原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

見知らぬ少女が発した“構って欲しい”深層心理

2015年05月23日 | 人間関係
 私には高校教員経験があるため、第二次反抗期を過ぎ思春期真っ只中にいる年齢層少年少女達の複雑な心理に関して、ある程度理解出来る自負はある。
 それでも還暦に達しようとしている今現在、現実社会で当該年齢の少年少女達に実際にかかわる場面に出くわすと、一体如何なる対応を採ればいいのやら途方にくれる事を実感させられる。

 昨日まさにその現場に出くわし困惑したのだが、この話題に関しては後程述べよう。


 それに先立ち、本エッセイ集2013.6.8 公開バックナンバー 「中学生を叱るのは、やはり私も怖い…」 なる表題のエッセイの一部を、以下に紹介させて頂く事とする。
 集合住宅高層に位置する我が家の住戸の南側に片側一車線の公道があり、近くに存在する公立中学校の通学路ともなっている。  
 学校が新学期を向かえて少し経過した1ヶ月程前から、この“通学メインストリート”が中学帰宅時に“大騒ぎ”をしでかす男子中学生軍団の“溜まり場”と化しているようだ。  ちょうど中学生の帰宅の午後3時過ぎ頃から夕方近い時間帯に、当該「原左都子エッセイ集」をパソコンに向かって執筆する機会が多い。 5月に入り夏日を経験するようになって以降南側ベランダの大窓を解放している我が家だが、近頃南側の公道で繰り広げられる男子中学生どもの“大喧騒”にエッセイ執筆の集中力を妨げられる事この上ない。
 いえいえ、原左都子自身に高校教員経験があるため、中高生ぐらいの子どもの中には今時人前で“普通に”騒ぎ散らす人種も存在する事など重々承知している。 単なる“おちゃらけ”等々大抵の事ならば許容範囲とも心得ているつもりだ。  ところが、どうも我が家前の公道上の男子中学生軍団からは「いじめ」と表現するべきニュアンスの会話も聞き取れるのだ。 しかも日々聞き取るその音声から、“いじめ側”と“いじめられ側”が既に固定化している実態も私は嗅ぎ取った。 ここは元教員でもある私が住居階下へ降りて公道へ出向き、一言注意しようかとも一瞬考えた。 結果としては残念ながらそれを断念した理由に関しては後に述べよう。
 一昨日の事だが、何と男子中学生軍団20名程が片側一車線道路を横列で塞いで、訳が分からない暴言を吐きつつ大行進しているではないか!!  そこをたまたま通りかかった車が通行妨害をしている中学生軍団にクラクションを鳴らしていたとの実態だ。  こういう場合、車の運転手氏が「お前ら、迷惑だから集団で車道を歩くとの馬鹿な行動をやめろ!!」とでも説教すればいいのかとも思いつつ、クラクションを鳴らす事しか打つ手立てが無いことにも同情せねばならないのであろう。 
 と言うのも、集合住宅上階ベランダに出てひとまず(何やってんだ、お前らは!!)と公道に向かって叫びたかった私も、その異様な風景を一見するなり一瞬にしてひるんでしまったからだ……  ましてや、階下に降りて20人程の男子中学生軍団相手に「説教」する勇気など皆無だったことを恥じ入るしかない……
 話題を変えて、朝日新聞6月8日別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、(私に言わせてもらうと“単に”説教好きな)“何か社会にお役に立ちたい”意向の60代女性からだった。  その相談内容は割愛するが、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる三輪明宏氏が「危険には近づかない方がいい」との適時適合的回答を述べておられるので、その結論部分のみを少しだけ紹介しよう。
 相談者が生きてきた時代とは現在はまったく様変わりしてしまっている。 それをわきまえず人に説教する事には危険が伴う事を自覚するべきだ。 この相談者が命を失ってもいいとの覚悟まであるなら、見知らぬ相手に説教してもよいのかもしれない。 まだ小学生までの小さな子どもは危険が少ないので、他人がアドバイスをしてあげると良いでしょう。 中学生になると逆恨みもするし、小型ナイフを持っているような場面もありますからやめておきましょう。 相手に注意をしたいのなら、その辺の危険性を見分ける感覚を持っている必要があります。   とおっしゃるのが、三輪氏によるご回答である。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 それでは昨日私が実体験するはめになった、中学生による「迷惑行為」に関して述べよう。

