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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

里山は春爛漫

2021-03-31 11:29:45 | 福島

 朝、強い西風が吹いていた。満開だった梅の花も終わりに近づき、道路には白い花びらがたくさん落ちている。春を告げていた梅の花に代わり、春本番になってさまざまな花が一気に咲き始めた。

 朝日を浴びて「北国の春」で歌われたコブシが満開になっている。

 田んぼのため池の脇に植えられた枝垂れ桜も、昨日はまだ蕾だったのに、今朝はすでに三分咲になっている。

 足元には、スプリング・エフェメラルのカタクリが花を咲かせようとしている。

 所狭しと咲いているのは、バレリーナが踊っているような姿のヒメオドリコソウだ。 

 名前のわからないナズナに似た野草も、今が盛りと咲き乱れる。

 今年は春と初夏が一気にきた感じで、早くもミズバショウが白い花を咲かせていた。

 杉の木の陰から、椿が恥ずかしそうに顔を出していた。まるで杉の花みたいな様子が面白い。

 近くの舞木駅の桜のライトアップは今週末からだ。ここ何年かは、早々とポスターを作って告知していたら、さっさと桜が満開になってしまい、ライトアップの頃には桜が終わりそうになっていた。そこで今年はギリギリまで待ったようで、先週ようやくポスターが貼られ、今週末から1週間ライトアップをするという。駅周辺のソメイヨシノは三分から四分咲きといった感じだから、ドンピシャで満開の日がライトアップの初日と重なるかもしれない。

 朝食を食べ、何気なく窓の外を眺めると、我が家の庭の山桜がすでに何輪か開花していた。三月中に開花するなんて、僕がこの家に住んで10年、初めてのことではないだろうか。

 

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花盛り

2021-03-30 11:29:26 | 12音詩

 梅の花が満開を過ぎ、ハラハラと風に散っている。コブシの花もパッと白い花を開き、ハクモクレンも白い塊を枝の先いっぱいにつけている。

 数日前に出た福島県のソメイヨシノの開花宣言だったが、このところの陽気にどんどん開花は進む。一昨日はようやく開花が確認できた同じ桜が、昨夜はすでに二分咲きになり、今朝は三分から四分咲きになっている。この調子で行くと、週末にはソメイヨシノがあちこちで満開になるだろう。

 今現在住んでいる福島県三春町は、日本三代桜のひとつ「三春の滝桜」がある。今から数十年前、いつか滝桜を見に行こうと決めていたが、まさかそこに自分が住んでいるとは、人生とは不思議だ。三春町は滝桜が有名だが、それ以外にもいたるところに桜は植えられ、滝桜ほどではないものの、桜の名木は多い。全国的に多いソメイヨシノよりも、滝桜の子孫が積極的にあちこちに植えられているため、ソメイヨシノが散った後も、しばらくはいろんな桜の花が楽しめる。また、三春町は梅、桃、桜が同時に見られることから名付けられたとの説もあるくらいなので、桜以外にも花木は多い。

 ランニングに出ると、土手には菜の花やタンポポが満開になっている。散歩をしていると、庭木のレンギョウやユキヤナギも花を咲かせ始めた。もともと花には詳しくない僕だが、詳しくなくても花が咲けばなんとなく楽しい。というわけで、最近の句をふたつほど書きつけておく。

 菜の花にモンキチョウ舞う

 蕾われて四月になる

 

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最大のライバル

2021-03-29 11:58:39 | 日記

 朝まで土砂降りで、テオの散歩はレインコートを着せて歩かなきゃならなくなるだろうなと覚悟を決めていたら、夜が明ける頃にはすっかり上がった。天気予報通りだ。最近の天気予報はよく当たるのである。雨さえ上がれば、きっとケン君が待っているだろうと墓地の空き地まで行くと、すでにケン君はボールを追いかけて駆け回っていた。空き地には大きな水溜りがいくつもできている。そこを水しぶきをあげて元気良く走り回る。臆病なテオは水溜まりは避けるようにして、空き地を縫うようにして全力疾走する。

 月曜日はいつも天気が悪くなる。二、三日前の天気予報でも今日は雨になっていたが、昨日の天気予報では雨は朝で上がり、その後はよく晴れて気温も上がるという。

 朝食後、真っ青に晴れ上がった初夏のような陽気の中、ランニングに出かける。気温は20度を超え、炎天下では夏日になっているだろう。ウインドブレーカーはやめ、ジャージも短パンに履き替える。帽子が破れて使えなくなったので、顔に日焼け止めを塗って出発する。

