おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

頭が大きい

2016-06-30 11:13:26 | 福島

 タミちゃんの友人から、「息子が絵の道に進みたいと言っているので、何か話をしてもらえないだろうか」というお願いがあった。僕は絵で食っているわけでも、専門の勉強をしたわけでもない。だから、何か意見を言うこと自体大変失礼な気がしたので辞退したかったが、向こうはそういうことも承知の上で、何でもいいから話を聞かせてくださいという。それならと、とりあえず会ってみることにした。絵と言っても広い世界のことなので、作品を見てみないことにはどうしようもない。

 で、直接話をしてみると、学校を卒業して就職しなければならないが、できれば好きなことができるような道に進みたいらしい。そこで考えてみると、自分は漫画を読むのが好きなので、漫画家になりたいと決心したようだ。

 では、何か作品があるなら見てみましょうと尋ねると、スケッチブックを取り出し最近始めたばかりというデッサンの幾つかを見せてくれた。

 ここからプロの漫画家を目指すというのは、最近サッカーを始めた少年がJリーグの選手を目指すくらいハードルが高いのだ。もっとも、本人のやる気と努力次第なので僕には難しいとか無理だとかの判断はできない。世の中には周囲の反対を押し切って何事かを成し遂げる人は数多くいるから。僕としては、なるべくたくさん手を動かして勉強してくださいというしかないのである。

 彼がそうだとは言わない。が、一般的な傾向として、何もしないうちに夢ばかり語る人というのは、現代人に増えてきたんじゃないかと僕は思っている。小説の1行も書いたことがないのに、「私の人生を小説にしたらきっとベストセラーになる」という人もいるし、ギターを買っただけで、スターになったつもりでサインの練習を始める人もいる。

 便利な道具のなかった昔は、とにかく自分の体を動かしてみないことには何ひとつとして先へ進まず、どんなに勉強ができても、不器用なヤツというのは馬鹿にされた。人が何事かを習得するとき、どんなに便利な世の中になっても、体で覚えるということでしか成しえない。

 サッカー選手やオリンピックの選手が、「夢をあきらめないことが大切だ。夢は必ず叶うから」と言う。それは「努力を続ければ夢が叶うこともあるだろうから、決して努力を怠るな」という意味だ。が、夢を語ることばかりに熱心で、一向に体は動かさない人は多い。現代人の体は貧相なまま、頭ばかりがどんどんでかくなる。ネット上の匿名の書き込みの盛り上がりなど見ていると、すでに頭だけの生物になっているのかもしれないなと思うアベさんなのである。

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間違ったイメージ

2016-06-29 13:12:57 | 福島

 今年になって浮気と覚醒剤のニュースばかりが流れる。イスラム国はまだ存在しているし、イギリスのEU離脱も国際的な大問題だ。それなのに、都知事が「クレヨンしんちゃん」を政治資金で購入したとか、芸能人が麻薬で逮捕されたとか、挙げ句の果ては当人たちの問題であるはずの浮気のニュースまでが溢れる。なんて、のどかな国なんだろう。なんて国だ。麻薬だの浮気だのというのは、幸せな国だという証拠なのだろうか。人間、食うに困ればそれどころじゃなくなるのだから。

 それにしても覚醒剤なんてのは、効き目が切れたらどうなるかということは散々耳に入ってきているわけだから、そもそも手を出すこと自体がどこかしら間違ったイメージがあるからなんだろう。麻薬に手を出すことがいかにカッコ悪いかというイメージを、徹底的に若者に植えつけておくのが一番効果的だろう。

 これは根拠のない話ではない。昔、日本でキリスト教の弾圧があった時、キリスト教信者が幕府によって磔の刑になるごとに信者が増えていったという。見せしめにするつもりだったのが、十字架の上で磔になる姿に、殉教者としてのカッコ良さを感じたからである。そこで、幕府は磔をやめて、徹底的にカッコ悪い刑罰にすることにした。十字架をやめ、地べたを這いずり回るようにしたり、糞尿垂れ流しにさせたりと、情けない姿で処罰することにしたのだ。その結果、キリスト教徒は激減したそうである。

 麻薬を使うと笑われ者になるような、喜劇でしかなくなるような、そんな滑稽なイメージを広めることこそが麻薬を遠ざける一番の方法のように思う。廃人になった姿を見せて、「こんなに怖いんだぞ」みたいな脅しは逆効果に違いない。

