おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

真珠の耳飾りの少女

2024-04-30 14:05:23 | イラスト
 朝4時に起きて、水墨画の続きをやる。今回は超有名なフェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」だ。

 どうしてこの絵を描こうと思ったのかというと、理由は単純で、青色の絵具があったからにすぎない。この青はドジャースの大谷くんを描くために買ったのだが、完成した絵をすぐに知人に譲ったので、青い絵具だけが残った。

 何を描けば使えるかなと考えているうちに、ふとフェルメールの少女の肖像画が頭に浮かんだ。タイトルはわからないが、頭に巻いた青いターバンだ。少女はハスにかまえ、唇に少しだけ笑みを湛えている。

 で、3日間ほどかかりっきりでせっせと描いた。完成してすぐに写真に収めたのは、この前の大谷くんの絵のようにすぐに手放してしまうと、描いたという証拠が残らないからだ。



 ちなみに、「真珠の首飾りの少女」というタイトルだが、別名「青いターバンの少女」とか「ターバンを巻いた少女」というタイトルでも呼ばれている。どちらかというと、真珠の耳飾りより青いターバンのほうが印象的なのだ。

 というのも、青い絵具というのは、西アジア原産のラピスラズリという宝石から作った非常に高価なもので、この絵具を使っているというそのことだけでも、観る人は感心していたのである。
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次が出てくる

2024-04-29 12:18:29 | イラスト
 この前から取り掛かっていたビートルズのLet It Beの水墨画が完成した。うまく行ったかどうかはともかく、描き終わったのでこれはこれでおしまい。



 絵を描き始めるときには、いろいろ題材を探し、それをどう描くかということを考える。一応取り掛かりはするが、これを描いたらもうあとは描きたいものはしばらく出てこないんじゃないかと心配になる。それでも描いていくうちに、ふと次の構想が出てくるから不思議だ。

 案ずるより産むが易しとは、いろいろ考えるよりも、手を動かしていると次にやることが見えてくるという意味だ。

 今回もビートルズの絵を描いているうちに、一本だけ買った青色の水彩絵具を使う場所がないなと残念がっているうちに、ふと青い色が特徴的な絵が思い浮かんだ。それはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」だ。この絵のテーマは真珠の耳飾りだが、この絵を観た人の印象に残るのは、少女が巻いている青いターバンだ。

 だったら、青い絵の具を使うのにちょうどいいじゃないか。というわけで、ビートルズの後はフェルメールを描いてみることにした。



 というわけで、途中まで描きかけているが、描いているうちに次の絵の構想が頭に浮かんできた。こうなると早くフェルメールを終えて、次に挑戦してみたくなるのだ。

 世の中には「今日は何をして過ごそうか」「明日はどうしようか」と悩み、いつも「やりたいことがない」と嘆いてばかりいる人がいるが、うまく行くかどうかなんて考えずに、とにかく初めてみれば、次にやるべきことが出てくるというのが人生のような気がする。
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初夏になっちゃった

2024-04-28 11:08:57 | 福島
 気温がぐんぐん上昇し、まだ4月というのに季節はすっかり初夏になった。ちょっと前なら4月の終わりでも雪がうっすら積もったりしていたので、どんだけ季節が進んでいるんだとビックリする。今週、トラックで灯油を運んでくれる灯油屋さんがやってきたが、もう全然灯油を必要としていないので、申し訳ないのだ。

「梅雨時期までは定期的に来ます」と言うが、今後寒さがぶり返さなければ、まったくの無駄足になってしまうだろう。タミちゃんは、梅雨時期まではまだ寒い日があるよと言うが、とても信じられないのである。

 テオを連れての午後の散歩も、今まではなるべく早い時間の暖かい時間帯に出かけていたが、ここ数日は日があるうちは暑いので日陰を選んで歩いている。まだ八重桜や山桜は咲いているが、咲いたと思ったらすぐに満開になり、翌日には散り始めるという早さである。