 走り出すとすぐに汗が噴き出すが、3月とは思えない暖かさにテンションは高い。鼻歌交じりに風を受けて阿武隈川の土手を走る。

 若い頃というのは、自分の思う通りに行かないと、周囲に対してストレスを感じることが多かった。極端に言えば、自分がうまくやれないことを社会のせいにしたり、他人のせいにしていた。が、歳を取って来ると、自分にとって一番の障壁が、自分自身だということを痛感する。親が貧乏だから好きなことができない、田舎に住んでいるから選択肢が少ない、なんてことを言っていられるのは若いうちだけだ。ある程度年齢を重ねればはっきりすることがある。それは自分がやりたいことを邪魔しているのは、誰でもない自分自身が自分の前に立ちふさがり、「無理をするな」とか「面倒臭いなあ」とか、「シンドイから辞めたら」と悪魔の囁きを耳打ちする。

 ランニングに出ると、いつもこの悪魔が耳元で囁く。「今日はこの辺で辞めとけば」とか「早く家に帰ってのんびりしようよ」と誘う。それは水が高いところから低いところへ流れるように、楽な方へ楽な方へと導こうとする。

 悪魔とは、実は自分自身だし、自分にとって最大のライバルとは、実は自分自身のことだというのは、歳を取るほど実感する。寿命が尽きるとは、結局のところ、最後の最後は自分自身を越えられない瞬間のことじゃないかと、ふと思う時がある。

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プロレス観戦

2021-03-28 10:42:54 | 福島

 アンを拾って来た時、最初はテオがいじめるんじゃないかと心配していた。が、すぐにテオがアンの面倒を見るようなそぶりを見せたので安心したが、まだ小さいアンを相手にじゃれ始めると別の心配をしなければならなかった。テオは遊びのつもりでアンの頭をガジガジとかじるが、生後3ヶ月にも満たないアンがいつケガをするとも限らない。2匹がじゃれ合うときには、いつも注意して見守るようにしていた。

 半年が経ち、食欲旺盛なアンはすっかり大きくなり、テオはテオで週末の全力疾走で筋肉質のガッチリした体になった。ここまでくれば、アンの猫パンチにもテオは耐えられるだろうし、テオの噛み噛み攻撃にアンもケガをするまで大人しくしていることはないだろう。ただ、体力がついた2匹のじゃれ合いは、じゃれ合っているというにはあまりに激しくなって来ている。

 連日、夜布団を引いたときに、2匹のテンションは最高潮になる。修学旅行の学生のように、布団を敷いてもらうのを待つ2匹は、敷き終えた瞬間に布団の上にジャンプで登場する。こちらも毎度のことなので、布団の上には暴れても大丈夫なようにあと2枚掛け布団を敷いている。

 鐘がカーンとなって試合が始まると、いつだって先制攻撃はアンからだ。伏せをするテオの首根っこに、両手を広げて飛びつき、喉元に噛み付く。テオはアンを両手で挟みつけると、耳を舐めて反撃する。するとアンは、抑え込まれた状態から、両足をバタバタさせてテオの鼻先を攻撃する。

 両者がいったん離れ、にらみ合いが続くと、次の瞬間にはアンが高く飛び上がり、体に半ひねりをくわえながら1回転してテオの背中に頭に飛びつく。「でたー、アン選手のフライングアタックだー」と、実況に熱がこもる。アンのジャンビング攻撃は、2度3度と繰り返され、我慢の限界に達したテオが身を起こして、両手でしっかりとアンの体をホールに持ち込もうとする。

 アンはニャーと鳴き声を上げると、するりとテオの手の下から抜け出し、離れた位置からフーと威嚇する。

 こんなことを15分ほど繰り返し、ようやく疲れた2匹は仲良く抱き合いながら、布団の上でお互いを舐め合う。その様子は、お互いの健闘を称え合っているように見える。今日のところは引き分け。

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肌の色

2021-03-27 12:00:50 | 日記

 ファミリーマートが女性向け下着の色を、「はだいろ」としていたことが不適切だったとして商品を回収した。今では色鉛筆や絵の具からも肌色という表記はなくなったという。

 昔と違い、世界中から日本に来て、日本人として暮らしている人も多い。女性差別発言で問題になった森さんは、国会議員だった頃に「日本人は単一民族」と発言して、あちこちからお叱りを受けた。日本人とは日本国籍を取得した人すべてを指しているから、日本人イコール日本民族ではないのである。

