原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 羽田ビュッフェディナー編 ー

2018年05月21日 | 旅行・グルメ
 (写真は、昨日の小旅にてのビュッフェディナー会場ホテル外観。)

 私は、“バイキング” “ビュッフェ” なる食事形式を昔から忌み嫌っている人間だ。
 (本エッセイ集初期のバックナンバー 2008.06.17公開「グッドバイバイ・バイキング」をお読み下されば、何故決してグルメではない私がそれらの食事形態をとことん回避しているかが、お分かりいただける事であろう。)
 

 いつ何時旅に出ようが、絶対的にそれら食事形式を避けて通って来ている。
 そんな私が何故今回ホテルのビュッフェディナーなぞに依存したのかといえば、それには理由がある。
 実は、今回の小旅はバスツアーを使用した故だ。
 嫌ならやめときゃ済むだろうが、今回は特別な事情があった。 とにかくせっかく同行すると申し出てくれた娘の希望とスケジュールに合わさねばならない。 個人旅行を企てていたのでは、昨日1日では絶対的にこなし切れない訪問地が盛沢山だったのだ。


 そんな中ラッキーだった事もある。
 団体バス旅行にして、ビュッフェディナー会場ホテルが各々の顧客単位ごとに“個別席”を用意してくれていたのだ。 

 ただ残念な事にはこれぞビュッフェディナーの宿命だろうが、私が料理テーブルからお皿に取り盛り付けた料理の写真が、如何に判断しても“汚らしい”。
 残念ながら、“家畜の餌”状態だ……

 料理の醍醐味の一つとしてお皿への盛付け美的センスにもこだわている私としては、そんなものを冒頭写真に公開する訳にはいかない。

 そこで苦肉の策として、ホテルの外観写真を掲載したとのみすぼらしいいきさつである……。


 食事処が羽田だった故の救いもあった。
 その後バスは川崎へ向かうのだが、ホテルを出発した後川崎までの道中、羽田国際空港の風景が車窓から楽しめたのはラッキーだった。
 娘が羽田国際空港に停泊している航空機の写真を撮影していたのに安堵した。 



 明日以降になる予定ですが、本小旅のクライマックスである川崎にての旅物語を綴る予定でおります。 
 

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 鎌倉 円覚寺編 2ー

2018年05月21日 | 旅行・グルメ
 (写真は、鎌倉 円覚寺境内で撮影した 青もみじ。)


 まずは、訂正とお詫びを申し上げよう。
 午前中に公開した直前エッセイ内で、観光で訪れた鎌倉のお寺の名称を誤っていたことをお詫び致します。

 鎌倉に詳しい方々はご存知だろうが、私が前エッセイにて誤って記載した「報国寺」とは、この時期は “竹林”で著名なお寺である。
 一方、「円覚寺」はこの時節 “青もみじ”で著名だ。 
 実は今回の小旅では報国寺観光も予定していたのだが、時間切れにて行けず終いだ……

 
 いずれも由緒正しい鎌倉のお寺であるが、以下に円覚寺HPよりお寺の沿革の一部を紹介しておこう。

 鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。 開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。 国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。
 円覚寺の寺名の由来は、建立の際、大乗経典の「円覚経えんがくきょう」が出土したことからといわれます。 また山号である「瑞鹿山ずいろくさん(めでたい鹿のおやま)」は、仏殿開堂落慶の折、開山・無学祖元禅師の法話を聞こうとして白鹿が集まったという逸話からつけられたといわれます。 無学祖元禅師の法灯は高峰顕日こうほうけんにち禅師、夢窓疎石むそうそせき禅師と受け継がれ、その法脈は室町時代に日本の禅の中心的存在となり、 五山文学や室町文化に大きな影響を与えました。
 円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府からの篤い帰依を受け、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、鎌倉時代末期には伽藍が整備されました。 室町時代から江戸時代にかけて、いくたびかの火災に遭い、衰微したこともありましたが、江戸時代後期(天明年間)に大用国師だいゆうこくしが僧堂・山門等の伽藍を復興され、宗風の刷新を図り今日の円覚寺の基礎を築かれました。 明治時代以降、今北洪川いまきたこうせん老師・釈宗演しゃくそうえん老師の師弟のもとに雲水や居士が参集し、多くの人材を輩出しました。今日の静寂な伽藍は、創建以来の七堂伽藍の形式を伝えており、現在もさまざまな坐禅会が行われています。
 (以上、円覚寺HPより円覚、いや沿革を紹介したもの。)


