかないうちに穂が付いている。

 赤じその葉っぱの上にアマガエルが張り付いていた。どうせなら青じその葉っぱに張り付かないと保護色にならず、鳥に狙われやすいんじゃないのかい。

 朝はずいぶん涼しくなったが、犬たちにはまだまだアスファルトの上を歩くのは暑いようだ。散歩から帰ると我先に家の中に上がりこもうとする。待て待て、お前ら足はきれいなんだろうな。

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展覧会に行く

2016-08-24 11:40:47 | 福島

 出品した「平和美術展」が始まったので観に行くことにした。カフェを開く時間までには帰ってこなければならないので、予定の観覧時間は30分だ。

 受付で芳名帳に名前を記入していると、「もしかしたらアクリルの絵を描いている人ですか」と尋ねられる。「違います」と答えるよりも早く、受付の後ろに飾ってあった絵の前に立ったので、そちらの方を見てみると、なんと僕の絵ではないか。そこで「アクリルじゃなくて、パステルなんです。ただしパソコン上でですけど」と返事する。

 それにしても、名前を書いただけでその絵の作者だと分かったということは、僕の名前をチェックしていたのだろう。本人はとっても自信がある作品を2点出したが、それはもしかしたら他の人の注意も惹いたに違いない。

 出展作品のタイトルは、「飛行機雲」(一番右)、「丘の上」(真ん中)。

 30分で帰るつもりでいたのに、横に立たれいろいろ話を振られるので、結局のところ45分も滞在する羽目になった。おまけに何かと話しかけてきた人が、名刺を見るとこの会の会長さんだとわかり、恐縮するアベさんであった。

 油絵にしろ水彩画にしろ、手描きであることがありがたがられるが、僕たちが絵を目にするのは、画集だったり雑誌だったりと、実は本にするためデジタルデータに変換されたものにすぎない。絵はやはり原画に限ると言われても、ゴッホが好き、ラッセンが好きと言う人の多くが、映像や出版物で好きになっているケースがほとんどではないだろうか。

「それだったら、アナログで作品を描いてデジタルに変換するよりも、これからは最初からデジタルで作品を作った方が、原画と出版物との表現の誤差が少なくなるのでは」みたいなことを話したが、会長さんはわかってくれたかな。

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こだわり過ぎ

2016-08-23 13:03:15 | 福島

 明日から日曜日まで、郡山駅前にあるビッグアイ6階の市民プラザで、「平和美術展」が開催されるので、今日は絵を2点搬入してきた。隣接する立体駐車場に車を止めるのに、なるべく会場に近い方が楽だと思い6階に止めて会場に向かったら、立体駐車場の方が屋根が低いので、ビッグアイに入ったらまだ5階だった。仕方がないので、飲食店の並ぶロビーを、大きな絵を抱えて素通りした。

 ネットで歴史の本を買って、昨日から読み始める。ちょうど幕末が終わり明治が始まるところなので、日本が一番変化するところで面白そうだ。数年前NHKの大河ドラマ「八重の桜」で、同志社大学を作った新島襄の奥さん、八重を主人公にしていたが、日本が江戸から一気に近代化する時代というのは、信じられないほどダイナミックだ。

 会津城での官軍との攻防では、スペンサー銃をぶっ放していた八重を見ていると、会津藩というのは自由な気風だったのかなと感じていたが、本を読んでいるとどうやらその反対だったようだ。なんとなくドラマを見ていると、結構勘違いしていることというのは多い。

 織田信長が天下を取るのに、銃の重要性を感じて鉄砲隊を作ったのは有名だが、武士というのは鉄砲なんて飛び道具は卑怯な人間の持つものだと思っていた。会津藩などは特に武士としての誇りの高い地域だったため、幕末の戦乱の中でも鉄砲隊を作ることを拒んでいたのだ。八重が銃を持つことができたのは、早い話鉄砲なんて足軽か女子供の持つ道具だくらいの認識しかなかったことの裏返しにすぎない。

 こういう話を聞くと、オリンピックの柔道が、組手ばかりにこだわる日本の柔道が、いつの間にか世界に通用しなくなっていたのを思い起こさせる。正々堂々だとか卑怯な真似はしないだとか言っている間に、敵はルールギリギリの攻防を仕掛けてくるのである。