 同じように間違ったイメージがはびこっているのが役人の「天下り」だ。そもそもお役所が上、民間が下という意味の「天下り」なんて言葉を使うから、お役人の不正が治らない。ここはひとつ「ウンコたれピー」とでも言葉を変えるといい。「また、厚生労働省から民間へのウンコたれピーが明らかになりました」とニュースで流れれば、お役人もさすがに恥ずかしくなるだろう。

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夢見る犬

2016-06-28 11:33:51 | 福島

 夜、テレビを見ている間、犬たちは床にべったりと横になって寝ている。寒いうちは丸くなって動物らしいが、今のように暑くなってくると、全くの無防備でだらしなく横になっている。野性味のかけらもないのだ。

 犬を飼っている人ならわかるが、犬も人間同様寝言を言う。フニャフニャ何か言っていたかと思うと、ウフッとちょっぴり吠えてみたりする。どこかの犬とケンカしている夢でも見ているのか、それとも何かおいしいものを食べている夢を見ているのか。

 昨夜はトトが突然痙攣を始めた。と思ったら、どうやら夢の中で全力で走り回っているらしい。普段の散歩では走るどころか駆け足もしなくなっているのに、夢の中ではまだまだ若いのだろう。最初は後ろ足を蹴るような仕草を見せていたが、次第にスピードに乗ってきたのか、前足も一緒に前後させている。すごいすごい、こんなに走っているトトを見るのはいつ以来だろう。

 ドリの場合は、夢の中では大体後ろ足だけを使って走る。大型犬が寝ぼけて必死に地面を蹴ろうとしている姿は、見ていて飽きない。けれども、「なんて、めんこいんだろう」なんて顔を近づけていると、プ〜ンと異臭が漂ってくることがある。「あっ、こいつ、寝っ屁しやがった」

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レトロな額縁

2016-06-27 14:18:35 | 福島

 せっかくの休日なのに、まだなんとなく腰が重たい。そろそろジョギングでも始めようと思っていたが、走っている途中でギクッとなったら怖いので、今日はやめておく。それにジョギングに出て、帰りはタクシーを使うことにでもなったら、なんのための運動かわからない。というわけで、朝から伸びすぎた庭木を切ったり、本を読んだり、作りかけていた額縁の続きをやることにした。

 額縁は、ホームセンターで小さなベニヤ板と板を買ってきて、それをA4サイズのものが入るくらいの大きさに切る。難しいのは、板を45度に切っていくことだ。これが額縁の角になるわけだが、ノコギリで切ると、どんなに正確に切ったつもりでも隙間ができてしまう。

 どうせ隙間だらけの額縁なら、いっそのことレトロなものにしてしまえば、少しくらいのグダグダ感が、かえっていい感じになるかもしれない。そこで、一度塗ったペンキを紙やすりで擦って落とす。世間には、ゴミ捨て場にあるような机だのテーブルだのをありがたがって高額で買う人もいるので、レトロな額縁だって案外捨てたものではないかもしれない。

 それにしても、わざわざ長年使用したようなものを作るというのも、なんだかなぁ〜という気もする。

 これが完成品。写真ではレトロ感がわかりにくいが、ペンキをわざわざ剥げちょろけになるまで落とした。

 家の中に飾るとこんな感じ。かき氷のイラストがよりレトロ感を増しているのである。

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晴れ間に浮かれる

2016-06-26 11:36:26 | 福島

 連日天気が悪い。犬たちも乾く暇もないレインコートを無理矢理着させられ、おまけに散歩の距離は短い。雨の日はカメラを持って出る気もなく、たまに持って歩いても身近なものばかりを撮るようになる。葉っぱの上のカタツムリとか、水も滴る草木とか。それはそれで可愛らしかったりきれいだったりするのだが、気持ちは空同様に晴れて来ない。

 ところが、今朝は起きるなり外から眩しい光が差しているではないか。おお、久しぶりの快晴なのだ。風はそよそよと涼しく、梅雨の合間の貴重な最高の散歩日和なのである。

 いつもよりも少しだけ遠くまで歩いてみる。晴れているというだけで、テンションは高くなるのだ。

 浮かれる二人。晴れ間だ晴れ間だ、ワッショイワッショイ。

 それを上空から眺めているノスリ。

 畑から何事かと見ている猫。

 ところが、散歩から帰ってくると、空は再び厚い雲に覆われてしまった。

 