 広大な境内に、「仏殿」「山門」「正続院】「方丈」「国宝・舎利殿」「国宝・洪鐘」「弁天堂」等々……  様々な仏閣が存在するお寺だ。
 そのすべてを観光して回るにはおそらく1日で足りないだろう。
 今回は建物の一部の外観のみを一覧したが、それでも写真撮影しつつ足早に歩いて1時間以上を要したものだ。


 この時期、特筆すべきは上記写真の「青もみじ」の絶景のようだ。
 実に美しい初夏の「青もみじ」を筆頭とする境内樹木群のみどり色が、仏殿と共存して素晴らしいハーモニーを奏でていた。

 今回、何故あえて円覚寺の「青もみじ」の写真をクローズアップしたのかといえば……。
 この写真、まるで我が「原左都子エッセイ集」のテンプレートと“瓜二つ”ではなかろうか???
 写真撮影しつつ、旅道中では決して振り返る事のない我がエッセイ集が、一時フラッシュバックしたものだ。


 さぞや紅葉の秋には、更なる絶景を醸し出すのだろう。
 ただ、その頃は観光客で大混雑だろうなあ。
 

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅  ー 鎌倉 円覚寺編 1ー

2018年05月21日 | 旅行・グルメ
 (写真は、鎌倉市内に位置する 円覚寺 にて娘が撮影してくれたもの。)



 鎌倉市街の喧騒から逃れた後、次に訪れた地はまるで別世界の静寂に包まれたこのお寺だ。



 と、ここまで書いたところで、これから昼のルーチンワークに入るため、円覚寺観光の続編は別の写真と共に、午後紹介します。

 

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 鎌倉市街散策編 ー

2018年05月21日 | 旅行・グルメ
 (写真は、昨日娘と共に出かけた初夏の小旅、 鎌倉駅前にて撮影したもの。)


 今回の小旅はそもそも5月の連休中の実施予定だった。

 久々に同行してくれると言う娘の都合や私自身の体調不良等々、諸般の事情により昨日に日程を変更したのだが、何とも爽やかな初夏の晴天に恵まれた観光日和の下の小旅となった。


 さて、まずは第一訪問地の鎌倉だが。

 私にとっては、一風変わった思い出がある地だ。
 2度目に門をくぐった大学・大学院にて6年間に渡りご教授いただいた教官氏の行きつけの“お店”が、この鎌倉の地に存在したのだ。
 当該教官氏は大学学部長を務められ、かつ、数年前に“文化勲章・秋の叙勲”授与との輝かしき学者人生を歩まれている人物であられるのだが。 
 その傍ら、「お酒」を嗜まれるとのご趣味もあられた。 そして、教官先生の「お酒」に関するモットーとは。 “飲むからには中途半端は欲求不満を溜めるだけだ。3次会まで行くべき!”
 そして、特に我が大学院時代にはそれを実践するべく、私ともう一人の女子学生を同行して(たまたま女子2名のゼミだったのだが)定期的に3次回までの酒盛りに誘って下さったのだ。
 その3次会会場(クラブかスナック風の複数の女性がおもてなしをしてくれるお店だったが)が上記鎌倉駅のすぐ近くにあり、3次会終了後はおそらくいつも最終電車で横浜(当時、横浜に住んでいた)まで戻ったものだ。
 (今現在、大学教官がこれを実践するとセクハラに問われるのだろうか?? そんな想像も湧くが、上記は古き良き時代の話であり、私にとっては大いなる社会勉強にもなった。 いえいえ、大学では超真面目学生で通っていた私故に、学業成績優秀かつ修士論文審査も難なくパスしましたよ!


 今となってはそのお店がどの辺りに存在したかの記憶も無いのだが、そんな風変わりな思い出がある私が、“真面目に”観光目的で鎌倉散策をするのは30年近くぶりの事だった。

 まあ、何と! 特に若者中心に観光客が多い事!!
 まるで東京の原宿かと見間違うほどだ。(と言っても、原宿には上京後まもなくの時期に行ったきりで40年来まったく縁がないのだが。)


 鎌倉駅周辺を少しだけ散策した後、次なる場へ移動と相成る。