原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

初夏の味覚のクール宅配便 -No.2-

2015年05月06日 | 人間関係
 (写真は、昨日5月5日午前 長野県伊那市の大規模農場主より我が家にクール宅配便にてお届け頂いた採れたてのウド)


 伊那市大農場よりのウドの到着を「原左都子エッセイ集」で取り上げさせて頂くのは、今回が3度目となる。

 もう既に8年の年月にも及び、年に3,4度のペースで欠かさず採れ立て野菜を我が家に届けて下さる農場主K氏との出会いのきっかけとは、実は当該「原左都子エッセイ集」が媒体である。

 そんな長き期間に渡りK氏より定期的に頂戴する新鮮な産直品との「贈り物」の歴史に関して、2010年5月公開の本エッセイ集バックナンバー 「初夏の味覚の宅配便」 に於いても記述しているため、その一部を以下に今一度紹介させて頂こう。

 日本の中央アルプスや南アルプスが展望できる、信州の実り豊かな大地で大規模農場を営んでいらっしゃるK氏から、年に3、4度欠かさず採れ立て農作物を、クール宅配便にて我が家に直送いただいている。
 K氏の大農場に於ける主生産農作物はブロッコリー(K氏名付けて “ブロッ娘”『ブロッコ』とよみます。 K氏がご自身の可愛い娘のごとく愛を込めて育成され、毎年春秋に市場に届けておられる。)であられる。 そのため、春秋の“ブロッ娘”を中心に、早春のフキノトウ、そして今頃の季節はワラビやウドといったごとく、大都会で暮らす原左都子が普段滅多に目にすることがない“土”がついたままの旬の農作物を、何ともありがたいことに我が家まで直送いただけるのである。
 ここで長野県の農場主K氏と私が知り合った経緯を述べさせていただくと、そのきっかけとはこの「原左都子エッセイ集」が源だ。 K氏はご自身の農場経営でご多忙な中、当時まだ開設後数ヶ月しか経過していなかった初期の本エッセイ集をご訪問下さり、私が綴る拙エッセイの一記事一記事にコメントを書き入れて下さる等の手段で、心温まる応援を頂いた方である。
 その後“ブロッ娘”の生産拡大による更なるご多忙等と相俟って、K氏はネット世界から遠ざからざるを得なかったご様子だ。 それでも今尚、過去において(たかが)ブログ上で知り合った原左都子宛に採れたて農作物を直送して下さるという恩恵に与り続けているのだ。  
 分子遺伝子生物学の発展が農業における品種改良にもたらす恩恵や、工業分野での技術革新の農業分野への進出による発展は凄まじいものがあることであろう。 とは言えども、農業とは“生き物”を扱う世界であるからこそ自然との共存が主眼であり、天候や気温による打撃を直に受ける産業であることを、K氏より定期的に頂けるメールと共に実感させられる思いだ。  特に例年の異常気象との闘いの連日を慮った場合、農業に携わるK氏のお便りから日々のご苦労の程を重々実感させていただける思いでもある。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2010年5月バックナンバーより一部を引用)


 上記のK氏は現在60代前半程のご年齢であられる。 今の時代背景に於いては決して老齢と表現する域に達していない世代と表現出来よう。 
 そんな未だ将来ある年齢層にして、二人三脚で共に農場経営に精進されてきた最愛の奥様を、昨年末に突然の病にて亡くされるとの不運に苛まれておられるのだ…
 昨年12月に奥様が突然の体調不良で入院された事実に関して、K氏はその一報を原左都子宛にメールにてお知らせ下さっていた。 にもかかわらず、晩秋頃まで奥様と農作業を励んでおられたとの前のメール内容を勘案し、私は(おそらく奥方は一時の体調不良であり大丈夫だろう)などと楽観視を貫いてしまっていた…
 
 もっと失礼だったのは、それ故、年末にK氏宛に例年通り年賀状を差し上げた事態だ。 
 ところがいつもは元旦に必ず届くはずのK氏よりの年賀状が、1月下旬に至ってまだ届かない。 
 もしかしたら… との私の悪い予感が的中し、その後K氏より「昨年末奥様が亡くなられた」との寒中見舞いメールが我が手元に届くはめと相成った…
 そんなK氏よりの「ご訃報メール」に、私も最大限留意しつつも…
 ご夫婦としての私生活のみならず大農場経営との「自営業」に於いても、長年に渡る最大のパートナーかつ最愛の奥様を失った人物相手に、如何なるお悔やみを申し上げればよいものやら途方に暮れた…。
 それでも苦肉の策として、原左都子なりの「お悔やみ」をK氏へメールにて申し上げた。 最愛の奥様を失ったばかりの一男性に対し、これしきの御挨拶しか出来ない私をお許し下さい、なる“禊ぎ”の意味も込めて。


 あれから季節が移り行き春が訪れた今、K氏より今春もウドを届けて下さるとのCメールを頂戴した。

 何よりも嬉しいメールだった。
 即刻私はCメールにて、K氏宛に返答を申し上げた。
 「Kさんから今年もウドを届けて下さるとの事、Kさんが(奥様亡き後も)お元気でいらっしゃる事実に何よりも感激のさとちゃんです! もちろんウドを頂戴します!」
 (参考のため、K氏は8年前にネット上で出会った時からずっと、私の事を“さとちゃん”の愛称でお呼び下さっている。 これぞ両者の関係がずっと対等に続行可能な原点とも私は認識している。)

 はてさて、今夜は如何なる「ウド」メニューを私は我が家族に提供可能であろうか…
 K氏のご意向に沿い、我が無い腕を振るおうではないか!