 雑木林はこの数日ですっかり若葉が出て、こんもりと初夏の森になっている。農家の人は慌てて田んぼの準備を始めたが、用水路ではカエルの大合唱が始まっている。



 至る所にタンポポが咲いているなあと思っていたら、昨日は至る所で花は綿帽子に変わっていた。



 カラスノエンドウがバカみたいに成長し、クズの蔓があちこちから蛇のような姿で伸び始めている。花の季節は終わりに近づき、これから咲くとしたらツツジくらいだろうか。



 霜が降りるかもしれないからと、夏野菜の苗を植えるのは控えていたが、霜が降りそうな気配はない。それどころか、早く植えてしまわないと、猛暑で苗がダメになってしまうかもしれない。植えたばかりの種芋は一斉に葉っぱを茂らせているが、あまり暑いと腐ってしまうこともあるだろう。

 暖かいのはいいが、あまり暑いと畑の作物にも異変が起こるだろう。海では温暖化で魚の生息域が変わってしまっているが、野菜だって高原野菜なんかは育たなくなるのかもしれない。
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絶滅危惧自治体

2024-04-27 11:45:15 | 日記
 数日前のニュースで、経済界有志や有識者らでつくる人口戦略会議は全体の40%超の744自治体が「消滅可能性」があるとの報告書を発表した。ここ福島県内は33の市町村が該当した。「消滅可能性」の定義として、子どもを産む中心の年代となる20~39歳の女性が半数以下となる自治体ということで、いくら子供を増やそうと頑張っても、子供を産む層がいないのだからダメである。

 で、日本中の自治体が大騒ぎしているが、もはや手遅れだ。簡単な話、子供を産める人の数が減れば当然子供の数が減り、そうすれば将来ますます子供を産める人の数は減る。今からできることは、人口が少ない中でどうやって自治体を維持できるかということだけである。

 今でも地方では、若者の移住をいかに進めるかというような政策が取られているところが多い。が、これは少ないパイを取り合っているだけで、日本全体で言えばまるっきり効果がない政策である。

 今年、成り手がないというので今住んでいる地区の副区長を引き受けるはめになった。10年住んでいるが、ここで何が行われているのかよく知らないでいたが、なってみると驚くことばかりだ。毎年同じ行事や活動が横滑りしているだけで、マンネリ化した自治が行われている。ここも当然ながら「消滅可能性」に入る高齢者ばかりの土地なのだが、スポーツ大会の名のもと、ソフトボール大会やらバレーボール大会が開かれている。普段はグラウンドゴルフやゲートボールしかやらない年寄りばかりなのに、種目は長い間変わらない。

 子供がいなくなったのに、子供に小さな山車を引かせる祭りや盆踊りを続けようとする。年寄りは歩いてついていくのさえ難儀だと訴える。

 みんなが変えなえればならないと話すのに、何一つ変えられないのは国会と同じである。活動内容は乏しいのに、会議ばかり多く、スリム化しなければならないのに、それも難しい。こうなるとほとんど野生動物の絶滅危惧種を見る思いである。

 これだけ交通手段が発達し、インターネットなどの通信手段も進歩したのに、行政だけは明治時代である。さっさと市町村なんていう小さな自治区を廃止し、そろそろ道州制に移行しないと、日本自体が消滅可能性国になってしまうのではなかろうか。
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息するのを忘れる

2024-04-26 11:03:47 | 日記
 ビートルズの「Let It Be」のアルバムジャケットを水墨画で描き始めて1週間近くが経った。4人の顔を同じくらいのクオリティーで描かなければならないから苦労する。ひとりでも失敗したらそれまでである。

 で、とりあえず最後のジョージ・ハリスンまでたどり着いた。



 が、あくまでも「とりあえず」であって、これから鉛筆の跡を消したり、周囲のベタ部分のムラをなくしたりしなければならない。おまけにメンバーひとりずつに費やした時間が異なるので、丁寧さで少しバラツキがある。この辺を修正していかなくてはならない。

 何はともあれ、1ミリでも線がずれれば別人の顔になってしまうので、描いている間はほとんど呼吸を止めている状態だ。ちょっと描いてはゼーゼー言っている。これだけ集中するのは久しぶりだ。歳を取れば取るほど要領が良くなって行くので、どうしても途中で手を抜いてしまう。

