日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

古今東西

2009-11-09 | ギャラリー

昨日、満を持して行って参りました。

東京都現代美術館「Laxuary ラグジュアリー:ファッションの欲望」展へ
かなり面白かったです!あたしは。

 

スキャパレリとシェネルの洋服を並べて見ることができる機会はそうそうありません。
同じ時代を競うように駆け抜けそれぞれの方法で切り取った作品としてのドレス。

そして18世紀のロココ時代のドレスの隣にはヴィクター&ロルフの作品が並べられました。


こうなるともうすでに洋服ではありません。
小林幸子の紅白の衣装がすでに舞台装置となってしまっているように。


ロココのドレスはピンク色のカワイイものであるのに滑稽なほどにスカートは横に張り出しております。
ここまでくると現代美術の造形的作品といってもよし。
それさえなければ今でも十分通用するドレスなのにね。
どこに着ていく?と問われると困ってしまうけど。
そして頭には帆船がのっかております。。

ヴィクター&ロルフのドレスもドデカイリボンが印象的。
説明を読むと・・・
ピンクやゴールドのリボンが幾十にも体を包みこむ。
(実質は包み込まれているとはいい難い。)
もはやドレスというより体を結ぶリボンそのもの
(それは言い得ている。)
軽やかに動く非日常的なリボンは
(日常的では困る)
着用時の女性性を強く意識させ
(そりゃ、隠されているが動けばムネもシリも見えてしまっておりますから・・。)
体を装飾されるべき「贈り物」へと転換させる。
(あたしが・・プレゼント!ってやつですな)

あたしの下世話なコメントも入っておりますが、作品としてはすばらしいものです。
コレクションでは顔をピンクに染めたモデルが着用しております。

 

この展覧会の印象的なコメントもご紹介。
18世紀後半、装飾は簡素化する。
だがスカートは横に大きく張り出し、髪型はどの時代に比して巨大になる。
その上に髪結師が組み立てた軍艦、馬車、果物籠が載せられた。
行き過ぎた過剰さは既に貴族社会の終わりをはっきりと告げている。

 

このコメントはとても含蓄があるような気がするのです。
何事も行き過ぎるとそれは終焉が近いというシグナルになる。
アメリカのリーマンショックも「過剰さ」が引き起こした問題であるのだ。
今、この閉塞感の漂う日本において政治もいろいろなしがらみから脱却しようともがいている。
そして過剰ともいえる国民サービスを売りにした政党が当選したのです。
変化が悪いとは思わない。
変化が必要なこともある。
ただ個人が必要なことは各々違うのが当たり前なのにそれを忘れてしまったら船は山を登るしかないのだ。


デフレスパイラル。
そして民族間の紛争も
全てにおいての「過剰さ」が潰しあいにならないように。

ローマ帝国が滅びたのも
経済が破綻したのも
9.11のあの出来事も


そして日本がダメにならないように。

古今東西、歴史は繰り返す。
過剰さが終焉です。


 



 



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