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手作り

2016-06-25 12:21:38 | 福島

 クーラーの室外機が、強い雨の日には濡れてしまうので、木材を買ってきてカバーを作ろうとホームセンターに出かけた。

 室外機のサイズをメモして行ったので、必要になるだろう木材を物色し見積もってみると、結構な金額になる。想像していた以上の出費に、買おうか買うまいか悩む。何か他の方法はないかとブラブラしていたら、室外機カバーなるものがちゃんと売っているではないか。おまけに値段は3500円くらいなので、自分で作るよりもべらぼうに安い。ただ、ガーデニングのラティスなどと同様に、思いっきり安物の木材を使っているので、おそらく屋外においていたら2、3年でダメになってしまうだろう。仕方ない、今日のところは考え中というところで、検討しなおすことにした。

 でも、せっかく出かけてきたのだから、手ぶらで帰るのももったいない。じゃあ、自作の絵を入れる額でも作ろうかなと材料を物色する。昔、海から流木を拾ってきて、それで額を作ったことがあるが、我ながら惚れ惚れするような出来だったのだ。ホームセンターには流木はないし、額自体が安く売っていたりするので、どういう額にするかが難しい。

 結局1000円ほどでベニア板と細い板を買ったので、これで挑戦してみることにする。今回は、形は平凡なものしかできないが、色付けに凝ってみようかなと思う。うまくいったら大量生産して、フリーマーケットででも売ってみよう。

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犬が話せたら

2016-06-24 12:00:40 | 福島

 あと一週間ほどでトトの誕生日がやってくる。誕生日と言ったって、捨て犬だったトトを動物病院に連れて行ったら、獣医さんが「生後三ヶ月くらいなので、誕生日は7月1日にしましょう」と決まったのだ。だから、7月1日で満15歳になるが、僕との出会いは9月で15年を迎えることになる。

 東京から大分に生活の場を移し、田舎では絶対犬を飼うんだと決めていた。あちこちで犬がいないか聞いて回っていたら、近所の人が捨て犬がいると情報をくれた。

 トトを飼い始めるにあたって、心ひそかに決心したのが、捨て犬を引き受ける以上、日本一幸せな犬にしてやろうということだった。何を持って日本一幸せなのかはわからないが、トトと過ごすことを僕の生活の最重要事項とし、僕の体調や気分次第で付き合い方を変えるのではなく、常に同じ気持ちで接することにした。

 そして、昔のように放し飼いにできない以上、犬の行動範囲は飼い主が連れ回ったほどしかないので、1日も欠かさず散歩に行き、休日は遠くまで出かけた。ついには、あちこちの山登りにも一緒に行き、北海道から鹿児島までトトと一緒に旅行をした。

 もしトトが人間の言葉を喋れば、その辺の人間よりもよほど多くの体験を語るかもしれない。あるいは何事かを悟ったかのように、泰然自若として多くは語らないだろうか。

 近頃、15歳を前にして急に歩く速度が遅くなってきた。散歩に出てしばらくは元気がいいが、急な坂道に差し掛かったりすると、途端にペースダウンしてしまう。そういう時はリードで少し引っ張りあげてやるくらいでなければ、今にも立ち止まってしまいそうだ。若い頃から足腰は鍛えてあるから、まだまだしっかり歩いてもらわなければ困るのだ。

 もし犬が言葉を話せるなら、僕はトトに聞いてみたいことがある。「君にとって幸せな人生とは、どういう生活のことかい」。

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考えたら不思議なこと

2016-06-23 13:02:36 | 福島

 この前、レンタルDVDで唐沢寿明が主演の「杉原千畝」の映画を借りてきた。どこかの70周年だかで社運を賭けてみたいな大掛かりな映画だったが、内容は史実に引っ張られすぎて面白くなかった。これだったら昔テレビドラマで反町隆史が演じた杉原千畝のほうが出来が良かったような気がする。