 私は定期的にスポーツジムに通っているが、このスポーツジムとは公立体育館併設の形で業務を執り行っている。 そのため普段より高齢者が圧倒的に多いのに加え、地元の中高生(公的施設のため承認制にての無料扱いのようだ)が時々ジムを訪れ身体鍛錬に励んでいる姿を見かける。 ジム内に関しては実質的に民間企業への業務委託形式を採用しているようだ。 そのため民間から派遣された専門トレーニング係員等が現場を牛耳っている関係で、もしもジム内で中高生が予期せぬ行為を取ろうが係員より厳しい指導が執り行われる手筈が整っている。
 補足説明をするなら、私はジム使用時にジムから直結している体育館内の走路を毎回ランニング練習場所として利用している。 ところがジムから離れた体育館内部ともなれば、民間企業のトレーニング氏による指導が及ばない状況下にある。
 
 この体育館内走路に時々やって来るのが、中高生部活グループだ。 
 いやもちろん、真面目にランニング練習をするグループも数多い。 その種の中高生グループに関してはさほど気にならない。 (ただ正直に言うなら、体育館走路の幅とはわずか1.5m程だが、その狭い隙間を超スピードで追い越される時には恐怖感を抱く。 雨天の際に室内走路を利用するのは致し方無いとして、そうでない場合は出来れば中高生部活練習を屋外で実施してもらえないか? と思うのが、高齢庶民の正直な感想だが…。)

 昨日も上記体育館内走路に、中学生と思しき男女数名がやって来た。
 私が走路にてランニング練習をし始めてから少し時間が経過した後の事だ。 そもそも中高生年齢連中とは何処の場面に於いても、他者の存在など無視して自分達の行動に没頭するのが時の常識であろう。

 ところがどうしたことか!? その集団連中内の一人の女子が、走路ランニング練習中の私に対し片足を走路に出して進路妨害行動に出ようとするではないか!  これは危険だ。 咄嗟にランニング練習を中断しようとしたのだが、集団内の一男子が「危ないからやめろ!」と女子生徒相手に注意した模様だ。
 その男子生徒の“指導”に安堵して周回コース走路を走り続けていると、またもや当該女子から私が近づいた時咄嗟に走路に出るとの進路妨害を受けた。
 2度に及ぶ女子生徒による進路妨害に対し私は悟った。 (この女子生徒はもしかして私個人に対し、何らかの観点から興味を持ったのではなかろうか??)  と言うのも、当時走路にてランニング練習をしていたのは私一人ではなく、他にも男性3名がいた。 それら男性に対しては、一切の進路妨害をしていない事実を私は嗅ぎ取ったのだ。
 この少女は私がランニング練習を終了して体育館走路を出ようとした時にも、私の目の前で退出を妨害しようとした。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 もしも私の見方が誤っていないとすれば、この女子中学生は私に対して“何らかの内面心理”を訴えたかったものと推測する。
 その内面心理に於ける偶像とは「母」であったのか、あるいは“誰なる女性”であったのかは図り知れない…

 それにしても我が20年程前の高校教員時代には、私に対して“この種の嫌がらせ”をしてくる生徒とは男子と相場が決まっていた。 それら男子生徒達の心理など当時よりお見通しだ。 要するに「(出来れば若い女の先生に)構って欲しい!」に決まっていたものだ。

 今時は、中学生年齢程の女子が同姓の見知らぬ女性に「構って欲しい」との深層心理を抱く世の中に変貌しているのだろうか?  そうだとすれば、人間関係希薄化現象はまさに極限まで達していると結論付けられそうな気もする。

 年端もいかない女子中学生が現実世界の地元体育館走路にて一期一会の私に対し、「構って欲しい」心理を含め何らかの深層心理を“身を挺して”訴えて来た事実に如何に対応するべきだったのか、重いテーマを突き付けられた原左都子だ…
 次回ジム直通の体育館走路へ行ってもしも当該女子中学生に再開出来たならば、思い切って声を掛けてみようか。

今時の電話会社は“殿様商売”に走りたいのか?

2015年05月21日 | 時事論評
 当エッセイ集4本前の2015.5.9バックナンバー 「振り込め詐欺犯はあなたのすぐそばにいる!」内で、私は以下の記述をしている。 冒頭からその一部を振り返らせていただこう。