 ただ、この歳で集中して何かをやるというのは、なかなか面白い経験だ。若い時のように試験があるわけでもないし、大勢の人の前に立たなければならないということもない。絶対に失敗できない仕事があるわけではない。ぼんやりしていると、脳みそはそのうち動かなくなってしまうだろう。

 ここ2年間、ずっと続けている習字も、同じお手本を1年間以上書き続けていた。中国の漢詩がお手本なので、漢字を写すだけで何が書いてあるのかよくわからないまま、とりあえず字の形を写す練習だと自分に言い聞かせていた。

 そんなお手本も最初から4回書いたので、いよいよ卒業することにした。とはいえ、次は何を書いたらいいかわからない。どうせなら書いていて面白い文章を書きたい。それには漢詩なんかより、日本の古典をお手本にしたい。で、ネットで探したら、「徒然草」と「奥の細道」の習字のお手本があった。じっくり読みたいのは「徒然草」だが、現代に近い分、「奥の細道」の方がわかりやすい。

 で、最初だからと読みやすい「奥の細道」を選んだ。届いたのは、日本習字普及協会発行の「おくのほそ道を書く」(加藤泰玄著)だ。早速昨夜から練習を始めた。習字も最初はお手本通りに書かなければならないから、息を止めて集中して書く。



 絵を描くのに飽きたら、習字で気分転換と思っていたが、絵にしろ習字にしろ、息を止めてやっているので、1日がひどく疲れるのである。
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走って歩いて走って

2024-04-25 13:24:20 | ランニング
 風は強いものの、朝から青空が広がった。昨日までは春霞なのかPM2.5なのか、遠くがシラっちゃけて埃っぽかったのだが、風が吹き飛ばしてくれたのか、紫外線バリバリの真っ青な空になった。



 日差しが強いので、アンも窓辺で体を伸ばし、外の景色を堪能している。まるで初夏の空気感なのだ。



 こんな日にランニングしないなんて選択肢はない。朝食後には早速着替えて準備をする。



 コースはどうしよう。里山を走る滝桜コースにしようか、それとも阿武隈川の土手を走るコースにしようか。4月は観光客が殺到する滝桜コースは敬遠していたが、桜も終わったので観光客もいないだろう。



 どっちがいいと思う?とタミちゃんに聞くと、こんな天気がいいのなら、視界が広い土手のコースでしょという。やっぱりそうかな。暑くなったら日陰の多い里山を走った方がいいが、このくらいの暑さなら視界優先だ。

 というわけで出発する。今日は気持ちがいいので、なるべく長く走りたい。15分走って1、2分歩くということを繰り返す。普通にずっと頑張って走るより、強く走って休憩するを繰り返したほうが心肺機能を鍛えるというのを聞いたことがある。筋肉は同じように使うより、休憩を挟んで鍛える方が効率がいい。心臓だって肺だって、筋肉で動いていることを考えれば、インターバル走は理にかなっている。

 そんなことを繰り返しながら、20キロほど走る。安達太良山に雲がかかっていたので、歩いているのを利用してスマホで写真に撮る。



 家に帰ると、2時間10分ほど経過していた。帰り着くなり、強風は暴風に近くなった。この風じゃあ、向かい風だと走れなかったな。
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見るということ

2024-04-24 11:13:00 | イラスト
 例えば、子供が友達と腕相撲をしている絵を描くとする。すると、画面中央にバカデカく、組み合った2本の腕を描き、それにつながる形で人間を小さく描いたりする。デッサンが狂っているなんて横から大人が口を出すのが野暮なのは、子供にとっては腕相撲をしているところを描きたいので、力の入った腕以外は添え物みたいなものだからである。

 アフリカの大地で、森から一歩も出たことがない種族を、広々とした草原に連れて行ったところ、遠くにいる象を見て、「あれは象ではない」と言った。どうしてかを尋ねると、「あんな小さな象は象ではない」という答えだった。彼にとって森の中で遭遇する象はいつも至近距離であり、地平線近くにいるということがどういうことか分からなかったからである。

 人間はいつだって見たいように見る。錯覚の図を見て騙されているのは目ではなく、脳みそが勘違いを起こしているからである。初めて見るものならば、どういう構造をしているかとか、どういうフォルムをしているかとか、目を皿のようにして注意深く見るが、見慣れたものでは脳が勝手に処理し始める。常に見るものが初めましてでは、生活するのに苦労する。

