日本人に特有の行動に、「根回し」というのがある。政治家やお役人が得意としているが、身近なところでも、自治会長を決めるとか会社の会議とか、まず根回しがあり、会議を開いたときにはすでに何事かが決定している。
なぜこれが日本人特有なのかと言うと、外国語にはこの「根回し」に対応する言葉がない。だから英語でも「根回し」は「ネマワシ」という英語が使われている。ではアメリカにそういったことがないのかと言えば、ロビー活動というものがあるが、それはあくまで事前の働きかけであって、日本のような根回しとは本質が異なっている。
森さんが「会議で女性はわきまえている」と発言して大炎上したのは、昔ながらのやり方をするオッサン連中は、きちんと根回しをした上で会議に来ているので、反対意見も出ずにスムーズに会議が進行するという常識があるからだ。が、いまや女性ばかりでなく、外国人も会議に参加することが多くなっているから、根回しが通用しなくなっているのは当然のことなのである。
外国に「根回し」という言葉がないのと同様、日本語にも昔はなかったが最近できた言葉はたくさんある。明治になって外国の文献を訳す際に、「恋愛」や「思想」などの言葉を作ったのは、それ以前の日本人には、「恋愛」も「思想」もなかったことを示している。日本人が外国人に対して「日本語のニュアンスを説明するのは難しい」と言うことがあるが、この「ニュアンス」という言葉がフランス語だということに案外気づいていない。「ニュアンス」を日本語に置き換えたくても、しっくり来るものがなかったからである。「サボる」という言葉も、フランス語の「サボタージュ」から来た造語だ。日本語で「怠ける」「ズルをする」と言っても、「サボる」というニュアンスは表せないのである。
「サピエンス全史」を読んでいると、人間が集団で生活するには、共同の幻想が必要になるという。別の言い方をすれば、共同の幻想があって初めて同じ集団であることを自覚できるということだ。例えば、村社会だったときには、村の神様を拝み、オキテやしきたりの中で生活する。これが国家規模になると、オキテではまとまらないので、キリスト教だの仏教だのの国教が必要になり、オキテの代わりに法律が必要になって来る。
が、いまや国際社会はネットと交通網で繋がり、国家を超えて世界全体で動く必要が出て来た。となると、当然宗教を超えた人類全体の共同幻想が必要になって来る。僕はそれが新しい宗教とも言える「ジェンダーレス」や「ダイバーシティー(多様性)」であり、世界の共同幻想になろうとしているのではないかと想像している。
村のおきてを守らなければ村八分になるように、これからの国際社会は「ジェンダーレス」や「ダイバーシティー」の考え方に基づかなければ参加させてもらえなくなるだろう。日本の政治家は、ここのところがまだ理解できていないんじゃないかと思う。
さて、こういう流れで言うと、「夫」や「妻」はいいとしても、「主人」や「大黒柱」、「奥さん」や「家内」という言葉が使えなくなる日はすぐそこにあると言える。「えっ、それはいいんじゃないの」と思った人は、森さんと同じように、老害と呼ばれてしまう日が来るだろう。