 現在ケアマンション(高齢者有料介護施設)に暮らす義母が、私に電話を掛けて来て訴えた“捨て置けない”事実があった。
 義母が電話にて曰く、「私が今使っているケアマンション個室の電話(要するに固定電話の事)が6月には繋がらなくなり通話出来なくなるとの電話を電話会社からもらったの。 私としては、耳が遠い関係で携帯電話の会話がし辛い状況だから、固定電話の契約更新をしたいのよ。 そのためには新たな文書に署名捺印しなきゃいけないの。」
 ここで、原左都子はその義母の訴えにすぐさま 「ストップ!!」をかけた。
 「それぞ、振り込め詐欺ですよ!」
 「お義母さんの金融口座のすべてを現在私が手元で管理しています。 現在お義母さんは某電話会社に固定電話・携帯電話共に契約をしていて、その口座振替も滞りなく毎月引き落とされています。 その状況下に於いて、固定電話の電話線が“止められる”など到底あり得ない話です。 お義母さんは騙されています! それをまずご認識下さい!  とにかく明日私が必ずケアマンションへ行って書面を確認しますから、それまで絶対に書類に署名捺印をしないように!!」
 今回の義母の事件はもしかして、「振り込め詐欺」犯による電話ではないのかもしれない。  単に、現在電話会社が多様化している事実を露知らない年寄り相手に、零細電話会社から営業活動を展開しようとの魂胆との推測もあり得るだろう。  たとえそうだとしても、その「営業」の事実とは許し難き行為だ。  お年寄りとは、耳が遠かったり痴呆症状があったりするのが通常とわきまえるべきだ!  それを認識せずしてお年寄り相手に、電話なる自分の顔を見せない“至って不確実性が高い営業活動”を執り行ったのならば、その事実とは悪質性に於いて「振り込め詐欺」とさほどの差異がないと判断出来よう。 
 それどころか同等の罪を課せられるであろう事実を組織体として重々認識した上で、今後はお年寄り相手の電話での営業活動を自粛するべきではあるまいか。
 明日ケアマンションを訪れその真相を確かめる私だ。 もしもこれが「振り込め詐欺」だった場合、今後の義母指導に更に難儀しそうな予感もする。 片や、これが単なる別電話会社の新たな固定電話勧誘だった場合、その怒りをどこにぶちまけてよいのか途方にくれそうな気もする。
 営利団体とて、少しは高齢者の保証人等々身内の年寄りを後見せねばならない立場の大変さも心得てもらい、今後は高齢者相手の営業活動を全面的に自粛せよ!と本気で言いたくもなる。
 元より高齢者に対する「振り込め詐欺」も、バックに控えている保証人の対応こそが大変(大いなる時間と労力の無駄だ!!)な事態を是非とも考慮頂き、どうか悪行を諦めて欲しいものだ!
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を「引用。)


 その後まもなく私は義母が住むケアマンションへ出向き、固定電話に関する事の真相を確認した。

 電話会社(KDDI)から送付されている封書の文面を確認して、その真相が判明した。 要するに、現在義母が使用している固定電話サービスが “利用者減少に伴い廃止される”との事である。 その代替としてKDDIの新たな固定電話サービスを推奨するため、それに契約し直して欲しいとの要件だ。

 ここで一旦、原左都子の私論を述べよう。

 電話会社(今回の場合はKDDIだが)から“老い先短い高齢者”の電話契約を今更変更しろと言われても、その契約を本人が単独で成せるすべもない事実を理解した上で、このような封書を大手企業であるKDDIは要介護老人に送り付けてきたのか!?
 冒頭に引用の我がエッセイ内にも記している通り、この種の要件を“介護が必要な高齢者”に叩きつけられたなら必ずやその保証人が動かねばならない宿命にある。 その事実を巨大企業が理解しての措置なのか?!
 自社の都合で採算が取れない電話サービス契約を“廃止”すると簡単に言うが、公共性をも経営主眼としている大手企業が、その措置が及ぼす顧客側の迷惑を少しは慮れないものなのか。 特に老い先短い高齢者に対しては、特例として死ぬまでそのサービスを続行するとの方策も企業側の少しの努力で採れそうにも考察するが、如何なものだろう??


 そんなこんなでやむを得ず私は昨日の5月20日、義母の“現在の移動力”で出かけられる範疇の KDDI系列 “auショップ” へ義母を連れて出かけた。
 と言うのも、KDDIから義母宛に送付された文書内に「auショップにてサービス移行についてご相談を承ります」なる文面が明記されていた故だ。

 ところが、これまたどうしたのか!?!
 5月下旬にして夏日の暑い天候の中、歩行もままならない義母を街中に連れ出しやっと auショップ に辿り着いてみると、若き職員の皆が「そんなもの知らないな~~~」なる反応を我々に“それみよがし”に投げかけて来るのだ。
 とにかく私自身が暑いのに加え慣れない歩行で疲れた義母を待合い椅子に座らせると、義母はやっと落ち着いた様子だ。
 そこで au店内の状況が理解出来ない義母が、久しぶりに会った嫁である私に対して様々な事を喋り始める。 私としては、店内係員達が我々の訪問の意図が分からず多少イラ突き始めた事実を察知し、ここは義母の無駄話を塞き止めるべきと判断した。 ところが、事情が把握出来ない義母が尚私相手にもっと大声で日常の出来事等を披露し続けるではないか…

