日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

はらだしき村

2008-07-03 | リブレリア

図書館に行ってどっと本を借りる。
一時期、全く本を読みませんでした。

 

頭の回転が悪くて活字を追う毎に疲労感が増していくようでね。
そういう時は雑誌。
読み散らかしができるので、写真をみてるだけでもいいし。

 

そうこうしてるとある日突然、活字に対するものすごい枯渇を感じるのだ。
そろそろ活字バロメーターがゼロになるよというシグナルがばしっと出てきます。

そして読み出したのが原田宗典著「はらだしき村」
武者小路実篤の理想郷「新しき村」にちなんだ命名なのだという。
この人の本は・・・ヤバイ。
読む場所を間違えると怪しい人になってしまう。
ワタクシはもっぱら通勤電車の中での読書タイムだったり、昼のランチの合間だったりと外で読むことが圧倒的に多い。
なのにエッセイの内容が面白くて声を出して笑いそうになる。
それをムリに噛殺すからにやにやとしてしまう。
怪しんだからもう ムネノリ困っちゃうぅ~ くねくね・・・という文章が続くのだ。

 

電車の中では気をつけて読まねばと構えて本をひろげると・・。

あら

 

いつもとイメージが違う。
すごく真面目なんですが・・。
オバカ話を期待してたら肩透かしをくらう。
ついでに不覚にもぎゅっときてしまった。
なんつうか目頭があつくなるような話しも。

父親の話。
思い出の話。
文豪たちの話。
そしてなにやら哲学的なお話も。

「美しい日本とはなにか?」
ドナルド・キーン博士のエピソードを下に話がすすむ。
「大戦前の話です。」
日本がのどかだったころの出来事。
「・・或る晩のことです。十五夜でそれは、それは月のきれいな晩でした。
わたしは大学からの帰り途、その月を見上げて惚れ惚れしながら京都の町を歩いておりました。」
その時ふと、若きD・キーン博士は思ったのだそうだ。こんなきれいな月の光に照らされた、竜安寺の石庭はさぞ美しかろうー是非見てみたい。
そう思うと矢も盾もたまらず、博士はその足で竜安寺へと向った。
「私は竜安寺の門をくぐって本殿に入り、あの有名な石庭を前にした縁側に座り込みました。

ここまで聴いて私(著者)は博士が日本の美しさ、いや「美しい日本」について講演しているのだと気づいた。

中略

「もう十分すぎるほど石庭に見惚れた後です。ふと傍らに目をやると同時に私は驚きました。いつのまにか私の側に、一杯のお茶が置いてあったのです。
誰が? いつのまに? どうして?
想像するしかないのですが、おそらくお寺の誰かだったのでしょう。
外国人の若い学生が石庭に見惚れているのを見て、邪魔しないようにそうっとお茶を置いていってくれたのです。私は、とても感激しました。」

こんなもてなしができる民族は日本人だけだ、と博士は思ったそうである。

「そして、だからこそ私は日本のことが大好きになりました。」

博士はそう言って話を結んだ。私はその話に深い感銘をうけた。
そしてしばらくの間、「美しい日本」について考えた。

 

わたしも深い感銘を受けた。
もちろん美しいこの国を愛し、日本人以上に日本文学をも愛した異国の日本文学研究家のエピソードもさることながら、著者の繊細な感性にも。

阿部元首相のいう「美しい国日本」とはちょっとちがうかな。

石庭の月夜が目に浮かびます。
話を抜粋してしまったから上手く伝わらないかもしれないけど。
ほんとに感動してしまったのだよ。
じんわり目の奥があつくなりました。

笑いの次には涙かい!!!
写真は嵐山 渡月橋からのライトアップの写真。
京都の夜はいい思い出もあるから思い入れも強いのだ。

 


 

どっちにしろ外で読む本ではなかった。
家で読む本なんだな。
カッチョワルイなぁ もう トホホ・・・(原田ムネノリ風)。


 

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