 一般に絵が下手くそな人というのは、実は脳みそが活発に動いているからで、見たものがすぐに脳みそに送り込まれるために、脳みそにある観念に置き換えられる。友人の顔を描きなさいと言われても、友人の鼻を見た瞬間、自分の脳みそにある鼻のイメージに置き換えられる。見たままを描くということを、脳みそが邪魔するのである。

 若い時、テレビ番組を見ていたら、絵が一瞬にして上達する方法というのを紹介していた。それは海外の学校で取り入れられている方法だったが、1枚の写真を隣に置いてなるべくそっくりに描くというやり方だった。が、普通のやり方と大きく違ったのは、写真の上下を逆さまに置く、というそれだけだった。それだけのことで、脳みそは勝手に暴走しなくなる。

 早速白黒写真で実践してみたら、上下反対になった人の顔を描くというのがいかに難しいかを実感した。どこがどうなっているのか、まるでわからないのだ。仕方がないので、壁のシミでも写すように、白と黒の配置をそのまま移して行くしかなかった。が、完成した自分の絵を逆さまにして驚いた。今まで描いたことがない、まるで写真のような絵に仕上がっていたからである。

 それからは、見たいように見るのではなく、見えたままに見るということを意識している。

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証拠写真

2024-04-23 10:57:30 | イラスト
 焼き物にしろ絵画にしろ、趣味で作品作りをしている人の悩みの種は、作品の数が増えることで収納する場所がなくなることだろう。コレクターと呼ばれる人も、同じ悩みを抱えているかもしれないが、コレクターにとっては所有する物の数が増えることは嬉しいことなので、嬉しい悩みと言えるかもしれないが、焼き物や絵画というのは出来の悪いものも同時に増えていくので、どうしようもなくなって行くのである。

 収納スペースがなくなったからといって、作品作りを減らしたら、それは本末転倒になる。上達するにはとにかくたくさん作って行くしか方法がないのだから、あとは出来上がったものをなるべく人に譲るという方法で数を減らすことで対処するしかなくなる。

 若い頃、使わなくなった油絵の道具を譲ってもらったことから、なんとなく絵を描くようになった。最初は面白がってキャンバスに向かっていたが、次第に増えていく油絵に悩まされるようになった。おまけに油絵は乾かすのに時間がかかる上、絵の具を溶かす油の匂いも結構きついのだ。狭いアパートの一室で描くのも限界がある。

 そこですぐに乾くポスターカラーを使ってイラストボードに描くようになったが、大きなボードに描けばやはりかさ張る。そこで出来のいい物を人にあげるということをするのだが、それだと出来の悪いものばかりが手元に残るというジレンマに陥る。

 で、思いついたのが、数が増えても収納に困らず、人にあげてもオリジナルは手元に残るパソコンを使った絵を描くようになった。これだと数百枚の作品だってUSB1本に収まってしまうし、プリントすればいくらでも人にあげられるのである。

 が、パソコンで描くというのは、どうしても「パソコンが描く」というふうに思われてしまい、「やり方を教えてください」と簡単に頼まれる。「普通に絵を描くのと同じですよ」と言っても、信じてもらえないのである。更に最近のAIの進化で、タイトルさえ命令すれば勝手に絵を仕上げてしまうようになると、パソコンで描くというのはますます機械の性能だと思われてしまうのだ。

 そんなこんなで、最近は再び筆を使って絵を描くようになった。最新作は水墨で描いたドジャースの大谷くんで、そこに水彩の青で着色した。満足する出来だったので、額に入れて飾ったら、その日のうちに知人がタラの芽を持って遊びに来た。タラの芽を頂戴しながら、大谷くんの絵を見せびらかしたら、「これ、いいんですか」とタラの芽のお礼だと勘違いされた。とはいえ、タラの芽を持ってきてくれたわけだし、絵なんてもう1枚描けばいいだけだと、そのまま持って帰ってもらうことにした。