 そんな時、やっと今回の我が訪問意図を察したらしき auショップ係員氏が対応してくれる段に相成った。
 ところが、まだ大変だ。 その契約の席についても、義母は(身内である)私相手に自分が語りたくて溜めていた会話を次々と続行する…。
 担当者がそれに内心憤慨した表情を、私は直ぐに嗅ぎ取った。 そこで私としては義母の会話を途中で遮断して担当者氏に精一杯応じようとするのだが、どうしても義母の無駄話が続く。 おそらく担当者氏としては、(何でせっかくついて来た保証人がボケ老人を黙らせられないのか!!)と更に憤ったことであろう。
 この混乱状態の中契約は続き、やっと契約締結まで持ち込んだ。
 ところが auショップ係員が言うには、「契約者(義母)に一週間後KDDIからの電話が通じて初めて契約が成立します。」とのことだ。 その電話を保証人である我が家にかけてもらえないかと私から嘆願しても、どうしても“ボケ老人”である義母の電話番号に最終電話を掛けない事には契約が成立しない」との係員のお達しである。
 更には最後に、義母自身の「サイン」で終結と相成ったのだが、これ一体何なの?と、今年還暦を迎える私ですら言いたい思いだ!  と言うのも、そのサインボードとは書く側から見えにくいのだ。 義母が苦慮しつつそのサインボードに手書きしているのを今後老後を迎える我が事として思い知らされた感覚だ。 
 (担当者の貴方は見えてたかもしれないが、サインとはそれを書く側が“承諾した”との意味合いなのだから、書く側に見易いボードを採用するべきだろうが!!)


 とにもかくにも、今回KDDIによる固定電話再契約強要に際して、義母の保証人の立場として様々な意味合いでとことん疲労困憊させられた。

 今現在電話会社間競争が激化しているようだが、それでもこんなご時世に於いて「電話業者」とは今現在アベノミクス経済政策の歪んだ恩恵の下に最大限潤い「殿様商売」が叶う渦中にあるのだろうか???
 電話業界が自分本位で潤うのは勝手だが、もう少し世間に生きている庶民達を見る目を養っては如何か? 貴方達の業界を現在底辺で支えているのはまさに“底辺庶民”に他ならない。
 それら庶民の生き様や懐具合をしかと観察しつつ、今後の展望を大手電話会社どもこそが率先して推量り直すべきではあるまいか?!?

 昨日、KDDI側の全面的都合で新たな固定電話契約を結ばされざるを得ない事態と相成った要介護の義母に付き添わねばならないがために、貴重な半日を棒に振った私の憤りは今尚収まっていない。

「大阪都構想」 住民投票決着の顛末

2015年05月19日 | 時事論評
 大阪維新の会 橋下徹代表が掲げた「大阪都構想」の是非を問う住民投票が5月17日実施され、反対派が僅差で賛成派を打ち負かした。
 この住民投票により都構想は廃案となり、橋下氏は同日夜の記者会見で政界引退の意向を表明した。


 冒頭より、話を基本に戻そう。

 「大阪都構想」とは一体何だったのか?
 これを実行する事により誰が得して誰が被害を被り、はたまた今後の大阪ひいてはその内外に如何なる影響を及ぼしたのか??

 原左都子の素人考えに過ぎないが、要するに「大阪都構想」とは現在東京都が採用している“23区方式”同様、大阪市内の区を自治体として独立させ(橋下案によれば5特別区に分割する予定だったようだが)、政令指定都市である大阪市を廃止する。 それにより大阪府と大阪市の自治体機能が重複している部分を一つにまとめ、無駄な税金投入を削減するところにメリットを見出す事が目的の一つだったようだ。
 昨夜のテレビニュースで垣間見たが、確かに大阪府及び大阪市共々自治体庁舎として“ご立派”な超高層ビルを建造してしまっている。 あれがもしも一つで済んでいたならば、何百億円もの無駄な税金投入を防げたことだろう。