 杉原千畝は、日本のシンドラーとも呼ばれ、第二次大戦中リトアニア大使として領事館で働いている時に、ポーランドから逃げてきたユダヤ人にビザを発行することで多くの命を救ったことで有名だ。ただし、当時ナチスドイツと同盟を結んでいた日本では、杉原千畝のやったことは国の政策に反することだった。戦後国賊として身分を剥奪され、日本の外務省から抹殺されていたが、ユダヤ人たちの訴えにより、2000年になってようやく日本国政府は杉原千畝の名誉を回復したのだった。

 映画が面白くなかったので、スピルバーグの「シンドラーのリスト」を久しぶりに見直してみた。やはり監督として力量は圧倒的で、涙なくしては最後まで観ることはできなかった。こういう壮大なドキュメンタリータッチの映画は、日本人は苦手なんだろうか。

 そんなことを考えていたら、同じくドキュメンタリータッチで製作され、カンヌ映画祭で初めて満場一致で最高賞の栄冠に輝いた古い映画「木靴の樹」を観たくなったので、これも見直してみることにした。貧しさに打ちひしがれた農民の生活を扱ったイタリア映画で、これまた涙なくしては最後まで観ることができなかった。

 ある科学者が、人間の特異な能力として、映画や小説など、自分とは何の関係もない人間の、それも架空の話にでも共感したり感動したりできると言っていた。自分の身が痛むわけでもなく、自分の身の上とリンクすることがまったくないような話でも、僕らは想像力を使いその作り物の人物のすぐ隣を歩くことができる。考えたらなんとも不思議な能力だが、この能力がなければ、僕らの人生は自分のためにだけにしか存在しない、退屈な世界になってしまうだろう。

 逆を言えば、想像力が低下してくれば、僕らはたちまち袋小路に追い詰められるかもしれない。

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どこかが悪い

2016-06-22 12:28:24 | 福島

 先週草刈りの時に痛めた腰が、ようやく回復してきた。少しひねっただけで、いつグキッとなるかわからない状態だったので、動き出しはなるべく腰を曲げないようにまっすぐに保ち、そおっと立ち上がる。振り向く時も体をまっすぐにしたまま全身で振り返る。まるでロボットダンスでも踊っているようだ。調子がいいかなと歩いていると、次第に腰が重くなり、途中からアシモ君みたいな歩き方になる。

 腰が痛いだけなので、デスクワークをするのには差し支えないはずだが、どこか調子が悪いというのは、テンションさえだだ下がりだ。本を読んでもテレビを見ても、一体何が面白いのかと人生をハスに構える。

 ニュースを見ていたら、北海道でまた凄惨な事件が起きていた。30過ぎのおっさんが、人生を終わりにしたかった、死刑になりたかったので誰でもいいから殺してみたと、通り魔事件を起こしたのだ。人生を終わりにしたければ、誰も巻き込まずに終わりにしてほしいが、大体人生を終わりにしたいというようなテンションだだ下がりの時というのは、案外体のどこかの調子が悪いくらいの原因だったりする。これは僕だけの意見ではない。フランスの哲学者アランもそう言っている。人生がつまらないとか、いいことなんてひとつもないなんてネガティブな原因を探す前に、体操でもして体の調子の悪い箇所を探したほうが良い。

 体は精神に引っ張られているが、同様に精神も体に引っ張られる。楽しみにしていた旅行でさえ、虫歯ひとつで最悪の旅のひとつになったりするのが人生だ。

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梅雨どきの花

2016-06-21 11:48:14 | 福島

 福島もすっかり梅雨入りした。からりと朝から腫れ上がることが少なくなり、空に蓋をしたような灰色の雲が多い、じっとりとした大気が体にまとわりつく感じだ。

 カメラを持って散歩に出ても、仄暗い景色ばかり写すことになる。それなら今どきに咲く花でも撮ってやろうと道端の花々の前で足を止める。

 梅雨といえば代表的なのがアジサイ。赤から青まで様々な色があるが、土壌が酸性かアルカリ性かで花の色が決まるというようなことをテレビでやっていた。

 福島に来て梅雨に目にするのはタチアオイだ。梅雨入りの頃は下の方に花がつき、次第に上の方の花が咲き、梅雨が明けるという。アジサイ同様赤や紫、青いのや白いのと様々ある。

 足元に毛虫みたいなのがたくさん落ちていると思ったら、頭の上で栗の花が咲いていた。

 土手に咲いているのはハルシャギクかな。

 これはなんだかわからないが、庭先から道路に面した塀に溢れ出して咲いていた。

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