 そもそも日本には原日本人と呼ばれる人たちがいて、その後大陸から大量に人々が移動してきてできたのが今の日本だ。原日本人は北と南に追いやられ、アイヌと琉球人の外見が似ているのはそのせいだ。そういった過去があっても、目に入らなくなってしまうのは、差別されている人間がいても、差別している側にはその意識がない。これは世界的な傾向で、例えばアメリカ独立宣言には、すべての人間の平等が宣言されているが、その宣言に署名した人たちはみんな奴隷を所有している人たちだった。

 「はだいろ」を肌の色だとは意識せずに、色の名前のひとつとしてしか意識していなかった僕のような者は多いだろう。「みずいろ」も水の色と言いながら実際の水の色ではないし、「おうどいろ」だとか「だいだいいろ」なんてある程度歳を取って「黄土色」「橙色」と漢字を知って、なるほどと納得した。

 「はだいろ」はNGになったが、「ベビーピンク」なんてハイカラな名前の色も、あきらかに白人の赤ちゃんを形容しているから、これからは使えないだろう。そういうことを考えると、これからどんどん使えない言葉は出て来るだろうし、よほど注意していないと、知らないうちに差別している側に立っているということになりそうだ。

 

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国際的な言葉

2021-03-26 10:59:32 | 日記

 日本人に特有の行動に、「根回し」というのがある。政治家やお役人が得意としているが、身近なところでも、自治会長を決めるとか会社の会議とか、まず根回しがあり、会議を開いたときにはすでに何事かが決定している。

 なぜこれが日本人特有なのかと言うと、外国語にはこの「根回し」に対応する言葉がない。だから英語でも「根回し」は「ネマワシ」という英語が使われている。ではアメリカにそういったことがないのかと言えば、ロビー活動というものがあるが、それはあくまで事前の働きかけであって、日本のような根回しとは本質が異なっている。

 森さんが「会議で女性はわきまえている」と発言して大炎上したのは、昔ながらのやり方をするオッサン連中は、きちんと根回しをした上で会議に来ているので、反対意見も出ずにスムーズに会議が進行するという常識があるからだ。が、いまや女性ばかりでなく、外国人も会議に参加することが多くなっているから、根回しが通用しなくなっているのは当然のことなのである。

 外国に「根回し」という言葉がないのと同様、日本語にも昔はなかったが最近できた言葉はたくさんある。明治になって外国の文献を訳す際に、「恋愛」や「思想」などの言葉を作ったのは、それ以前の日本人には、「恋愛」も「思想」もなかったことを示している。日本人が外国人に対して「日本語のニュアンスを説明するのは難しい」と言うことがあるが、この「ニュアンス」という言葉がフランス語だということに案外気づいていない。「ニュアンス」を日本語に置き換えたくても、しっくり来るものがなかったからである。「サボる」という言葉も、フランス語の「サボタージュ」から来た造語だ。日本語で「怠ける」「ズルをする」と言っても、「サボる」というニュアンスは表せないのである。

 「サピエンス全史」を読んでいると、人間が集団で生活するには、共同の幻想が必要になるという。別の言い方をすれば、共同の幻想があって初めて同じ集団であることを自覚できるということだ。例えば、村社会だったときには、村の神様を拝み、オキテやしきたりの中で生活する。これが国家規模になると、オキテではまとまらないので、キリスト教だの仏教だのの国教が必要になり、オキテの代わりに法律が必要になって来る。

 が、いまや国際社会はネットと交通網で繋がり、国家を超えて世界全体で動く必要が出て来た。となると、当然宗教を超えた人類全体の共同幻想が必要になって来る。僕はそれが新しい宗教とも言える「ジェンダーレス」や「ダイバーシティー(多様性)」であり、世界の共同幻想になろうとしているのではないかと想像している。

 村のおきてを守らなければ村八分になるように、これからの国際社会は「ジェンダーレス」や「ダイバーシティー」の考え方に基づかなければ参加させてもらえなくなるだろう。日本の政治家は、ここのところがまだ理解できていないんじゃないかと思う。