 もしも「大阪都構想」が採択された場合のメリットとして、これまた原左都子が素人考えで思いついたのは「議会議員」の削減である。  ところがこれに関しては我が考えが甘かった事に後で気が付いた。 大阪都構想が実現されたとて、結局新たに独立する5特別区がそれぞれ区議会を設立した場合、現在の大阪市議会よりもっと数多い議員達に区民の血税から報酬をバラ撒かねばならない。 その報酬額とは、もしかしたら現在大阪市議に支払っている報酬総額より多額になる事も想像可能だ。
 この発想が出るのも、現在私が居住している東京都内某区自治体区議会議員どもが、一体全体何の働きをしているのか図り知れない故だ。 どうせ選挙で選んでくれた縁故者が住む地域に少しばかり恩を売っておきさえすれば、自分の議員としての身が安泰なことなど見え透いている。 こんな奴らが、自治体公務員以上の報酬を懐に入れている事態こそが、許し難い思いだ。

 そんなこんなと自治体議会議員への庶民よりの血税のバラ撒きに対し、私が捨て置けない怒りを抱いていたところ、やはり大阪府に於ける都構想に於いても、当該議会議員達が我が身息災に動いている情報を目にした。
 今回の「大阪都構想」実現により、一番被害を被るのが大阪市議会議員達の様子だ。 彼らは住民投票の事前に、特に弱者である高齢者や子供を持つ世代に対し都構想“反対派に回るよう”根回しをした模様である。
 中でも到底許し難いのは、基本政策が180度異なる「自公与党及び民主党・共産党」議員どもがこんな場で“結託”し、大阪住民にあの手この手と都構想「反対」に回るように街頭演説しまくった事実だ。 (例えば、都構想に賛成すると今まで無料だった高齢者バス乗車が有料になりますよ、等々と……)


 ここで一旦「大阪都構想」に関する情報をウィキペディアより、特に原左都子の上記懸念と関連する部分を引用して紹介しよう。

 橋下徹大阪市長を中心とする大阪維新の会が、大阪府と大阪市の双方によってばらばらに行われてきた広域行政を一本化するとともに、「住民から遠い市役所から、『権限・責任』を住民に身近な区役所に移し、公選区・区議会のもと、地域のことを決定できるようにする」ことを実現させる為に掲げる構想である。
 この構想の目的は、政令指定都市の大阪市を廃止して中核市程度の権限と財源を持ち、公選制の区長を置く特別区を設置し、旧市の行政機能・財源のうち広域行政に関わる部分を「大阪都」に、地域行政に関わる部分を「特別区」に、それぞれ移譲・統合することである。これにより、従来から議論となっていた「大阪府と大阪市の二重行政」の解消、大阪都市圏というより広範な地域を対象とした行政ニーズへの対応より小規模な自治体である特別区による、地域の実情に応じた小回りの利く地域サービスの実現を達成しようというものである。
 大阪市に代わって設置される特別区の区議会議員の数は、大阪市議会議員の議員の数と同数とされ、議員の増員はされない。区議の報酬は市議の報酬額から3割減額される。 なお、大阪市地域にはそれぞれ区議会が設置されるが、大阪府議会では定数削減後の88議席中27議席が配分されることとなり府議会全体の約31パーセントを占めることとなる。


 一昨日(5月17日)大阪都構想住民投票により、僅差ながらも「敗北」結果を突き付けられた橋下徹氏が発した言葉が素晴らしい。
 「権力者は使い捨てがいい」

 ここからは原左都子の私論だが、橋下徹氏が実質「権力者」であったか否かに関しては、今後の氏の活動動向を見守るべきだろう。
 それにしても今回の「大阪都構想」住民投票が、結果として狭い意識の権力者達(実際問題如何なる政治権力を有しているのか図り知れず単なる“勘違い”議員達)の私欲により操られていた事実が、おぞましくもある。

 ただ橋本徹氏が今回の住民投票結果に対し素直に敗北を認め、政界引退表明を提出した事実は、今後の政界にいくばくかの影響を及ぼす事であろう。
 事実、「維新の会」代表だった江田氏は既に代表辞任を表明している。 既にメディア報道にても見聞する通り、今後野党側も多少の混乱期を迎えるであろう。
 自民党とて安倍政権が目指す憲法改正戦略上、今後大きな打撃を受けそうだ。

 今回の「大阪都構想」住民投票に際しその結果の程が「僅差」だったことを、(国会議員も含め)関係自治体議員達こそが真摯に受け止めるべきだ。
 
 橋下徹氏のやり方は極端だったかもしれないが、彼は「大阪都構想」を住民投票に持ち込んだ事で、大阪府民のみならず全国の国民皆に、何某かの“今後の自治体や国家のあり方”を提示したような気もする…。

初夏の皇居内堀外周を駆け抜けました!