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フリーマーケット

2016-08-22 09:58:46 | 福島

 台風が通り過ぎたと思ったら、また次が来ている。今年は台風が少ないな、なんて考えていると、自然はちゃんと帳尻を合わせてくる。せっかくの休日も、今日は1日大荒れの天気になるそうなので、家でじっとしていることにする。

 来週は郡山で平和美術展があり、その準備はすっかり終わったが、来月にはお隣の須賀川市でフリーマーケットみたいなものがあり、それを見つけてきたタミちゃんが、「青い犬」の宣伝のためにも絵を売ろうと言い出した。早速参加を申し込んだりしているが、出店の商品を作らなければならないので、休みを利用し額を作ることにした。これはこの前作ったのがなかなかレトロでいい感じだったので、少しバリエーションも変えて何点か作ろうと考えている。

 手作り額なのでなんとも隙間だらけで素人っぽいが、そこが味だと言い張ろう。それに絵葉書も合わせて並べるので、少しは足を止めてもらえるかもしれない。ただ、フリーマーケットではなかなか絵は売れないのはわかっているので、準備の大変さに比べると収益はないが、参加することでお祭り気分が味わえるなら、収支がトントンでもいいのかもしれない。

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私という壁

2016-08-20 08:54:33 | 福島

 体力作りとストレス発散を兼ねて、時々ランニングに出かける。走っていて楽しいのかと聞かれれば、苦しいばかりで別に楽しくないと答えたいが、運転中に歩道をランニングしている人を見かけたりすると、あ〜うらやましいなあ、僕も走りたいなあと思ってしまう。自分では気がつかなかったが、もしかして僕はM体質なのか。

 家を出るときには快調に走り出し、おお、今日は楽々走っているなんて自惚れていると、15分も走ればすぐにヨレヨレになり、そろそろ休憩しようかなと考えてしまう。いやいや、こんなに早くくじけるなんて、お前はそれだけの人間かと自分を叱咤激励するが、一度休憩の文字が頭に浮かぶと、もう先が続かない。せめてあの電信柱までなんて思っても、その前に歩いてしまう自分がいる。

 自分にとって一番の障壁は実は自分自身だということは、ランニングしていれば嫌というほど突きつけられる現実だ。

 世の中が悪い、会社が悪い、あいつが悪い、家族が悪い、環境が悪いと、自分がやれない言い訳はいくらでも思いつく。が、案外「私」という壁が一番高いということには思い至らない。

 オリンピックの選手が、勝っても負けても泣いているのを見ていると、「私」という壁を乗り越えてきた人たちに、ただただ感動するアベさんなのである。

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夢、希望

2016-08-18 13:37:26 | 福島

 本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。いろんな人に「夢」や「希望」のイメージを尋ねてみると、決して悪いイメージは抱いていないが、「欲望」となると話は違ってくる。が、よくよく考えてみると、「夢」や「希望」もまた「欲望」の一つであって、欲望を別の言葉で言い換えているだけとも言える、と。これはちょっと目からウロコだった。

 そう言われてみると、確かに「夢」や「希望」について、じっくりと考えたことはない。なんとなくいいイメージを抱いているが、もしかしたらオブラートに包まれているだけで、悪い意味もなければおかしい。世の中にはいいことづくめのことなんかないのだから。そんな幻想は、政治家くらいしか口にしないのだ。

 「夢」も「希望」も、結局のところ、「こうあってほしい」という願望だ。もっと言えば「欲望」だ。となると、その実現には当然のことながら「犠牲」というものが伴ってくる。オリンピック選手がメダルを獲り、「夢は諦めなければ必ず実現する」と口にするが、そこには必ず何らかの犠牲なくしてはかなわないものがある。

 人間にとって、夢のある社会や希望の持てる世の中と言っても、それは安全な社会や、衛生的な世の中のことを指しているかもしれない。が、その影で、野生動物や虫や菌類といったものが排除されていることを、もう少し自覚した方がいいのかもしれない。自分にとって都合のいいことは、すべての存在にとっても都合のいいことではないのである。

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