 さて、こういう流れで言うと、「夫」や「妻」はいいとしても、「主人」や「大黒柱」、「奥さん」や「家内」という言葉が使えなくなる日はすぐそこにあると言える。「えっ、それはいいんじゃないの」と思った人は、森さんと同じように、老害と呼ばれてしまう日が来るだろう。

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歴史の1ページ

2021-03-25 11:36:20 | 福島

 今日、東京オリンピックの聖火ランナーが、福島県からスタートした。福島県に住んでいるので、それなりに地元のニュースで聖火ランナーのことが取り上げられるが、県外に住む人たちにとって、聖火ランナーが出発したことをどれだけ身近なニュースとして感じているのだろう。

 それと同じで、東京でオリンピックを開催するから、それなりに興味を持って開催か中止かの動向を見ているが、日本以外の国の人たちは、東京オリンピックというものをどう見ているのだろうと気になるところだ。これが東京ではなく、例えば北京オリンピックだったらどうだろう。日本人として「やっぱりやるんかい。さすが中国だなあ。とにかく選手には気をつけて行って来てもらいたい」くらいの感じだろうか。

 国が一度やると決めたことは、どんなに無謀なことだろうが必ずやり遂げるのは、僕らは嫌というほど見て来た。誰が見たって負けると判断するしかない戦争を続け、原発事故を起こしても再稼働する。数十年前に計画したダムや高速道路を、必要がなくなっても作ろうとする。オリンピックだって、国中がパンデミックで大騒ぎになっても必ず開催するのは最初からわかっていたことだ。一国民としては、とにかく巻き込まれないように、細心の注意を払って生活するしかない。

 この前買った「サピエンス全史」を読んでいたら、人類が農業を始めた結果、それまで遠い将来のことを考えても仕方がなかった狩猟採取生活から、常に長い将来にわたって干ばつや戦争などの不安に人類が晒されるようになったとあった。そうしたストレスを抱え込んだにも関わらず、不安は必要以上の収穫を増やし続け、余剰人口を養うようになった。

「悲しいかな、勤勉な農耕民は、現在の懸命な労働を通してなんとしても手に入れようと願っていた未来の経済的安心を達成することは、まずなかった。至る所で支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食糧によって暮らし、農耕民は生きて行くのが精一杯の状態に置かれた。
 (中略)近代後期まで、人類の九割以上は農耕民で、毎朝起きると額に汗して畑を耕していた。彼らの生み出した余剰分を、王や政府の役人、兵士、聖職者、芸術家、思索家といった少数のエリート層が食べて生きており、歴史書を埋めるのは彼らだった。歴史とは、ごくわずかな人の営みであり、残りの人々はすべて、畑を耕し、水桶を運んでいた」

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ツバメがやって来た

2021-03-24 10:52:33 | 福島

 今朝の気温は氷点下まで下がり、散歩に出ると田んぼの水たまりに薄氷が張っていた。厚手のコートやダウンはすでに押入れの中で、それなりに薄着で散歩しているが、気分だけはすっかり春なので寒さにもなんとなく我慢できるから不思議だ。

 この前切られてがっかりした栗の木の巨木がある場所までやって来ると、突然テオが身を低くして、何やら獲物を見つけたような素振りを見せた。もしかしたらリスがいるのかもしれないと、音を立てないようにそっと切られずに残っていたクルミの木に近づくと、僕らの目線の高さの枝に、クルミを咥えたままじっと固まっているリスがいた。「テオ、でかしたぞ」

 ただ、こういう日に限ってカメラは持って来ていない。仕方がないから、しっかり目に焼き付けておくことにする。両手にクルミを持ち、シッポをクルリと持ち上げた姿勢は、まるで絵に描いたリスそのものだ。さて、この後どうするのかな、クルミの木から飛び移っていた栗の木はなくなったけどと思っていたら、僕らの目の前で、そっとクルミの木を降り、アスファルトの道路を横切って藪の中へと走って行った。もうリスが現れないかもと思っていただけに、リスとの再会にはテンションが上がった。

 すっかり日が昇り、我が家や近づいて来たところで、電線に1羽の黒い野鳥がいるのが目に止まった。とんがったシッポが特徴的だ。ツバメだと思うものの、この時期にはツバメは早すぎるんじゃないかと自分の目を疑う。

 というのも、毎年ツバメの初見は4月の5日前後と決まっているからだ。それが、今年は10日は早いことになる。桜も今年は早々と咲いているが、ツバメにとっても今年の春は早くやって来たのだろう。