2015年05月17日 | 自己実現
 (写真は、昨日5月16日皇居ランニング大会出場ゴール直後に、桜田門広場にて娘に写してもらった原左都子。)


 例年東京都千代田区皇居内堀外周にて5月に実施される「皇居Mayランニング大会」にエントリーするのは、今年で3度目である。

 ところが、昨年の大会は直前の4月に両腕骨折(正確に言えば左鎖骨及び右手首同時骨折)なる我が人生最大の大怪我不運に苛まれ、棄権を余儀なくされた。
 その時の無念の思いを、ちょうど1年程前の「原左都子エッセイ集」2014.5.19バックナンバー 「棄権して改めて悟る素人対象ランニング大会の“是と非”」 に於いて綴り公開しているため、以下にその一部を振り返らせていただこう。

 昨日(2014年5月18日)、皇居ランニング大会を「棄権」した私だ。  何故、棄権したのか?  「原左都子エッセイ集」読者の皆様はご存知の通り、4月中旬に自宅ベランダで転び、現在全治2ヶ月の骨折を体内2箇所に抱えている故である。
 当該ランニング大会の「スタートリスト」がネット上で公開された時点では、私の骨折具合も相当回復に向かっていた。 「これは出場できそうだ!」」と一時出場に向けて動き出した私だが、結局未だ鎖骨骨折コルセットを背負った身との事由により出場を断念するに至った事は、バックナンバーにて既述している。
 さてランニング大会当日が迫る中、私は当日の天候を日々調査していた。  何故ならば、もしも当日「強風・雨天」等が予想される場合、棄権する事の“無念の度合い”が軽減されるからだ。 素人ランナーである私の場合、悪天候下でのランニング大会出場など体力的にも(美容観点からも)叶う訳がない。  身勝手にも、もしも当日悪天候だったならば… などと大顰蹙の我が身息災志向に陥っていた。
 ところが我が天候調査も虚しく、当日は輝かんばかりの青空が広がっているではないか!
 そしてランニング大会当日、私は当該大会に出場する我が娘の応援に回る目的で皇居桜田門へ向かった。
   (中略)
 そもそも、この大会にかかわらず素人対象ランニング大会に出場エントリーしているランナー達とは、そのほとんどが職場団体等による小集団か、家族同志か、あるいは個人である。  いつもは私自身が大会に出場している身のため、それら「集団」を観察する時間が取れないのだが、今回は娘の応援側に回ったため「集団」の動きの程を詳細に観察出来た。  我が観察力によれば、応援側も自分のグループ“以外”の出場者には全く興味がないようだ。  (確かに原左都子自身の感想を語っても、ヘボく走っているド素人ランナーには興味が向かないのは事実ではあるが…。)  
 しかも「ド素人対象ランニング大会」とは、今時そのほとんどが一般市民の皆さんと場を共有しての大会運営である。  さすがに、これに関して開催側が熟知し大会運営している現状に一応安堵する一方、原左都子に言わせてもらえば、この対応も特にランナーに対して生ぬるい。 衝突事故等防止のために大会主催者が取るべき対応とは、ランナー側こそが観覧者や一般市民にぶつかるのを塞き止めるのが先決問題だろう。
 もしや一般市民との間で何らかの事故やトラブルが発生した場合、必ずやランナー側あるいは大会主催者側が法的責任を負うはめになるのは歴然だ。
 世に「ド素人ランナー」が増殖していいだろう。 私とてその“端くれ”だ。 いつもランナーの立場でランニング大会に出場してばかりいないで、たまには今回の私のように、今一度初心に戻って大会の様子を観客として眺めてみてはどうか?   特に公道等公的場所を占拠して実施される「素人ランニング大会」とは、一般市民の皆さんにとって“大迷惑”であるどころか、大いに“危険な場と化す”ことも認識出来るであろう。
 まさか、走る趣味を持った自分こそがこの世で一番偉いなどと、たかが“ド素人ランナー範疇”で「そこどけ、そこどけ!」気分に陥り、大いなる勘違いに浸っていない事に期待したいものだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 話題を、昨日実施された「皇居Mayランニング大会」に戻そう。

 人間とは実に身勝手極まりないことを我ながら実感である。 
 昨年は「棄権」せざるを得なかった身にして、「明日は悪天候になるように…」と祈った私だ。 
 ところが2年ぶりに大会のスタートラインに立つ身に成りては、「明日の晴天」を願うばかりだ。
 そんな“罰当たり”の私に、天は思わぬ試練を与えた。 5月の連休以降夏の晴天が続いていた東京地方だが、何と台風一過後の5月16日は「雨天予報」が続いたのである…。
 それでも一緒に大会エントリーしている娘相手に、私は告げていた。「今年は雨天でも絶対に大会に出場して完走する! 貴女もそのつもりで雨天対策をしておくように。」

 さて、5月16日当日。 非情にも早朝より雨が降り続いている… 
 ただ、私のランニング大会出場に賭ける思いには変化はない。 娘と共に地下鉄に乗り出発地点である皇居桜田門広場へと急いだ。
 神の思し召しか!   何と現地は雨が止んでいるではないか! しかも曇天のお陰で、多少の湿度はあるものの直射日光に照らされずに済む。  これは初夏の季節にして絶好のランニング日和だ!