 お客さんが帰ってすぐに、「あっ、写真に撮っておくのを忘れてた」と慌てた。頑張って数日かけて描いたのに、証拠が残っていないのである。

 というわけで、今度はこまめに写真を撮っておこうと、昨日から描き始めたビートルズの「Let It Be 」のジャケットの水墨画を写真に撮ることにした。

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贅沢な食卓

2024-04-22 11:28:12 | 福島
 昨日、畑の周囲の草刈りをした。例年ならゴールデンウイークの頃に最初の草刈りをするのだが、温暖化で桜の開花も早くなっているし、季節はどんどん前倒しになる。雑草だってぐんぐん大きくなっているのである。

 で、2時間近くかけて畑の周囲の草刈りをしている間、タミちゃんはトマトやキュウリ、ナスといった夏野菜のためのマルチを張ったり支柱をたてたりして、すっかり我が家の畑は畑らしくなった。



 この前植えた種芋も、今年は順調に小さな葉っぱを出している。去年はなかなか出なかった上に、所々出ないままのところもあったりして、あまり出来が良くなかったのだ。今年は去年より種芋の量は少ないが、収穫は増えるかもしれないと期待している。



 朝、テオの散歩がてら畑に立ち寄り、畑の様子を見に行く。昨日の今日ではほとんど何も変わらないが、レタスが食べごろになって来ているので、収穫して帰ることにした。



 畑の周囲を散策してみると、ワラビが1本だけ顔を出していた。もう少し経てば、我が家で1回食べるくらいは収穫できるだろう。昨夜はタケノコとタラの芽を茹でたところに、辛子味噌と我が家の庭に生えている山椒の葉っぱを乗せて食べた。お昼には突き立てのヨモギ餅を食べた。旬のものが食べられるというのは、お金を出してもなかなか食べることができない贅沢なのである。
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今年二度目のよもぎ餅

2024-04-21 10:54:55 | 福島
 去年からよもぎ餅を作るようになった。タミちゃんちの実家に使っていない餅つき器があったことと、散歩中にヨモギが生えているのを至る所で見たことがきっかけで、これは作るしかないだろうということになったのだ。

 で、今年は小豆を買って、アンコにも挑戦することにした。といってもアンコももち米の準備もタミちゃんだが。

 というわけで4月の初めに1回目を作った。家での餅つきで何が大変といって、つきたてのお餅がすぐに固くなってしまうことだ。熱々の火傷しそうな餅の大きな塊から、食べやすい大きさに千切り、それでアンコを包まなければならない。ところが、1回目の時には餅つき器を動かし始めた途端に、僕に来客があり、蒸し終わったところで入れ替わるように別のお客がやって来た。

 そんなわけでモチは突き上がったが、僕は全然手伝うことができなかったのだ。

 そこで2回目に挑戦することにした。今度はお客が来ない時間帯にということで朝イチで作ることにし、もし来客があっても面会謝絶にした。

 ヨモギはこの2週間ほどでたっぷり摘んでいた。もち米は昨日の間に水に浸していたので、朝食後餅つき器にセットしてスイッチオン。30分ほどで蒸し上がり、次に突く動作で15分ほど機械を動かす。白い蒸気に混じって、ヨモギの春らしい香りが家中に漂う。

 突き上がったモチは広げておいた片栗粉の上に取り出し、まずは小さくちぎって前もって用意しておいた大根おろしの中に放り込んでいく。突き立てのモチの一番うまい食べ方は、大根おろしに入れ、ポン酢をかけ、それを焼き海苔で包んで食べるやり方だと僕は決め込んでいるのだ。



 次はアンコ入りヨモギ餅の番だ。小さめに千切ったヨモギ餅で、丸めておいたアンコを包んでいく。アンコは全部で32個。従ってアンコ入りヨモギ餅も32個。残りはアンコなしのヨモギ餅だ。

 すべての餅が完成したので、早速大根おろし餅を食う。うまいうまい。こんなうまいものがその辺に生えているヨモギからできるなんて、なんて幸せなんだろう。

 食べきれない分はジップロックに入れて冷凍しておくと、次からはオーブントースターで軽く焼くだけで、柔らかいヨモギ餅を食べることができる。



 今年も春の味覚であるフキノトウ、タラの芽、ヨモギ餅、タケノコを食べることができた。こうして春は過ぎて行くのであった。
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