原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我が義母・実母両人が本日迎えた「母の日」に関する私観

2018年05月13日 | 人間関係
 本日は「母の日」のようだ。


 上記のごとく敢えて「ようだ」との表現を使用するのは、私自身が我が娘から「母の日」のプレゼントなどただの一度も貰った事も無ければ、欲しいとの発想がある訳も無いからだ。


 一方、特に義母に対して、(義母にとっては孫に当たる)娘から「母の日」のプレゼントを手渡す事を、義母が高齢者施設入居後より“娘”に指導して来ている。
 その方が、私から手渡すよりも義母が喜ぶからに他ならない。

 義母の施設保証人を担当しそれを6年来実行している私であるが。 義母にとって嫁に当たる私に対し義母側に未だ遠慮心があるのを私が嗅ぎ取らない訳も無い。  いや、この義母の私に対する“遠慮心”を、義母の認知症状が進んだ現在尚私側が感じられるからこそ、私と義母との関係が滞ることなく良好に続行していると私側も重々把握している。
 だからこそ、敢えて「母の日」には 娘からプレゼントを手渡させる事が恒例となっているのだ。

 本日午前中、既に娘より手渡していた「母の日」のプレゼント御礼電話が義母よりあった。
 いつもの事だが、実際手渡した娘へではなく、私宛の電話だった。
 義母の耳の遠さ故に電話を通しての私の音声が義母に通じにくい事実に、いつものごとく困惑させれらる。
 それでも、義母が私に伝えたかった「私への日頃の感謝」とのメッセージを重々受け取った旨を電話で表現するのに難儀させられたが、どうやらそれが叶った様子でこちらも安堵して電話を切った。


 義母からの電話に先立って、本日朝電話を寄越したのが郷里の実母だ。
 実母が電話にて、娘の私に「母の日」菓子折(こちらは毎年私の名前でネット利用宅配便で送っているのだが)のお礼を告げた後…。

 実母の話題は先だっての「真夜中の電話」に移った。
 実母の場合、認知症状は見当たらない(我が診断では微少に存在するかもしれないが…)ため、自身が引き起こした当該事件を鮮明に記憶していたのだ。
 そして電話で私に謝罪しつつ、当夜自分が置かれていた状況を私に告げる。 要するに、実母としては確実に夜中に携帯電話が光を発するのを見た!とのことだ。
 それに私が応えて、携帯電話をONにした状況下で確かに「無料ニュース」等の電光着信がある事実も説明した。 残念ながら、それが実母にとって理解不能だったようだ…。  話題を変え、とにかく携帯電話とは自身の「誤作動」が多いために、「この私でも過去に受け取ったメールに返答してしまうとの失敗もある」…  旨を話しても、やはり実母には理解不能だ…。
 ただ私がそこまで話した後に、実母から出た回答とは! 「私は〇子(私の事)のメールしか受け取っていない。 という事は、私があの夜受け取ったと勘違いしたのは、もしかしたら〇子からの過去のメールだったかもしれない。」
 そこまで聞いて、私も納得した。 この実母、私にとって迷惑な存在と邪険に思う今日この頃だったが、我がIQの高さは恐らくこの母譲りだ! と確信した実母からの電話でもあった。
 そして実母が私に詫びて曰く、「今後、断じて夜中に電話をかけて〇子を苦しめないように心する!」

 上記2本の義母・実母よりの電話内容を振る返るに、私にとって本日は実によき「母の日」であった。


 話題を変え、本日昼間NHKのニュース報道を見聞していると。 
 本日「母の日」に際し、幼き女児の映像が流された。

 その女児が「母の日」のプレゼントに添えた文言が……。
 「お母さん、いつも美味しい料理や、洗濯をしてくれてありがとう」 だったのだ……
 いやはや原左都子としては、実に愕然とさせられた。
 一家のお母さんが「家政婦」の働きを強制されていた時代など、遠い昔の事と信じていた私だが…
 (いえいえ、もちろん母親がその働きをすること自体を否定する訳ではない。 ただ、母親たる人物の人間像も多彩である。 その多彩さの中で、自分が育てている子がもしも母親の「家政婦」たる働きのみに注目しているとした場合の大いなる違和感を、私は訴えたいのだ。)

 今尚、その(家政婦たる)働きを果たしている母親が存在する事実を褒め讃えねばならないこの国の側面もあろう。

 ただ現在の母親像は実に多様化を遂げていると、本日「母の日」に際して是非とも信じたいものだ!