 スタートラインに立つ直前に、私は娘に伝授した。 「今日はおそらく直前までの雨天の影響で皇居外周を散策する観光客が少ないと推測するから、最初から飛ばした方がいい。 後半下り坂の連続で楽を出来るから前半頑張って、後半の下り坂を利用しつつゴールに向かおう!」

 私から娘へのアドバイス通りの戦略で、私はゴールへ向かった。
 その結果とは、2年前出場した皇居ランニング大会の記録を2分以上上回る記録だった!(娘も同様の皇居ランニング記録を打ち立てる事が叶った。) 
 やはり競技大会とは、たとえド素人であれ観戦するより自分が出場するに限る事を実感だ。

 このエッセイの最後に付け加えると、今回の「皇居ランニング大会」に於いて、皇居内堀歩道で海外からの団体旅行客と触れ合うきっかけを得たことが、私にとっては新鮮体験だった。
 私の視点ではおそらく中韓等アジア地域からの観光団体女性達と推測したが、彼女達が皇居外周を走っている我々日本“ド素人ランナー”に立ち止まって「声援」を贈って下さるのだ。 これぞ、私など大感激である。 その声援に応えるべく最大限笑顔を見せ手を振り返すと、女性達は(言葉は分からないものの)更なる声援を贈って下さり、私の姿を写真に収めた模様だ。 (これを外国人観光客相手に実行したのは、おそらく今回のランニング大会出場者中“女子最高齢”の原左都子だけだっただろう…。)
 それでも、高齢にもめげず「皇居ランニング大会」に出場するメリットとは、この辺の“国際交流”にもあるのかとグローバル視点で再認識した私だ。

 今現在、安倍政権が過去の近隣諸国侵略歴史も顧みず「安保政策」すら大転換しようとしている現実下にある。
 そんな中、日本国内とりわけ“皇居”を訪れる事を欲するアジア諸国旅人の皆様に、感謝すら申し上げたい思いだ。 しかも国内小規模素人ランニング大会に出場している我々ド素人ランナーに拍手すら贈って下さるとは、何物にも替え難い国際交流ではなかろうか。

 素人ランナーにして、そんな面に於いても「皇居ランニング大会」に出場する“意味合い”を再認識した私である。
 来年も必ず出場して、日本が過去に於いて侵略した近隣アジア諸国観光客の皆さんに、私こそが手を振りつつ走るぞ!!

“内定取り”を焦るより、就職先は自力で選別・決定しよう

2015年05月15日 | 仕事・就職
 今春大学4年に進級した我が娘が現在「就活」真最中につき、街に出るとどうしてもリクルートスタイルの女子学生に真っ先に目が行く。

 昨日も上野まで美術鑑賞に出かけたのだが、いるわいるわ、あちらこちらにリクルート娘が。
 黒スーツ姿の女性は何も就活以外にも珍しくはないのだが、どういう訳か就活娘達とは目立つ存在である。 スーツが真新しいせいか、あるいは社会人として経験を積んでいない女性達とは、良く言えば“フレッシュ”かつ“世間ずれしていない”、悪く言うとスーツ姿が板についておらず“未熟さ”“ダサさ”が目立つ故だ。

 そんな中、(親の欲目以外の何物でもないが)我が娘のリクルートスタイルは板についている?!?
 と言うのも、親の私が娘に着用させるスーツを厳選したのが一つの理由だ。 とにかく娘の体型に合うリクルートスーツをパーツごとに根気よく選んだ。 それに加えリクルート講習をも受講させて、リクルート化粧やヘアスタイルもバッチリ決めさせている。 
 (そんな陰なる努力が実を結ぶか否かは、親の力が及ぶ範囲でない事ぐらい心得ているが…) 

 それにしても、何を考えてるんだ?! と言いたいのは、就活に友達と一緒に出かけているらしき女子学生連中だ。 たまたま目指す企業が一致しているのかもしれないが、そうだとせよ集団で徒党を組んで就活に出向くメリットがあるとは到底思えない。  混雑した電車内で周囲の迷惑も顧みず集団でくっ喋りつつ就活する主体性なき女子学生を、採用したいと思う企業があるのかどうか…