 ツバメの初見に再びテンションが上がったので、近くにいた近所のおっちゃんに、「ツバメが来てますよ」と指を指して教えてやった。おっちゃんは「ほおー」と言いながら、僕の指差す方を目で追っていた。

 ちなみに今日の福島県の最高気温は20度を超えるらしい。

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春分のころの歌

2021-03-23 11:03:50 | 12音詩

 休みの日は、早朝1時間テオの散歩をした後、朝食後に2時間ランニングする。お昼に帰ってきて昼飯を食べてひと休みすると、再びテオを連れて1時間半の長い散歩に出る。というわけで、休日は全然暖房を必要としないし、日中はほとんど近所をほっつき回っているから、お金もかからないのである。

 おまけに長い散歩の間に、最近始めた句作もやるから、ブラブラしながらも頭の中は忙しい。コロナ禍で自粛を強いられ、ストレスが溜まるなんてことは、僕に関してはまるっきり関係ないのである。

 というわけで、少しばかり句が溜まってきたので、そろそろここに書いておくことにする。

 華やかにお彼岸の墓地

 お彼岸に桜一輪

 日本各地から桜の便りが届いているが、福島県の開花宣言はまだだ。ただし、開花宣言と言ってもソメイヨシノのことだから、別の品種の桜はちらほら咲いていたりする。

 例年は雪の残る時期だが、今年はまったく雪が降る気配がない。早々と雑木林の林床から雪が消えてしまったので、キクザキイチゲやカタクリも例年より早く姿を現したようだ。春の妖精(スプリング・エフェメラル)と呼ばれる春をいち早く告げる植物や昆虫も、温暖化のせいでいつ登場しようか迷っているかもしれない。

 森さわぐやわらかな芽

 石段の先の神様

 早春 花ざかりの森

 青く青くイヌノフグリ

 土手一面にナズナ咲く

 朝食が終わり片付けていると、僕らに代わってテオとアンが着席していた。「こら、お前らの食事はそこじゃない」と笑うと、テオは慌ててベンチから降りた。期せずして犬と猫との同居生活が始まったが、毎日が楽しいことばかりだ。

 糸引く雨と犬連れて

 日が落ちてひとり歩く

 町を見下ろし通り雨

 荒野を渡る雲の影

 今日も草を踏み進む

 

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昨日より今日

2021-03-22 13:08:49 | 日記

 先週の休みは、歯医者と畑を耕すのに時間を取られ、ランニングに出ることができなかった。今日は何があっても走ろうと思っていたが、昨日は暴風雨でこんなんじゃ無理かなと半ば諦めていた。が、今日は「ぼうふうう」のうちの「う」の部分がなくなり、青空も見えている。これなら大変そうだがなんとか走れそうだと出発した。

 先々週走った時には気温は20度近かったが、今日は10度ほどしかなく、強風のため体感温度は低い。おまけに一週サボっているので、体がきつい。それでも風に逆らいながら折り返し地点まで走ると、44分50秒だった。この前は42分台だったから、かなりのペースダウンだ。

 もっとも、この歳になると、現状維持だけでも大変なので、記録が横ばいであることに喜ばないといけないのかもしれないが、やはりやる以上は少しでも自己記録を更新したい。

 マラソンが趣味という人の中には、大会に出場するのを目標にする人もいるだろうが、大会があってもなくても地道に走るしかないのは変わらない。黙々と自分自身に向き合い、努力を続けるというのは、別の言い方をすれば、孤独との戦いでもある。誰かに褒められるためにやるわけでもなく、誰かに自慢したいわけでもない。ただ、昨日の自分より、少しでもマシになっていればと思っているだけだ。

 ほぼ毎日更新しているこのブログも、もともとは二十歳の頃から始めた日記がこういう形で続いているだけである。一日24時間生活すれば、何かしら書いておくことがあるだろうと思い、なんとかひねくり出している。24時間生活して、何にも書くべきことがありません、というのでは、その1日はなかったことと一緒だと自分自身に言い聞かせている。そういう毎日が何十年も続いている。

 そうした記録を読み返すのかと言えば、振り返ることはもうないだろうとも思っている。それでも、なるべく怠けないように書き続けているのは、自分自身に自覚的になることで、昨日よりは今日、せめて今現在の状況を維持できればと思っているからだ。

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