 話題を大幅に変えよう。

 現在NHKにて放映中の連続テレビ小説「まれ」は、どうやら放映後1ヶ月半にして視聴率が低迷状態であるらしい。 それもそのはず、とマイナス面で納得している私である。
 放映前の裏情報によれば、今回の連続テレビ小説は定例のごとくの“若い娘のドタバタ劇”を取り止め、主人公の成長を地道に丁寧に描くとの前評判だった。
 ところがいざ蓋を開けてみると、何の事はない。 これまた日々出演者全員による“ドタバタ劇”が繰り広げられる始末…   貧乏一家にして「地道にコツコツ」がスローガンのはずが、主人公のまれは日々走ってばかりで落ち着きがない。 こんな主人公が何故高卒時点で輪島市役所職員として採用され得るのかのバックグラウンドの描き方も中途半端。 更にはせっかく採用された市役所を1年足らずで退職する始末…
 如何に贔屓目に考察しようが、娘の給与をあてにしている貧乏一家にとって、娘側に公務員を退職するとの身勝手な行動が許される訳がない。 元より“能力不足一女子”に次なる道程が保障されているとも到底考え難い。 善意に解釈するなら、まれの公務員就業に当たっては、塩づくりに励む輪島市地元の桶作家のコネがあったのかもしれない。 それにしても就職後1年足らずで桶作家の顔に泥を塗り、横浜へ旅立つとは何事か!
 もっと呆れたシナリオ展開は、昨週 まれ のパティシエ祖母がフランスから帰国した場面だ。 結局そういう事なのねえ…、と呆れ果てるしかない。
 NHK連続テレビ小説とはいつもこうだ。 せっかく主人公が貧乏にめげず励んでいても、そこにひょっこり世界的成功を遂げている親戚類等が登場する。 これぞ愕然とさせられる。「地道にコツコツ」へったくれも何もあったものではない。 原左都子に言わせてもらうならば、物語のすべてがこれで帳消しだ…。(だから、視聴率が下がるんだよ…。

 それでも私は、一昨日視聴したNHKドラマ「まれ」のストーリー展開に“一抹の光”を見た思いである。
 それは、主人公 まれ が横浜に出て、ケーキ屋に就職しようとしている場面だ。
 まれは、そのケーキ屋で一切れのケーキをご馳走してもらえる事態と相成った。(実際の就活場面では到底あり得ない風景だが。)  出されたケーキを食した まれ は首を傾げる。
 結局、まれにとってその店のケーキの味が自分が目指す道とは違うと推し量ったようだ。 すぐさま、店への就業を まれ 側から断り、横浜中のケーキ屋を彷徨う。
 そして出会ったのが主人公 まれ が目指す横浜のケーキ屋との、現在までのNHKドラマストーリー展開である。 (“ミラクル虚像”もここまで描けば、視聴者として賛同可能なのかなあ…)


 話を大学生の「就活」に戻そう。

 我が娘が就活関連諸機関より入手している一般書類を垣間見ると、どうやら現在の大学生とは「自分が目指す企業から如何に“内定をいち早く取れる”か!」こそが最大の命題の様子だ。
 片や娘が通っている大学は女子大学のためか、学内でさほどの「内定取り競争」の話題は出ない様子だ。 加えて娘が通学している女子大学はある程度の専門性がある故に、卒業後「家業を継ぐ」学生も少なくなく、将来の就業先が多岐に渡っているのも特徴である。

 我が娘の就活は、そんな事実が幸いしているとも表現可能だ。
 今に至って、娘に一切の“焦り”がない事実に親の私こそが安堵させられる。 それよりも娘が大学4年に至り、初めての経験として「就活」を“楽しんでいる”とも伺える様子に拍手すら贈りたい思いだ。 
 確かに、「就活」とは楽しい事象かもしれない。 私など(亭主も含め)就活経験が一切無く(元よりそれを経験せずに済んだ)専門職種に就業している。
 NHK連続テレビ小説主人公の まれ や我が娘を見ていると、私も就活をして、こちらから就職先をバッサバッサと次々斬り捨てつつ、自分の人生を決めたかった思いすら抱く。


 現在の大学4年生の就活とは、これから夏に向けてが本番である。
 我が娘よ。  決して、くだらぬ「内定取り」を急ぐでないぞ!
 貴女には両親ほどの“決定的専門資格”がない事こそを武器として、今後共自分に見合った就業先を自分の力で見定めるとよい。

 今後共、母は貴女の就職先選別・決定力を信じ、応援しているよ!